{結}
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あれから周囲の評価は一転した。
優しい声をかけてくれた人たちは皆目を背け、恐怖に駆られた視線を向けた。
ふと思い立って町に行き、石を投げられたこともある。振り返れば誰もが目を背けた。 その中に震えながら子供を抱きしめる女性がいた。一瞥しただけで必死に頭を下げるそれがみたくなくて何も言わず去った。
妖怪だ、と襲いかかってきた者もいた。一撃で撃退した。力を隠す必要はもう無い。
その後妖怪が人に手をかけたと噂が回った。
家もなくなった。襲いかかったような血気逸る者がしたのか、あの日に壊れたのか。
残っていた私物を掻き集めその日以来街では過ごしていない。
もっと早くに手を出していれば平気だったのかもしれない。被害が出る前ならば。だが遅かった。人を見捨てた、人を殺すためにあえて手を出さなかったと噂された。それが迫害に拍車をかけた。
綺麗だと言われた黒髪は血に濡れたあの日から赤く染まったままだ。
洗っても、洗っても、色が抜けなかった。
きっとあの日、血に塗れた自分の姿が街の人たちの目には焼き付いたのだろう。どうしようもなく印象づいたのだろう。
妖怪は人の心から生まれる。ならばこの地の人の思いから生まれた自分がそれに左右されるのは当然のこと。ましてあの街に人間なら尚の事。
あの日の血の色が抜けきらないのは“そう”だと人が決めたということ。血に濡れた姿が人の目に焼き付き妖怪である自分の姿だと認識された。
どうしようもなく鮮やかな朱い髪の妖怪。
その姿から次第に「朱」の妖怪と呼ばれるようになった。せめてもの慰めは血の赤でなく鮮やかな紅であったこと。
鈴の音は恐怖の音とされた。
自分が鈴を付けていることは既に街に知れ渡っていた。その音が目印に声をかけられたこともあった。
だからこそその鈴の音は「朱」の妖怪の存在を示す証として扱われた。
聞いた話では「鈴の音がしたらすぐに逃げろ。傍に化物がいる」とされたらしい。
事実、こっちに気づいてないはずの人間に鈴の音を聞かれ逃げられた。
美しいと言われた音は恐怖の音となった。
少女は森の入り口近くに座っていた。街を見渡せる位置だ。
あの日妖怪に潰された街は既に復興が進んでいる。壊れた場所は再建が進み、元の街並みを取り戻そうと人が蠢いている。
その街に少女の家はない。その人波に少女の姿はない。
そんな街を少女は見る。
ずっと少女はこの森の中で生活している。
元々はこっちにいたはずなのに色々と不便を感じた。それほど人の中での生活に慣れていたのだ。
だが、もう戻るわけには行かない。少なくともあの街には。
区切りをつけるように一息つき少女は立ち上がる。
近くで音がした。
見れば子供がいた。どこか見覚えがある。
「何かよう?」
子供は近づいてくる。
顔にどこか恐怖を浮かべながら子供の足取りは確かだ。
「えっと、その……」
子供は何か言いたそうにして口をつぐむ。
かつてしていたように、目線を合わせるために少女はしゃがむ。
なぜ怖がらないのか。
少女が疑問に持っていると決心がついたのか子供は言う。
「助けてくれてありがとう」
何のことかと少女は首をかしげる。
「この前、妖怪が来た時に」
「……ああ」
言われ少女は思い出す。妖怪の前に行く途中で子供を一人助けた事を。
そういえば確かにこの子供だった。
「怪我はなさそうでよかった」
そういえば、と少女は言う。
「私のこと怖くないの?」
「多分……」
その曖昧な答えがおかしくてつい笑ってしまう。
「何よ多分って」
「友達は皆怖いって言ってた。でも、助けてくれたからあんまり怖くない」
子供は困ったように言う。自分自身よくわかっていないのだろう。
「おねえさんは誰なの?」
「誰、か」
どう答えるべきか分からなくて少女は悩む。
「お母さんたちには教えられなかった?」
「妖怪だって言ってた。『朱』、『朱』って。いい子にしないと『朱』が来るって」
自分の扱いに少女は苦笑する。よくもそこまでなったものだ。
「おねえさんは妖怪なの?」
「そうだよ。一応ね」
誰? の問にそうとしか答えられ得ない。
少なくとも人でないことは確かだ。
「でもおねえさん、あのおっきいのと違う」
「あれは患の亜種みたいなものだからね。そりゃ違うさ」
「かん? じゃあおねえさんは何ていうの?」
