16 お化け屋敷の怪
就活が上手くいかなかった赤星は、しばらくアルバイトで生活を繋いでいた。
時給のいいものをピックアップし、応募した。
一日4時間のバイトを2種類掛け持ちし、登録してある派遣会社からの単発の仕事を、時々引き受ける事にしていた。
さっそく派遣会社から電話でバイトの要請がきた。
「お化け屋敷、ですか?」
赤星は携帯片手にメモの準備をした。
〈そう。お化け役の子が急病で困っているの〉
「場所はどこですか?」
〈丸の内のファッションビルの中〉
「明日、一日中ですか?」
〈時給、ハズムわよ〉
結局赤星は時給1.5倍という条件につられて引き受けた。
「本物が出るわけじゃなし」と、気楽だったが、現地に行った途端、霊に躓いて転んだ。
「これくらいで負けるもんか」
赤星は勇気を振り絞った。
『ごめん。転寝してたわ』
タマコが赤星の肩で詫びた。
「じゃあ、キミはこれに着替えて、このマスクを被ってね。お客様が通りかかったら出て行って脅かしてください」
「はい。わかりました」
赤星は言われるままにスタンバイした。
お化け屋敷にカップルらしき若い男女が入ってきた。
「ちょっと、気味悪いわね」
「この床、大丈夫かな」
二人は仲むつまじく腕を組んで、ピッタリ寄り添いながら歩いてきた。
「ヒヒヒ…」
赤星扮するゾンビが妖しい声を上げて躍り出た。
「ギャー!」
「キャー」
二人ともかなりビビってお化け屋敷を後にした。
「いい調子」
赤星は何度か上手く脅かす事が出来たので、人をビックリさせる行為を楽しんでいた。
何組目かのカップルが入ってきた。
男性が黒いTシャツに白いジーンズ、女性は白いブラウスに黒っぽいスカートといった出で立ちだった。
この二人が並んでいると、暗がりでは白い色が浮かび上がるため、まるで一人の人間の上半身と下半身がバラバラになっているように見えてしまう。
脅かそうと出て行った赤星は、入ってきた客に驚いて腰を抜かした。
そして赤星こと、ゾンビが、驚かされた客以上に驚いて逃げ出してしまったのだ。
二人の客は、大笑いしながらお化け屋敷を出て行った。
「脅かし役が驚いてどうすんのよ!」
赤星は女性支配人に叱られた。
「スミマセン」
呆れながら支配人は別の衣装を取り出して言った。
「仕方ない。キミはこれ着て指定の場所に立ってて。脅かしたりしなくていいから」
「は…い」
赤星に渡されたのは、薄い女物の着物と長い髪のカツラだ。
「なんか最近の俺、女っぽいのかな…?」
やたら周りから女に見立てられる事が少し気にはなったが、時給5割り増しの仕事、と割り切る赤星だった。
残りの時間は、ただじっと立っているだけで、客が勝手に驚いてくれた。
楽だが女の幽霊に見える証のようで、赤星は複雑な気分だった。
「はい、みなさん。お疲れ様。これ、日当です」
お化け役の何人かが支配人から日当の入った封筒を受け取った。
「ありがとうございます」
赤星も日当を受け取った。
「キミ、来週、八王子の支店でもお願い。今日みたいに立ってるだけでいいから、来て」
と、NOとは言わせない雰囲気で依頼された。
「はあ…」
「また来週。朝8時。ここに集合だから!」
「わかりました」
赤星は、平日の午前中は本屋で、夜はコンビニでバイトをしていたのだが、本屋でのバイト中にぎっくり腰になり、3日くらい仕事には行けなかった。
そのため、本屋のバイトは辞めることになり、コンビニは、時給のいい時間帯のシフトを他の人に取られてしまった。
そしてお化け屋敷のバイトの日がやってきた。
「今日もよろしく」
「はい」
八人くらい集められたバイト人員の配置を支配人が告げた。
「キミとそこのマッチョくん、八王子ね」
「わかりました」
マッチョくんは元気に返事をした。妙に張り切っているようだ。
「ソノちゃんとノッポくんは武蔵野。残りの人はここです。よろしくね」
八王子まで移動することになった赤星は、支店までの地図を頼りに、まず電車に乗る事にした。
