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37 死にたくなった桜海

ただいま編集中

 桜海の二の腕にある、彼にしか見えない痣は、毎年春になると、冬眠から起き出したように蛇になって現れ、桜海に巻きついたり、そばにいる虫(霊)を食べたりして、その存在を桜海にアピールした後、どこかへ行ってしまう。

 だが、再び冬になる前にひょっこり桜海の腕に戻ってくる不思議な蛇の痣なのだ。


 今年もそろそろ、春になる。


「朝の掃除、終わったよ」

 赤星は、社の見回りにやってきた桜海に報告した。


「ありがとう。お疲れ様」

 桜海は、照れくさそうにする赤星を感慨深く見つめた。

 ピンと張った朝の空気の中で、桜海は朝日の温かみを手の平で受け止める。


「今日は少し温かいね」

 桜海が太陽に手を翳すのを見て赤星は微笑んだ。


「そうだね」

 桜海は、いつものように、刀の様子を見た。


「特に異常ない…あっ?」


 赤星と一緒に戻ろうとした時、二の腕から蛇がヒュルリと抜け出した。

 そして不思議な事に、刀の結界に入り込み、刀と鞘の封印をシュルシュルと解いてしまったのだ。


 結界から出てきた蛇は、霊だが、大蛇に変身していた。


 そして今までのように、桜海をトグロに巻こうと近づいた。

 だが、桜海はいつもと違う行動、違うサイズの蛇に驚き、一歩下がって身構えた。


 その様子を不思議に思った赤星が尋ねる。

「どうしたの? 蛇に睨まれた蛙みたいな顔して」


「相変わらず鋭いな。当にその通り」


「え? 蛇が居るの? どこどこ?」

 赤星は見えない蛇をキョロキョロ探した。

「動くな」

「え…?」


 蛇の霊が赤星にトグロを巻こうと近づいた瞬間、鞘から抜けた刀が飛んできて、蛇をスパッと切った。

『シュッ!』

 切られた蛇が不服そうな声を発した。


 赤星は刀の動きで自分の目には見えない蛇を切ったのだろうと思った。


「お前が封印を解くからだろ。絆創膏貼ってやるから」

 桜海は結界の絆創膏を使って、蛇の身体を繋ぎ合わせた。


『シュウシュウ…シュ』

「俺、巻いて気が済むなら…」


 桜海の言葉から推測し、蛇が桜海に巻きつこうとしていると思った赤星は、

「まだ切り足りない?」

と、蛇が居るであろう方向を睨んだ。


『シー』

「いや、もう大丈夫。悪かったな」

 しかし赤星の言葉を真に受けたのか、刀が蛇の霊に向かって飛んで行った。

 そこへちょうど桜海が、蛇の腹と尻尾を結界の包帯で巻いてやろうとしたので、桜海に向かって刀が飛んでくる格好になってしまった。


「危ない!」

 赤星が驚き叫んだ。


 桜海は瞬時に結界で刀を受け止めた。

 しかし、妖刀は多重結界を束にして作っても切ってしまう代物だ。

 桜海は結界を作り続けて応戦した。

 だが、とうとう刃先が桜海の左腕に刺さった。


「クッ…」

 桜海の二の腕から血が滴り、刀に流れた。


 赤星は、桜海の腕に更に深く突き進む刀の柄に手を伸ばし、刀の動きを止めた。

 しかし赤星が握ったことで、刀が抜けてしまったので、桜海の左腕から血が吹き出した。


「あーーっ!」

 桜海はその痛みのせいで、赤星は恐怖で叫んだ。

 その瞬間、赤星の中で何かがスパークし、そのまま意識を失った。

「赤星!」

 桜海は、何故か赤星のオーラがまた光を増したのを感じた。