「あー……」
少女は小さくうめき声を上げる。
「そういやさ、こんなとこ来て大丈夫なの。親が心配してるんじゃない?」
誤魔化す様に違う話題を口に出す。
子供はバツが悪そうに顔を下に向ける。
「多分……」
この様子では親は子がここにいることを知らないのだろう。
子供故の猪突猛進。妖怪がどうだと噂されている今、大人なら森には来ないだろう。
だからこそ、ここに来たのかも知らない。
話を変えることが出来た事に少女は安息する。
「黙ってきちゃったの?」
「うん。会うなって言われたけどおねえさんにお礼言いたかった」
「会っちゃダメなんじゃないの」
「うん。でも、助けられたらお礼はちゃんと言うもんだって昔お母さんに言われた」
「で、注意無視して来たと」
無言で子供が頷く。
まったく真面目なことだと少女は感心する。今頃親は探し回っていることだろう。
「早く言わないと、ずっと言えない気がしたから」
「感がいいね」
その通りだ、と暗に肯定する。
明日になればもうこの子供と会うことはなかっただろう。
「おねえさんどこか行くの?」
「その予定だよ。ここにはいられないから」
ふと、不思議そうに子供は言う。
「おねえさんって妖怪なんだよね。人をおそわないの?」
「ん?」
どういうことかと聞き返す。
「妖怪は人を食べるって皆言ってた。おねえさんはぼくを食べるの?」
「いや、食べないよ」
「人を食べないの?」
少し、答えに詰まる。
どう答えても正しくなく、何を言っても間違えな気がする。
だから、口から出たのは無難な答えだ。
「……食べようと思うえば食べる。お腹が空けば、それを満たす一つの選択肢ではある」
「食べるの?」
「そういう時もあると思う。けど、普通は食べない」
よくわからなそうに子供は首を傾げる。
「人を食べたことないの?」
「……まあね」
「それって妖怪なの?」
言葉に、詰まる。
自分の行き方が歪なのはとっくの昔に理解している。
妖怪のくせに人の中で生きようとし、力を隠して生活した。
その結果迫害された。
だがそれでもやり返そうなどとは思わない。
混じって生きた中で死体の肉をかじった事はある。けれど生きた人を襲ったことはないしそれ以来人肉を食べたこともない。そもそも齧っただけで飲まずに吐き出した。特に食べたいとも思わない。
だからこそ答えに詰まる。
子供はじっと答えを待つように少女を見る。
その視線を紛らわすように少女は手を挙げ、子供の視線が移ったのを見て何とはなしに子供に向けて指を廻す。
グルグル、グルグルと。
答えの出ない自分の心境を表すように。
「とぅ」
子供がその指を捕まえる。
子供は捕まえた指を何度も握る。
「……やっぱり人みたいだ」
あー、と少女は内心で呟く。余計面倒になった。
ぷにぷにと触り続ける子供はふと、視線を少女の腰元に向ける。
「それ、何?」
指を離し子供が言う。
指差された先、少女の腰元には赤黒く染まったままの鈴がある。
軽く腰を動かしてやると、チリン、と音が鳴る。
「『朱』の鈴だ」
子供が言う。
鈴だとわからなかったのだろう。ここまで変わっていればそれもしょうがない。
これはあの日の―――
「――ああ」
ふと悟る。
腰元の鈴を手に取り少女は顔の前に持つ。
何をするのかと見る子供の前で少女は口を開き、
それを噛み砕いた。
「あ……」
子供が小さく声を上げる。
少女は口に入れた鈴を噛み砕く。
ガリッ。
パキッ。
鈴が砕ける。
砕け散ったその破片。血のこびり付いたそれを嚥下する。
破片が歯茎に刺さり喉に引っかかる痛みを無視して飲み込む。
あの日の証を胃に収める。
人の死を、業を喰らう。
「私が誰かって、聞いたよね」
少女は立ち上がる。
唖然としている子供に向かい少女は言う。
だから、笑ってそれに答える。
「私の名前は紅美鈴。人喰いの妖怪だよ」
真紅の髪をした恐怖の『朱』の妖怪。
かつて『美しい』とされ恐れられる『鈴』の音が告げる妖怪。
敬意でも尊称でも愛称でもない。侮蔑と恐怖で肉付けされた名。
今日の日をいずれ風化させる自分に、今日の日を忘れぬと刻む名。
自らを名づけた少女――美鈴はそう子供に告げた。
「紅美鈴……」
子供が告げられた名を呟く。
それを聞き美鈴はひどく自分の身が軽くなっていることを理解する。
名はその存在を縛る。在り方が実体でなく精神に重きを置く妖怪は一層それが強い。
