1 分裂霊の悲しみ
夏の眩しい日差しの中。
桜海は、ある依頼を受けて、隣町に来ていた。
最寄りの駅から歩いて目的地を目指していると、何やら後ろから気配がついてくる。
少し速足で歩くと速く、ゆっくり歩くとゆっくり、つかず離れずついてくるのだ。
桜海は立ち止まり、後ろを振り返った。
誰もいない。
いや、正確には幽霊がついてきていた。
子供だ。
桜海には、見える。
だが先を急ぐため、とりあえず見えない振りをして歩き出した。
なぜ、その子供が付いてくるのか、何が目的なのかはわからないが、桜海はなるべく後ろを見ないようにして、依頼主のお宅へと急いだ。
実は桜海には小さい頃の嫌な思い出があり、それが、高校2年生になった今も
少しトラウマとなって心に引っかかっていた。
桜海自身が幼くてまだ除霊術などを習得する前、何の先入観も無い3歳くらいの頃のことだ。
他の子供と違って桜海は普通は見ることのできないものを自然な形で目にしていた。
だから自分の後をトコトコついてくる子供の霊を見て、それが自分よりも3~4歳年上であったにも拘らず、何の警戒もしないで、ごく普通の子供同士のように声をかけたのだった。
「どうしたの?」
『遊ぼう』
「遊ぶ?」
『うん。おいでよ』
「でも、僕、お家に帰らないと叱られるんだ」
『大丈夫だよ。行こう』
その子供が桜海の手を取り駆け出そうとした。
だが、その行き先は黄泉の世界だった。
にわかに周りの風景が歪み、薄暗い陰が広がってきた。
さすがに、すべて見えてしまう桜海は身の危険を感じて振り払おうとした。
しかし、当時まだ何の技も持たなかった桜海には、なかなか子供の霊を祓う事ができなかったのだ。
「放して、放して!」
『向こうに行こう。連れて行ってあげるよ』
「やだ。逝かない」
『みんな待ってる。急ごう』
「やだ! やだ」
パシッ。
「こら、何やってんの。帰るわよ」
姉に軽く叩かれた頭を両手で押えると、子供の霊がいなくなっていた。
「姉ちゃん…」
「こんなところで道草食ってんじゃないわよ」
「姉ちゃ~ん、うわ~ん」
「何なの?」
一回り年上の姉の礼は全く見る能力はないのだが、だからこそなのか、
断ち切る力は半端なかった。
礼のお蔭で助かったのだが、暫く桜海は自分が連れ去られそうになる夢でうなされたのだった。
「いかんいかん。子供は怖い」
桜海はハンカチで汗を拭いながら、のんびりつぶやいた。
そして、ゆるやかな坂道をゆっくりと上っていった。
坂を登りきる手前で古い時代の趣ある大きな屋敷が見えてきた。
「ふう。ここかな?」
『僕んちに用事なの?』
「えっ?」
ずっとついてきていた子供の霊だ。
僕んち、ということは、依頼主の子供?
門の側には、通夜と葬儀の日時や場所を書いた灯篭が置いてあった。
昨日、桜海神社にかかってきた一本の電話は、子供を亡くした父親からだった。
一般的に考えると少し変わった依頼だった。
―死んだ我が子に、聞いて欲しい事がある―
しかし、霊能者である桜海には違和感のない依頼である。
もしその子供がこの子なら、話が早くて仕事が簡単に終わりそうだ。
だがそんな甘いことはないだろうと桜海は思いながら首を振り、携帯電話を耳に宛がってからその子供に尋ねた。
「ここ、キミのお家なの?」
『うん、たぶん』
「たぶん?」
桜海は子供と話しながら呼び鈴を押した。
『わからないんだ』
「どうして?」
『他の子たちも、ここが自分ちだって、言うんだ』
「へ? うわっ」
よくよく見れば、その子の後にも後にも、子供の霊がずらりと並んでいた。
「俺、こんなにジャリンコを連れて歩いてたんだ…」
「はい、開いてます。どうぞ」
インターフォンから女性の声が聞こえた。
『どうしたの、お兄ちゃん?』
「キミの名前は?」
『忘れた』
「じゃあ、なんでここが自分ちだと思うの? 他の子たちもどうなんだい?
