18 猫の霊
結局、諸事情により赤星は桜海神社の社務所に住み込みで、働くようになっていた。
ある日。
神社に一本の電話がかかってきた。
その内容を伝える赤星の言葉を、桜海が遮った。
「無理」
「へ? なんで?」
桜海はその一言で済ますつもりのようで、奥の自室に戻ろうとした。
「待ってよテン。なんて断ればいいの? 理由がわからないと依頼者に納得してもらえないじゃん」
赤星は桜海を引きとめたが、
「そこは秘書の腕の見せ所、でしょ?」
と言って、姿消しの術で消えた。
全く依頼を受けるつもりがない桜海に代わって依頼を引き受ける力などない赤星は困り果てた。
断る理由をあれこれ考えた末、聞いていた電話番号に勇気を出してかけたのだが、留守電になってしまう。
「どうしよう。なんで引き受けないのかな? 変な言い訳したら、後で困るしなぁ」
次に電話がかかってきたときの為に、言い訳のメモを作っておいて、対処することにしたのだが、何日経っても連絡は来なかった。
社務所の朝のお勤めを終えて、桜海の自宅に戻った赤星は、それとなく尋ねる。
「ね、こないだの依頼はどうして受けないの?」
桜海は、ゆったりとお茶の準備をしながら話す赤星を見つめた。
「わかってると思うけど?」
「え? 理由が俺にわかるってこと?」
赤星は首を傾げる。
「そう」
「わかるなら、訊かないよ」
桜海はテーブルに肘を着いて顎を突き出しながら、拗ねたように呟いた。
「俺、英語もダメけど、動物の言葉はもっとわからないからさ…」
「なるほど! 言われてみれば、わかってたかも」
赤星は何度も頷いた。
「だろ。言葉で表現できない動物は何が言いたいのか何を考えてるのかなんて、わからないことの方が多いよ」
「あ、ミルク忘れた」
そう言って冷蔵庫に取りに行く赤星の後姿を何気なく見た桜海は、飲みかけた紅茶のカップをタンッとテーブルに置いて、立ち上がった。
「あれ? どうした?」
乱暴にカップを置いた音に振り返って赤星が言った。
桜海は、赤星の足元に手を伸ばして何かを掴む仕草をした。
「聖也、止まれ」
「え? あ、何かが足に…!」
桜海が、立ち止まった赤星の右のふくらはぎ辺りに手を伸ばし、右手の親指と人差し指で、何かをつまみ上げた。
「何を捕まえたの?」
桜海は、赤星の目には見えない何かをつまみ上げたまま、窓辺から外へ放り出して言い捨てた。
「猫」
「うわっ。なんか今度は背中に…」
桜海は慌てて赤星の背中にくっついた別の猫の霊をつまみ上げて、小さな結界に閉じ込めた。
「なんだコイツ等!」
桜海は次々駆け寄ってくる猫の霊の団体を見て慄きながら、赤星と自分を結界で囲んで保護した。
「どこかに出かけた?」
訊かれて赤星は考えた。
「うん。でも、昨日だし。今日は境内と社務所の掃除をしただけ」
「昨日? どこに」
「買い物。近くのコンビニに、ミルクを買いに行った」
桜海は片方の手の平に顔を埋めた。
「もしかして、また、俺が連れてきちゃったってこと?」
「いや」
桜海は結界を強めた。
「ねえ! 俺のせいなんだろ?」
赤星は桜海の胸倉を掴んで問い詰めた。
「今回は違う。多分俺のせいだ」
「嘘!」
「俺が依頼を受けなかったからだ。ああ、なんでこんなに猫がやってくるんだ?」
二人の居る結界の周りには、二十匹以上の猫の霊が集まっていた。
「どんな依頼内容だった?」
半べその赤星に桜海が尋ねた。
「依頼?」
「そ。秘書さん、しっかりしてくれよ。動物の関係するどんな依頼だった?」
「えと、確か、その人んちの猫がいなくなって、探していたら、同じようにいなくなった猫を探している人に会って、話しているとどうも、ある家の近くで姿を消していることがわかったんだって。でも、その家の住人のお婆さんは凄く猫嫌いで、一言猫と言ったとたんに、追い返されたんだって」
「ふむ。それで、俺に何を依頼したいって?」
「なんか巷では、そのお婆さん、猫を毒殺しているって、噂になってるんだってさ」
