12 赤星の幽体離脱
桜海神社の朝。
一見、神主が居るとは思えないほど小さな社。
桜海は大きな欠伸をしながら、いつものように箒を持って、毎日の日課である神社の狭い敷地の掃除を始めた。
また、欠伸をしながら視線を箒から小さな鳥居へ向けた瞬間、桜海の欠伸が止まった。
「何やってんだ! タマコ!」
桜海はいつになく声を荒げて叫んだ。
『仕方ないじゃない。この子あたしの事、見えないし、声も聞こえないし、どうしたらいいか、わからなかったんだもの。テンだって、あたしの声小さすぎて聞こえなかったんでしょ?』
「だからって、離脱させてどうすんだよ!」
『部屋に閉じこもって、全然出かけないのよ? テン、何とかしなさいよ』
「くせになったらタマコのせいだぞ」
『くすん…』
「わかった。待って。箒片付けてくる」
『あれ? なんだか眩しいな。どうしちゃったんだろ?』
離脱した幽体の赤星が覚醒しそうだった。
桜海はあわててその場に箒を置くと、赤星の幽体を連れたタマコと一緒に、彼の住むマンションへと急いだ。
『桜海…迷惑かけ…ヤダ…』
赤星のマンションに着いたが、部屋の鍵がかかっていて、中には入れない。
「タマコ、赤星を元に戻してくれ」
『わかったわ』
タマコと幽体の赤星がすうっと中に入っていった。
桜海は頃合を見てドアチャイムを鳴らした。
少しして、中からゴソゴソとだるそうな足音がドアに近づいて、
「どちら様ですか?」
と、声がした。
桜海は少しホッとしながら、
「桜海だけど…」
と声を掛けた。
「え? な、なんで?」
「タマコの様子を見に来たんだ」
赤星はノロリと玄関に下りて、ドアチェーンをゆっくり外し、鍵をカチリと開けた。
「…どうぞ」
「お邪魔し…ます」
桜海は狭い玄関で靴を脱ぎながら絶句した。
部屋の奥に向かう赤星の背中には、肩に負ぶさる様に霊がついていたのだ。
タマコは赤星の頭上に避難し、彼の身体が乗っ取られないように防御するだけで精一杯のようだ。
『疲れるんだから、早く何とかしてよ』
タマコが悲鳴のような声で懇願した。
「あんた、誰だ?」
桜海は霊に向かって言った。
「何?」
赤星は少し朦朧としているようだった。
「赤星から離れろ」
『え? あなた、私が見えるの?』
若い女性の幽霊が驚いたように桜海を振り返って言った。
「桜海さん、ごめん。俺、また引き寄せちゃったかな?」
桜海は霊を引き剥がそうとして、赤星に手を伸ばしたが、あろう事か、赤星が両手で桜海の胸を突っぱねて拒否したのだ。
「な…」
「帰って」
桜海は赤星の両手首を掴んで彼を見つめた。
『だめよ! テン、帰っちゃダメ』
『あら、彼は嫌がってるじゃない。帰りなさいよ』
幽霊が勝ち誇ったように言った。
「赤星、俺の目を見て」
赤星はその言葉に背くように視線を落とす。
「聖也!」
初めて下の名で呼ばれて驚いた赤星が桜海を見た。
『ちょっと、何、二人で見詰め合ってるの?』
桜海は、幽霊の声を無視して、赤星の瞳の奥、心の奥を見つめて言った。
「キミにとっては迷惑かもしれないけど、キミは俺が前世で愛した人の生まれ変わりなんだ。だから俺、聖也を地縛霊の餌食になんてしたくない」
「迷惑なのは俺でしょ? 俺のせいで、桜海さんの負担が増えて、トラブルに巻き込まれて…。そんなの嫌なんだ」
「なんで、そんな話になるんだ?」
『何なのアンタたち。他人の事、地縛霊呼ばわりして。一つ言っておくけど、私は彼の心の闇に引かれてここへ来ただけなんだから』
「じゃあ、他へ行ってください」
自分の背中に向かって言う桜海を赤星は黙って見つめた。
『言い訳なんてしないで、一言、好きだって言えばいいのよ』
じれったそうに女性の幽霊が呟きながら、赤星から手を離した。
『早くどっか行って』
タマコもイライラしながら言った。
桜海の術を使わずして、幽霊女がすーっと離れていった。
『ありがと、テン』
「こちらこそ、ありがとうタマコ」
「そういえば、テン?」
赤星が思い出したように言った。
「ん?」
『あら。聞こえたのかしら』
タマコが首をかしげる。
「テンて…?」
「何の事?」
桜海が片手で顔を隠しながら呟いた。
「何でもない。気のせいかも」
赤星が自分の勘違いかと思ったようだ。
グ~。
気まずい雰囲気を壊すように桜海のお腹が鳴った。
「あれ? 桜海さんもご飯まだなの?」
「やべ。帰って掃除の続きしなきゃ」
「朝ごはん食べてからにすれば?」
「朝飯前の決まりなんだよぉ」
きゅるるん。
「ほら。お腹は正直じゃん」
『外に連れ出してあげて。この子もあんまり食べてないんだから』
「わかった。じゃあ、朝ごはん、赤星も一緒に食べに行こう」
「らじゃ」
赤星は嬉しそうにさっと財布を握って、桜海と部屋を出た。
『良かったわ。小さくなってからどうも力が足りないのよね』
タマコの呟きに桜海が応えるように言った。
「しっかり食べて大きくならなきゃ」
『そうね…』
「そうだよ。お兄さんが美味しいお店を教えてあげよう」
「俺じゃなくて、タマコのことだよ」
膨れっ面の桜海と並んで歩く赤星の肩でタマコが小さく、ケラケラ笑った。




