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30 蛙の襲撃

 梅雨に入り、毎日毎日しとしとと雨が降り続いていた。


「今日も雨だね」

 おはよう、の挨拶代わりに桜海が言った。

「うん。洗濯物が乾かないし、買い物も一苦労だよ」

 赤星は窓の外を眺めながらため息を吐いた。

 桜海は朝食が並べられたテーブルに着いて、ゆっくり食事を始めた。

 赤星は部屋中に広げてある洗濯物を見つめて問う。

「桜海さんの作務衣(さむえ)って、今着ている分を含めて2着だけ?」

 桜海は、干してある洗濯物と着ている分を一通り確認し、

「うん」と答えた。

「あちゃ。明日着るのが無いね」

「見回りは別の服でもいいし」

「わかった。じゃあ、今日は別の服に着替えて出かけてね」

「え?」

「だって、神社に誰か来た時、神主さんの服装が、ジャージとか短パンてわけにいかないでしょ?」

「…」

 桜海は、別に誰も来ないと思うんだけど、という言葉を引っ込めた。


 朝食を終えていつものパトロールに出ようとした桜海を、

「ちょっと待って。俺、買い物に行きたい」と、赤星が引き止めた。

『ちゃんとエスコートしてあげてね。私は留守番させてもらうわ』

 タマコは少し大きくなった桜の木に戻った。

「うん。ゆっくり休んでいて」

 桜海は、赤星の支度を待って出かけた。


 雨の中、傘に当たる雨音を2人の間の会話のように響かせながら歩いていた。

 急にトスッと重みのようなものを感じた赤星が、

「何か、傘、重っ」と立ち止まった。

 2~3歩先に進んだ桜海が振り返り、赤星の傘の上を見て笑った。

 赤星は意味がわからないので頬を膨らまして睨んだ。

「デカい蛙だ」

 赤星がさしている傘の面積がいっぱいになるくらいの大きさだ。

「蛙?」

「うん。なんだっけ。あ、ウシガエル?」

「ウシガエル?」

 赤星の頭の中に白黒斑柄の蛙が思い浮かんだ。

「ガマガエル?」

「ガマガエル…?」

 あまり蛙について詳しくないので、赤星にはさっぱりわからない。

「蛙の中でも大きい種類だけど、うんとデカい。傘からはみ出るくらい」

「本物?」

「残念。見えない蛙」

 赤星は傘の中で、上を見上げた。

「オワッ?」

 風も無いのに傘が(たわ)んだ。

「跳んだ」

 桜海が解説する。

「ふう」

 赤星がホッとしたように息を吐いた。

「あっ。また来た」

 蛙が乗っては跳んでを幾度か繰り返され、そのたびに傘が撓むので赤星は嫌気がさしてきた。

「何! 前になかなか進めないじゃん」

 ぼやく赤星の横で、涼しい顔の桜海が微笑む。

「蛙の霊の通り道みたいだね」

「わざわざ俺の傘の上に乗っからなくてもいいのに」

「聖也のオーラを掠め取りたいんだろ」

 拗ねる赤星に、桜海が当然のように言った。

「オーラを採る?」

「結界、張ってあるから安心して」

「何かわかんないけど、ありがと」

「うん」

「ひょっとして、うまく結界張ったら、雨に濡れないの?」

 赤星は、ふと浮かんだ疑問を口にした。

「できるけど、ハタから見たら不自然だから…」

「まあ、そうだよね」

 傘が撓む度に、水飛沫を浴びている赤星は苦笑いした。

「俺、小さい頃、それやって、周りから気味悪がられた事ある」

 桜海がボソッと言った。

「仕方ないね。自然には逆らえない。けど…」

 赤星が言いよどむので桜海はその先を聞きたくて促す。

「けど、何?」

「桜海さんには、あまり関係ないみたいだよね」

「自然の力に逆らっているように思う?」

「少しね」

「ふ~ん」

「蛙はどこへ行くの?」

「さあ。ただ、こんな風に蛙が渉っていくと、梅雨明けが近い」

「え? そうなの?」

「うん。季節の風物詩のひとつだよ。俺にとってはね」

「そうか。見える人だけの特権だね」

「特権か。そう言われると何か得した気分になるよ」

 桜海が照れくさそうに微笑んだ。

作務衣(さむえ)、いいよね。俺も欲しいな」

「そう? じゃあ、一緒に買っておこう」

「買ってくれるの?」

「うん。制服代わり」

「制服? 普通、神社だと、はかまとかじゃない?」