「ああ、じゃあ、飼い猫が、殺されたかどうか調べろと?」
「ええと、生きてるか死んでるか、だったと思うけど…」
「やっぱりか」
「…あのさ、いつまで、こんな小さくなってなきゃいけないの?」
赤星は現状についての疑問を投げかけた。
「なんかマズイ?」
「え? だって、男二人が部屋の真ん中でくっついて立ってるんだよ。外から知らない人が見たら、変に思っちゃうよ?」
「誰にも見られないから大丈夫。それより、この猫たちがなんで俺に直談判しにやってきたのかが、わからない」
「直談判?」
赤星は首をかしげた。その時、
「ごめんください」
と、外から女性の声がした。
「え?」
「来ちゃったじゃん」
ぼやく赤星を尻目に、桜海は自分だけ姿隠しの術で身を隠した。
「ずるい」
「早く返事して、秘書さん」
桜海は結界に少し隙間を作って、赤星を急かした。
「はーい。どちら様?」
身動きが取れないので、大きな声で言った。
「橋本です。突然すみません。入ってもいいですか?」
赤星は躊躇しながら、
「ど、どうぞ」
と叫んでから、小声で、桜海に依頼主だと伝えた。
扉が開くと、足元を埋めていた猫の霊たちが、一斉に屋外へ出て行った。
「赤星、もういいぞ、動いて」
金縛りが解けたかのように、二人はフウッと息を吐いて、桜海は、姿を現して椅子に座り、赤星は来訪者を出迎えた。
「ごめんなさい。こんな奥まで入るつもりじゃなかったんですけど、社務所に誰もいらっしゃらなかったものですから」
桜海は、訪れた女性の足元に一匹の猫を見つけた。もちろん霊だ。
「あ、ああ。すみません。社務所を留守にしてて」
黙ったままの桜海を横目で見ながら、赤星が応対した。
「お電話でもお願いしたのですが、やっぱり、ウチの猫を探していただきたいのです」
橋本さんは五十代くらいの女性で、ふっくらした体型だ。その足元に擦り寄っている猫は細身でまだ若そうだ。
「残念ですが…」
「ちょっと、桜海さん。お話だけでもお聞きした方が…」
暗い面持ちの橋本のことを気遣って、赤星は桜海がいきなり断るのを止めようとした。
「あなたの足元に一匹、猫が寄り憑いているんですが、見えますか?」
だが桜海は、赤星の予想とは違うことを言った。
「いいえ」
「まさか桜海さん。もう橋本さんの猫は…」
赤星がひそひそ声を出した。
「やはり、死んでしまったんですね」
赤星は、橋本に椅子をすすめた。
彼女はがっかりした表情で、何も考えられないようだ。
すすめられるがままに椅子に腰掛けると、俯いて、ブツブツ言い始めた。
「シマちゃんは何も悪い事してないのに、可哀想に。ほんと、可哀想に…」
「あの、橋本さん?」
赤星が声を掛けると、彼女は顔を上げて言った。
「きっとあのお婆さんが、殺したんだわ。可哀想なシマちゃん」
桜海は椅子から立ち上がって、彼女の足元にいる猫に標をつけながら訊ねた。
「殺されたという証拠があるんですか?」
「証拠なんてありません。けど、噂になっているんですよ。猫嫌いで有名なんです」
「申し訳ないのですが、シマちゃん、ですか。その猫が霊としてあなたの側に居る以上、探しに行く必要はないですよね」
桜海は、依頼を無かったものとして、料金のやり取りなどを避けて通ろうと思った。
だが、橋本の考えは違うものだった。
「あなたには、見えているからわかるかもしれませんが、私でも半信半疑ですし、娘が納得しません。遺体とか遺骨とか、何もないんですよ。死んだって言われて、ハイそうですか、というわけにはいきません」
橋本はバッグからハンカチを出して鼻の下に当てて我慢した涙を拭いた。
猫の霊は橋本の足にすり寄っている。
「では、遺体を捜せとおっしゃるんですか?」
赤星は、彼女の依頼の要点をクローズアップした。
「猫は死期を感じると、いつの間にかどこかへ行ってしまうくらいデリケートな生き物ですよね。猫の立場からすれば死体を見られたくはないと思いますけど」
桜海は、人懐こそうな猫の霊を見つめた。