『運命とは残酷じゃの』

 異常を感じ、やってきた一多が、孫の心中を案じた。

 桜海の二の腕に棲んでいた蛇は何処かへ旅立っていった。

『手当てしろ』

 一多が心配して言ったが、桜海は無も言わず、赤星を抱え彼の部屋へと運んで行った。

 赤星をベッドに寝かせると、部屋ごと結界を張り、心配する一多を寄せ付けないようにした。

『天! 手当てをしろ』

 桜海は赤星の手から刀をはずして床に置いた。そして流れ出る血を止めようともせず、赤星のベッドに凭れるようにして床に座り、ぼんやりと中空を見つめた。

『テン。まさか死ぬつもり?』

 タマコがオロオロしながら言うと、桜海はタマコを結界で囲んで部屋の結界から外へ出してしまった。

『マサヤは今まで以上に色々引き寄せてしまうのに、あなたが消えてしまったら、彼はどうなるの?』

『タマコさんの言うとおりじゃ』

 結界の外で一多とタマコが叫ぶが、桜海の心までは届かない。

 桜海は、静かに目を閉じた。

「アウッ!」

 いきなり刀が赤星の右腕を軽く刺して、

「アアッ…」

抜けた。

 ベッドで起き上がり腕を押えて座っている赤星を庇いながら、

「俺たちの、味方、じゃないのかよ、エロジジイ…」

と桜海は呟いて、刀を床に衝き立てた。

「もう、いい、だろ…。俺の、命、やるから、聖也を護って…」

 桜海は気絶した。

「テン!」

 赤星は、

「じゃあ、俺の命をテンにあげるよ」

と言いながら、前掛けのポケットから手拭を出して桜海の左腕に巻いて止血した。

「しっかりして、テン。今、救急車呼ぶから…」

 赤星も出血で朦朧としながら、携帯を操作した。

「助けて。テンを助けて」

 赤星は、直接、医師の山神に助けを求めた。

〈今、どこですか?〉

「社務所、です…」

〈聖也くん?〉

 赤星は気絶した桜海を抱き起こし、

「テン、結界、解いて。死なせたくないんだ」

と説得した。


 山神が病院の救急車を出動させ、自分も乗り込んで桜海たちの元に駆けつけた。


(たかし)くん! 聖也(まさや)くん! 今助けてやるから」

 山神は二人の様子を確認し、急いで応急処置の準備をした。


「何か壁みたいなものがあって、向こうに行けません」

 救急隊員が、山神に報告した。


「そんなバカな」

 山神は結界のせいで開けられない社務所の前でうろたえた。


「おい! 聖也くん! ここを開けてくれないか?」

 山神が大声で呼びかけるが、二人とも腕から血を流して倒れていて、返事がない。


『刀よ、主の命を奪うつもりか?』

 一多は腹立たしそうに言った。


「このまま二人が死んでいくのをここで見ているしかないのか?」

 山神が悔しそうに呟いた。


「どうして何もないのに、あそこへ行けないんでしょうか?」

 救急隊員の一人が不思議そうに首を捻った。


『テン! お願い。結界を解いて!』

 タマコも必死に叫んだ。


「中で倒れている人を、起こすしかないですね」

 もう一人の隊員が、当たり前のようで難しいことをさらりと言ってのけた。

「仕方が無い」

 山神は一か八か、医療用のハンマーで、壁をドンドン叩いた。

 隊員たちも手や足で振動を与えた。


『そうじゃ、鞘はどこじゃ?』

『神殿でしょ?』


『刀を鞘に戻るように仕向ければ…』

 一多は結界を解く策を思いついた。


『どうやって?』