自分の名前や住所は? みんな、この西山さんちの子供なのかい?」
それまで静かに並んでいた子供たちが一斉に喋り始めた。
「うわっ、喧しい」
桜海は一旦逃れるために西山家の門を潜って敷地内に入った。
「はぁ…」
汗を拭う桜海がつい口にした、やかましい、を肯定するかのように、
「確かに、蝉の声が五月蝿いですよね」
と、出迎えた女性が小さく苦笑いした。
「こ、こんにちは。初めまして。桜海と申します」
お辞儀をする桜海が夏の制服姿なのを見て、女性が確認するかのように尋ねた。
「あら、学生さんなの?」
「はい。高2です」
「暑い中、すみません。どうぞ、家の中へ」
出てきた女性は四十歳くらいで、恐らく、依頼主の妻だろうと推測した。
「はい。ありがとうございます」
桜海は汗を拭った。
周辺にウヨウヨいる子供の霊を置き去りにするのを少し躊躇ったが、案内されるまま、家の中へと入っていった。
家はかなり古い建物で、建築に詳しくない桜海が見ても、建てられた時代が違うことがわかるくらいだった。
広く重厚な雰囲気の玄関を入り、歩くとギシギシ鳴る長い廊下をいく。
中庭に沿って縁側が続いていて、多少補修した形跡があるものの、ほとんど昔建てられた時のまま使われているようだった。
「どうぞ」
奥まった部屋の障子を開けると、中へ通された。
そこには、大きな布団が敷かれ、子供がぽつんと寝かされていた。
「昨日、亡くなった息子の優斗です」
桜海はその子の顔を見て確信した。
さっき居た沢山の子供の霊はすべてこの子なのだと。
「早速ですが、何をお聞きすればいいのでしょうか? 昨日の電話では具体的なことは何も言われていなかったので…」
桜海は母親と思われるその女性に確認してみた。
「そうですね…。あの、失礼ですけど本当に、もう死んでしまった、この子に、
ものを訊ねる事ができるのでしょうか?」
彼女は愛しそうな視線を子供に向けた。
「そうですよね。普通、できませんから、信じられないのも無理はありません」
桜海は信じてもらえないことには若干慣れていた。
ただ、依頼してきた本人でないにしろ、信じられないなら、何故自分を呼んだのだろうと思った。
「どうもすみません」
気まずい雰囲気で会話が途切れたところに、年配の女性が麦茶を持ってやってきた。
「息子が何やら、お願いしたそうで、すみません。暑いなか、ご足労いただきまして、ありがとうございます。息子は明日のこの子の葬儀の準備で留守にしていましてね。あ、冷たいうちにどうぞ」
年配の女性は毅然とした態度で言った。
「はい。ありがとうございます」
息子というのは恐らく電話をかけてきた、この子供の父親のことだろう。
桜海は汗を拭く手を止めて、麦茶を一気に飲み干し、二人の顔を交互に見て尋ねた。
「あの、俺のことは誰からお聞きになったのでしょう?」
「はぁ。それは…」
言いよどむ嫁に代わって姑が喋り始めた。
「わたくしです。わたくしの知人に警察関係の方がいらっしゃいましてね。以前、不思議な力を持つ方が桜海神社に居らっしゃるというお話を聞いておりましたゆえ、息子に伝えましたの」
上品でしっかりした口調で答える姑の隣で、嫁は、亡くなった我が子を見つめてばかりだ。
「そうですか」
桜海は姉の職場で何を語られているのだろうかと思い、幾分顔を曇らせながら、心の中とは別の言葉を発した。
「彼に何をお聞きすればいいのでしょうか」
桜海の問いかけに、母親は子供の唇を綿花で濡らしながら、
「いいんです。もう。この子に聞いたとしても、埒の明かないことですし」
と、寂しそうに答えた。
嫁の言葉に姑は唖然とした表情をしたものの、何も言わなかった。
「そうですか。わかりました。俺もできれば遠慮したい…」
「それはそれは。申し訳ありませんでした」
姑に当たる女性は、丁寧にお辞儀をした。
「あんなにたくさんの霊と話すのは、ちょっと…」
桜海はついボソッと本音を呟きながらお辞儀をした。
「え?」
桜海のつぶやきが母親の耳に届いてしまった。
