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33 悔しい死に顔

独断と偏見キャスティング(敬称略)


夏目 修治:相葉雅紀


桜海 天:大野 智

赤星聖也:二宮和也


「殺された被害者に直接話を聞ければ、迷宮入りなんてないんだよな!」

 犯人がわからないまま、捜査が一旦終了した事件の調書や資料を整理しながら、夏目(なつめ) (しゅう)()は、誰に言うでもなく、倉庫で思った事を大きな声で言った。

 いわばストレス発散といったところだ。

 彼はまだ新米の刑事で、大きな事件の核心に触れるような仕事はまだした事がなかった。

 テレビの刑事ドラマに憧れてという、ありきたりな動機で、目指した刑事になった一人だ。

 もちろん現実はドラマのように華麗でもカッコ良くもないことは、百も承知だ。

 だが、こんなにも、犯人に辿り着けない事件が沢山あるとも思っていなかった。

 事件の調書や資料、物証など、その事件に関係ある物をまとめて、ダンボールに入れ、倉庫に保管する。

 たまに、後日同じような手口の犯行が行われた際に、日の目を見ることもあるが、そのほとんどは、ほぼ永久に真相が謎のまま封印されてしまうのだ。


 しばらくして夏目は、お蔵入りの仲間になってしまいそうな事件の捜査をしていた。

 先々月、その事件は起こった。

 被害者は夏目の中学時代の同級生。

 高校、大学と、進路が分かれるまでは、同じサッカー部で活動した仲間だった。

古野(ふるの)?」

 夏目は溺死した被害者の顔を見て思わずその名を呼んだ。

「知り合いか?」

 夏目の捜査班を指揮する鈴木警部が尋ねた。

「同級生です。中学の時の…」

 鈴木は、被害者の素姓がすぐにわかったので、幸先いいと踏んで、夏目の肩を軽く叩くと、

「しっかり調べてやれ」

と言った。

「わかりました」

 夏目は、古野の苦しそうな、悔しそうな死に顔を見つめて、絶対に真相をつきとめようと意気込んだ。


 その日、古野(ふるの) 徹男(てつお)は、定時退社後、会社のサッカー倶楽部の練習に参加した。

その後、大学の後輩たちの祝勝会に呼ばれ顔出しはしたものの、アルコールは飲まず、高校時代の同窓会に後れて出席するという、かなりハードなスケジュールをこなしていた。

 翌日は、仕事で出張する予定だった。

 そんな多忙を極める古野が、何かの事件に巻き込まれたか、あるいは事故に遭遇したのか、わからないため両方の線で捜査していた。

 夏目は古野の死に顔を思い出すたびに、きっと誰かに殺されたに違いないと思うのだった。

 しかし、彼の人間関係を調べていくにつれて、その付き合いの広さに驚くとともに、特にトラブルも見当たらず、怪しい人物もまるで浮かんでこないのだった。

 古野は、高校、大学時代もサッカー三昧だったらしく、社会人になってもサッカー倶楽部に所属していた。

 そのため先輩や後輩、会社関係者、家族、近所の人間など、聞き込みする相手は、亡くなった当日の関係者だけでも、ざっと百人以上になってしまった。


 そうこうするうちに、2ヶ月ほど経っていた。

 夏目は別の、捜査が終了した未解決事件の箱を倉庫に運びながら、このままでは、古野の事件もそのうち倉庫に運んでくるハメになるのではないかと、危惧した。

 そしていつものように倉庫の所定の位置にダンボールを置くと、堪らず、大きな声で言った。

「古野、お前、なんで死んだんだよ!」

 そう本人に聞ければ、謎は一発で解決するのに、という思いで、叫んだのだった。

「もう、ここに運んできた古い被害者じゃ、無理よ」

 一人だと思っていた夏目は、いきなり女性の声がして、相当驚いた。

「え?」

 夏目が声のした方に目をやると、四十歳台くらいの女性がやはり、ダンボール箱を抱えて、倉庫の入り口に立っていた。

「古野さんって、その箱の人?」

 その女性はツカツカと夏目に近づいてきて尋ねた。

「いいえ」

 夏目は職場では会った事の無い関係者の顔をまじまじと見た。

「あんまり古い死者だと、霊が転生に入っていて、話が聞けないらしいわ」

 その女性は、特に初めましての挨拶も無く、話し始めた。

「はい?」

 夏目はその女性の話す日本語の意味がイマイチわからなかった。

「被害者に話を聞ければ、全部解決するのにねぇ」

 その女性は抱えていた段ボール箱を棚に置きながら言った。

 それなら、よくわかると言わんばかりに夏目は頷いた。

 ただ内心では、死んだ人間に話を聞けるはずはないと思いながら、

「そうですよね。俺も、そう思います」

と言った。

 女性の首から下がっているIDカードには、山神(やまがみ) (あや)、と書いてあった。

「夏目くんって、もしかして、水死体の事件担当の?」

 夏目が山神の名をチェックしたように、山神も、夏目のIDカードを見ながら尋ねた。

「はい」

 夏目はなぜ彼女がそれを知っているのか不思議に思った。

「強面の鈴木警部から聞いたわよ。亡くなったのは、あなたの同級生なんでしょ?」

「鈴木警部のお知り合いですか?」

 礼は肩を竦めて、

「同期なの」

と、鈴木との関係を簡単明瞭に答えた。

「そうですか。俺、あいつの無念そうな死に顔が目に焼きついてしまっていて、てっきり殺人事件だと思ったんですけど、調査するにつれて、事件性がどんどん薄くなってきたんです」

