好きやったんやろ?
――駒沢めぐみは、不器用ながらも一途な女の子だった。
高校入学当初から隣のクラスの男子生徒を想い続けておよそ一年、今日それがやっと実を結び二人は付き合うことになったらしい。
「――お似合いやんな、あの二人」
そう言ってあたしの隣に腰を下ろしたのは雪乃だった。あたしが教室を出た時点で帰り支度は済んでいた気がするが、今になってようやく出てきたようだ。
「スカート汚れるよ?」
もう手遅れだろうけれど一応注意してやる。体育館裏の一角であるここは、足下が砂埃を被っているうえ数十センチ先は湿っぽい土だ。
「そんなん言うたら久ちゃんもおんなじやろ。ええよ、後で払うし」
「……それもそうか」
もっと言えばあたしは上履きのままだった。外から回ってきたらしい雪乃は革靴を履いている。あたしだっていつもならそうしていたはずだった。
「――で、何よ今更。そんなん付き合う前から分かってたことやろ」
お似合いの二人。きっとこのまま結婚まで行ってしまうのだろう、という予感があった。絶対に上手くいくと思ったからこそあたしはあの子の背中を押したのだ。
「あらためて並んでるとこ見たらやっぱりええなぁって。久ちゃんが応援すんの分かる」
しみじみとした口調で雪乃は言う。ということは一緒に帰る二人を見たということなのだろうけれど、それなら何故わざわざこんな所へ寄ったのだろうか。いつもならHRが終わるとさっさと帰っていくくせに。そもそも何故あたしが応援していたのを知っているのだろう。表立って行動していたつもりはないのだけれど。
訝るように視線を上げると、色素の薄い向こうが透けそうな瞳が真っ直ぐあたしを見つめていた。
「お似合いやな、あの二人」
雪乃はもう一度言った。今度は独り言でなく、はっきりとあたしに対して言っている。
「あたしが分かっとらんとでも言いたそうやな」
「分かってるとは思う。けど何となく気に入らへん。私にはそんな顔に見える」
「そんなわけあるか。親友が幸せになってんのに」
雪乃は首を傾げてみせる。
「じゃあなんで独りでこんなとこおるん?」
日の光の当たらない、あの二人が絶対に通らないような場所。あたしはわざわざそこを選んで放課後をやり過ごそうとしていた。
「雪乃には関係ない」
「あるよ。私ら友達やん?」
雪乃が笑って顔を覗き込んでくる。
嘘を吐け。その態度が上っ面だけなのは最初から薄々気が付いていた。友達だなんて微塵も思っていないことくらい分かる。
「納得出来ん、って顔やね」
当たり前だ。放っておけばいいのにどうしてあたしに対して友達面をしたがるのだろう。
「まあそうやろな。私はあの子には勝てん」
雪乃はそう呟いて足下を見下ろした。そう、あたしの親友はめぐみ一人だ。雪乃なんかではなく。それはこれからもずっと変わらない。
あたしとめぐみは保育園の頃からずっと一緒だった。東京から引っ越してきて友達のいなかったあの子に声をかけたのがはじまりだ。明るくて純粋で、けれどひどく不器用で泣き虫なあの子をあたしは放っておけなくて、ずっと面倒をみてきた。あの子はいつもそんなあたしの後を“ひぃちゃん”“ひぃちゃん”とくっついてきたものだ。
――ひぃちゃんあのね、わたし好きなひとが出来たの。
けれどあの子はいつの間にか大人になっていて、一人の男を好きになって、転んだり泣いたりしながらも自分でその恋を掴んだ。もうあたしがいなくても立ち上がれるようになったのだ、あの子は。
「小野寺くんはええ人よ」
「……ああ」
無愛想な奴、という印象だった。けれどあの人の時々見せる優しい目が好き、めぐみはよくそう言っては桜色にはにかんでいた。そんなあの子に小野寺が意識を向け始めたのは至極当然の結果かもしれない。
あの子は可愛い。それはあたしが一番よく知っている。
「なぁ」
「何」
「少しくらい泣いてもええんちゃうの」
あたしは雪乃の顔を見上げた。友達を気遣うような表情を浮かべているその顔を。演技が妙に上手いからかえって癪に障るけれども、それを表に出すような大人気ない真似はしない。
「何であたしが泣かなあかんの」
「何でって、好きやったんやろ?」
雪乃は目を細めて微笑む。
「……あほ。あたしがあんな年中仏頂面の男好きになるか」
ちゃうよ、と雪乃はあたしの唇に人差し指を当てた。
「めぐみちゃんのこと」
じっとあたしを見つめる雪乃の瞳。その見透かすような視線からあたしは目を逸らして笑った。
「めぐみって……あんなぁ、こんなんでもあたしは一応女やで。馬鹿にすんのも大概にしぃよ」
あたしは髪が短くて、目もどちらかというと吊り目で、おまけに背が男並みに高かった。街を歩けばまず間違いなくナンパされる。男じゃない、女にだ。
「馬鹿になんかしてない」
「じゃあ何よ」
「そのまんま。男か女かなんて関係ないよ。女の子が女の子を好きになって何が悪いん?」
長い手足に整った小さな顔、くびれた腰、極めつけは適度に肉のついた胸と尻。そんな男を寄せ付ける典型のような身体をしていながら、雪乃はさらりと言ってのける。
「泣けばええやん。そのためにこんなとこまで来たんやろ?大丈夫、今ここにおんのは私だけよ」
その全てを分かっているかのような物言いにあたしは笑みを消した。
「――お前にあたしの何が分かんの」
まだ出会って一年足らずで、過ごした時間はあの子の十分の一にも満たないくせに。
「心ん中じゃ友達なんて思ってないやろ、あたしのこと。そんなやつにあたしの気持ちが分かってたまるか」
少しの沈黙のあと、雪乃がぽつりと呟いた。
「……分かるよ」
「あぁ?なんでよ、言うてみ」
目を伏せたまま雪乃は続けた。
「――私、久ちゃんのこと好きやもん」