17 踏切の罠
『おはよう。行くの?』
タマコは出かける支度をする桜海に尋ねた。
赤星はまだ眠っているため、小さな声で、
「ゆっくり寝かせてやって」
と言う桜海を、
『今、この子を独りにしないで』
と引き止めた。
「ウチに居れば安全」
『この子が動いてしまったら、私にはどうしようもないわよ?』
「…」
桜海は、タマコの進言に従い、赤星が目を覚ますまで待つ事にした。
しばらくして目を覚ました赤星は、すぐ側で結界術の訓練をする桜海に見とれた。
凛とした表情で術に集中する桜海に、すぐには声を掛けられず、赤星の目には見えない結界が、桜海の瞳にどんな風に映っているのか、目を凝らして見つめた。
「起きた?」
つい桜海の瞳を覗きこもうとして視界に入ってしまったので、
「ごめん、邪魔して」
と赤星が詫びた。
「聖也が朝飯食べたら、出かけようと思うんだ」
桜海は、赤星の顔色を見ながら言った。
「俺も?」
「帰りに踏切通るだろ。送っていく」
「わかった」
2人は踏み切りにやってきた。
霊は指定した木の下で佇んでいた。
ふと見ると、踏切内でハイハイする赤ん坊がいた。
「うっわ、危ない!」
赤星が叫んだ。
「待て」
慌てて踏切内に入ろうとした赤星を桜海が止めた。
「赤ちゃんが…!」
「あれが見えるのか?」
「へ?」
「赤ん坊の霊だよ」
「霊?」
『私も赤ちゃんを助けようと思って踏切に入ったんです』
木の下にいた女の子の霊が、桜海たちの所に来て話した。
「つまり自殺じゃないと」
桜海は、女の子に向かって確認した。
赤星は、霊がいると思われる桜海の見つめる方向と、桜海の顔を交互に見つめ、会話の内容を推測する。
『はい』
桜海は、彼女が自分の死に疑問を抱えていた事を理解したが、
「それだけ?」
と鋭く追及した。
赤星は霊の声が聞こえないので、桜海の発する言葉から、想像するしかないのだが、桜海の追求は推測しづらかった。
『私まだ死にたくなかった。ごめんなさい』
「赤星を道連れにしようとしたわけか」
「えっ? あ、また赤ちゃんが!」
赤星が叫ぶ。
桜海は赤ん坊の霊を結界で囲んだ。
赤星が携帯で写真を撮った。
「うん?」
「いや。俺の目に見えるって事は、写るかな? と思ってさ」
「どれ」
赤星の撮った写真を見た2人は、
「うわっ」
と声を上げた。
赤ん坊を撮ったはずの写真には、線路上に立ち上るように、黒い霧のようなものが写っていた。
「囲んだから本性が現れたな」
「地縛霊?」
「だが、妙だ」
「何が?」
「赤ん坊に見せかけてるから」
「とりあえず、消しとく?」
「ああ」
桜海は、地縛霊を滅した。
『あの、私』
「うん?」
『ごめんなさい』
女の子の霊が、もう一度詫びた。
「あなたは赤ん坊を助けようとした立派な女性です。そのことを、あなたのご家族にお伝えします」
桜海がそう告げた。
『ありがとうございます』
彼女は晴れやかな顔で消えていった。
「霊は?」
「逝った」
「じゃあ、安心して渡れるね。アリガト」
ところが桜海は、赤星が踏切に入るのを再び止めた。
「何? もう大丈夫じゃないの?」
地縛霊も、女の子の霊もいなくなった。他に何があるというのか、赤星にはさっぱりわからない。
「罠だ」
桜海が言った。
「罠?」
「とにかく、出よう」
「出る?」
桜海は赤星と肩を組み、結界で保護した。
赤星はわけがわからない。
「せーのでジャンプするよ」
「ジャンプ?」
「せーの!」
2人はなるべく高くなるべく遠くへ飛んだ。
次の瞬間着地したのは、電車の迫る線路上だった。2人は土手の斜面に転がるようにして電車を避けた。
「もう、どうなってんの?」
「さあ」
桜海が線路を見上げながら言った。
「罠って何?」
赤星は浮かんでくる疑問を投げかけずにはいられなかった。
「わからないけど、2重のトラップだった」
「ヘタしたら2人とも死んじゃうとこだよ?」
曖昧な答えしか出せない桜海に、赤星も苛立ちを隠せない。