 夏目は山神が鈴木の同期と知って、つい、本音を語った。

「そう。じゃあ、鈴木君のことだから、事故でさっさと片付けて、次の事件に取り掛かっちゃうでしょうね」

 鈴木の性格を知り尽くしている礼は、推論を確定しているかのように言った。

「はい。もう、次の事件の捜査が始まっています」

 何でもお見通しといった山神に驚きつつも、彼女の言うように、このまま全面的に捜査が打ち切られるのが決定的に思えて夏目は愕然とした。

「それで、本人に聞いてみたくなっちゃったんだ」

 礼はニコニコしながら言った。

「ええ。まあ、土台無理なことですけどね」

と言いながら、さっき大きな声で喚いたことを思い出し、夏目は恥ずかしそうに苦笑いした。

 だが、礼には、何とかできるという確信があるので、夏目の無理だという言葉は耳に入っていない。

「弟に訊いてみてもらってもいいんだけど、あの子は、霊の味方だからねぇ」

「はぁ?」

 夏目には山神の言っている事は、自分の考えとは方向が違う気がして、腑に落ちない。

「霊に口止めされたら、死んでも言わない性質だから」

 礼は夏目が自分の話について来ている前提で、ものを言っていた。

「あのぉ、れいって…幽霊ですか?」

 夏目が、申し訳なさそうに言ったので、ようやく礼は、肝心な説明が漏れている事に気付いた。

「ああ、ごめん。弟が霊能者なの」

 礼は笑顔で言った。

「霊能者…」

 夏目には今までそういった人間に出会った経験が無かった。

「あの子を見てると、犯人を躍起になって探しているのがバカバカしくなるときがあるわ」

 警察官らしからぬ言い草に、夏目は驚くと同時に、かなり古野のことで、自分が躍起になっていることに気付いた。

「そう、ですか?」

「犯人が捕まったところで、死んだ人間は戻ってこないでしょ?」

 礼はごくごく当たり前の事を言った。

「まあ、そうですけど…」

「弟に言わせると、ただ、警察が謎を解きたいだけで霊の救いになるとは限らないからって、手伝ってくれるのは、よっぽど気が向いたときの行方不明者捜索くらいなものなの」

 礼はため息混じりに話した。

 夏目には、死亡した被害者=霊の図式は、今まで無かったので、礼の話の内容が、すんなりとは入ってこなかった。

「山神さん。俺たちがしていることは、被害者のためにならないのでしょうか?」

 夏目は先輩刑事に素直に質問した。

「どちらかと言えば、遺された家族のためかしらね」

 礼は、現実的に答えた。

「今回、俺は同級生の一人として、古野の死が納得いかないだけなのかもしれません」

 夏目も遺された者の一人なのだと感じているようだった。

 そこで礼は、

「弟に頼んでみる? まあ、夏目くんが信じるなら、だけど…」

と、夏目に考える余地を与えつつ、自分の名刺の裏に、桜海神社(おうみじんじゃ)の住所と連絡先を書いて手渡した。

「依頼するといっても、俺、あんまりお金無くて…」

 夏目は他人にものを頼んでタダで済むはずがないとわかっているので、躊躇した。

「弟にちょっとした貸しがあるのよ。私の紹介にするから、タダで大丈夫よ」

「はぁ…」

 料金の心配は無用と聞いても、すぐに決断できず、夏目は手の中の名刺を見つめた。

 そんな夏目の表情を見て礼は、押すより引いてみる事にした。

「別に強制はしないわよ。会ってみて信用できないなら依頼しなくてもいいんだし。じゃあね」

 礼は軽~く手を振って倉庫から出て行った。