「わっ」
「おっと。大丈夫かい?」
電車のホームで躓いて転びそうになった赤星をマッチョくんが支えてくれた。
「ありがとうございます」
赤星は素直に礼を言った。
「何も無い所で躓くなんて、疲れてる?」
「いえ。大丈夫です。乗りましょう」
電車に乗る時も、何だか心配そうに見られて、赤星はつくづく情けない思いだった。
「俺、芳村。きみは?」
「赤星です」
「アカちゃんか」
赤星は、芳村の親父ギャグっぽいネーミングに思い切り引いた。
「ちゃんづけされてもなぁ」
赤星のぼやきは芳村の耳には届かなかったようだ。
支店に着くとそれぞれ衣装に着替えて配置に着いた。芳村は脅かす役だ。
赤星と違って、芳村はパワフルに躍り出て、客をしっかり驚かせていた。
ただ、少し驚きの内容も違うようで、ゾンビに遇ったというより、暴漢にでも出遭ったような悲鳴が響いていた。
「ある意味、凄いな」
さすがに2時間もじっと立っていると、ようやく治った腰に疲れがたまってくる。
「昼とトイレ休憩以外、ずっと立ってるだけってのも疲れないか」
芳村がゾンビのマスクを外して近寄ってきた。
「はぁ。持ち場、離れない方が…」
「いいって。客、居ないから。それより、そんな薄い衣装じゃ、寒そうだ」
そう言いながら芳村が肩を抱き寄せたので、赤星はその馴れ馴れしい手を祓った。
「遠慮しなくても暖めてやるよ」
確かに怖さを演出するために、強めの冷房がかかっている。だが、赤星は、丁重に断る。
「遠慮します」
芳村が嫌がる赤星を思い切り抱きしめた。
「やめろ…」
赤星はカッとなり、気付いたら芳村を伸していた。
そればかりか、お化け屋敷のセットも壊してしまっていた。
まるで、そこで刀でも振り回したかのように破壊されており芳村もいくつか切り傷を負って、白目をむいて倒れていた。
「や…ば」
八王子店の係員が飛んできた。
「何事ですか!」
係員の男性が駆けつけたとき、芳村が赤星の衣装を掴んで倒れ、片肌脱いで放心状態の赤星には多少同情したようだったが、即刻2人ともバイトをクビになってしまった。
「ちくしょう」
赤星はクビになった腹立たしさをマンションの壁にぶつけた。
「静かにしなさいよ!」
と隣の部屋から苦情の声が響いた。
「なんでだよ。どうしてだよ」
嘆く赤星の肩で、一生懸命慰める声はやはり届かず、タマコも虚しさを抱え、桜海に呼びかけた。だがそれも、タマコが小さくなってから届きづらくなったようで、幾ら待っても桜海からの反応は無かった。
赤星は、お化け屋敷バイトの件が派遣会社も知る事となり、次の仕事紹介が期待できなくなっていた。
赤星は卒業試験に合格した際、まだ就職できたわけでもなかったのに、見栄を張って、父親からの仕送りを断っていた。
「まずいな」
コンビニでの、数時間のバイトでは、家賃すら払うのは難しい。
「どうしよう」
赤星は毎日、仕事を探した。
『テンに相談して』
と、タマコは届かないとわかっていても、赤星に告げ、
『テン、なんとかして! この子を助けに来なさいよ』
と、なかなか届かなくなった桜海に向かって叫んだ。
どんどん来月分の家賃振込日が近づいて、赤星の心には曇り空が大きく広がっていた。
割のいいバイトか、もう少し安い賃貸物件を探すために、赤星はフラフラと出かけ、近所の主婦たちが井戸端会議をしている側を、暗い顔で通り過ぎた。
「怖いわね。若い女の子が自殺したのって、この向こうの踏切なんでしょ?」
「そうらしいわ。知らなかったけど」
「可哀想に」
主婦の噂話を耳にはしたが、赤星は大して気に留めず歩いていき、事件のあった踏切に、
『待って』
というタマコの言葉も虚しく足を踏み入れていた。
「えっ?」
また何かに捕まえられ、赤星は踏切内で立ち往生した。
『テン! 大変! 大変』
タマコは必死に桜海にSOSを発した。
「ちょっと、ヤバいよ、タマコさん」
赤星は一生懸命足を踏み出そうとしながら、
「助けて。救けて。お願いだよ」
