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紅美鈴過去話  作者: 七織
紅のキオク
2/6

{承}

{承}




 それから暫く時間が流れた。

 少女は養生の日々を過ごし、暇な時間は町を出歩く。 医者からの要請で病院の子供の相手をすることもあった。

 時間は急速に少女の傷を癒していった。


「化物だな」


 解かれた包帯の下から現れるのは少女の腕と指。

 無駄を知らず整えられ触らずとも張りを伝える細い腕。荒事を知らぬ、では無く知った上でなお傷を思わせない細くしなやかで長めの指。

 少女は自由になった自分の腕を軽く動かす。僅かに肌が引き攣るような痛みが走る。

 まだ鈍い痛みと違和感があるが動かす分にはそこまで問題はない。


 一本ずつ指を折り曲げ、開いていく。自分のものでないような違和感が少しあるがこちらも支障はない。

 精密な動きはまだ出来そうにないが動かす分には問題ない。

 ズタボロに引き裂かれ、捻じ曲げられ、肉の芽を咲かせていた腕。砕かれていた指。

 その回復を持って医者は断言する。

 化物だと。


「一月経ったか? 普通完治まで半年以上。いンや、本当の意味で完治する方がおかしい傷だ。常々思ったが化物だな嬢ちゃん」


 少女は曖昧な笑顔で笑う。そんな少女の反応に眉根を寄せたまま医者は神妙な顔で包帯をとっていく。眼帯は先日既に外した。今残っているのは特に傷が深かった部分だけだ。傷んでいた漆黒の髪もその美しい艶を取り戻している。