 礼があまりにも、アバウトに言ったので、夏目は、そんな気楽でいいなら、行き詰った捜査からの気分転換がてら会ってみようと思ったのだった。


 翌日。

 夏目は休暇を取って、桜海神社を訪ねた。

「ごめんください」

 夏目が社務所の入り口で声を掛けると、作務衣姿の赤星(あかぼし)が、前掛けで手を拭きながら出てきた。

「はい。なんでしょう?」

 最近神社を訪れるのは霊ばかりだったので、赤星は生身の人間にワクワクしながら応対に出た。

「あの、もしかして、桜海たかしさんですか?」

「へ? 違います。桜海は奥におります。どちら様でしょうか?」

 夏目はあわてて、自分の名刺を差し出した。

「刑事さん? お待ち下さい」

 赤星は礼の紹介とは思いもよらず、この近所で何か事件があったか、あるいは例の殺人事件を葬り去ったことがバレタのかと、内心ドキドキしながら、社務所の小さな応接室に夏目刑事を通して、奥の自宅に居る桜海を呼びに行ったのだった。


「どういうこと、姉ちゃん」

 桜海は夏目から渡された礼の名刺を手に、社務所の外に出て、電話をかけた。

〈こないだの捜査資料の貸しがあるでしょ?〉

「それと、この人とどういう関係が…」

〈私からの依頼よ。夏目君の力になってあげて。まあ、彼が信じるなら、だけど…〉

「俺が好きで借りを作ったわけじゃないんだけど」

〈あんたのことだから、霊のためでしょ? それでも、私にしたら、あんたに貸し一つなの。とにかく彼の話を聞いてあげて。じゃ〉


 桜海が電話で確認している間に、赤星は自分が手書きで作った料金表を見せながら、夏目に依頼料の説明をしていた。

「そんなにかかるんですか」

 夏目は、適当にふっかけているような気もしたが、警察官の身内ということで、何も言えなかった。

「あまり軽々しく依頼されると困るもので」

 赤星は真剣そのものだが、それがかえって夏目の不信感を煽っていた。

「今日は、持ち合わせが無いので、また今度にします」

 夏目は顔を引きつらせながら断りを述べた。

 携帯電話をポケットにしまいながら、桜海が、社務所の応接室に戻ってきた。

「あ。桜海さん」

 赤星は、客の前では、テンとは呼ばない。

「赤星、ちょっと」

「はい。少しお待ち下さい」


 二人は応接室の外に出た。

「姉ちゃんから、その人の依頼を受けろって言われた」

 桜海が小さな声で伝えた。

「なんか、今日はお金が無いってさ」

 赤星は夏目から断られた理由を囁いた。

「こないだの借りとチャラらしい」

 桜海は肩を竦めた。

「借り?」

 割と抜け目の無い赤星だが、すぐにはピンとこなかった。

「捜査資料」

 桜海に言われるまで赤星もすっかり忘れていた。

「うわ~。お姉さんを顎で使うと高くつくね」

 赤星のリアクションに笑いを堪えながら、

「仕方ない。話、聞いてみる」

と桜海は決断した。


 二人は応接室の中に戻った。

「お待たせしました。夏目さんのお話をうかがいます」

 桜海はいつものように、のんびり喋った。

「ああ、それが、今日はお金を持っていないので…」

「料金は山神さんからの紹介なので、要らないそうです」

 赤星が手っ取り早く告げた。

 桜海は、軽く頷いて、夏目が話すのを促した。

「すみません。ありがとうございます。実は俺、山神さんと同期の鈴木警部の下で働いています。約2ヶ月前に発見された水死体について捜査に当たっていたのですが、どうしてそういうことになったのか、まるでわからないんです」

