19 死者の仕返し
「テン、見て! これ…」
赤星が、『動物虐待で告訴される予定だった老女が、謎の死を遂げた』という小さな新聞記事を見つけて叫んだ。
「何?」
「あれから、1ヶ月くらいしか経ってないのに、あのお婆さん、亡くなったんだね」
赤星には、あの松木が亡くなったとは信じられなかった。
「ああ」
「え。それだけ?」
桜海のそっけなさに思わず赤星は目を丸くした。
「わかってたし」
赤星は桜海の言葉を、悪い事をした報いは必ず受ける、という意味に捉えたようで、
「わかってたんだ。あ、猫のタタリ」
と、両手で猫が爪を出して鋭く引っ掻くような仕草をした。
桜海は、くくっと笑って、
「可愛い猫だ。本当の事を言えば、猫のタタリじゃないよ」
と言った。
「え? 違うの? 猫たちに任せるって、言ってたじゃない?」
赤星は、あの日の記憶を辿って、桜海の言動で見落としが無かったか、目を閉じて考えた。
桜海は、テーブルに片手をついて休めのポーズで立って、じっとあの日を思い返している赤星の表情を見つめた。
「やっぱり、そんなの…」
赤星が目を開けると、桜海の視線とぶつかり言葉が途切れる。
「俺、どら焼き食べたい。買ってきてくれない?」
予想外の桜海の言葉に、赤星の肩からカクッと力が抜けた。
「いきなりだね。買い物行ってもいいけど、何か連れて帰ったらゴメン」
桜海は、にこりと笑って、
「いいから、は、や、く」
と、赤星を促した。
『大丈夫なの?』
タマコが心配そうな声を発した。桜海は、タマコに黙って頷いて見せた。
「聖也…頼む」
『わかったわ。気をつけて』
タマコに向かって手を合わす桜海を見て、
「ああ、はいはい。そんな祈らなくても、わかりました。行ってきま~す」と、赤星が笑った。
心配そうなタマコを肩に乗せて赤星が出かけた。
『何が猫のタタリじゃ』
招かれざる客が言った。
「亡くなっても変わらないんだな」
桜海は、赤星が神社の敷地を出たのを見計らって来客の対応を始めた。
敷地の結界を強め、我が身にも結界を張って構えた。
『なかなかの使い手のようじゃが、隙も多いな』
「何の用だ? この期に及んでまた何を企んでる」
『わしは誰のせいで、急逝したのか確かめないことにはいられないと思ってな。やはり、お前の仕業らしい』
「俺は何もしてない。身から出た錆。自業自得だろ」
桜海は、負のエネルギーが老女の霊に集まってきているのを感じ後退る。
『わしに猫どもが憑いているのをわかっていて、何もしない選択をしたんだろう? つまり、お前のせいだ!』
老女が何かを振り回すと、部屋の中の置物や食器などが浮かび上がり、桜海目がけて飛んできた。
桜海は、多重結界を瞬時に作り、身を守る。
「逆恨みもいいとこだ。少しは自らを省みたらどうなんだ」
部屋中に食器などの破片が飛び散る。
次には、割れたカケラも舞い上がり、鋭く大量の武器となって桜海に襲い掛かった。
『ふふ、いい気味だ』
カケラの一部が桜海の額をかすめ、切れてしまった。
窓ガラスが衝撃で割れて、今度はそれも、老女の武器になってしまう。
「何もしなかったのは、あんたの方だろう! 何もしなければ死んでしまうのをわかってて、見殺しにしたんだよな、あの家の本当の住人を…!」
『ほう。鋭い千里眼だな。次はもっと大きな風をお見舞いしてやろう』
そう息巻く老女の手にあるのが、あの日見た箒だと桜海は見抜き、
「させるか」
老女が振り上げた瞬間に、結界で囲んで箒を滅した。
『ちきしょう』
「こんなことして何になる」
『お前も道連れにしてやる』
「断る」
桜海は、割れた窓から入る風を取り込み、老女の起こす風にぶつけて力を押さえ込んだ。
『何故、消滅させない?』
老女とは違う別の声がした。
桜海は、キョロキョロとその所在を探した。
『仕方ないな。直接やるしかないようじゃ』
老女が桜海の結界に手を掛け一つ一つ壊し、桜海は結界を増やして防御し続けた。
これでは、どちらかが、疲れ果て諦めるまで闘いが続いてしまう。そこで桜海は、老女が手を掛け壊そうとした結界を素早く裏返し、老女を囲んだ。
『こんなもの』
結界を破って出て来ようとするのを、今度は上から幾重も結界を張り続け、老女を捕らえた。
『何を躊躇う。消滅させろ』
また、声が聞こえる。
多重結界の中で老女が暴れまくっている。桜海はそれをじっと押さえ込んだまま、聞こえてくる声に従えないでいた。
『消すべき悪の魂に情けを掛けたばかりに、今のお前たちにまで、影響しておるのじゃ。ワシは後悔している』
桜海は天井を見上げた。
「じいちゃん…」
桜海は、暴れる老女に負けないように結界を縮めて、その力を押さえ込んだ。だが、最後の一手を躊躇してしまう。
『お前は守りたい相手は居ないのか?』
祖父が生前、
「悪霊をのさばらせては、守りたい人ばかりでなく自分自身を守る事もできなくなる」
と指摘していたのを、桜海は思い出した。
「わかった」
『この野郎!』