「どうも、すみません」
母親と目が合った桜海はバツが悪そうに詫びた。
「お待ち下さい」
立ち上がって帰ろうとする桜海を、母親が引きとめた。
「ま。お呼びたてしておいて、すぐにお帰り願うと思えば、今度は何ですか?」
姑が嫁に向かってイライラしながら言った。
「あの、もしかして、あの子に会ったんですか?」
母親は縋るような目で桜海に尋ねた。
「そうだと思います。彼は多重人格者だったのではないですか?」
桜海は霊に遇った印象を伝えた。
「ええ。そうです。親として言うのもなんですが、あの子の考えている事は全くわかりませんでした」
母親は、我が子とは言え、その内面を扱いかねていたようだ。
「きっとあなたに似たんですわ。右と言ったり左と言ったり、あなたも何を考えているのやら」
姑は鋭い指摘をさらりと口にした。
「申し訳ありません。あの、桜海さん。あの子はどうして死んでしまったんでしょう?」
「はい? 死因が不明なんですか?」
それは医者に聞くべきじゃないかと桜海が言う前に、
「まあ、美佐子さんたら、ちゃんと説明しないと誤解されますよ」
と姑が冷たい視線を嫁に向けた。
「すみません」
「もしかして、自殺したんですか?」
桜海は少し声のトーンを落として尋ねた。
「はい。夫はそうじゃないかと」
ようやく桜海に依頼主の聞きたい事が伝わった。
「違います。風の悪い事を言わないでください」
姑が思い切り否定した。
「ん?」
桜海は二人の顔を交互に見つめた。
「そりゃあ、優斗は長年の病気で、お医者様からもあまり長生きできないだろうと言われておりましたよ。でも、だからといって、余命宣告されたわけでもないですし、とにかくすぐに死んでしまうような状態ではなかった筈なんですけどねぇ」
姑は、はっきりした病名は言わないものの、医者の誤診を疑っているようだった。
「ええと、つまり…」
桜海は、自分がどうすればいいのか迷った。
「でも、あの子が早合点して、自分で死ぬ方法を考えていたんじゃないかと夫は思っておりまして…」
依頼主は、息子が自殺した可能性が濃厚だと思っているようだ。
「だから、自殺ではありませんよ」
姑がまた否定した。
桜海は残された家族の考えをまとめられそうになかった。
「彼に聞いてみましょうか」
桜海は、二人の会話を聞いているうちに、本人に事情を聞くほうが早い気がしてきたのだ。
「お願いします」
「聞いたところで、優斗が返ってくるわけではないでしょうに」
呆れたように姑が言った。
「ですから、埒が明かないのです」
母親も溜息を吐いた。
このままでは、堂々巡りだ。
そう思った桜海は、あまり気は進まないが再度二人の意思を確認することにした。
「それでも、はっきりさせる為に彼のお父さんが僕を呼ばれたんでしょう?」
「そうですね」
と、母親。
「お願いします」
姑も合意した。
「わかりました。では、ちょっと、彼の所に行ってみます」
そう言って桜海が立ち上がったので、母親が疑問に思ったようだ。
「ここに居るのではないのですか?」
「はい」
「身体はここにありますのに?」
姑も不思議そうに言った。
「はい。彼は外に居ました。ここに呼ぶにはなるべく彼を一つにまとめなくては無理でしょうね」
「はあ…」
「行って来ます」
今ひとつ腑に落ちないでいる二人の不信感をよそに、桜海は部屋を出て行った。
「それにしても、暑い」
汗を拭くハンカチもすぐに乾きそうな勢いの暑さだ。
木製の扉を開けて、左右を見るが、優斗の姿が見えない。
「うん? どこ行った?」
『誰を探してるの?』
桜海の背後から子供の声がした。
「西山優斗くんを探しています」
桜海は振り返り手で膝を掴んで少ししゃがんだ。そして目線を子供に合わせて言った。
『それって、僕じゃないよ』
『僕かもしれない』
『忘れた』
『わたしかな?』
『私じゃないけど、ここは私の家よ』
「あー、ストップ!」
『えええ?』
ずらりと並んだ優斗が、いっせいにブーイングだ。