「う…ん」
「誰かが、俺たちを殺そうとしたって事?」
「わからない」
そう答えた桜海には、本当は心当たりがあるのではないかと赤星は思った。
2人は土手の斜面で立ち上がって慎重に下りていった。
「俺、帰りたい」
赤星はごく当たり前のことを口にした。
「そう、だよな」
桜海は、赤星を一人にして大丈夫なのだろうか、という不安を感じていた。
それは、赤星も同じ気持ちだった。
「頼むから一緒に来て」
赤星は見栄を張らず、素直に桜海を頼った。
「わかった」
赤星は桜海とマンションへ向かう道すがら、携帯電話でバイト先へ連絡を入れた。
「あ、店長さんですか。赤星ですけど」
桜海は、プライベートな電話だと気付き、気にしない振りをした。
「すみません。俺、バイト辞めます」
さすがに少し驚いた桜海は、赤星の横顔を見つめた。
「急ですみません。はい。いろいろありがとうございました」
桜海の視線に気付いた赤星は苦笑いし、
「はい。わかりました。失礼します」
電話を終えた。
桜海は、いろいろ聞きたい衝動に駆られたが、目指すマンションに無事辿り着く事だけに集中すると決めた。
赤星は、幾分すっきりした表情で歩いた。
「はあ。何か凄く長い間留守にしていた気分だ」
マンションに戻った赤星は、そう言いながら、換気の為に窓を開けた。
「俺、どうしようか」
無事赤星を送り届けた桜海は、赤星にというより、タマコに相談した。
『帰るなら、厳重に結界を張っておいてね』
赤星の肩の上で、横になりながらタマコが言った。
「はいはい。お疲れさん」
そうタマコに言った桜海の言葉に、
「ほんと、疲れたね」
と赤星が応えた。
『かわいいわね』
「ああ、そうだな」
赤星は桜海にニッコリと笑顔を見せた。
そして、携帯を充電器にセットした状態で持ってきた。
疲れを癒すように目を閉じて座っている桜海の傍らで、赤星は、電話をかけた。
「あ、父さん? 俺だけど」
少し間を置いて良一の声が返ってくる。
〈どうした?〉
「ゴメン。俺、嫁にいく事にした」
「え!」
思わず桜海が大きな声を出してしまった。
〈え? 嫁?〉
「そう」
〈あ、そうかそうか。桜海くん、そこに居る?〉
「あれ? なんで?」
〈マーヤのお相手は桜海くんしかいないだろう?〉
赤星は父親の勘の良さに面食らった。
「桜海さん」
赤星の発言に驚いている桜海に充電器ごと携帯を差し出した。
「も、もしもし…」
〈桜海くん?〉
「はい」
〈結婚は無理だけど…〉
赤星良一のせりふに、顔を引きつらせながら、
「わかってます」
と桜海が言った。
〈僕の代わりにマーヤを大切にしてくれますか?〉
「はい…」
〈マーヤに代わってください〉
「…あ? いや、あの…」
桜海は片手で顔を隠して、携帯を赤星に渡した。
「ごめんね、父さん。俺、就職できなくてさ」
〈嫁さんになるのも就職だろう?〉
良一が笑い声で言った。
「一応、冗談だよ。でも、それくらいのノリで、桜海神社の仕事をするんだ」
〈悪いマーヤ。父さん、出かけないと遅れる。後で、桜海くんの住所と電話番号をメールしといて。じゃ、行ってきます〉
「行ってらっしゃい」
〈あ、そうそう、お金振り込んであるから、頑張って〉
良一は、聖也の「ありがとう」を聞く前に電話を終えてしまった。
「ちぇっ。いつもコレなんだ」
とぼやきながらも嬉しそうな赤星だった。
「お父さん、今どこ?」
「今週は多分、スペインかな」
「遠いな」
「まあね」
「ウチで働く?」
桜海は真剣な眼差しで赤星に確認した。
「よろしく」
『一番いいんじゃない?』
タマコがホッとしたように言った。
「仕方ないな」
と、桜海がカッコつけて言うと、
『嬉しいくせに』
とタマコに茶化された。
「じゃ、引越し手伝って」
明るい顔で赤星が頼んだ。
「…」
脱力して項垂れる桜海。
それをOKのサインだと思った赤星は、
「ありがと」
と嬉しそうに言った。