「まだそんな年寄り猫じゃないんですよ。散歩中に事故に遭ったというなら、あきらめもしますけど。もしも噂どおりに、心無い人間に毒を盛られて殺されたのだとしたら、可哀想過ぎるじゃないですか」
どうやら橋本は、猫の死に、人の悪意が関わることを嫌がっているようだ。
「私立探偵とかに、猫探しを依頼した方がいいような気がしますけど?」
赤星がお茶の準備をしながら、率直な意見を述べた。
「もちろん、依頼しましたよ。猫は夜中に高歩きするというので、広範囲を調査してもらいました」
橋本はため息を吐いた。
その様子から結果は聞かずともわかったのだが、敢えて桜海は尋ねた。
「調査結果の報告内容を詳しく聞かせていただけますか?」
橋本は椅子に座りなおして、姿勢を正した。
赤星は橋本に紅茶を差し出した。
「ありがとうございます。探偵の報告では黒霧神社の隣のお宅で、沢山、猫の足取りが消えているそうなんです」
桜海と赤星は顔を見合わせた。
「黒霧神社って、例の…?」
赤星は桜海の耳元で囁いた。
「ああ。沢山の猫の足取りって、他にも調査依頼を受けていたんですかね、その探偵さんは」
桜海の疑問は当然だった。
「探偵業者同士で情報交換しているそうです」
「じゃあ、シマちゃんの足取りもそこで消えていると?」
赤星が確認した。
「はい。誰が訪ねていってもそこのお婆さんは門前払いするそうで、事実の確認が難しいんです」
橋本はまた溜息だ。
「動物愛護協会とかは動かないんですかね」
赤星は首をかしげながら言った。
「噂だけでは難しいんですよ、私どもも」
「え? 協会の方なんですか? 橋本さん」
「はい、一応会員です」
橋本がゆっくり紅茶を啜った。
そして三人は暫し沈黙してしまった。
恐らくどんなに噂になろうと、猫がいなくなろうと、その老婆の家を捜索する以外、事実の確認はおろか、殺害を行っていたとしても止める事もままならないということなのだ。
橋本はもとより、赤星も言い知恵は浮かばないようで、溜息ばかりだ。
「猫が動くようです。出かけます」
急に桜海が言い、席を立った。
すぐに赤星が二人分の上着を取って後に続いた。
橋本はわけがわからないまま、二人について行く。
「どこに行くんでしょう」
急ぎ足の桜海に橋本が尋ねた。
「猫は真っ直ぐそこに行くとは限らないので、あなたは黒霧神社のお隣へ先回りして待っていてください」
橋本は頷いて、大通りへ出るとタクシーを拾った。
「歩いて行ける距離だっけ?」
赤星が確かめるように言った。
「あっ、アイツ飛んだ」
「見失ったの?」
何も見えないのに赤星はキョロキョロ見回した。
「標つけてあるから大丈夫だけど」
「どうする?」
「あまり気が進まない。黒霧神社に関わらない方がいい。だけど、これって、依頼を引き受けた事になるよな」
「そうだね。もちろん料金の請求をします」
ケロッとした表情で言う赤星を見て、桜海が一瞬笑みを浮かべるが、すぐに暗い表情で言った。
「黒霧神社に渦巻く、得体の知れない負の気に巻き込まれそうで、怖い」
「え?」
赤星は桜海のただならぬ怖がり様に、自分も不安になってくる。
「止めとく? 俺、橋本さんに、猫は違う方向に行ったって、報告しに行こうか?」
『いざとなったら、私が全身全霊であんたたちを守ってあげるわ』
タマコが赤星の肩の上から桜海と赤星の顔を交互に見て言った。
「ありがと。大丈夫。あ、降りた。行こう」
「う、うん」
「なんか猫の連れが増えた」
桜海が、赤星に状況を伝えた。
「仲間を呼んでるってこと?」
「そうかも…」
「あたっ」
赤星が首を竦めて立ち止まった。
「こら」
桜海は赤星の頭に飛び乗ってきた猫の霊を摘んで下ろした。
「何?」
「猫」
「なんか子供のころにも同じような経験した。猫だったんだ」
赤星は、自分の中の謎が一つ解明したので、苦笑いしながら言った。
桜海は急いで赤星と自分に結界を張った。
他の霊と遭遇して道草食ってる場合ではないからだ。
霊猫は他の猫の霊を集めながら目的地を目指しているようだった。
ワンワン!