桜海は内心、やっぱり引き受けなきゃ良かった、と思いながら気を取り直して話しかける。
「どうして、キミは、そんなにバラバラになってるの?」
『バラバラ?』
「じゃあ、まず、キミは、いつの優斗くんなんだい?」
『ええと…?』
「じゃ、キミは何歳?」
『僕は、9歳』
『僕は8歳』
『私は7歳よ』
『わからない』
『私は6歳なの』
「なるほど」
桜海は、まだ何も話していない優斗に話しかけた。
「キミは何歳の優斗くん?」
『俺? 10歳。昨日死んだ』
桜海は彼が、優斗の死因がわかるとふんで話を続けた。
「じゃあ、何で死んじゃったか、わかってるよね?」
『多分、病気』
「多分?」
『お前、嘘つくな。僕は知ってるぞ』
『そうよ。ずっと死にたいって思ってたじゃない』
他の優斗が口々に言い始めた。
「ちょっと待って。順番に聞きたいからさ。どうして、死にたかったの?」
『僕は、病気で学校にもたまにしか行けなかったんだ』
9歳の優斗が言った。
『行くといじめられるんだ』
8歳の優斗が続けた。
「同級生に?」
『うん。それに、おばあちゃんに怒られるの』
「おばあちゃん?」
『僕は病気ばかりして、家族の生活を壊してるって、お小言を言うんだ』
「それで、死にたかったの?」
『それだけじゃないの。私、病気の治療が辛かったの。注射したり、苦いお薬飲んだりしても、ちっとも治らないんだもの』
7歳の優斗だ。
『早く、病気に負けて死んだ方が楽だと思っていたんだけど、お母さんが、頑張って治そうっていうから、僕、頑張ったんだ』
8歳の優斗が言った。
「ね、昨日の優斗くん、みんな、こんな風に言ってるけど、結局自殺したの?」
桜海がゆっくり確かめるように尋ねた。
『違うよ』
違うとなると原因は言うまでもないと思いつつ桜海が敢えて口にする。
「つまり、病気が悪化してそれで…?」
『違うでしょ!』
『違う!』
各年齢の優斗が一斉に叫んだ。
桜海は思わず耳を塞いだ。
「どういうこと?」
『僕は、病気で死んだという事にしてほしいんです』
10歳の優斗が辛そうに願った。
『私たちまで、それを納得しろと言うの?』
また別の人格が言い争いを始める前に、桜海は尋ねた。
「それじゃ、キミは誰かに殺された?」
『違います』
10歳の優斗が答えた。
しかし、10歳以外の優斗は異議を唱える。
『違わない』
『死なないように頑張っていたのに、僕、そんなの納得いかないよ』
『私だって、嫌いなお薬、ちゃんと飲んだのよ』
桜海は汗を拭きながら溜息を吐いた。
「あのさ、暑いから、家の中に入ろう」
『…』
「お母さんと、おばあちゃんが、キミの側に居るけど、もう、会えるのは最後かもしれないよ」
桜海は少し気の毒そうに告げた。
『おばあちゃん、怒るからヤダ』
「キミは死んじゃって、二人には見えないし、もう何も恐れなくていいんじゃないかな?」
『あの、奥のお部屋嫌いなの』
「じゃあ、どこがいい?」
『二階のベランダ』
『遠くが見えるの』
『ゆり椅子があるんだ』
「じゃあ、そこに運んであげるから、付いて来てくれる?」
桜海がそういうと、ようやく優斗たちはゾロゾロと家の中について入った。
「どうでした?」
母親が恐る恐る尋ねた。
「まだ、話してる途中です」
桜海は、優斗の遺体を抱き起こした。
「何をするんですか!」
『やっぱり、すぐ怒るんだ、おばあちゃんは』
「大丈夫。キミの大好きなベランダに運んであげるから」
桜海は、優斗の身体を抱き上げた。
「ベランダ?」
この家に初めて訪れ、その存在を知るはずもない桜海の口からベランダと言われ、二人は顔を見合わせた。
「二階のベランダがいいそうです。案内してください」
桜海の言葉にゆっくり頷いた母親が先に立ち案内した。
そこは2階だが、家自体が小高い丘の上にあり、建物が密集していないおかげで、周りの景色が一望できた。
「ほら、着いたよ」
そこはベランダというよりサンルームに近いもので、近年になって取り付けたもののようだった。
桜海はベランダの特等席になっているゆり椅子に優斗の身体を座らせた。