 赤星は桜海と顔を見合わせた。

「ひょっとして、事の真相を、亡くなった本人に、聞いてほしいのですか?」

 赤星は、夏目の依頼内容を端的に表現した。

「簡単に言えば、そうです、けど…」

「けど?」

 赤星は夏目が言いあぐねた先を気に留めた。

「死んだ人に、話が聞けるわけが無い?」

 桜海は、一般的な考えを言葉にした。

 夏目は、桜海の目をチラッと見たがすぐに、下を向いた。

 赤星は夏目が桜海の言葉に頷いたのだと思った。

「桜海さんのこと、信じられないのなら…」

「いいんだ。姉の依頼ですので、今回に限り、お引き受けします。信じるかどうかは夏目さん、あなたにお任せします」

 赤星は、自分の云いたい事を遮って言った桜海の言葉を聞いて、彼が引き受けた以上、自分も秘書としての仕事をすることにした。

 早速赤星は、サッと手帳を広げメモの準備をしてから尋ねた。

「では、夏目さん。事件の概要と場所を教えてください」

 赤星は、いたって事務的だ。

「はい。2ヶ月ほど前、俺の中学時代の同級生、古野の遺体が発見されました。場所は、隅田川の屋形船の船着場です。死因は溺死でした」

 夏目も淡々と喋った。

「溺死ですか…」

 赤星は桜海の顔を横目で見た。

 溺死体の霊とご対面する桜海を少し心配したのだ。

「これから現場に行ってみましょう」

 そう言うと桜海は立ち上がった。

 赤星も夏目もつられて立ち上がる。

「赤星、タクシー呼んで」

「ラジャ」

 赤星はスマホをササッと操作し電話をかけた。

 すぐにタクシーが来て、3人は目的の船着場へ向かった。


 3人は遺体発見現場に立っていた。

「ここは一番河口に近い、屋形船の船着場です。ここに、浮いていたそうです」

 夏目は、今は屋形船が出払っている船着場から、指で場所を示した。

 赤星は河口に近いと聞いて、

「(亡くなったのは)河なのかな、海なのかな?」

と手帳片手に尋ねた。

「淡水か、海水か、ということでしたら、淡水です」

 赤星は手帳に書き加えた。

「どう? 居る?」

 赤星は河を眺める桜海に声を掛けた。

「…」

 返事をしない桜海の表情を見て、赤星が、

「ゴメン。愚問だった。居すぎるんだね」

と言った。

 夏目は2人の会話を不思議そうに見つめた。

「すみません夏目さん。亡くなった、古野さんでしたっけ? 写真、ありますか?」

 桜海が尋ねた。

「はい。生前のは中学生でして、もう一つは、遺体の写真です」

 夏目が手帳に挿んであった写真を2枚取り出したのだが、

「あ、生前ので」

と赤星が1枚をチョイスして、桜海に渡した。

「もしかして、ここで亡くなったんじゃなくて、もっと上流だったりしませんか?」

 赤星は夏目に尋ねた。

「キミの方が刑事さんみたいだね。確かにそう考えて目撃者を探したよ。ただ、その日、彼は同窓会の帰りにそこに見える橋を通ったと思われるんだ」

 夏目の説明で、古野が溺死したのは、そう遠くない場所だと推測されていることがわかった。

「桜海さん、行ってみる?」

 赤星は淡々と事件の現場検証を進めていこうとした。

「う…ん」

 だが、桜海の返事は、歯切れが悪い。

「どうしたの?」

 赤星は、桜海が何かを気に留めていると気付き、話すように視線で促した。

「ちょうど向かい側に女の人が居るの、見える?」

 桜海は対岸を見つめながら呟いた。

「見えない」

 赤星はきっぱり答えた。

「やっぱりか」

 二人の会話を聞いて、夏目も向かい側に視線を向けたが、やはり女性の姿など無かった。

「橋に行ってみましょうか」

と赤星が、目が点になっている夏目を気遣いながら言った。

 3人は、船着場から土手に上がり、ゆっくり歩き始めた。

「あのぉ。向かい側には、誰も居なかったですよね」

 夏目は赤星に確認した。

「うん。でも俺たちには見えない女性が居たんでしょ」