「まああれだ、金さえ払って貰えりゃ変なことしない限り何も言わねぇよ。患者だしな」

「ありがとうございます」

「多くの患者見てきた。世の中色々あるくれぇ知ってるよ」


 一体どこまで検討をつけているだろう。

 少女は老医者を探るように見るが、せんなき事だとその考えをやめる。

 黙っていてくれると言うのに態々つついてみるのは余り賢いとは言えない行為だ。

 勘違いであろうと、実態にたどり着いていようと、少女からしたらどちらでもいい。

 今までの付き合いでこの老医者が無闇矢鱈と言いふらすような人物でないことを少女は知っている。

 害がなければ不干渉。治療以外には深入りしない。悪く言えば見て見ぬ振り。知れば自分が巻き込まれるという故の身の保全。そんな人間だ。


 包帯の解かれた自分の肢体を少女は見る。傷のあとはもう殆ど見受けられない。

 だがそれとは別に傷の深かったところはまだ意図的に包帯が残してある。

 傷の程度に合わぬ余りにも早い治りは対外的には奇妙に映るだろう。

 どの程度の意味があるか知れぬがそれを少しでも誤魔化すための物だ。


「念のため暫くは定期的に来な。経過を見る」

「分かりました。今までありがとうございます」


 少女は立ち上がり小さく一礼する。


「時間はかかってもいいが金は忘れるな。でなければ小僧が嬢ちゃんを殺しに行くぞ」


 医者とは思えぬその言い分につい少女は笑ってしまう。あの男ならばやりそうで困る。

 一応とは言え命の恩人とも言える男に少女も借金を押し付ける気はない。ちゃんと払うつもりだ。

 少女はその意思を伝え、最後に軽く一礼して退院していった。




 ――凛。

 少女の動きに合わせるように腰の鈴が鳴る。


「やってるなー」


 この町には拳法の道場がいくつかある。

 類で大げさに分ければ内家と外家由来のもの。大げさに言うならば技を鍛えるものと体を鍛えるもの。ここまで言えば嘘ともいえるが柔と剛。

 だが別と言えるものでもない。内家の中には外家もあり、外家の中には内家もある。

 違いがあると言うものもいれば、違いなど真実というものもいる。細かく説明すると長いが明確な区分のある二つ。

 ここはその内の一つ、町のややはずれにある内家拳の鍛練場。

 あるのは一つの道場。そして柔らかな草が生えた、森へと面する草場。

 そこに少女はいた。


 簡素な板敷の道場。中では人々が良く分からない動きを思い思いにしている。人の比率としては男が多く子供もそこそこ。

 誰かの踏み込みと同時に床が微かに振動する。上から吊った袋に誰かが拳を打っている。

 そんな中を少女は興味深そうに覗く。そんな少女にふと声がかかる。


「何か用ですか?」


 振り向いた先にいたのはあの日の中年男性だ。

 こっちを見る彼は一瞬眉根を寄せ、思い出した少女の姿に驚く。

 そういえばこの人もここだったことを少女は思い出す。


「あんたか。あの時は分からなかったが美人だな。怪我は治ったのかい?」


 知り合いだと分かり一転、砕けた口調で中年男性が言う。

 少女の姿は中年男性が初めて見た時とひどく変わっている。包帯だらけで隠れていた肌や顔も今は見える。

 真っ直ぐな長い漆黒の髪を靡かせ女性としての印象を強く第一に与える。

 その髪に包まれた体は発達しきる前の未成熟さと年相応に育った柔らかさからの丸みを帯びた細く長い流麗な曲線。

 健康的な血の巡りを思わせる肌は触れずとも理解させるそのしとやかな張り。

 容姿は発達途中故の綺麗さに寄った可愛さとの分かれ目の柔和さ。人によっては中性的とも言うかもしれない。

 服は女性にしては重ねの少なく、刺繍も余りされていない安物だが簡素な長衣。変に飾らないさっぱりとした単調な印象。

 重傷人からのそのイメージの差に驚いたとしても不思議ではないだろう。


「ええ、まあ」


 向けられた奇異の目にまあしょうがないだろうと少女は曖昧に答える。

 本来なら疑問を思うが中年男性は少女の傷が実際どの程度なのか知らない。

 少女の態度に疑問を覚えながらも傷はそこまで酷く無かったのだと彼は納得する。


「何か用か?」 

「えーとですね……」


 道場の中を少女は見渡す。


「あいつ殴りにきました」


 そして目当ての人物を見つけ指を指す。指差した先、すぐ傍まで来ていた相手が声を出す。


「あいつ呼ばわりとはいい気だなおい。鈴の音が聞こえたから来たが、喧嘩売ってるのかお前」


 鍛錬の熱を汗に浮かばせ男が嗤う。

 男は少女が道場に入ってきた時点でこちらに気づき歩いていた。

 少女もそれがわかった上で言ったのだ。これからのことを考えてそっちの方がいいと。

 少女の考えは正しく男は挑発的な目で少女を見る。


「で、いきなり喧嘩売るとはどういうことだ。殴り込みか?」


 それに少女は口端を曲げる。

 馬鹿にするように、嘲笑うように。

 相手の誇るそれを軽んじるように。


「ええ。治ったら遊んでやるから来いって言われましてね。どこかの『自称』強い人に」


 今日来たのは正しく殴り込みだ。それもこの男個人に対しての。

 武自体に興味が少しあったのもある。正確にはたくさんあるうちの一つだが。

 どうせ見るのならばそのついでにあの日の仕返しをしようと決めていたのだ。

 馬鹿にしてきた相手をぶちのめす。小突かれたり暴言吐かれたり見下されたり無視されたりされて無視するつもりはない。機会があるなら取り敢えずボコる。

 その為に今日少女は来た。


「……へぇ」


 少女を見る男の目が細まる。挑発が効いたのだ。

 どこか面白がった、そして少女を馬鹿にする感情がはっきりとその目に浮かぶ。


「つまり俺に遊んでほしいってわけだ」

「ええ。あれだけ言ったんですか嘘じゃないって見せもらいたいんですよ。人を馬鹿に出来るだけあるのか。馬鹿にされるのか」

「ハッ、面白いこと言うなおい」


 お前くらい倒せる。暗にそう少女は言う。明からさま過ぎるその挑発に男は笑って乗る。

 身の程知らずの馬鹿を見る目が少女を貫く。少女のその言葉を面白いと。

 その視線を真っ向から受け少女はあくまでも馬鹿にした調子で男を見る。何せ自分の力なら問題ないと確信しているからだ。

 そんな二人に対し中年男性が男に言う。


「おいおい、んな挑発乗るな。部外者叩いたら問題だって」


 だがその言葉はもう二人の諍いを止めるには遅い。


「大丈夫ですよ。こいつは入門希望者で、力試しで俺が見ます。そして自分の弱さに現実を知り捨てごとを吐いて彼女は帰る。簡単なことです。馬鹿な道場破りでもいいかもしれません」

