11 タマコの火事と黒霧神社
「こんにちは~。う~。寒っ」
赤星が桜海の家を訪ねてきた。
「あれ? いないの?」
赤星は辺りを見回した。
「居るけど」
桜海の声が聞こえ、赤星は彼を見上げながら言った。
「え? なんで浮いてるの?」
「あれ? 経験済みだよ?」
赤星は北海道での経験を思い出した。
「あ。そうか」
「そうそ」
桜海はゆっくりと床に下りてきた。
「普段、そうやって練習してるの?」
「うん」
「誰かに教わったの?」
「うん。じいちゃん」
「へぇ。俺もできる?」
「え?」
「なんかさ、俺も、自分の身を守る術を習得したいかなぁ、なんて思ってさ」
「護身術といえば、合気道。空手。柔道」
桜海はそれらの形を真似て見せた。
「いや、そうじゃなくて、相手は人間じゃないでしょ? 霊とか念とかに対抗する術だよ」
誰にでもできる、というわけではない。赤星にだって、それくらいはわかっているのだが、いろいろと影響を受けるのだから、何とかしたくなるのは当たり前だった。
「うん。わかってるけど」
桜海は冷蔵庫から水を取り出して飲みながら、赤星をじっと見つめた。
「そんな冷たい水。寒くないの? な、何?」
桜海はズイッと赤星に顔を近づけた。
「な、何だよ」
「タマコ、どうした?」
「え」
「元気が無い」
いつも連れているといっても、赤星には見えない存在だ。
「タマコさん?」
「赤星、何かした?」
「何かって。何にも」
「ちっ」
「何だよ。舌打ちなんかしてヤバイなぁ」
尋常じゃない桜海の様子に、赤星は不安が大きくなる一方だ。
「急がないとマズイ」
何やら焦って準備をしようとする桜海に赤星が尋ねる。
「どこに?」
「黒霧神社にあるタマコの本体」
「本体って…」
「タマコは樹齢300年くらいの桜なんだ」
「タマコさん、病気とか?」
「わからない」
焦る桜海が飲みかけた水のペットボトルを持ったまま、外に出たので、赤星も慌てて後に続いた。
尋常じゃない桜海の様子に、不安になった赤星を熱が襲った。
「ああっ! 熱い! 肩が焼ける」
赤星が急に叫んだので、桜海は彼を振り返った。
「触るな」
タマコの居る肩を手で触ろうとした赤星を止めた。
「熱いよ~」
赤星の様子でタマコに何が起こっているか悟った桜海は、
「とりあえず応急処置だ」
と、ペットボトルの水を手の平に取り、術をかけて赤星の肩口に噴射した後、タマコを小さな結界で保護した。
「急ごう」
桜海は赤星に肩を貸し姿消しをすると、二人の載った結界を高く伸ばし、黒霧神社に向かって滑空飛行した。
広い敷地の神社が見えた。
大きな桜の木の根元が燃えているのが見える。
「下りるよ」
「オッ、ケー」
そろりと桜海たちは、黒霧神社の敷地に降り立った。
桜の木に近づくと一人の子供、恐らく中学生くらいの男の子が、燃える桜を見ていた。
「何してんだ!」
「わっ」
いきなり現れた桜海たちに、驚いた子供は逃げ出そうとした。
「この野郎」
桜海が少年を捕まえた。
「何てことするんだ!」
赤星が叫ぶ。
「火を消さないと!」
「わかってる」
赤星はそばにある池に目を付けて言った。
「あの水、もって来れないかな?」
桜海は赤星の考えを実行した。池の中で結界を作り囲んだ水を宙に浮かせて、桜の木の上まで運んで、結界を解いた。
何度かその作業を繰り返すと、火が消えていった。
「タマコさん、大丈夫?」
赤星は黒く焦げた幹に身を寄せ、恐る恐る手で触れた。
「どうしてこんなことになった?」
赤星は幹に背をもたせ、肩に手を当ててしゃがみ込んだ。
桜海は、念のためもう一度水をかけるつもりで、池の水を囲んで持ち上げた。そして、赤星が木に身を寄せているとは思わず、結界を解いてしまった。
「わっ」
「へ?」
赤星がずぶ濡れで、地面に突っ伏していた。
「何すんだよ」
「何でそこにいるんだ?」
「だって、タマコさんが…」
「ごめん、ちょっと待ってて」
桜海は赤星に自分の着ている作務衣の上衣を脱いで着せかけた。
桜の木の根元や赤星の周りには、池の鯉が散らばっていてバタバタしていた。
桜海は、鯉を結界でさらって、元の池に戻し、火をつけたと思われる少年の様子を見た。
すると、泣いている少年を労わる様に、女性の霊が佇んでいた。
「どうして、こんな事をしたんだ?」
桜海の問いかけに、少年は顔を上げて言った。
「お母さんが埋まってるんだ」
「え?」
「みんなが、あの桜の木の下にお母さんが居るって」
「みんな?」
「お父さんや、おじいちゃんが。友達も、家族がそう言うんなら、そうじゃないかって」
「そんなわけない。あの木は300年も前からあの場所にあるんだ。木の下に埋めることなんてできっこない」
「でも、お母さんが、いなくなったんだ」
「もしかして、あなたが、お母さん?」