 赤星は当然のように言い放った。

 夏目はマジマジと桜海の横顔を見つめた。

 やはり夏目には、霊が見える、という事実は、現実的ではなかった。

 橋の上に来たが、当然警察がその辺は捜査済みで、何も見つかるはずはなかった。

「あの女性に聞いてみる」

 桜海は、橋を渡って向かい側に居る女性の霊の元へと急いだ。

 仕方なく夏目も赤星と一緒に後に続いた。

「何か、やっぱり…」

 夏目が、先を歩く桜海に聞こえないようにぎこちなく言葉を発した。

「信じられない?」

 赤星は言い難そうな夏目の代わりに言った。

「ええ。もし、俺が見えるんだったら、犯人を捕まえるのに役立てます」

 赤星は夏目の言葉を聞いて、ピンと来た。

「桜海さんが刑事の仕事をしないし、あまり手伝わないから、霊能力が疑わしいってことですか?」

「いや、何ていうか、宝の持ち腐れなんじゃないかって…」

「ああ、なるほどね」

 桜海の能力が疑わしいという言い方をしないだけで、大よそ今の時点では信憑性に欠けると、言っているようなものだと赤星は感じた。

「あ、彼には言わないで下さいよ」

 何となく、気取られたと感じた夏目は、赤星には嘘がつきにくいと思った。

「わかってます。けど、桜海さんは、悪い霊を退治できる人なんです。それこそ、法律なんてないし、誰も霊を律することなんてできないんですよ? 彼のような人が居なければ、とんでもない世界になるに違いないんです」

 夏目は、赤星も見えない人間なのに、桜海の能力を信じ込んでいることの方が不思議でならなかった。

「どうしてそこまで、信じきれるんですか?」

「俺も最初はびっくりしたけどね。俺は霊の影響を受けやすい体質らしくてさ。桜海さんに助けてもらったので信じざるを得なくなった、って感じです」

「そうですか…」

 夏目は口で言うほど納得していないようだったが、赤星もこれ以上、桜海の能力の信憑性について語るつもりは無かった。

 先に歩いていった桜海が、ポケットから携帯電話を取り出して、耳に宛がった。

「携帯。どこにかけるんですかね」

 桜海の様子を見て夏目が言った。

「カムフラージュ。誰も居ないのにひとりで喋っていたら、いかにもヘンでしょ」

 赤星が観光ガイドのように説明した。

「なるほど…」

 夏目は桜海から少し離れた場所から赤星と一緒に、彼が霊に話しかけるのを見つめた。


「あなたはそこで何をしているんですか?」

『え?』

 いきなり声をかけられた女性の霊は驚いた。

「あなたはどうして、逝かないのですか?」

 彼女は、桜海がある程度距離を保ったまま、ゆっくり喋るのを見て、少し警戒を解いた。

『…私、あの橋から身を投げたんです』

「覚悟の上の自殺ですよね? なのに、まだここにいるのは、何か理由があるんでしょう?」

 桜海はなるべく優しい口調で問いかけた。

『私を助けてくれた人がいたんです』

「助けられた?」

 だが、彼女は死んでいるので、桜海は首をかしげた。

『でも、あとで、その人が亡くなったことがわかって、私、申し訳なくて申し訳なくて、もう一度身を投げました』

「せっかく助けてもらったのに、どうして」

『私のせいで、その方が亡くなったのに、私だけのうのうと生きてなんていられませんでした』

「あなたを助けてくれたのは、誰ですか?」

『私は退院するときに、私を運んでくれた人の事を病院で教えてもらいました。屋形船の船頭さんです。私、その方に、お礼を言いに行ったんです。でも、あの日、本当に私を助けてくれた人は、自分じゃないんだとおっしゃるので、私はその人にもお礼を云いたいと言ったんです』

「でも亡くなったと聞かされたんですね?」

 彼女は頷いた。

『身を投げた私を見て、すぐに橋から飛び込んできたその人は、通りかかった屋形船に、私だけ乗せて、早く病院に連れて行くように船頭さんに言われたそうです。自分は岸まで泳ぐから大丈夫だと』