『隊員の一人を離脱させてくれまいかのぉ』


『他人の身体を乗っ取る気? テンからは禁止されてるけど』

『この際、仕方あるまい』


『わかったわ』

 タマコは、一多の言うとおり、救急隊員の一人を幽体離脱させた。


「手が痛いので他に道具がないか探してきます」

 一多の乗り移った隊員は、一旦現場から離れ、神殿の中に残された鞘を手に取って戻った。

 すぐに一多は鞘を結界に近づけ、刀をおびき寄せた。


 刀は自分の主以外の人間が鞘を持っているのをよしとしないのか、あわてて結界を破って飛んできた。

 一多は隊員の身が危険なので鞘を庭に放り投げた。

 刀は一目散に鞘に戻って大人しくなった。


「入れます!」

と叫んでから、一多が抜け出し、タマコは隊員の幽体を彼の身体に戻した。


「あれ?」

 離脱させられていた隊員は、狐に抓まれた様な顔をした。


「さあ、処置をするぞ」

 山神は二人の隊員に声をかけて、桜海と赤星を救急車に乗せ、車内で血止めの応急処置を施しながら病院へ緊急搬送した。



「もう、どうしてそんなことになるの?」

 知らせを受けた(あや)がバタバタと病院にやってきて夫に愚痴を言った。


「僕にはわかりませんよ。ただ、二人とも同じ血液型なのには驚きました」


「もうホントに意味がわかんない」

 礼は歳の離れた弟への心配が余って、腹を立てているのだ。


「そうだよね。キミがどれだけ心配させられてきたか。両手に余るからね。でも、そんなに怒らないで」

 仁志は礼を桜海と赤星の病室(集中治療室)へ案内した。


 ガラスの向こうで眠る桜海の頬にいくつも涙の痕があるのが見えた。

「バカたかし」


 礼は(ひと)()の胸に飛び込んで、

「ありがとう。弟たちを救ってくれて」

と泣きながら感謝した。


「礼さん泣かないで下さい。僕は当たり前のことをしただけですよ」

 仁志は礼を優しく抱きしめた。


 翌日。


「ここは…?」

 目を覚ました赤星は見慣れない病衣の天井を見つめた。


「少しお待ち下さい。今、先生をお呼びしますから」

 意識を取り戻したことに気付いた看護師が、集中治療室から慌てて駆けて行った。


 すぐに山神が様子を確認にやってきた。

「赤星くん、大丈夫かい?」

 山神のホッとした顔を見て、赤星も少し安堵した。

「あの、テ、桜海さんは…」


「まだ、意識が戻っていません。でも、大丈夫です。生きてます」

 山神は赤星になるべく心配をかけないように状況を伝えた。


「あの。会えませんか。傍に、居ちゃダメですか?」

 赤星の目から涙が転がった。


「天くんの傍に居たい?」

「…はい」

 赤星は次々に零れてくる涙を拭いもせず山神に懇願した。


「天くんの意識が戻ったら…」

「先生!」

「今行く」

 話している途中で看護師に呼ばれ、山神は隣の治療室へ急いだ。


「天くん、気がついたかい?」

 桜海が意識を取り戻した。


 山神は、傷の具合を診て、全身の具合も診る。

「もう、大丈夫だ」

 ホッとする山神の目の前で、桜海は右手で、左腕の包帯を外そうとするかのように掻き毟った。


「何をする!」

 山神は慌てて桜海の右腕を掴んで止めた。


 だが押えているにも関わらず右腕を動かそうと力を入れる桜海を見て、山神は看護師に指示し、右腕をベッドに括り付けた。


「先生!」