桜海は、喚く老女を囲んだ結界をどんどん縮めて消滅させた。そして、跪き、両手を床について、肩を震わせた。
老女の最後の叫びは、
『次の世で出会ったら必ず呪い殺してやる』
だった。
桜海は、二度と転生することがない老女の哀れさと、呪われずにすむ安堵が入り混じって複雑だった。
闘い疲れた桜海はそのまま床に倒れてしまった。
どら焼きを買って戻ってきた赤星は、家の惨状を見て、真っ青になった。
「なんで窓ガラスが割れてるの!」
家の中に入った赤星は慌てた。
「桜海さん? 桜海…テン!」
赤星は倒れている桜海に駆け寄り、桜海の額の傷にハンカチを宛がい、
「大丈夫? しっかりしろ、テン」
と大きな声で呼びかけたが、気絶したままだ。
すぐさま携帯を取り出し、119をコールした。
タマコも驚いたが、予め闘いになることがわかっていたので、疲れ切っている桜海を起こそうとはしなかった。
わけがわからない赤星は半泣きになりながら、状況や住所、氏名などを伝え、救急車の到着を待った。
部屋の中で台風でも発生したかのように荒れていたので、やってきた救急隊員も驚いていた。
「何があったんですか?」
「彼は霊能者なので、ポルターガイストじゃないかと…」
赤星はそうであってほしいと思いながら救急隊員に説明した。
赤星は、運ばれる桜海に付き添って病院へ行った。
診察の結果、桜海は、特別酷い怪我は無く、彼方此方の切り傷の手当てを受けることになった。一番大きな額の傷も、縫うほどではなかった。
だが赤星は内心穏やかではなかった。おつかいは、赤星を危険に曝さないために桜海が取った措置だったのだと気付いたからだ。
もちろん、赤星が一緒に居たら、足手まといだったに違いないし、何の助けにもならないことは、重々承知している。それが悔しくて震える拳を握り締める。
「わかってるけど…」
赤星は、カーテンの向こうで治療を受ける桜海には聞こえない小さな声で呟いた。
そんな赤星に、処置を終えた医師が問う。
「切り傷がたくさんあったから、かなり消毒が沁みたと思うんだが、ちっとも目を覚まさなかったよ。彼は何をして、こんな怪我をしたのかな?」
「俺もよくわからないんです。多分、ポルターガイストが起きたんだと思います」
赤星は適当にあしらって済ませようとした。
「そうですか? 彼は悪霊と戦ったのだと思いますよ」
「えっ!」
赤星は驚いて、医師の顔をマジマジと見た。次々と湧いてくる疑問を言葉に出来ず、あわあわしていると、医師が笑いながら言った。
「私の妻は警察官で、彼の姉に当たります」
「へ?」
赤星は医師の名札を見つめた。
「山神 仁志といいます。キミが噂のプリンセスだね?」
赤星も慌てて立ち上がり、自己紹介をする。
「あ、赤星 聖也です。あれ? プリンセスって…」
「どう見ても男の子だよねぇ。妻の不思議な世界観は、私のそれとは、かなり違ってはいるが、何故か人生における様々な価値観は同じなんだよ」
赤星がポカンとしているので、山神はクククと笑って、
「天くんが目を覚ましたら、連れて帰って、癒してあげてください。それから、この界隈で救急車を呼んだ場合は、天くんはここへ運んでもらうことになっています。だから、安心して救急車呼んでください」
と説明し、自分の名刺を赤星に手渡した。
「はぁ…」
赤星は、山神外科医院、山神 仁志、と書かれた名刺を見つめた。裏には、手書きで携帯番号が書かれていた。
名刺を大切にポケットの財布にしまうと、赤星はカーテンの向こうの桜海の側へとゆっくり歩いた。
桜海のオデコの大きな絆創膏が赤星の目に入る。
よく見れば、頬や首、両手両足など、シーツで覆われていない、見える部分だけでも、かなりな数の切り傷があるようで絆創膏だらけになっていた。
「たかしくん、か…」
赤星は桜海が目を覚ますまで、椅子に座って待つことにした。腕を組んで目を閉じて、何故か桜海と初めて出会った時の事とかを思い出しながら、いつの間にかウトウトしていた。
赤星は夢を見ていた。
「姫、仕方ありません。ここは、姫だけでも逃げて生き延びてください」
「行ってください、姫」
「嫌です。テン。テンも一緒に…」
「早く行ってください」
「テン!」
「テ~ン」
「テン? なんでテンなんだ?」
赤星は夢の中で、自分の夢の矛盾点を問いかけていた。
「いててて…」
桜海が声を上げたので、赤星も夢の中から現実に戻された。
「痛いよぉ」
桜海はベッドで起き上がって顔を埋めるように膝を抱えていた。
「だ、大丈夫?」
赤星は桜海の背中にそっと手を置いた。
桜海の背中の小さな震えが手に伝わり、赤星は戸惑った。
だが、絆創膏だらけの顔を上げた桜海の口を突いて出たのは、
「どら焼きは?」
の一言。
「あ…」
「買ってきてくれたんじゃないの?」
「買ったけど、もう! それどころじゃなかったよ」
「腹減った」
「…」
『とりあえず良かったわね』
タマコは二人の様子を見て微笑んだ。