「どうぞどうぞご自由に」


 理由など何でもいいのだ。好きにすればいい。

 納得がいかない中年男性を無視し男について外に出る。

 道場の人たちは軽く視線をやってきただけで何も言ってこなかった。個人同士の問題だと判断したのだ。

 少女としても余り興味を持たれない方が有難い。あくまでも男に『遊んで』もらう為だけで入門する気もないし他の人と敵対する気もない。


 少しして開けた場所で男が止まる。

 小さな草が生えた場所で芝生が生えている柔らかい土の地面だ。


「ここで相手してやる。いくら倒れても怪我しないような配慮だ。感謝しろよ」


 見たところ石の類もあまりない。確かにこれなら怪我の心配も少ないだろう。

 しかし代わりに服が汚れることは容易く想像できる。暗に何度も転ばすと言っている以上相手はほぼ確実にそうしてくるだろう。

 その思惑に気づいて呆れたように少女は軽く一息つき離れた男を見やる。

 だがまあ、


「怪我させないよう配慮ありがとうございます。――これで気にせず殴れますので」


 倒れなければいいだけだ。挑発には挑発で返す。

 圧倒的な暴力があればケリはつく。相手に技があろうと踏みにじって叩く。相手を確実に超える自分の力で潰すと少女は決める。

 もう止めまいと中年男性が言う。


「俺は横で見させてもらうぞ二人共。勝手にやってろ。おら嬢ちゃん頑張れ」


 見物人が一人。やいのやいのとやじを飛ばす。


「同門の俺じゃないんですか?」

「ムサイ男と可愛い子でどっち選ぶか聞くのかお前?」

「……まあそうですね」


 男が苦笑する。

 最後に、と男が少女に聞く。


「怪我の方は大丈夫なんだよな? 終わってから言い訳されても面倒だ。怪我悪化させても目覚めが悪い」

「治りましたから大丈夫です。終わってから「気になって手加減してしまった」の為の準備ですか?」

「……可愛くないやつだなおい。モテないぞ。まあいい」


 言いながら男は構えない。棒立ちの姿勢。明らかに手抜きの体。武の字も知らぬ少女などそれで十分だという男のそれ。

 そして少女を招くように軽く手を動かす。

 好きにかかって来いと。


「来い、遊んでやる」


 最後まで真面目に相手する気のないその姿勢が少女の怒りに触れる。

 だがまあいい、と少女は抑える。それごと潰せば何の問題もない。人など圧倒する身体能力を少女は持っているのだから。

 ゴングもないままに少女の足に力が入る。そして地を蹴る。


――ダンッ!!


 柔らかい地面から出そうもない音を出し少女が地を蹴る。

 その力は人外の域。踏み込んだ地面を抉り少女が走る。

 男との間に有った二、三間程の間を僅か二歩。ありえない速さで距離が詰まる。その力のままに、勢いのままに少女は腕を大きく振るい男へと拳を振るう。


「――ぁあ!?」


 想定外の少女の速さに男が驚きの声を出す。

 荒々しくも速い、まともに受けらば骨など折れると確信できる拳。

 顔に向かって振るわれる少女の拳に対し男は反射的に力を抜き膝を折る。同時に内側から少女の拳に己の拳を当て何とか逸らす。男の顔のすぐそばを少女の拳が唸り声を上げて貫く。