「ああ。あれは、神事の時の正装で、普段は作務衣」

「ふ~ん。そういえば正装はあの時だけだね」

「うちは普通の御祓いとか年始の祈祷の依頼って、ほぼゼロだからねぇ」

 2人で話しながら歩いているとあっという間に衣料品店にやってきた。


 作業着などの専門店の中に入ると、多種多様な専用の衣料品が数多く並べられていた。

「一口に作務衣(さむえ)といっても、色々あるんだね」

 ハンガーに上下一緒に掛けて、沢山吊ってある作務衣を手で触れながら赤星が言った。

「ほんとだ。前はこんなにカラフルなのは無かったと思うけど」

 桜海も驚き、端から端まで眺めた。

「俺は、テンが持っている紺色と同じのがいい」

「お揃いで着る?」

「洗濯した時、どっちのか分かるように名前書いとかないといけないかな」

「違う色にすれば簡単なんじゃない?」

「え~。俺、紺色がいい」

「じゃあ、俺が黒かグレーにしようか」

 結局、あれこれ2人で考えたあげく、全部紺色に決定したのだった。

「2人ともサイズが一緒だし、空いているのを着ればいいじゃん?」

「2人を見分けてもらうために、聖也(まさや)はエプロンをつける?」

作務衣(さむえ)にエプロン? 顔で見分けつくでしょ」

 赤星が笑いながら、

「でっち奉公みたいだよね?」と続けた。

 桜海は深緑色の前掛けを両手で赤星の身体の前に広げて、

「意外と似合いそうだな」と微笑んだ。

「その色、ヤだ」

「エプロンも紺色にしようか」

「いいけど、1枚?」

 赤星は桜海をじっと見つめた。

「わかった。洗い替えも入れて3枚?」

 桜海は完敗だ。

「ありがと」

 おねだりが成功して赤星は上機嫌だ。

「どういたしまして」

「あのさ、さっき梅雨明けが近いって言ったけど、なんかちょっと、おかしいよ?」

「うん?」

「だって先週梅雨入りしたばかりで、もう明けちゃうの?」

 レジへ商品を運びながら赤星が尋ねた。

「そうだね。じゃあ大雨になるのかもしれない」

 桜海は、蛙の嬉しげな声を思い出して言った。

「ええ?」

「帰ろうか」

「うん」

 2人は急いでレジを済ませ店の外に出た。


「雲が厚い」

 空を見上げて赤星が呟いた。

「向こうの方、稲光かな。急ごう」

 赤星の傘には相変わらず蛙が渉ってくる。

「ああ、もう。せっかくのおNEWが濡れちゃうよぉ」

「傘、閉じよう」

「走る?」

「うん」

 桜海はジャンパーを脱いで2人の頭上に被せた。

「行くよ」

「うん。OK」

 2人は速さを揃えて走った。

「あれ?」

「うん?」

「ひょっとしてさ、結界で雨除けしてる?」

「うん」

「凄いね。来る時より雨が強まっているのに、ちっとも濡れない」

 赤星は心底感心したようだ。

「ちょっと、止まって」

 5分くらい走ったところで桜海が立ち止まった。

「どうしたの?」

「蛙が多すぎて、重い」

「蛙?」

「やっぱりおかしい。誰かが蛙を操っている」

「蛙を操る?」

「軒下に居て」

 桜海は赤星を通りかかった民家の納屋の軒下へ入らせて、結界を出た。

 赤星は買った衣料品の大きな袋を胸に抱えて、納屋の壁に背を持たせるように立った。

 桜海は結界に張り付いている沢山の蛙をなぎ払った。

 だが、すぐに、ピョンピョンと、赤星を保護している結界目がけて跳んで来る。

「なんだ、こいつら」

 赤星は桜海の背中を見つめ、事態の収拾が早くつくよう祈った。

 桜海は結界を薄く鋭い刃の形にして、手裏剣を投げるように蛙の頭の上に憑いている地縛霊をそぎ落としていき、囲っては滅する作業を延々繰り返した。

「ちっくしょ。キリが無い」

 桜海の作業はひとつひとつだが、蛙は一度に何匹も跳んでくるのだ。

 そして退治されなかった蛙が、赤星の居る結界にピトッとくっついて、次第に赤星の姿が見えなくなっていく。

 仕方なく桜海は一旦赤星のいる結界に戻った。

「大丈夫?」

 結界の中で息を整える桜海を赤星は心配した。

 雷鳴が轟き、益々雨は強く地面を打ちつけた。

「雷だ」

 赤星が首を竦めた。

「ごめん。数が多すぎて、もうちょっと待って」

「待って」

 結界の外に出ようとした桜海を赤星が引き止めた。