 呼ばれて振り返ると、看護師が止めるのも聞かず、赤星が桜海の居る集中治療室にやってきた。

「キミもまだ動いちゃダメだ」


 赤星は全く耳を貸さず、桜海の傍に来てしまった。

「テン…」

 そして、括り付けられてもなお動かそうとする桜海の右手に縋りついたが、すぐに赤星は倒れてしまった。


「ほら、だから言ったのに…」

 山神は看護師にベッドをもう一台用意させた。

「仕方がない。特別だ」

 山神は二人を同じ治療室で管理する事にした。



「二人はどう?」

 礼が仕事を終えて見舞いにやってきた。


「意識は戻ったけど…」

 仁志は少し考えて、

「身体より、心の傷の方が深いみたいだよ」

と言った。


「天?」

「二人ともかな。僕は外科医で、心は専門外だから、ごめん」

「ありがとう。後はあの子達が自分で解決しなきゃいけないのよね。私がもっと気をつけてやるべきだったわ」

 礼は暗い表情で呟いた。


「キミが?」

「そう。あの子が気付いているという事に気付かなかったから…」


 礼の言っている事が仁志にはよくわからなかったが、

「とにかく、僕は医者として出来る限り、彼らのサポートをするから、キミも過ぎたことよりこれからを考えてやってくれるといいんだけど…」

と礼を元気付けた。


「そうね。ごめんなさい」

 礼も笑顔で応えた。


「心配ばかりして、キミまで倒れたら、僕と子供たちが路頭に迷うから、気を付けてください」

「はい、気をつけます。それから、これ」

 礼は2つの紙袋を仁志に差し出した。


「着替えですか。すみません」

「妻の仕事ですから。それにあの子達の着替えも」


 礼の肩にちゃっかり乗っかってきたタマコがニヤッと笑うと、仁志の肩に移った。


「ありがとうございます」

「じゃあ、うちに帰ります。弟夫婦をよろしく」

 礼が言うと、仁志は苦笑いで見送った。



「礼さんは本気であの2人を夫婦扱いしているなぁ」

 仁志はクスクス笑いながら、診療室へ戻った。


「テン?」

 赤星が目を覚ますと、隣のベッドで桜海が眠っていた。

 手を伸ばしてみるが、少し届かない。

 赤星は身体を乗り出して手を伸ばした。

「もうちょっと…わっ」


 バランスを崩した赤星の身体はベッドから落ちた。

「い…たくない?」

 赤星の体は結界で保護されていた。


 そしてゆっくりベッドの上に戻された。

「テン…」

 赤星はベッドで泣き出した。


 そこへ回診に訪れた山神が、赤星が泣いているのに気付いた。

「どうしたんだい?」

 山神は桜海の腕を診て、括り付けてある右腕の様子も確認した。


 次に赤星の腕を診て、もう一度涙のわけを尋ねた。

「何をそんなに泣くんだい?」


「わかりません…」

「え?」


「勝手に涙が…」

 赤星は腕で涙を拭った。


「タマコ…」

 桜海が呟いた。

「喋った。タマコさんが来たの?」

 赤星は急に元気になった。


『そうよ』

 山神の肩から桜海の肩の辺りに下りたタマコが、ニッコリ頷いた。


「タマコさん?」

 山神は辺りを見回した。


「桜の木の精霊です」

 赤星が説明した。


「天くんの不思議な世界だね? 赤星くんも見えるの?」

「俺には見えません」


 山神は手際よく二人の傷の消毒をし、包帯を取り替えていったが、その間にも、普通に話しているのに、涙が止まらない赤星を見て、医者としてはその原因が見当もつかず首を捻った。