 触れたその拳から伝わる怪力。ありえないそれに男は驚愕する。


「まだぁああぁッ!!」


 少女の連撃は続く。

 男はそれが届くよりも早く少女に肘で胸をあたりを付くように体当たりを放つ。

 元より無理に繋げて放った蹴り。少女はバランスを崩され蹴り足が宙に浮く。だが知ったことかと少女は無理矢理に蹴りを放つ。

 力を失ったそれ。向かう足を男は両の腕にて受ける。

 雄叫びとともに少女は蹴りぬく。


「ああぁあぁぁああぃ!!」

「はぁ?!」


 少女の力を受け男の体が宙に浮く。

 バランスを崩されながら少女が放った蹴り。悪あがきにしか見えないそれは理不尽なまでの力を男に伝える。倒れつつも獣の如き叫び声を上げ少女は蹴りぬく。

 人外としか言い様のない力に飛ばされ男の体が後ろに弾き飛ばされる。

 少女は倒れる勢いのまま体を大きく反らせ後方回転。手で地を弾き倒立の状態から飛び跳ね直ぐさま体勢を立て直す。

 弾かれた男は受身を取って既に体勢を整えている。驚愕の視線が少女を見る。


「……凄いなお前。化物か?」


 そういう男の視線に少し前まであった嘲りや馬鹿にする色はない。

 離れた場所で見ていた中年男性でさえ今見た光景に驚愕している。それだけ有り得ない光景だったのだ。


「とんだ怪力だなおい。無理やり弾かれるとは思わなかった」

「……」


 少女は無言のまま体に力を入れながら男を見る。

 男にけがはない。だが少女は確かに手応えを感じた。このまま攻め続ければいいと少女は判断する。


「おいおい無視か? まあいい。さっきは悪かったな馬鹿にして。それと手加減して悪い。お前強いわ」


 男は楽しそうな笑みを浮かべ少女を見る。その瞳は一直線に少女を捉えている。とても楽しそうに男が笑う。

 今までのことなど、少女が挑発したことや馬鹿にしたことなど全て忘れたように、とても楽しそうに。


「今まで「遊ぶ」気すらなかった。遊べ遊べと駄々を捏ねる子供にはいはいと答え頬を叩く様な。だから、こっからは本当に本気で相手してやる」


 何をするのかと少女は男の行動を見やる。

 懐から男が取り出したのは鈴だ。紐のついた鈴。見覚えのある鈴がチリンチリンと鳴る。


「あの日の鈴だ」


 男はそれを胸元に結びつける。

 チリン。鈴が揺らめき柔らかな音が鳴る。

 揺れる鈴を軽く弾きながら男が言う。


「これを取れたらお前の勝ちで良い」

「なっ――」


 唐突に勝利条件が告げられる。

 先ほど認めるようなことを言いながら舌の根の乾かぬ内に馬鹿にするのかと少女は怒る。

 だがそんな少女の怒りに男は弁明するように違うのだと手を横に振る。


「悪い悪い。馬鹿にしてるんじゃないんだ。だけど――こうでもしないとこっからお前は何も出来無い。こうして条件を下げて対等だ」

「!! それのどこが――」

「こう言うしかないが本当に馬鹿にしてるんじゃないんだ。証明するには見せるしかないな」


 それのどこが馬鹿にしていないというのか。憤る少女を前に男は構える。

 半身にして腰を落とし右を前。片手を前に、もう片方は少し後ろに。膝は軽く曲げ全身から力を抜いていく。

 初めて見せる構え。意識が張り詰め研ぎ澄ます。

 纏う雰囲気がガラリと変わる。良く分からぬ何かを感じ少女は男を凝視する。

 そうして前に出した手で男は再度少女を招く。


「来い。業を見せてやる。今度こそ本気で「遊んで」やる」


――馬鹿にするな!!

 男が言うが早いか少女は地を蹴る。

 一度目と同じ人にあらざる速さ。獣の如き瞬足。怒りのままに今度は只の一歩でその距離を走破する。それは疾走などという域でなくもはや跳躍。人外の飛翔。体を旋回させその勢いのままに足を振り抜く。