「何? 怖い?」

「うん、怖いよ。テンが怪我しないか、倒れやしないか…」

「俺、そんな弱そう?」

「そうじゃなくて、俺も戦うよ」

 桜海は、赤星のお蔭で一呼吸おいて冷静さを取り戻した。

「ありがとう。どうやって戦おうか」

「俺が囮になろうか」

 桜海は一瞬赤星を見つめたまま押し黙った。だが、

「そうだね。その隙に2人で逃げよう」と、以外にも赤星の提案を受け入れた。

「へ?」

 囮になるはずの自分も一緒に逃げられるのかという疑問を発する隙は無かった。

「ちょっと失礼。髪の毛1本もらうよ」

「てっ」

「ごめん」

「どうするの?」

「これに化けて立っていてもらう」

 桜海は懐から白い紙でできた人形(ひとがた)を取り出し、赤星の髪の毛を一緒に手に持った。

「髪の毛が化けるの?」

 桜海はそれを手の平に乗せ、何やら呪文を唱えた。すると、人形(ひとがた)がヒラリと宙に舞い、赤星のハリボテが現れた。

「!」

 声もなく驚く赤星を連れて、桜海は姿消しの術で2人の身を隠し、雷鳴を合図に走り出した。

 操られた蛙たちは、偽者と見抜けず、次々と結界の中のハリボテ目がけて突進していった。

「うまくいったね」

 嬉しそうに桜海が言った。

「…」

「どうした?」

 固まった表情の赤星に桜海が気付いた。

「俺の知らない世界だ」

「アナザワールドへ、ようこそ」

「こ、こんにちは…」

 走る速度を落として、胸に手を当て、

「わたくしがご案内いたします」と、桜海がカッコつけた。

「はい。では、家までレッツゴー」

 しかし、シビアな赤星の言葉に、

「ちぇ」と、拗ねた。

「え? 買い物した荷物を持ったまま、どこかへ行くつもりだったの?」

 呆れ顔の赤星に一瞬怯んだ桜海だった。

 そしてまた、二人で走り出した。

 ピカッ。ゴロゴロゴロゴロ…。

「早く中へ入ろう」

「あれ? もう家だ」

「ただいま」

「ただいま…」


『おかえり。蛙を連れて帰ったのか?』

 一多(いちた)が言うので、桜海は後ろを振り返った。

「げっ」

 桜海が半歩退いて呻くように言った。

 赤星は桜海の背中に隠れるようにして尋ねる。

「何?」

「ちょっとしか保たなかったみたいだ」

 桜海の言葉に、赤星は不安そうな顔をした。

「仕方ない」

「まさか、季節の風物を消しちゃうの?」

 赤星の懸念の声を受けて、一多が提案する。

『元を断て』

 迷う桜海は一多の指示に従う事にした。

「わかった」


 桜海(おうみ)はピョンピョンやってくる蛙を帯のように結界で包んでいき、その上を姿消しして進んだ。


「テン…。大丈夫かな」

 桜海の心配をする赤星(あかぼし)を見て一多(いちた)が言った。

『やはり深い愛情は記憶を封じても抑え切れんのじゃの』

『ふぁ…。そうみたいね』

 タマコも同意した。

『おや。タマコさん。暢気(のんき)に昼寝しておったかの』

「何か美味しいもの作っておこう」

 赤星は、お腹を空かせて帰ってくるであろう桜海のために、自分のできることをしょうと決めた。

『テンも私たちをあてにし過ぎじゃない?』

『まあ、ここそのものが、強い気の結界じゃから、安心なんじゃ』


 桜海が、やってくる蛙の道筋を遡っていくと、黒霧神社(くろぎりじんじゃ)の池の脇に辿り着いた。

「何だ?」

 そこにあったのは、鏡だった。

 写っているものをコピーするように沢山作り出しているのだった。

「うちの小童と同じ事をやっているのか」

 その鏡の前には、地縛霊が乗せられた蛙の霊が、結界で固定されていた。

 桜海はすぐに蛙の霊を開放し地縛霊を滅した。

 そして鏡を結界で囲んだ。

「さて、どうしたものか」

 桜海は、消す前に確かめたい事があった。

『ちょっと、何すんの』

「お前こそ何をしている」

『あたいは、連れに会いたいゆーたら、こうすればええて、言われてやっただけやんか』

「うん? 連れ?」

『なんやの?』

 桜海は鏡をゆっくり観察して言った。

「もしかしてうちにある鏡かも」

『ホンマ? 形はあたいと左右対称なんや』

「うん。うちの物置にある」

『ほな、連れてってえな』

「いや。これ以上癖のある物を増やしたくない」