「残念ながら、大丈夫じゃなかったんですね? 船頭さんってどんな方ですか?」

『七十歳台のおじいさんです。屋形船 緒形という船の』

「屋形船 おがた、ですね?」

『船頭さんは亡くなった人の分まで一生懸命、生きろとおっしゃってくれたんですけど、ごめんなさい』

 彼女がそこから離れられないのは、助けてくれた人に一目会って、詫びたいためではないかと桜海は思った。


「屋形船 おがた…と」

 桜海の言葉に聞き耳を立てていた赤星が手帳にメモした。

「あ、桜海さん。あれじゃない?」

 ちょうど目の前に下ってきた屋形船を赤星が指差した。

 霊の女性は赤星が声を掛けてきたので、桜海から少し離れた。

「向こうに接岸するようですね」

 夏目は、桜海の言葉だけしか聞いていないし、全く内容はわかっていないのだが、その屋形船が何かの手がかりだということは、直感的に理解したのだった。

 早速屋形船目指して、夏目は走り出した。

「あっ。夏目さん!」

 赤星が声を掛けたが、夏目の足は止まりそうになかった。

「行ってどうするんだろうね」

 赤星は呆れた。

「何を聞けばいいかわからなくても、刑事が話を聞きに行けば、勝手に相手が喋ってくれるだろう」

 桜海は、暢気にそう言って、赤星の肩にポンと軽く触れた。

「そっち、タマコさんが居るでしょ。ダメだよ、叩いちゃ」

『今度からテンのいない側の肩に乗っかることにするわ』

「ちゃんとタマコのこと、避けてるだろ」

 不貞腐れる桜海の肩を慰めるように赤星が手をかけた。

「夏目さん、放っておいていいの?」

 赤星が対岸を見やったので、桜海も視線を移した。

「いや。俺たちも行こう」

「どうしたの急に」

 桜海は女性の霊に、

「ちょっとそこで待っていてください」と告げてから、

「古野さん、発見」と赤星に答えた。

「どこ?」

「屋形船」

「急ごう」

 二人は駆け出した。


 一足先に屋形船に到着した夏目は、客を降ろしたのを見計らって、船頭に警察手帳を見せて、

「すみません。ちょっとよろしいですか」

と声を掛けた。

「け、刑事さん?」

 夏目が刑事と知って慌てる船頭に、畳み掛けるように、

「船頭さん、お話を聞かせてもらいましょうか!」

と詰め寄った。

「も、申し訳ない」

 船頭は慌てて、身投げした女性を助けた若者を一緒に助けなかった為に、若者が亡くなってしまったことや、変に疑われるのが怖くて、その事実を警察に申し出なかったことなどを謝りながら話したのだった。

 夏目が船頭の話を一通り聞けた頃、桜海たちがやってきた。

「人の命を救ったっていうのに、なんであんな悔しそうな顔をしていたんだろう」

 夏目は古野の死に顔を思い出して呟いた。

「どうしてですか?」

 桜海が、屋形船の舳先の方を見つめて言った。

『俺はサッカーだけじゃなくて、泳ぎも得意だったんだよ』

 桜海が明後日の方向に話しかけたものだから、夏目は船頭と顔を見合わせた。

「古野さんは、サッカーだけじゃなくて、泳ぎも得意だったんだそうですよ」

 桜海は古野の言葉を伝えた。

「え?」

 桜海の見つめる先を夏目も見つめた。もちろん、夏目の目には誰も映らない。

「ひょっとして、岸まで泳ぎきれなくて悔しかったのか?」

 夏目はそこに古野が居るものとして、問いかけた。

『そうなんだよ。でも、もういい』

「そうみたい…あ、ちょっと待ってください。向こう岸であなたを待っている女性がいるんです」

 桜海は向こう岸を指差した。

 古野はその方向を振り返って絶句した。

「彼女は自分のせいで、あなたが亡くなってしまって、良心の呵責に耐えられなかったのです。一言あなたに詫びたいと、待っています。あなただけ逝ってしまうと、彼女は永久に出られない迷宮に迷い込んでしまいます。どうか、一緒に逝ってください。お願いします」