と小さな声でタマコに懇願した。
カンカンカンカン…。
電車が近づいてきているようだ。二つくらい手前の踏切の音が聞こえ始めた。
「マズイ。電車来ちゃうよぉ」
『ゴメンね、マサヤ。テンお願いだから早く来て』
赤星はふと、女の子が自殺したという主婦の言葉を思い出した。
「覚悟の自殺なら霊は居ないんじゃないの?」
「その通り」
「桜海さん!」
『テン!』
桜海は、赤星を引き止めている霊に向かって、
「あなたの話を聞きますから、彼を放してください」
と言った。
プワーンと電車の警告音が響いた。
桜海の言葉が通じ、自由になった赤星を連れて、遮断機の下を潜り踏切から急いで避難した。
「電車にクラクション鳴らされたの、初めてだ」
桜海は暢気に言った。
赤星は身体を震わせていた。
「大丈夫?」
桜海の声掛けに、言葉も出ない赤星に代わってタマコが叫ぶ。
『大丈夫じゃないわ! ずっと呼んでたのに来るのが遅いわよ!』
「ゴメン」
赤星が大粒の涙をポロポロと零した。
立ったまま、声も上げず静かに泣く赤星を、桜海は、黙って抱き寄せた。
『もっとこの子をしっかり守ってあげてよ。今の私の力じゃダメなの。全面的に当てにされても無理なの!』
「わ、かったから耳元で大声出さないで」
怒るタマコに、小声で懇願した。
そして、踏み切りにいる霊には、
「すみません。明日また来ます。出来たら踏切の外側、あ、あの木の下に居てください」
『わかりました。待ってます。必ず来てくださいね』
「もちろんです」
桜海は赤星を連れて帰った。
「俺のせいかな」
桜海は、自分と出会ってからの方が、赤星の生活における霊の影響が大きくなっているような気がしてならなかった。
『私の力不足ね』
タマコも溜息混じりに呟いた。
赤星は自己嫌悪に陥っていた。桜海に泣き顔を見せてしまったことが恥ずかしかった。
また、就職を決められず、バイトも続かず、何もかもが上手くいかないことも彼から笑顔を奪うには充分だった。
「助けてくれてありがとう」
赤星が文章を棒読みするみたいに礼を言ったが、すぐに桜海が、
「もう少しゆっくりしていきなよ。今、お茶煎れるよ」
と、赤星を食卓テーブルに着かせた。
「あれ? お茶の葉、どれだっけ?」
自分の家の台所なのにアタフタしている桜海を見かねて、
「俺がするよ」
と赤星が申し出た。
「ゴメン」
桜海は、キッチンを明け渡した。
「桜海さんは優しいね」
「うん?」
「緑茶がいいの?」
赤星はテキパキとお茶の準備をする。
「赤星は?」
「俺は紅茶かな」
「じゃ、同じでいい」
「ぷ」
「何?」
赤星は以前ファミレスに行ったときのことを思い出したのだ。
「いや。晩御飯はどうすんの?」
「考えてなかった。もう、そんな時間?」
赤星は紅茶を煎れてテーブルに運んだ。
「え? いつもはどうしてんの?」
「いろいろ」
二人は席に着いた。
「いろいろ?」
「うん。外食、出前、コンビニ弁当…」
赤星は一口紅茶を飲んでから、冷蔵庫の中を覗いて溜息を吐いた。
「材料、何も無いね」
席に戻った赤星は桜海に作り笑顔を見せた。
「ひょっとして、作ってくれるとか?」
「材料があればね」
赤星は、何も入れていない紅茶をただ掻き混ぜた。
「今日は出前を取る。一緒に食べよう。何がいい?」
桜海が尋ねると、
「いや。俺、帰るよ」
と言い、赤星は立ち上がったが、歩き出せずしゃがみこんだ。
「聖也?」
「あ、ちょっと、立ち眩みが…」
『この子、昨日から食べてないわ』
「なんで食べないんだ?」
「タマコさんが伝えたの?」
「ああ。ほら。出前取るからさ。何がいい?」
「食べたくない」
桜海は赤星に手を貸し、椅子に座らせながら、
「そんじゃ、怖~い医者と、美味い料理。どっちがいい!」
と、桜海が半分怒ったような声で追求すると、キュルンと赤星のお腹が返事した。
「わかった」
桜海はニコニコしながら、電話で料理を注文した。
結局2人でタラフク食べ、赤星は桜海の家に泊まったのだった。




