考えんとこうや
第1章完結です。
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「友達やから優しくすんの?それだけやないんとちゃう?」
「それ以外何があるんよ。あたしとあの子は友達――」
「今そんなこと聞いてない」
雪乃はもう一度その問いを口にした。
「なあ、ほんまにそれだけなん?久ちゃんがあの子に優しくする理由」
――違う。それだけじゃない。
涙腺が緩むのを感じて、あたしは両手で顔を覆った。
「……そしたら、あの子をあたしだけのもんに出来るかもって」
傷付いたところに優しくして、付け込んで。そうやって今度こそあの子の“たった一人”になりたかった。出来ることなら誰の目にも触れないところに閉じ込めて、あの子の目にあたしだけしか映らないようにしてしまいたかった。そういう最低な下心が確かにある。どうしようもなく悔しいけれど、それがあたしの本性だ。
「私もおんなじよ」
雪乃は腕を緩めて、あたしの前に立つ。
「あわよくば私だけのもんにしてしまおうって、そういう下心含みで優しくしとるだけ」
雪乃はあたしの手をそっと掴んで下ろさせる。シャワーを浴びてきたばかりだというのにひどく冷たい手は雪乃の緊張を示していて、それでいて底知れぬ優しさをはらんでいた。その言葉が強がりでしかないことを分かっていても、縋ってしまいたくなる。
「……なあ」
「なに?」
何でそんなに優しいんよ、という言葉は飲み込んだ。答えなんてわかりきっている。
「あたしのどこがそんなにええの」
だから純粋に気になっていたことを訊くと、雪乃はくすくすと笑った。
「面倒臭かったんとちゃうの?」
決まりが悪くてそっぽを向く。
「……一個だけなら聞いたる」
そうやねぇ、と雪乃は少し考えた。
「――優しいとこ」
意外な答えにあたしはきょとん、として色素の薄い瞳を見下ろした。
「案外普通やな」
「そう?」
「っていうか、あたしそんな優しいか?」
「間抜けなくらいお人好し。そんなんじゃ絶対損するで」
雪乃はあたしの鼻をつついてみせる。このあたしがお人好しだというのだろうか。こいつ以上に?
さっきの話やけど、と雪乃は微笑んで言った。
「心ん中で色々やましいこと考えとっても、結局何もせんのやろ?」
「……そんなこと」
「あるよ。めぐみちゃんが自棄起こして『抱いて』言うたって、久ちゃんは全力でそれを止める」
めぐみはそんなこと言わないだろうけれど、もしそうなれば本当にそうするだろうなという気がした。雪乃が言うならそうなのだ、きっと。
「大事になればなるほど自分を抑えてしまうんよ。けどそれやったら、久ちゃん自身を受け入れるひとがどっかにおらんとあかんやろ」
だからなるというのか。雪乃が、あたしを受け入れる存在に。でも、それでは。
「……なら、雪乃を受け入れるやつは?」
それはあたしではない。つまり、雪乃の行き場はどこにも――。
「要らんことは考えんとこうや」
雪乃はあたしの頬を両手で挟んでじっと見上げる。
「久ちゃんは何も考えんと私を利用して。それでおあいこ。……せやろ?」
何もかも包み込むような瞳に吸い込まれて、あたしは促されるままその黒髪に触れる。高校に入った時は茶色かった記憶のあるそれは、今はあの子と同じ色をしていた。
「“めぐみ”……」
雪乃は一瞬切なそうに眉根を寄せたが、すぐに微笑んでみせた。
「……そう。それでええ」
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あたしは彼女を抱いた。耳元であの子の名前を囁きながら、貪るように求めた。知識などないから手探りと、本能で。
目は合わせなかった。あたしの視界に映るのは乱れる黒髪と紅潮する白い肌だけだ。ひぃちゃんもっと、と強請るあの子に似た声を敢えて無視して、焦らして。そうするときっと泣き虫なあの子は涙に濡れた瞳であたしを見上げるのだ。色素の薄い透けそうな瞳ではなく、夜空のようにきらめく底の見えない瞳で。
そんなことを想像して仮初めの興奮を得て、その事実に嫌悪した。もしあの子をこの手に収めたとして、あたしはきっとこんな風には抱かない。目一杯優しくして甘やかして、絶対に嫌な思いなんてさせない。けれど今のあたしは一匹の雌でしかなかった。それは目の前の相手があの子ではないことを心の底でちゃんと理解しているからだ。
想いが届かぬままあの子の振りをして抱かれる彼女も、それに罪悪感を覚えながらあの子への未練を捨てきれないあたしも、どうしようもない馬鹿だった。
お互い傷付け合って、ボロボロになって。そんな関係でも構わなかった。それで一時でも満たされるなら。
**********
離れようとした瞬間ありがとう、という呟きが聞こえた。あの子のものではなく確かに雪乃の声で。ごめん、と言いかけてやめた。そんな言葉を望んではいないだろう。あたしは何も言えずに唇を噛み締める。
「……血ぃ出るよ?」
雪乃が絡めた指をほどいて唇をなぞる。この状況下でもまるで聖母のようにやわらかく微笑んでいた。いっそもっと溺れてしまおうか。その優しさに。
あたしは止まっていた指を再び動かし始めた。そうするとまたあの子の声で彼女は喘ぐ。抱いているこの瞬間だけは全てを忘れていられる。これは麻薬だ。あたしは多分、もう彼女から離れられない。彼女があたしから離れられないのと同じように。
たとえ傷の舐め合いだとしても、今だけは。
――あたしは彼女を愛している。