 男は倒れこむ。否、倒れこむように体を沈ませ潜りこんで蹴りを交わす。

 足を振り抜いた少女は男のすぐ傍で地に足を杭のごとく打ち込み慣性に流れる体を力技で停止。廻る力のままに拳を振り抜き――その腕に張り付いた相手の腕に流される。

 すぐ傍で男が少女に囁く。


「……初撃だ。間合いの外からの初撃だけが怖かった。だがここは俺の間合いだ」


――遊んでやる

 戯言は叩き潰すとばかりに少女の返答は拳。

 最短距離を抉るそれを知ってかの如く男は既に少女の側面。男は唸る拳に腕を張り付かせ少女の袖を掴み全力で引く。力の流れを押され少女の体が前のめりに崩れる。

 まるでこうなると分かっていたかの如く一瞬の流れ。

 そして余りに簡単に少女の脇腹に軽く男の拳が入る。


「まず一発」

「――ッ!!」


 進むまま大きく足を一歩。つんのめる体を支え足を寄せその勢いで少女は反転。そのまま踏み込もうとした目の前、まるで少女に絡みつくかの如く男が目に入る。

 踏み込むのをやめ片足のまま少女は男へ向け拳を放とうとし、一手早く出された相手の掌に出だしを弾かれ軌道は明後日へ。

 男が近づきながら言う。


「殴り方教えてやるよ」


 向かう拳を少女は空いている腕で受ける。鈍い音と共に響く少女からしたら軽い衝撃。

 言っておいてこんな程度かと内心思いながら地を蹴り少女は後ろに下がる。

 絡みつくかの如く男も同時に追従。沈む体と踏み込み音。

 一瞬男の姿が膨らんだかと錯覚するような気配。そして再度少女へ拳が放たれる。

 またかと思いつつ少女は遮るために腕を交差。それを受ける。


――轟!


「――なぁ!?」


 先の数倍の衝撃が少女の体を突き抜ける。

 触れた先から伝わる体に浸透する衝撃。鉄球でも受けたのか思うほどの重い圧迫感。

 同じ人が出したとは思えない、人が出したとも思えない剛力の如き一撃が触れた部分で弾け体を揺らす。予測外の一撃にガードがずれ少女の動きが一瞬止まる。

 男が踏み込む。

 足を軸に横から振るわれる回し蹴りの踵を少女は腕で受ける。これも剛力の一撃。だが先の一撃から予測出来たため受ける腕に入れる力はさきほどよりも上だ。ガードは崩れないまま少女はその力に乗って弾かれる。

 空いた距離は大凡一足の間。だが男は詰めない。


「今のが殴り方だ。最初がお前の。全然違うだろ」


 楽しそうに男が言う。それが気に障る。


「一体何を……」

「殴っただけだよ。確かにお前の力は化物だ。けど動きで無駄にしすぎてる」


 真正面から少女が拳を振るう。近づく拳に男は下から添えるように腕を交差し絡めるように旋回。少女の拳は流れに乗らされ男のすぐ横を突き抜ける。

 蹴りを放つ少女の軸足を内側から刈り地面に転がして男が言う。


「それにお前は速いが”早さ”はない。初動が分かり易すぎる。この距離なら負けねぇよ」


 当てつけのように男は踏み込み少女の顔の前で拳を寸止めする。

 少女は怒りに歯を噛み締め男を睨む。男の足を刈ろうと転んだまま足を絡めようと放つが当然の如く避けられる。

 腹筋に力をいれて地を叩き飛び上がるように少女は立ち上がる。まだ、終わるわけにはいかないのだから。


「今ので良く起きれるなどんだけ力あるんだよ。……まあいい」


 嬉しそうな表情を浮かべ男が構える。


「気に入った。もう少し良いもの見せてやる」


 男の構えた拳がゆらりと動く。

 動き一つとして見逃すまいと少女はそれを見る。

 瞬間、少女の中の何かが警報を鳴らす。気づけば手が動き前の空間を振り払っていた。


「――ッッ!」


 はたしてそれは正しかった。少女が感じたそれは言うならば「感」。突如目の前に現れた拳を少女の手が叩き落す。

 それは男の拳。気づけば確かに見ていたはずの男がいつの間にかいない。まるで消えたかのように。

 咄嗟に前へ飛び込むように少女は動き、後ろを見る。消えていた男の姿が視界に映る。


「今の初見で避けるかおい。凹むぞ。あークソ」


 突然の喪失と攻撃。理解の範疇外の出来事に少女はどう対処していいかわからない。


「何、を……ッ」

「無拍子って技だ。まあいい。簡単に説明してやる。動きには初動ってもんがある。予備動作みたいな物だ。蹴りなら足の筋肉が張ったり重心が動いたり、殴るなら拳を握り締めたりな」


 まるで少女に教授するかのように男は言い、そして構える。

 男の足が小さく沈みその足の筋肉が張り腰が動き蹴りが放たれる。掌が握り締められ脇が締まり体の僅かな捻りの後で拳が出される。

 