「2人の怪我は腕だから、外傷じゃなくて、何か別の要因があるようだ。僕は精神科医じゃないからハッキリとした診断はできないけど…」

 山神の言葉を聞いて、2人とも、精神・心という点に置いて、身につまされる思いだった。


 桜海の瞳から涙が零れた。

 赤星の瞳からも涙が零れた。


「おいおい、2人とも…」

 山神は着替えと一緒に入っていたタオルを2人に渡した。

「赤ん坊がシンクロして泣き出したみたいじゃないか。参ったな…」

 山神のコメントを聞いてますます桜海はタオルで声を殺して大泣きし、赤星の涙も止め処なく流れた。


「悪いが、僕には無理だ。思い切り泣いたら嫌なことは忘れて、笑顔を取り戻してくれるかな~」

 山神はそそくさと退散した。



〈どうしたらいいのか、わからないよ〉

「お医者様のあなたがわからないんじゃ、私にもわからないわよ」

 勤務中の礼の元に仁志からヘルプコールが来た。


〈赤星くんは勝手に涙が出てくるらしいし、天くんは声も上げずにつらそうな顔して泣くし、僕はお手上げです〉

「わかりました。私が彼らと話してみます」


〈なるべく早くお願いします〉

「はい。でも、明日になるわ」


〈愛してるよ、ハニー〉

「もう、恥ずかしいわね。近くに誰かいないでしょうね」


〈ひどいな…〉

「安心して…」


 礼は周りをキョロキョロッと確認して、

「私もよ、ダーリン」

と囁いた。



「どうしよう。涙腺が壊れちゃった。涙が止まらない」

 赤星は目の下にタオルを当てたまま呟いた。


 しばらく2人の涙は止まらなかった。

 桜海は、とうとう泣きつかれて眠ってしまった。


「あれ? 止まった」

 赤星は泣き過ぎて赤くなった目を閉じた。


『あらら。まさか私の攻撃の後遺症じゃないわよね…?』

 タマコは桜海の枕元で寝転んだ。


 その日の午後の回診の際も、桜海が目を覚ますと、2人とも涙が止まらなくなり、疲れて眠るまで続いた。

 山神は2人の様子を細かく観察して記録し礼に伝えた。


 翌日。

 仕事帰りに、礼は病院に立ち寄った。


「あら、天は、眠ってるの?」

 礼は小声で赤星に尋ねた。


「はい。さっき。俺、涙腺が壊れたみたいで、涙が止まらなくなるので、もう目の周りがボロボロです」

 赤星は、さっきまで当てていたタオルを外して、礼に見せた。


「まあ。プリンセスはどうしてそんなに悲しいの?」

 礼は赤星を心配してわけを訊いた。


「大怪我なのに、どうしてテンが治療を拒否したのかがわからなくて、悲しいです。けど、どんどん涙が出てくるのは、それとは別で、自分でも、わけがわからないんです」

 赤星は正直にありのままを答えた。


「ひょっとして、シンクロしちゃうのかしらね?」

 礼は天の悲しみに疲れた寝顔を見ながら言った。


「シンクロって…」

「これは、私の勝手な想像だけど、天の悲しい気持ちがあなたに反映というか影響して泣いちゃうのかなって…」

 礼は、2人が前世の記憶で繋がっているのではないかと考えた。


「もしかして、お父さんが亡くなったからですか?」

「私は、天の悲しみの大筋の原因はわかるような気がするの。でも、それは既に今までも抱えていた事のはずなのよ」

 続けて話そうとした礼は赤星の瞳に涙が盛り上がるのを見て言葉を切った。


「それってどんな…」

 赤星が詳しく聞こうとしたとき、

「姉ちゃん、余計な事を言わないでくれ」