『なんやて』

「とにかく、悪さをするやつはお断りだ」

『悪さて言うたかて、しゃあないやん』

「…」

 桜海は辺りを見回した。

 どこかにこの鏡を仕掛けたやつがいるかもしれないと思ったからだ。

 仕掛けが破られたことに気付いた犯人が顔を出す可能性は低いのだが、何か犯人に結びつく手がかりがないものかと注視した。

 だが、これといって犯人に繋がりそうなものは見当たらなかった。

 子供が遊んだ足跡が薄くチラホラ残っているくらいで、ひたすら、しとしとと降る雨音が辺りを包んでいた。

『なあ、連れに会わしてえな』

 鏡が懇願するが、桜海はこの鏡を信用できないばかりか、第二の罠が張られている可能性を疑っていた。

『あ、ちょっと? なんで何も言わんと帰るん?』

 同時に桜海は、またこの鏡を使って何かを仕掛けられる可能性も懸念した。

 鏡を壊すか、持ち帰るか、選択を悩んだ。

『なあ、そんな悪いと思わへんかってん。ごめんて。な。堪忍してえな』

 桜海は鏡を囲んだ結界を宙に浮かせた。

『すいまへん。勘弁して。許して。消さんといて…』

「やかましい」

『…くすん』

 桜海は黒霧神社から鏡を結界に入れたまま運び出した。

『あの。すんまへん。おおきに』

「静かにしていろ。俺は今、超、不機嫌なんだ」

 ひとりごとを言いながら、傘もささず歩いているにもかかわらず、あまり濡れていない桜海とすれ違った親子連れが、見てみぬ振りをして通り過ぎた。


「あれって、鏡だよね?」

 蛙増幅の犯人として桜海が持ってきて、神社の敷地のすぐ外側に位置する、畑の中空にある物を見て赤星が尋ねた。

『それで、あのまま宙に浮かせておくつもりか?』

 一多も気に留めていた。

「そんな事言ったって、罠かもしれない」

「罠? 誰の?」

 一多の言葉が聞けない赤星は、罠という点についてだけ尋ねた。

「わからない」

『まあ、鏡は一癖も二癖もあるやつばかりじゃからのぉ。何か仕掛けてあっても不思議ではないが』

「どこにあったの? その鏡」

 赤星の問いかけに桜海は溜息交じりで、

「黒霧神社」と答えた。

「また? ひょっとして、犯人は…」

「うん。多分、関係あると思う」

「問い質しに行く?」

「聞いたら答えてくれるってもんでもないし、証拠もなしに犯人扱いできないし」

「証拠か…どこをどう探せばいいんだろ?」

 黒霧神社には犯人に結びつくものがあるに違いない。

「鏡に映ったかもしれないけど、消去されているだろうね」

 桜海は、もし自分が仕掛けるとしたらどうかを考えてみた。

「手がかりなしだね」

「うん。あそこで見たのは、子供の足跡と誰かが張った結界くらいだから」

「子供が犯人?」

 赤星の素直な疑問を投げかけられ桜海は驚いた。

「え?」

 そして、桜海は自分の中でいつの間にか、子供を犯人の対象から外していることに気付いた。

「まさか…」

「ありえないか…」

 考え込む桜海を見て赤星は犯人子供説を否定しようとした。

「いや」

 だが、桜海の気付きを、一多は、

『有り得るのぉ。お前も小さい頃から能力があったんじゃ。その犯人もそうかもしれぬ』と肯定した。

「だったとして、なんで俺たちをターゲットにしてくるんだ?」

 桜海は一多に向かって、赤星に限定せず、自分たちに言い換えて問いかけた。

「俺たちがターゲット? うそ…」

 それでも、赤星は不安そうに桜海を見つめた。

 桜海は赤星の肩に手を置き、

「大丈夫。俺が守るから」と、約束した。

『タマコさんの言った通りかもしれぬ。お前たちの前世に関係があるんじゃないかの』

「前世…」

 桜海は一多を仰ぎ見た。

「…前世?」

 赤星が繰り返した。

「ということは、犯人は前世で出会っている可能性が高いのか?」

 桜海は、一多・タマコの説から推察した。

『そうかもしれんな』

「俺たち前世で恨まれるような事したのかな?」

 桜海が素朴な疑問を口にした。

「覚えてないもん。困るよ、現世に持ち込んじゃ」

「…」

 赤星の言葉に、少し後ろめたい桜海だった。


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