桜海は佇む霊に向かって訊ねた。
少年は、桜海が自分ではない何かに話しかけていて、それがどうやら自分の母親らしいとわかり、じっと、桜海の様子を窺っている。
霊は何も言わず、スッと消えそうになったので、桜海は慌てて、霊に標を付けた。
「お父さんや、お祖父さんは、今どこに居る?」
「うん。社に」
「え? この神社の子?」
「うん」
「じゃあ、明日、また来る」
桜海は赤星を振り返って、様子を見てから言った。
「連れが風邪ひくといけないから、今日は帰る。ここにはキミのお母さんはいない。だから二度と桜に火をつけたり、危害を加えるな。わかったな」
しょんぼりする少年を残して、桜海は赤星を連れて家に飛んで帰った。
「ふぁっくしょん。ハクション」
桜海はアタフタと動いて、
「大丈夫? はい、タオル」
と、赤星にバスタオルを渡す。
「大丈夫じゃない。酷いよ、この寒いのに水をかけるなんて」
「ごめん、悪かったよ」
「クシャン…」
「風呂わかすよ」
慌てて奥に向かう桜海に、
「シャワーでいいよ」
と、赤星が言う。
だが桜海からは、
「シャワー? 無い」
の返事。
「へ? 無いの?」
呆れ顔の赤星をよそに桜海は風呂の準備を始めた。
「まさか、薪で沸かすとか…」
「そこまでは古くない」
赤星がタオルで身体を拭きながら待っていると、奥から桜海の声がした。
「湧いたの? 早いね」
「うん。ゆっくり浸かって」
桜海は薄いカーディガンをはおりながら言った。
「サンキュ」
赤星は嬉しそうに風呂場に向かった。
「いい湯だったけど、部屋寒っ。ストーブとか無いの?」
「ああ、ちょっと待って」
桜海は暖炉に火を入れると、部屋全体を結界で囲み、温もりがすぐに赤星に伝わるように工夫した。
「わあ、温かいや」
喜ぶ赤星を見て微笑みながら、桜海はドライヤーを手渡す。
「サンキュ」
桜海は部屋中が温もったのを見計らって結界を解いた。
「ね、さっきさ、あのガキンチョと何話してた?」
赤星がドライヤーで髪を乾かしながら訊ねた。
「桜の木の下にあいつのお母さんが埋められているって言うんだ」
桜海がドライヤーの音に負けないように大きな声で言った。
赤星はドライヤーのスイッチを切った。
「それで、木を除けたかったんだろうね」
溜息混じりに桜海が言った。
「本当に埋まってるの?」
赤星はタオルで髪を拭きながら尋ねた。
「いいや。でも側に霊が立ってたから、亡くなったんだとは思うけどね」
「なんで、埋まってるって話になったんだろ?」
赤星は首をかしげながら言った。
「父親と祖父の出任せみたいだけど、何故そんな嘘を言ったのかは、明日、追及しに行く」
ドライヤーの音再び。
「明日か。俺、卒業がかかった試験があるから、無理だな」
「いいんだ。けど、タマコは置いて行ってもらわないといけない」
少し気の毒そうに桜海が告げた。
「仕方ない、ね」
「怖い?」
「いや。普通に学校に行って、試験受けて普通に帰って来るだけだよね」
強がっている口とは裏腹に不安そうな目をした赤星を心配した桜海は、携帯電話を取り出して渡した。
「携帯? 持ってたんだ」
「うん。あんまり、使わないから教えてなかったけど、番号交換しておいて」
「わかった」
赤星は髪を乾かし終わると、素早く桜海の携帯のアドレスに自分の名前と電話番号を登録後、自分の携帯にかけ着信履歴から番号を登録した。
「はい。ありがと。ちょっとは安心だね」
「ちょっと、か」
「ね、桜海さんて、下の名前、なんていうの?」
赤星は携帯を操作しながら尋ねた。
「たかし」
「どんな漢字?」
赤星が自分の携帯を弄りながら尋ねた。
「…要る?」
「え? 教えてくれないの?」
桜海は赤星に背を向けて、返してもらった携帯のアドレス帳を開いて、赤星の名前(赤星聖也)を確かめた。
「赤星、せいや?」
「まさや」
「ふむ。そうだ」
桜海は何かを思いついたようで、2階に上がっていった。
「仕方ない。た・か・し、と。ひらがなにしとこ」
赤星は登録を終えると携帯をポケットにしまった。
桜海が箱を持って下りてきた。
「これ、付けてて」
そう言いながら箱から勾玉の数珠を取り出すと、桜海は赤星の足首に付けた。
「手じゃなくて、足に付けるの?」
「うん」
「まあ、いいか。とりあえず、明日だけだもんね」
「う…ん」
なにやら歯切れの悪い桜海の返事が少し気にはなったが、
「髪も乾いたし、俺、帰るね」
と、赤星はマンションへ戻ることにしたのだった。
「気をつけて」
「じゃあ、明日、頑張ろう。お互いに」
赤星は桜海から頑張れと言われる前に自分から挨拶した。
翌日。
再び黒霧神社を訪れた桜海は社務所の広い玄関先で声を掛けた。
「ごめんください」