と、2人の話し声で目を覚ました桜海が強い口調で遮った。


「テン、お姉さんに心配も迷惑もいっぱいかけてるんだよ」

 赤星は桜海に注意した。


「仁志さんに、赤星と別の部屋にして、って頼んでくれよ。一緒に居ると何故か悲しくなるんだ」

 桜海は零れてくる涙をタオルで拭き、そのまま目を覆った。


「何でだよ。俺、嫌だ。テンの傍に居る」

 赤星も泣きながら訴えた。


「天は、物理的に赤星くんと離れれば、悲しくなくなるの? そうじゃないでしょう? それとも、あの事? 天が気付いていたなんて、私はわからなかったんだし…」


()めろ! だからそれが余計なんだよ。赤星の前で言わないで」

 桜海が叫んだ。


 赤星は、

「よくわかったよ」

と言って、ベッドから降りた。


「どこに行くの?」

 赤星は黙って病室から出て行く。


「ちょっと、待って」

 礼は嫌な予感がして、赤星を追った。


「待って。ごめんなさい。私があの子が嫌がることを言ったせいで、あなたまで傷つけて」

「いいんです。俺、別の病室に移してもらいますから…」


「ごめんね。天はあなたが女性でなかった事で、きっと戸惑っているだけだと思うのよ。でもあなたには迷惑よね。ごめんなさいね」


 赤星は礼を静かに見つめて言う。

「桜海さんのところへ戻ってあげてください。命を狙われるかもしれないでしょう?」


 礼は、赤星が自棄になったりせず、冷静でいるとわかったので、桜海の病室に戻った。



「どうして、赤星くんを傷つけるような事を言うの?」

 礼は桜海を叱った。


「姉ちゃん、俺の秘密を絶対に言わないで」

 桜海が、礼に耳打ちした。


「わかったわ。私は言わない。けれど、プリンセスには全てを知ってもらうべきだと思うの」

「それができるくらいなら、悩まないよ」


「これは、私の考えだから、女の気持ちかもしれないけど、秘密にされたり嘘つかれたりして傷つくほうが辛いし、悩みは共有し相談して解決していきたいものなのよ」

「そりゃ、姉ちゃんと山神さんは夫婦だから」


「彼が女性じゃないから、信頼関係は作れないというの? 知られることで彼は離れて行ってしまうのかしら」

「傷つく人が他にもできてしまう。大切な人ばかり傷つけることになる」


「それほど大げさなことなの?」

 礼は、天が血の繋がりの無い弟であることを赤星が知ったところで、2人の関係に大して影響しないと思っていた。


「追求するとね…」


 勘のいい礼は、天の言葉から推測し、天の本当の親を調べることが、影響するのだと察した。

「…まさか」

 礼は天の口ぶりから更に、もう調べはついていて天にはわかっているのだと感じた。


「その、まさか、だよ」

 桜海は零れそうになった涙を手で拭った。


「うそ…」

「俺もそう思いたい」


「私の直感の示す〔まさか〕が、正しければ、どんなことがあっても絶対に縁が切れないんじゃないの?」

「死ぬ以外には…痛っ」


 思わず礼は天の頬を叩いていた。

「信じられない。前世は知らないけど、今現在、彼に愛されているじゃない!」


「…うそ。だってそれは…」

 霊の悪影響から護ってくれる存在だからだと桜海は思った。


「愛情っていうのは男女だけじゃないでしょ? 信頼し愛し合う。親子、兄弟姉妹、友人、仕事仲間。それぞれの立場で、色んな形があって当然なのよ? それを向き合わずに逃げ出そうとしたなんて。これ以上に彼を傷つけることってないわよ!」


