見たら分かるやろ
私に転機が訪れたのは高校を卒業してすぐのことだった。たまたま大阪を訪れていた芸能プロダクションの社長に目を付けられ、アイドルを目指して上京しないかというスカウトを受けたのだ。別に芸能界に興味はなかったけれど、東京に行けるという点では魅力的な話だった。東京の大学に落ちて滑り止めでなんとか縋りついた地元の三流大学をあっさり捨て、私はすぐに了承した。
むしろ心配なのは彼女と離れることだったけれど、半年に一度だけの関係とはいえ私という恋人がいるわけだからたとえ言い寄られてもなびくことはないだろうと思えた。彼女はそういう面では信頼に値する。逆に考えれば、あと一歩出遅れていたら私のポジションにいたのは別の女だったということも言えるのだけれど。
上京するとすぐに私は歌とダンス、そして標準語を叩き込まれた。言葉を身につけるのに一番効率がいいのは現地に飛び込んで実践しながら学ぶことだ。私が東京へ来た理由はまさにこれだった。他人にとっては馬鹿らしいことかもしれないけれど、私はあの子をより正確に再現するためだけに東京へ来たのだ。
二十歳近い女をアイドルとして一から育てようとする辺りに多少の胡散臭さを感じてはいたけれど、案の定プロダクションは私のデビュー寸前で潰れた。しかし幸運なことに私はマネージャーが新たに立ち上げたプロダクションに呼ばれ、そこからレッスンを積んで女優としての活動を始めることが出来た。
あの社長は経営能力こそなかったけれど人を見る目は確かだったようで、優秀な元マネージャーの手腕でプロダクションは軌道に乗り、私も少しずつではあるけれどドラマの端役などがもらえるようになってきている。
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午後6時。彼女は時間ぴったりに私の部屋を訪れた。
「しばらくぶり。元気だった?」
「見たら分かるやろ」
相変わらず素っ気ない返事に私は安心する。元気そうで何よりだ。上着を受け取ってハンガーに掛ける。
「ご飯まだでしょ?今用意するから」
「どのくらいかかるん?」
「一時間くらいかな。寝てていいよ」
「ならそうする」
それだけ言うと久はソファーに横になり、そのまま寝息を立て始めた。どうせ今夜は眠らないのだ、構わないだろう。
いくら新幹線が速かろうと数時間同じ体勢での旅は疲れるものだ。だから寝る時間を確保するために私は決まって彼女がやって来てからのんびり夕食を作り始めることにしていた。仕事柄食事は適当に済ませることが多いので、こういうときでもあまり手の込んだものは作れないのだけれど。
半年に一度のこの機会のためだけにお金を貯めて大きめのソファーを買ったことを私は後悔していない。彼女にとって私のベッドは眠るための場所ではないらしいから。
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目的は果たせたわけだから、プロダクションが潰れた時点で地元に戻るという選択肢はもちろんあった。けれど私はそれをしなかった。もし地元に戻って“半年に一度”の均衡が崩れたら――そう思うと帰れなかった。今のままでもあと数年は確実に彼女との関係が続く。だが不用意に近付きすぎれば決定的な別れが訪れてしまうかもしれない。そうなるくらいならこのままでいい。
けれど関係を壊したくないと思う一方で、盲目的に彼女だけを愛し続けることの難しさにも気が付き始めていた。どれだけあの子を演じても彼女が私を見ることはなく、少しでも望みがあるのならとしがみついたあの頃の若さは今の私にはない。
だから私は他の女に抱かれることもあったし、気まぐれに男に抱かれてみたりもした。彼女以上に好きになれる人間は今のところ現れていないけれど、少なくとも彼女に抱かれているよりは快感を得られる。正直なところ知識がほとんどなくまた入れるつもりもないらしい彼女の触れ方はお世辞にも上手いとは言えなかったから、私は声の他に“感じている”演技もしなくてはならなかったのだ。彼女はおそらく私の演技に気付いていたけれど、それについて言及することはなかった。もともと偽りの関係なのだ、それが当然。
“本当”を求める必要なんてないのだから。