嘘ちゃうで
「――今日、誰もおらんから」
父と母は法事に出ていた。まるで狙い済ましたかのように。終電間際に帰って来るらしいからあと数時間はあたし一人で過ごすはずだったのに、完全に当てが外れた。
初めて家にやってきた雪乃は物珍しそうに中を見回している。学校から直接来させたので荷物は学生鞄だけだ。これなら泊まるとは言い出さないだろうと踏んでの判断だった。とはいえ現在の時刻は午後5時。“そういうこと”をするのに十分な時間が残されているのも事実だ。
「ちょっと待って。今片付ける」
二階に上がってすぐ右側のドアの前で雪乃を静止する。
「そんなん気にせんよ。いきなり押しかけたんはこっちやし」
雪乃はそのままあたしの部屋に上がりこんだ。
「――なんや、ちゃんと綺麗にしとるやん」
「気分の問題よ。見られたくないもんとかあるやろ、色々」
言いながら机の写真立てを倒そうとした手は雪乃によって阻まれた。
「ええよ、わざわざ私に気ぃ遣わんでも。めぐみちゃんの写真やろ?」
見透かされている。あたしはしぶしぶ写真立てを放す。ライトブラウンのフレームの内では、セーラー服姿のあたしとめぐみが二人並んで笑っていた。
「中学の卒業式?」
「……ああ」
そう、あの子がまだあいつと出会う前の。そんな思い出をまだ大事に抱え込んでいるあたしは、見た目とは裏腹にひどく女々しいらしかった。
「やっぱりちょっと妬けるかも。大事やってんね、あの子のこと」
雪乃は少し寂しそうな笑みを浮かべたが、それを振り払うように明るい声を出した。
「ごめん、湿っぽくなったな。なぁ、シャワー貸して?一応初めてやから綺麗にしときたい」
あたしはぎょっとした。
「は、初めてって……それどういうこと!?そんなこと一言も……」
焦るあたしとは対照的に雪乃は一切表情を変えない。
「言ったら久ちゃん尻込みするんとちゃうかなぁって」
そんなところまで想定済みだった。本当にあたしのことをよく見ている。
「っていうか『結構得意やってんで』とか言っとったのは――」
「声真似の話。別に抱かれ慣れてるわけちゃうよ。これでも私は真面目な女子高生やで?」
しれっと言ってのける。おそらくそう誤解されることも計算に入っていたに違いない。食えない女だ。
「マジで経験ないんか……なんか意外」
「そんな遊んでるように見える?」
そこまで言ってない、とあたしは首を振った。
「今まで彼氏おらんかったんやなって。そんなに綺麗やのに」
素直な感想を洩らすと、雪乃はぱっと顔を綻ばせた。
「……嬉しい。綺麗って思ってくれてたん?」
「いや、それは……」
まずい、口が滑った。どんどん奴の手中に嵌っていっている気がする。
「久ちゃん」
雪乃は真面目な顔を向ける。
「好きになったんも抱かれたいって思ったんも久ちゃんが初めてよ。嘘ちゃうで」
改めてそう言われてあたしは面食らってしまった。そこまで想われる要因は今になってもさっぱり分からない。やはりさっき並べ立てさせておけばよかった、と少し後悔した。
「シャワー、どこ?」
「……下に降りて、廊下の突き当たり。タオルは置いてあるから」
「ありがとう」
雪乃は微笑んで部屋から出て行った。
あたしはベッドに倒れこんだ。
「……ヤバい、どうしよ」
身体目当てだと分かれば勝手に嫌ってくれるだろうと、そう思ったあたしが浅はかだった。雪乃は多分、それを分かった上で『何でもする』と言ったのだ。最初からこうするつもりで。
「くそ、嵌められた」
やられた、完全に。頭のいい女だとは思っていたけれど、まさかここまでしたたかだとは思わなかった。いや、あたしを選んだという点においてだけは、あの女は間違いなく馬鹿だけれど。
この展開を回避する術は果たしてあったのだろうか。今となっては何を言っても後の祭りだけれど。
あたしだって、好きでもない奴を抱く趣味なんかないはずなのに。
――どうしてこんなに、雪乃の帰りを待ちわびているのだろう。