「姉ちゃん、ごめん」

 桜海は、怒って出て行こうとした礼の背中に叫んだ。


「謝る相手が違うわ」

 礼は病室のドアに掛けた手を止め、振り返って指摘した。


 そして礼が病室から出ようとした時、前の廊下が何やら騒がしくなったので、ドアから顔だけ出して様子を確認した。

「天、動ける?」


「え?」

 桜海は自分の右腕がベッドに括られていて慌てた。


「た、助けて!」

 ドアの隙間から赤星の小さな叫び声が聞こえた。


「聖也? 姉ちゃん! 解いて!」

 礼は急いで桜海の右腕の括り付けを解いた。


 桜海が、廊下に出ると、赤星が、目に見えない何かによって、廊下の壁に背中を押し付けられていた。


 看護師の一人は山神を呼びに走った。


「壁に、凭れている、だけなのかと思ったんですけど…」


 看護師たちも赤星の身に起きている怪奇現象に悲鳴を上げるばかりだったのだ。


 赤星の身体は廊下から十センチくらい宙に浮いていた。


 桜海は、赤星を壁に押し付け締め上げている霊を結界で囲んで引き離し、崩れ落ちる赤星の身体を支えた。

「聖也!」


「早く処置を!」

 礼が叫ぶと、ちょうど看護師に呼ばれた山神が駆けつけた。


「いかん。息が止まっている」

 山神は素早く人工呼吸を行い、すぐに赤星の呼吸を取り戻した。


「なぜ病室から出たんだ? 2人とも!」

 普段穏和な山神が珍しく大きな声で怒鳴ったので、礼も看護師もビックリしてしまった。


「キミたちは、持ち場へ戻って。礼さん、赤星くんを運びますから、しばらく2人を見張っていただけませんか?」

 山神は赤星を抱え上げて、元の病室へ運んだ。


 結界の中で何かを叫ぶ霊を無視して廊下の隅に追いやり、桜海は腕を押えながら歩いて病室に戻った。


「天くんは傷が深いんだから、無理しちゃダメだ。礼さん、今日は非番ですよね?」

「まあね」


「うちの子供たちは、頼子さんにお願いしておきます」

「よろしく」


「頼子さん?」

 桜海が尋ねた。


「私の母です」

 山神は小さく微笑んだ。そして、赤星をベッドに寝かせ、診察を始めた。


「もう、あんたのワガママは聞かないから」

 礼は桜海に言った。赤星と一緒の病室で2人を見張る役目を医者(夫)から言われたからだ。


「少し熱が出てます。後で看護師に氷嚢を用意させます。さて、天くん」

 赤星の診察を終え、桜海の診察と腕の状態を確認した。


「今までも色々怪我とかあったけど、他の人を巻き添えにしたのは、初めてだね」

 桜海は、山神から指摘され、瞳を伏せた。


「私が思うに、キミたちはどうやら運命共同体のようだ。ほらごらん。赤星くんが涙を零した」

 眠っている赤星の目尻から涙が滲んでいた。


「大切な人を護る事も重要だけど、キミも大切に思われていることを忘れちゃダメだ。そんな人の前で自分の命を粗末にするのは、今後一切禁止だ」

 仁志は礼と違って、2人の事情を知らない。

 しかし桜海たちに関わる彼もまた、2人を大切に思っている1人なのだ。


「さすがだわ、ダーリン。ありがとう」

 礼は思わず仁志を抱きしめた。


「僕は当たり前のことを言った迄ですよ? では、後をよろしくお願いします」

 山神は照れながら小さく礼のおでこにキスをした。


「わかりました」

 仁志に手を振る礼の背中に、

「ごちそうさま」

と桜海が言った。


「やあね。この子ったら…」

 照れる礼に、

「姉ちゃん、さっきのヤツ。捕まえてあるんだけど」

と言った。


「もう、さっさと滅しなさいよ。一々構ってたらキリ無いでしょ」

「でも…」


 礼は相変わらずの桜海に呆れた。

「仕方ないわね。今は治療が一番。放っておいても問題ないでしょ」

 礼は渋々、桜海の気持ちを認めた。


「うん。わかった」


 ようやく大人しく眠った2人にホッとした。

 そして礼は弟の寝顔を見ながら彼が幼かった頃の事を思い出していた。


「凧、凧、揚がれ。天まで上がれ」

 河川敷で嬉しそうに凧揚げを楽しむ小さな弟を、礼は近くのベンチに座って見ていた。


「こんにちは。寒くても子どもは元気ね」

 近所の団地に住む主婦が赤ん坊を連れて日向ぼっこにやってきた。


「まあ、可愛い赤ちゃんですね」

「ありがとう。名前が決まらなくて大変だったのよ」


「そうなんですか。何という名前になったんですか?」

「美冬」


「美しい冬、ですか?」

「ええ。結局色々と考えた挙句、この子が生まれた日に感じたままを付けたらしいの」

 礼は見ず知らずの奥さんと他愛も無い話をしていた。



『僕、凧揚げ上手だね』

「うん。おじさんは?」


『おじさんはもっと高く揚げられるよ』

「へぇ。すごいね」


『それより、僕。あの凧と一緒に飛んでみないかい?』

「え? 凧に乗るの?」


『おじさんが、揚げてあげるよ』

「でも、怖いな」


『大丈夫。気持ちいいよ』

「本当?」

 いつの間にか弟は凧揚げを止めていた。