「お前はこれが酷く顕著だ。これを見て相手の動きを悟るんだが、これを無くすのが今の技だ。いつ動いたのか悟らせない。気付いたら近づいてる。それで俺はお前の死角に廻った。本当なら何度も連続できればいいんだが俺じゃこれが限界だ」


 少女はその言葉を呆然と聞く。その結果が今の、姿を消したやつだというのか。何なのだそれは。何だというのだ。

 少女は認められない。自分がいいようにやられている現実など。そんな技に自分は手も足も出ないということを。

 笑う男が認められない。まるで大人が無知な子供に教えるように言葉を紡ぐ男が認められない。

 怒りが心を侵していく。そんな少女に男が笑っていう。


「当然といえば当然だが……力は凄いがお前は弱い」


 それが、許せない。


「ああぁぁぁああぁああ!!」


 叫びながら少女は拳を振るう。


 何度と無く殴り、蹴りを放つ。だがその全てを受け流され、弾かれる。何度も転び服を土で汚し、それでも立ちがり向かう。

 狂ったように掻き鳴らされる高い音と規則正しい柔らかな音。二つの鈴が対照的に鳴る。

 何度殴られようと人外の体力で起き上がり、その怪力を少女は振るう。


 容易く殺してしまう故向けまいと抑えていた力を出しても届かない。

 足を刈られ転べば飛び起き、殴られれば無理な体勢でも蹴る。

 もはや形などいいと鈴を取ろうと手を伸ばしても届かない。

 幾度も幾度も地に転げようと地に落ちたままでいるわけには行かない。

 気が荒れるごとに動きは大きくなっていく。

 もはや動きは人のそれではなく獣のそれ。人外の身体能力を振るい獣として荒れ狂う。


 心の中で少女は叫ぶ。届かないと認めるわけには行かない。負けるなどと認めるわけには行かない。

 それは少女にとって自己の否定に等しいもの。存在を認められないも同じ。

 負けるわけにはいかないのだ。一人に……それも”人”に負けるなど――!


「ああああぁぁああ!!」


 当たれば岩も砕けようという少女の拳が唸る。

 それを当然のように避け男の拳が迫る。

 もはや避けもせずそれを少女は真っ向から頭突きして受けそのまま直進。放った蹴りは力を殺され抑えられるが百も承知。そのままの勢いで地を蹴り軸足さえも浮かせ体を弾き宙で回転させ上から蹴りを叩き落とす。避けられた場所が抉れ小さなクレーターができる。

 少女の息は荒い。例え凄まじい耐久力と体力を持っていようと少しずつ少しずつ削られそして後を考えない少女自身の動きで消耗している。

 だがそれでも諦めるわけにはいかない。


「負ける……わけには、いかない……ッッ!!」


 力の限り少女は拳を握り振るう。

 自分の存在を否定されるわけにはいかない。いかないのだ。

 時間が経てば経つほど少女の存在は薄れ力は落ちていく。だからこそ勝つなら今でしかない。

 叩きつけられた絶縁状。存在に縫い付けられた不要のがいねん。そして切り捨てられた。

 自分が打ち捨てられた存在などと認めるわけにはいかない。

 自分の存在を支える思いが、構成する意思が湧き上がる。

 湧き上がる破裂しそうな思いが拳に宿る。血が滲むほど右の拳を握り込む。


 力が欲しい。防御などへし折る力が。技など踏みつぶせる圧倒的な力が。乱神の如き怪力が。

 少女は大きく息を吸い全身に巡らす。意志と気力を全身に行き渡らせる。不屈の意思が宿る。火を灯されたように右腕が熱い。


「ぁん? 腕光って……」


 地が弾ける。少女は爆発的な初速でもって接近。力のこもった拳を一直線に放つ。

 確かに確信できる少女の必殺の一撃。だが当然のように男は少女の懐に潜り込む。けれどそんなこと少女はわかっている。腹部に来る拳を真っ向から受ける。力づくでそのまま前進し男に密着し固定するように掴む。