元々が街の人間の思いから作られた美鈴はその存在の大半を街の人間に縛られていた。
だからこそ自分自身で名を付けるという事はその縛りからの開放を意味する。今なら何の問題もなく街から出て他の場所に行けるだろう。
そしてそれは同時に今の瞬間を始まりとして縛るということ。
決して元の黒髪には戻らないという事だ。
「妖怪っていうのはさ」
ふと思い立ち美鈴は子供に言う。
それは今回の事件を通して知ったことであり、自分で決めた思い。
「妖怪っていうのはさ、心で生きてるんだ。何せ人の思いから生まれたものだからね。だからどんな形であれ、強い妖怪ってのは我が強いんだと思う。私はさ、自分がよければいいって思いを貫くよ。助けたければ助けて、見捨てたければ見捨てる。信じたかったら信じて、裏切られたらそんな自分を笑う。“そうした自分”が「悪い」「良かった」。そうすれば何があっても納得できるから。全部独りで廻る、酷く完結的」
善意や悪意を人に預けない。何を思っても自分の為だと思い続ければ良い。
大事なところを預けてしまうから傷つくのだ。なら、最初から預けなければいい。
支え合う、のではなく勝手に手を貸す。
思うままに動き感じるままにする。相手のことを思っても自分勝手に思う。
今日のこともきっと、今までのこともきっとそうして風化し、いずれそんなだった自分を笑うのだろう。それを忘れぬために名を刻んだ。
「――だからきっと、私はとても身勝手な生き方をしていくんだと思う」
今だってそうだ。自分を構成していた『思い』の中には悪意以外もあった。あの街で出会った人。中年男性やお得意様の店の店主に老医者。それに目の前の子供。自分を思ってくれる善意の思いを切り捨てた。自分を縛る鎖でしかないと断ち切った。
することは今までと同じ。けど心は違う。
傷つけば泣くだろう。けれど次の日にはケロッとする。
義を見れば手を貸すだろう。そうして共に泣く。
裏切られれば悲しむ。気が向くまで思うがままに悲しんだ後忘れ次を向く。
したい事を好きにして思うままに感情を揺らす。
どんなことがあっても心の底、「芯」を人に預けない。
言うならば壊れ歪んだ楽観主義で刹那主義。どこまでも自分に従う。
そんな生き方を美鈴はしていくだろう。
「……よくわかんない」
首を傾げ子供が言う。
それもそうか、とつい美鈴は笑ってしまう。
軽く息を吐き美鈴は荷物を持つ。
「どこ行くの?」
子供が問う。
「取り敢えず隣の町に向かうよ。美味しそうなものでも食べて、面白そうな事をする。鍛冶屋とか整体師とかにも興味あるかな。気が向いたら弟子入りでもしてやると思う。そういや東の方に妖怪の楽園があるとか聞いたっけ。面白そうだし行ってみようかな」
美鈴は続ける。
「それに技も鍛えなきゃ。代わりに強さの証明もしなきゃいけない。色々強そうなのがいたら喧嘩売ろうかな。でも死ぬの嫌だしその時考えよ。刀術や槍術、弓術も面白そうだしいつかやってみよ」
先は長い。人と違い数百年は生きられる。
人の術を、業を身につけたいと妖怪として異端の思いを美鈴は思う。
その有用性を知っているから。
「いいなー」
「でしょ。きっと楽しいよ」
子供が羨ましそうに言う。大抵の人間は一つの地で生きて死ぬ。この子供が外に出ることはあるのだろうか。
「多分君と会うのもこれで最後だと思う」
「えー」
不満げに言う子供の頭を美鈴は撫でる。
「文句言わないの。元気でやりなさいよ」
「……はーい」
よし、と美鈴は子供の頭を軽く叩く。
足を後ろへ向け子供に背を向ける。
「じゃあね」
「ばいばーい!」
手を振る子供に見送られ美鈴は歩き出した。
森の中を歩き美鈴は歩く伸びをする。
「取り敢えず付いたら道場に殴り込みかな。弟子入りかも。強い奴倒して、妖怪も倒して。武術の強さの証明をしよう」
これからの事を思いながら美鈴は歩く。
「五神山にも行ってみたいな。蓬莱も見てみたい。西の方にも行きたいし東の楽園も見たい。何があるかな」
赴くままに、楽しみを胸に抱き美鈴は言う。
「とりあえず、隣の町に早く行こう」
それからの数百年、美鈴は様々な地を巡る。
人の様々術を学び、業を身につける。
達人や妖怪に喧嘩を売り勝ち、時には負けていく。
東の地で“化物”に出会い屈服させられ心を探られ、挙句に西の鬼の下に付けられる。
その中で少し、美鈴は思いが変わる。
そんな日々を過ごすが、それはまた別の話。
終わり