 ふと、話していた主婦が、

「あの男の子誰と喋ってるのかしら?」

と言った。


 礼は慌てて、

「ありがとうございました」

と言うと、桜海のところに走っていった。


「帰るわよ」

 礼は桜海の小さな手を掴んで言った。


『僕、帰るのかい?』

「うん。ごめんね」


「もう! 誰と話してんの?」

 礼に聞かれて、

「知らないおじさん…」

と桜海は答えた。


「私には見えないわよ?」

「え?」


 礼は桜海を一目散に神社に連れて帰ったのだった。


「いーい? 幽霊といって、他の人には見えないものが、天には見えるみたいなの」

「ユウレイ?」

 まだ、小学校上がる前の弟に説明するのは難しかった。


「おじいちゃんは天の才能だって言うけど、私は危険だと思うの。だから、幽霊と生身の人間の区別をしなさい」


 礼がそういうと、桜海は少し考えて、

「どうやって?」

と尋ねられて絶句したのだった。


「ふふふ…」

 礼がつい思い出し笑いをしていると、目を覚ました赤星の視線を感じて微笑んだ。


「天が小さかった頃のことを思い出しちゃって」

「楽しそうですね」


「楽しいというより、不思議だったわね」

「不思議?」


「そうなの。例えばね、明日遠足だっていう前日に、行くなって泣いて駄々こねられてね」

「桜海さんに?」


「そうよ。高校生になって初めての親睦のための行事だったのよ。それを行くなって」

「で、行かなかったんですか?」


「行くって言ってたんだけど、その日の朝、天が熱を出したからって、おじいちゃんに呼びつけられちゃって」

「残念ですね」


「まあね。当時母は実家の両親の面倒を看に帰っていたし、父は多忙で、おじいちゃんも何かと忙しくて、私が天の母親代わりだったから」

「それで、桜海さんは、お姉さんのことを頼りにしてるんですね」


「そうかもしれないわね」

「でも、行けなかった遠足は根に持っている?」

 赤星が、遠足の話から脱線した話の路線を元に戻した。


「ふふふ。それがね、命拾いしたのよ」

「え?」


「バスで移動だったんだけど、私の乗るはずの座席に、大型トラックが事故を起こした衝撃で積んであった鉄骨が飛び込んだらしいの。近くの席の子は、ギリギリかすり傷で済んだけどね」

 礼の話を聞いた赤星は、青ざめて言葉が出なかった。


「おじいちゃん曰く、虫の知らせじゃないかって」

「つまり、桜海さんが危険を予知したってことですか?」


「どうなんだろうね。後で聞いたけど、あんまり覚えてないみたいで、わからないのよね」

「なるほど、不思議ですね」


「そうね。とにかく天は小さい頃から、昔は隣だった山神医院とも、縁が切れないわね」

「隣って、もしかして今桜海さんが住んでる家ですか?」

 赤星はなるほどと合点が入った。


「そうよ。あそこは仁志さんの父親が開業していた場所なの。前の道が狭いから、救急病院に指定されることになってから移ったのよ。その時祖父が買い取ったの」

「へぇ。いつ頃ですか?」


「随分前ね。私が結婚した時はもう今の自宅と病院だったから、天の住んでる家に住んだことはないのよ」

「そうですか」


 桜海が寝返りを打ったので、礼は、

「ちょっと、出かけますけど、すぐ戻りますから大人しくしててね」

と気を利かせて静かに病室を出た。


「起きたの?」

 赤星が声を掛けると、桜海はベッドに起き上がって、

「何でわかったんだろ」

と呟いた。


「そりゃそうでしょ」

 赤星は自分の目に溜まってきた涙を指差して言った。

「あ…」


「もう、何だかわかんないけど、悲しまないでくれないかな」

「別にそんなつもりじゃ…」


 赤星はベッドから降りて、俯く桜海を柔らかく包むように片手で抱きしめて言った。

「ずっと側にいるから」


 赤星は違う種類の涙を零した。


「おやすみ」

 恥ずかしそうに赤星は自分のベッドに戻って目を閉じた。




「なあタマコ。刀、どうしてる?」

 桜海はあの後どうなったのか心配になったのだ。


『鞘に入って反省しているみたい』

「刀が?」


『大人しいわよ。後から礼さんがブツブツ言いながら、御神体として祀ってくれたけど、全く普通の刀のフリをしていたわよ』

 タマコが可笑しそうに言った。

「あれは、本当に俺たちの味方なのか?」

 あの時、何故か、赤星を刺したので、桜海には、一多の言う『味方』の意味がわからなくなっていた。


『そうなんでしょ。一多が昔、お清めしたことがあるらしいわよ』

「お清め?」


『何でも、刀の所有者が次々と自殺していった曰く付きの刀だったみたい』

「それじゃ、俺もそのまま死にたくなったのって…」


『テンもまだまだ修行が足りないわね』

 そう言ってケラケラ哂うタマコを、桜海は、隣で寝ている赤星の肩に移した。

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