 桜海は、古野に懇願した。

『わかりました』

「ありがとうございます」

 桜海は、誰も居ない舳先に向かってお辞儀した。

 そして、古野の霊が向こう岸へ渡るのを見守った。

 桜海の目には、二つの霊が触れ合い、柔らかな光とともに、すっと消えるのが映った。


 船頭と夏目刑事は、ぽかんと桜海の背中を見つめていた。

 桜海は振り返り、船頭に向かって言った。

「さて、古野さんに悔しい思いをさせたのは、あなたですよね、尾形さん」

 桜海の言葉に、言われた船頭だけでなく夏目も赤星も驚いた。

「申し訳ございません。船に上がるように出したわしの手を取らず、泳ぐと言ったもんで、河を舐めおって、泳げるもんなら泳いでみろ、とつい…」

「どうして、バカを言うなって、引き上げてくれなかったんですか!」

 夏目は思わず大声を上げていた。

「すまん。すみません」

 桜海は謝る尾形の背後に、地縛霊を見つけた。

「え? 居たの?」

 赤星は、桜海が印を結んで念じる姿を見て、地縛霊の類がいたことに気付いた。

「夏目さん、帰りましょう」

 桜海が、怒ったような悲しそうな顔で言った。

「え? いや、しかし…」

 夏目は、船頭の尾形にも、2人の死に責任があるのではないかと思った。

 このまま帰るのは納得いかず、彼の足はなかなか動かなかった。

「夏目さん。行きましょう」

 赤星も夏目に帰るよう促した。

「ありがとうございました」

 赤星が船頭に向かって礼を言うと、

「またお越し下さい」

と尾形が笑顔でお辞儀した。

 夏目は尾形の態度に首を傾げた。

 赤星は、後ろを振り返る夏目の背中を押して土手を上りながら、

「多分だけど、尾形さんはもう、何も覚えてないと思うよ」

とボソッと耳打ちした。

 そして、土手に上がりきると、桜海の隣で、

「夏目さん。以上でご依頼の件は終了です」と赤星が告げた。

「ありがとうございました」

 夏目は二人に頭を下げた。

 挨拶を済ませると、桜海と赤星は夏目の前から去って行った。


 翌日。

「夏目、お前、やるじゃないか。俺たちが2ヶ月かけてもわからなかった事の真相を、たった1日で解き明かすとはなあ」

 鈴木は上機嫌で、夏目の背中をバシバシ叩いた。

「いえ、あれは、俺じゃなくて…」

 夏目は、桜海たちのおかげで、解決したことを、超現実的な先輩デカに説明するのは、無理だと判断した。

 なにせ夏目自身も、あの出来事は、夢だったのではないかと思うくらいなのだから。


 後日。

 心の(つか)えが取れた夏目は山神にお礼を言いたくて彼女の所在を探した。

 だが山神が実は本庁勤務で、そう簡単に会えないとわかり、仕方なく、電話連絡を取る事にしたのだった。

 いつもの倉庫に行くと、早速、山神の居る部署に電話をかけた。

「おかげさまで、事件の真相がわかりました。ありがとうございました」

 夏目は山神にまずはお礼を述べた。

〈良かったわ。弟がお役に立てたようで〉

「お礼が遅くなった上に、お電話ですみません」

〈いいのよ。弟の事信じてくれて嬉しいわ〉

「俺、今回、なんていうか、見落としがちな大事な事を教えられた気がします」

〈なあに? 大げさね〉

「弟さんは、浮かばれない霊を助けてあげて、悪い霊を消したみたいでした。俺には見えないし、聞こえないんですけど、確かに弟さんには、その先の世界が広がっているようでした」

〈その話だと、やっぱり霊の味方だったみたいね〉

「はい。ただ、弟さんは繊細で、古野の心の奥まで見つめて、向き合ってくれて、優しい人でした」

〈まあ。そんなに褒めても、2度目は無いと思うわよ。うふふ…〉

「はい。残念ですけど、こんなに事件が多発しているのに一々お願いしていたら、きっと弟さんは参ってしまいます。だから俺が頑張ります」

〈頼もしいわね。鈴木警部もいい部下を持って幸せね。では、今後のご活躍をお祈りします〉

「はい。ありがとうございました。失礼します」

 電話を終えた夏目は、誰も居ない倉庫の中で、

「頑張るぞ~!」

と雄叫びを上げたのだった。

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