 これなら逃がさない。一撃当てれば終わらせられる。密着し拳を振りかぶる隙間も男にはなく振りほどける力もない。

 そう思って右の拳を振りかぶった瞬間、男が囁く。


「――堪えろ」


――――


 音が聞こえた気がした。それは少女の腹部に密着したままのはずの拳から出た音。有るはずのない音は無防備な少女の全身を貫く。ゼロ距離の砲撃が弾ける。

 息が漏れ少女の膝が折れ体が落ちる。そして顎部に走る衝撃。


――畜生


 悔しくて悲しくてガチリと奥歯が砕けるほど歯を噛み締める。少女の体は崩れ落ちる。足掻いて倒れる。


「あ……っく……ぅあ」

「流石に脳揺らされたら無理だ。止めとけ」


 全身に力が入らない。少女の世界が揺れる。地に立てた腕が震え倒れる。

 そして理解する。

 無理だと。負けたのだ自分は。

 見上げた先に男がいる。とても楽しげな、いい玩具でも見つけたような本当に楽しげな顔で。

 そして言う。入門しないかと。


「ボコって追い出すつもりだったが気が変わった。身体能力は化物だし感もいい。頑丈で相手して面白かった。どうだ?」


 入れば技が身につくのだろうか。負けが消えるのだろうか。

 少女は思う。開けた思考で考え、決める。

 自分の為にこの負けを消さねばならないと。自分の存在を取り戻さなければならない。

 だから言った。


――興味が出ました

 と。




「そういや家とかどうしてんだ?」

「医者に頼んだり歩き回ったり色々あって空家だったボロい家手に入れて住んでます。そこそこ金も稼いで治療費も返してます」

「借金残して逃げたら殺すぞ」

「医者からも言われましたそれ」







 足を棒で叩かれる。


「膝伸ばすなボケ。曲げろっつってんだろ」


 言われた通りに少女は膝を少し曲げる。

 今度は背中と胸を棒で叩かれる。


「伸ばすな張るな」


 少し丸める。

 今度は肩を叩かれる。


「力入れるって言ったろ。だが脱力しきるなよ。そんなことも――」

「……あの、叩くのやめてくれません?」


 いくら体が頑丈とはいえそこそこ痛い。だが楽しそうに棒を持つ男は聞かない。


「頑丈なんだから大丈夫だろ。あの時もロクに怪我しなかったし」

「まあそうですけど……」

「脇が甘い!」


 男が少女の脇腹に一閃。鋭い打ち込みが刺さり痛みに少女の体から力が抜ける。

 テメェこの野郎と睨む少女に男は呆れたように言う。


站椿功たんとうこう舐めてんのか? やる気ある?」


 怒りが湧き上がるがそれを少女はなんとかこらえる。少女は落ちかけていた手を上げた。


 

 あれから少し経った。少女はあの日来た道場で拳法を習う日々を続けている。男がいる日は男に、いない日は知り合いの中年男性や初老の師範に見てもらったり。

 内家拳において”気”と”剄”と言われるものが重要だと少女は男に言われた。

 站椿功とは太極拳における気を鍛える鍛錬(練功)。同じようなものは八卦掌や剄意拳など他の武術にもあり站功や站椿などとも呼ばれている。

 様々な動作や鍛錬によって適切な体を作るのが武術においては大事だ。筋肉一つをとっても用途によって使う場所が違い鍛え方がある。

 何も知らない素人が適当にやっては意味がない。だからこそ少女は男に習っている。


 

「次の構え移れ」

「はーい」


 手を上げ木を抱くように構える。そしてそのまま固定。足の裏から息を吸い下丹田を通し胸の中心(中丹田)に溜めるイメージを少女は描く。呼吸は鼻から吸って口か鼻から吐く。

 站椿功には壱の構えから参の構えまである。それぞれの構えを各々十分ほど。それを二周ほど。


 足の裏から吸った息は壱で下丹田へ。弐で中丹田。参で両手指先へ。

 同じ姿勢でいるとは言うのは慣れていないと意外に辛いものだ。だが少女の体力は人と比較出来るものでなく、その為(初心者的に)普通よりも長めでしている。


「終わり。雲手」

「了解」


 下丹田中丹田に溜まった気(息)を末端まで動かすように手を交互に体の前で回す。

 雲手は站椿功の後に必ずする行動。またこの後にもここまで続いた練功の締めとして必ずする収功という動作がある。足を揃え側面から両手をあげ頭の上へ。手首を交差させ体の前を下ろしながら気と意識を下丹田に落とす。手首が下腹に付いたら外側へ開いていく。これを気が収まるまで数回。