一番後から上がってきた祖母は、渋い表情で様子を見つめていた。
『ありがとう』
『ここが、一番好きなの』
『あの遠くに見える山に行ってみたかったんだけど』
「じゃあ、もう一度聞くけど、キミは誰かに殺されたの?」
桜海は優斗を見つめて尋ねた。
「ああーっ」
優斗が答える前に、何故か母親が叫んだ。
「殺された?」
祖母は釈然としない様子だ。
桜海は、二人のリアクションと、心の波動で誰が犯人なのかがわかってしまった。
「優斗くん、わかったよ。他の優斗くんも、昨日の優斗くんの気持ちを考えてくれるかな?」
震える母親の様子を見て、祖母も事態を把握したようだ。
「桜海さん、わかりました。もう、結構です。優斗、すまなかったね。美佐子さんを許してあげて」
「お義母さん」
桜海は分裂していた優斗の霊魂が一つになるのを見つめた。
『僕、もう、病気が苦しくて苦しくて、殺して欲しいってお母さんに頼んだんだ』
「頂いていた睡眠薬を少し多めに…私、私…」
母親は震える両手を祈るように組むが、震えは止まらない。
「そうか。つまり、お母さんに手伝ってもらったんだね」
一人にまとまった優斗が桜海の言葉に頷いた。
「ごめんなさい、優斗」
母親が泣き崩れた。
「でも彼は、病気で亡くなったことにしてほしいそうです」
桜海は改めて優斗の気持ちをはっきりと伝えた。
同時にそれは、桜海には母親の罪を追及するつもりがないということを告げていた。
「すみません。どうもすみません」
母親は桜海の足元で小さくなって詫びるばかりだ。
あまりに謝り続けるので、
「優斗くんの人格は一つになりましたよ。ご病気で亡くされたこと、本当にご愁傷様です」
と、桜海は手を合わせて言った。
祖母は、桜海の配慮に涙をこぼしながら深々と頭を下げた。
「綺麗な景色だね。さようなら、優斗くん」
優斗の魂は遠くへ旅立っていった。
「優斗くんのご冥福をお祈りします」
桜海は泣き崩れた二人を残して西山家を後にしたのだった。
後日。
西山家からの依頼料が、寄付金として桜海神社の口座へ振り込まれた。
姉の礼が桜海のところへ慌ててやって来た。
「ちょっと、凄い金額が振り込まれているんだけど、あんた何かヤバイ事に関わってないでしょうね?」
面倒なお金のやり取りを任されている礼が桜海を追求した。
「うん?」
何の事かピンとこない桜海に、
「西山さんよ。何でこんなにお金を振り込んできたのかしら」
と礼は首を捻った。
「俺にはわからないけど?」
桜海は暢気に答えた。
「だって、ちょっと高めに依頼料を伝えておいたのに、その百倍よ?」
礼は、驚きの内容を伝えた。
「へえ、そう。百倍は姉ちゃん、ぼったくりすぎじゃない?」
お金に関しては礼に任せっきりで桜海はまるで無頓着なのだ。
「あたしが、ふんだくったわけじゃないわ。あんたでしょ?」
「俺は別に。優斗くんの遺言を伝えただけだし」
桜海は、欠伸をした。
「こんなことなら、五千円って言っておけば良かったわ」
「ええ? それは安すぎでしょ?」
「だから、5万円…」
桜海はようやく礼が慌てたポイントに気付き、姉の顔を見つめた。
「…待って。その百倍? ということは…ご、500、万、円…?」
頷く礼を見て、桜海は腰を抜かすように椅子に座った。
「返そうか」
「うん…。でも、受け取っておいた方が平和なのかも」
「どういうことかしら?」
「重要な秘密だから」
「警察官の私に隠し事するの?」
「依頼人と霊の秘密は、誰にも言わないよ」
礼は大きく溜息を吐いた。
桜海は霊の世界において、この世の法律は関係ないというスタンスだ。
そして周囲への影響を考慮しつつも、霊にとっての利得を尊重する主義なのを礼も重々承知しているのだった。
「じゃあ、返すなんて言ったら、秘密をバラされると思ってしまうかもしれないわね」
「うん」
礼は桜海の目を、警察官としてではなく、家族として見つめた。
「わかった。じゃあ、振り込み金額が間違いないかだけ確認して領収書を切るわ」
「よろしく」