「わっ、びっくり」
桜海が、霊猫ばかり見て歩いているものだから、散歩の犬にぶつかりそうになったのだ。
「ごめんね、わんちゃん」
赤星は桜海に代わって詫びた。
「そうだ。もう一回吠えて」
「どうするの?」
桜海は結界を作って、その中に犬の鳴き声を閉じ込めた。
「なんか、使えるかもしれないと思って」
「ふ~ん」
霊猫はかなり彼方此方寄り道をしては、仲間を連れて、元の道へ戻ってくるという作業を続けていった。
総勢十五匹は集まっていた。
桜海と赤星の二人は、猫の霊たちを追ってやっとの思いで辿り着いたのは、やはり問題の家の前だった。
「やっはり、ここなんですね」
待っていた橋本が言い、続けた。
「私、もう一度、声をかけてみますね」
桜海は黙って頷いた。
「松木さん、ごめんください。動物愛護協会の橋本です」
門の外から橋本が大声で叫んだ。
「かなり大きなお屋敷だね」
荒い息を整えながら赤星が呟いた。
「やっぱり負の気の影響を受けてるみたいだな」
ギッ。
門の扉が少し開けられ、ギョロギョロとした目が橋本さんを確認した。
「何度も同じ事を言いに来なくてよいわ」
「いいえ、今日は違うんです」
桜海が戸惑う橋本の横から言った。
「そいじゃ、何じゃ?」
「お宅で飼っている犬の予防接種をしていないという情報が入りまして確認に来ました」
「ウチには動物は居らん」
「え、でも、ほら。犬の鳴き声が中から聞こえますよ?」
桜海は、犬の声の入った結界を敷地内に入れて解いた。
「嘘つけ」
ワンワン! ワン。
「失礼します」
橋本は犬の鳴き声を切っ掛けに、強気で門の中へ入っていく。
「こら、誰が入っていいと言った」
松木はあわてて橋本を止めようとしたが、桜海も赤星も次々中へ入り、止めきれなくなった。
「どこに犬が居る? え?」
怒った口調で松木が怒鳴った。
「確かに犬の声がしましたけど? 隠してるんじゃないですか?」
橋本も負けまいと反論した。
「なんか、凄い年寄りを想像してたけど、そうでもないね」
赤星が松木を見て桜海に囁いた。
「うん? あの奥は何ですか?」
桜海は、中庭の隅にある竹垣の向こうを指差して尋ねた。
「お前らに関係ないわ」
押し問答していると、ひょいと塀を乗り越えて、どこかの猫が敷地に入ってきた。
「あら、どこの猫かしら?」
橋本が言うや否や、松木は立てかけてあった箒を手に取り侵入者目がけて突進して行った。
「勝手に入ってくるな。出てけ~」
松木に、狂ったように箒で追い立てられ、猫はあわてて塀の外へ逃げて行った。
ふうふう息を切らしながら、
「お前らもさっさと帰れ」
と箒を振り回した。
「まだ、お話は終わっていません」
橋本が言い、赤星も頷いたが、松木は怯まず、
「話など無い。帰らないなら警察呼ぶぞ」
と息巻いた。
「呼んでもらいましょうか」
ずっと、猫の霊の様子を見ていた桜海が言った。
「本当に警察官がやって来たら、困るのはあなたの方だと思いますよ」
「何を偉そうに」
桜海は、奥の竹垣の方へと歩き出した。
赤星は桜海を追いながら、尋ねる。
「何か見えたの?」
「うん。多分、屍骸があるんだろうね。次々猫たちが覘きに行ってるから」
松木はあわてて、桜海の前に立ちはだかろうとするが、すっと避けて竹垣の中を覗き込んだ。
橋本も駆け寄ってきて現場を確認した。
「ひどい。シマちゃんだわ…」
赤星は賺さずスマホで現場写真を撮った。
橋本はすすり泣いた。
「ああ、どうやら、殺された者の霊が直接制裁を加えるつもりのようです」
桜海は、箒を逆さまに持って仁王立ちの松木を振り返って告げた。
「もう、誰にも止める事はできません。自らの行いを反省してください」
桜海の言葉を聞いても、松木はフンとそっぽを向いただけだった。
橋本はハンカチを出して、シマちゃんの亡き骸を包んで抱き上げた。
「他人んちに勝手に入ってきて、悪さばかりするから、いけないんだよ」
松木の、まるで自分は悪くないと言わんばかりの言い草に、三人はあきれ果てた。
帰り際に橋本が、
「後日動物愛護協会から正式に調査に参ります。拒否はできませんよ」
と厳しい口調で告げたが、松木は何処吹く風といった面持ちだ。
「ふん。二度と来るな」
松木はバタンと門を閉めた。
「次は絶対に門を開けないでしょうね。悔しい限りです」
橋本はハンカチに包まれたシマちゃんを見つめながら言った。
「いくら嫌いでも普通、殺さないよね。こんな事ばかりして、許されるなんて理不尽過ぎるよ」
赤星は、悔しそうに拳を握り締めた。
「この子だけでも、きちんと埋葬してあげます」
橋本は、ハンカチに包まれたシマちゃんに誓うように言った。
「後は、猫たちに任せましょう」
桜海の言葉の意味がイマイチわからない赤星と橋本だったが、敢えて尋ねなかった。
赤星は、後でわかるだろうと思い、橋本は、動物愛護の観点から断固戦うつもりで決意していたからだ。
橋本は持ち帰ったシマちゃんの遺体の死亡原因を鑑定にかけて、結果を待った。
やはり、死因は毒物による中毒死と判明したため、正式に動物愛護法違反で告訴することにした。
ところが、その準備中に、被告となるはずの松木が、不審死を遂げたのだった。