シーンと静まり返っているのに、あまりに広いので、奥に居る人に届かないようだ。
桜海は結界を作ってその中に、『ごめんください』という声を閉じ込め、社の奥へ送って、結界を解いた。
「ハイ、ハイ」
声が届いたようで、奥から神主と思われる男性が出てきた。
「はい。何でしょう?」
「こちらに、中学生くらいの男の子がいらっしゃると思うのですが…」
「小学6年の娘なら居りますが、どういったご用件でしょうか?」
桜海に対して、いかにも不審そうな目つきで神主が言った。
「え? 実は、昨日こちらの桜の木に火をつけた男の子が、こちらに住んでいると言ったんですが…」
桜海も神主に疑いの眼差しで告げた。
「うちの桜のことをどうして…?」
「たまたま通りかかった私と友人の2人で、火を消したんです」
「そうですか…それはそれは、お世話になりました」
「その男の子に心当たりはありませんか?」
神主は、少し考えるように言った。
「あなたは、その少年に会って、どうするのですか?」
「どうする、というと?」
「いえ。うちの桜のことで、その子供を責めるのは、どうかと思います。桜は少し焦げてはいますが、大丈夫ですので、当方としましては、犯人を突き止めようとは思っておりません」
「そうですか。でも、彼には別の問題がありまして、できることならそれを解決したいのです」
「別の問題ですか」
神主が、以外にも興味を示すような言い方をしたので、桜海は不信感が増してしまった。
「はい。ですが、それはもういいです。ただ私は、あの桜のファンで毎年花が咲くのを楽しみにしているんです。少し、治療というか、修復をお手伝いしてよろしいですか?」
桜海は、敢えて神主の許可を取っておくことにした。
「ええ、それはかまいませんが…」
桜海の、反対などさせない、という強い視線に、決して怯むわけではない、という風に睨みながら、神主が言った。
「ありがとうございます。では、失礼します」
桜海はさっと踵を返すと、スタスタと社務所を出て行った。
広い敷地のほぼ中心に桜があり、春に向けて花を咲かせる準備をしていたであろう幹は、その表面に無残な焦げ後を残していた。
桜海は一度自宅に戻り桜の木の修復材料を持って再び訪れた。
「タマコ…」
桜海は桜の焦げた部分に筵を巻きつけ、縄で縛った。そして、再生を促す呪文を唱え、結界を張った。
すると、桜の木の上のほうから、枝がひとつ、はらりと桜海の元に下りてきた。
「…そうだな。わかった」
桜海はその枝を抱え、黒霧神社を後にした。
自宅に枝を持ち帰った桜海は、庭に挿し木をし厳重に結界で保護をした。
一方、赤星は真っ直ぐ学校に行き、試験を受け終わると、大量の食料品買いこみ以外寄り道はせず真っ直ぐ家に戻った。
とりあえず、霊の類に捕まったり影響されず、無事一日を過ごせた。
それは、ごく当たり前のことかもしれないが、タマコの保護がない状態の赤星にとっては初めてだった。
嬉しくて、桜海に報告したいと思っても、
「急ぎの用件じゃないよなぁ」
と遠慮して手にした携帯をポケットにしまう。
また、桜や、少年のことについて、どうなったのか聞きたくて携帯を手にとっても、やはり架けることはできないでいた。
「俺、こんな、弱虫だったかな」
タマコに霊の影響をシャットアウトしてもらえないことが、相当な不安となって圧し掛かっているせいで、何につけても弱気になってしまうのだった。
「情けない」
今日も本当の意味で、一人で無事過ごせたわけではない。桜海が付けてくれた勾玉の数珠が効いたからだということも、赤星は重々理解していた。
ひとつだけ幸いな事は、この後数日間は大学に行かなくても済む事くらいだ。
そこで赤星は、食料をどっさり買い込んで、部屋に引きこもる事にしたのだった。
翌日。
桜海は少年の母親と思われる霊につけておいた標を辿っていた。
「おかしいな」
桜海が切り札だと思っていた標は、何度辿っても、元の神社、しかもタマコの宿る桜の下へ戻ってきてしまうのだった。
「タマコ、どうなってる?」
『わからないわ』
「遺体はここには無いはずだろ?」
『もちろんよ』
桜海は、自分の付けた標が、他の誰かにコントロールされているような気がして仕方なかった。
「なあ、タマコ。だいぶ小さくなるけど、いいか?」
『仕方ないわね。お引越しましょ』
「悪いな」
これ以上、この件に関わるのは善くないと感じた桜海は標を切って霊の追跡を止めた。
翌日には、タマコには申し訳ないと思いつつ、新しく枝分けした桜の木に宿を移してもらい、黒霧神社に渦巻く、得体の知れない負の輪から抜け出したのだった。
ほんの数日、タマコの本体と遭遇した幽霊の件で奔走している間に、赤星の身に異変が起きているなどと夢にも思わない桜海は、タマコを彼の元へ戻したのだった。