 収功まで終え少女は大きく息を吐く。

 しかし、と少女は思う。意識と息が収まっているのは何となくわかるのだがそれが何なのか良く分からない。決して少女が不真面目なわけではない。寝る前にもやれと言われたので少女はちゃんとしている。


「何回もやってますけど練功って意味あるんですか? 実感ないんですけど」


 言った瞬間男に蹴られる。

 ゴロゴロゴロ。何をする! と起き上がった少女に男の声が届く。


「二三日や一週間程度で効果が出るか馬鹿。せめて半年は続けてから言え馬鹿。お前なんかが思うよりずっと意味があるんだよ」

「えー」

「いづれ俺に感謝する日が来る。その時は地に頭を付け存分に敬うがいい」


 来たらやだなぁと少女は何となく思う。

 楽しみだと笑う男を見てその時は無視しようと決めて少女は次の鍛錬に移っていった。



「お前は行動に無駄が多すぎる」

「はぁ」


 準備運動のような基礎鍛錬は一通り終わった。そんな折に言われた男の言葉に少女は曖昧に答える。唐突に言われたところで分かりようがない。


「剄って言葉は聞いたことあるよな?」

「ええ。気と剄が大事だって何度も言われてますし」


 何度も言われた言葉を忘れるほど少女の頭は空っぽではない。

 少女の答えによし、とばかりに男は頷く。


「剄ってのは要は動きから出される力だ。足の踏み込み、腰の捻り、脱力からの最後の力み。ちょっと見てろ」


 男が構える。

 男は少女にもわかるほどワザと大きく重心を落とし地を踏みしめる。そこから大きく腰をひねり拳を出す。

 少女の目から見ても綺麗につながった一連の動き。そして少女の眼前で拳が止まる。


「……私に向かって打つ必要あります?」

「気にするな」


 明らかな挑発というかなんというか。そろそろこいつ殴ってもいいんじゃないかと少女は検討する。

 そんな少女を無視し男は説明する。


「普通に殴ろうとすると無駄な動作が入って力が分散する。変な体勢で打てば体を支える為に力が入るし拳を当てる前から力めばその分使った力が減る。それに上手く重心を操れればいつも以上の力を生めるしそれが十全に使える」


 ちょっと受けてみろと言われ少女は構える。

 男が拳を放つ。一発目、少女的にそこそこ重い衝撃が腕に伝わる。二発目、一発目の数倍の衝撃が弾け少女の体に衝撃が通る。何度か受けたことがあるがやはり飛躍的に威力が違う。


「今のがですか?」

「ああ。二発目のが上手くやった結果だ。普段人は十の力を入れても無駄な動きで半分も伝えてない。だが全身で力を生み出し十全に伝えれば十が二倍も三倍もなる。これが剄の運用。ちなみに剄の道筋を剄道という」


 実際、人は動きで力を無駄にしていることが多い。例えば蹴りだ。一度肩くらいの高さに向かって蹴りを放ってみるといい。慣れていない人は体が不安定になり蹴り足に力が入らないことがよく実感できるだろう。蹴る方でなく寧ろ自分のバランスを保つ方に力を使ってしまうだろう。

 だが熟練者ならば軸足の置き方、体の動かし方、重心の取り方などを一つの流れとして理解しているから綺麗な蹴りを放てる。余分なところに力を使わなくて済むのだ。

 男の説明にへーと少女は感心する。中々すごいものだ。


「特にお前は無駄が多すぎる。力み過ぎで動きが無駄に大きく体勢も適当。その身体能力あれば力押しでも勝てるだろうが……脳みそ筋肉かお前」

「流石に傷つきますよそれ」


 まあ実際あの試合の時少女は力押しで勝てるとは思っていた。普通の人の数倍はある。そんな自分に勝てる方がおかしいのだ。

 正直あの時長い棒を間合い外から振るえば多分勝ててはいたのではと少女は思う。だがプライドに関わるし過ぎたこと。今は真面目に教わるのが筋だ。


「他にも化剄……はまだいいか」

「何ですそれ?」


 聞いたことない言葉だ。言いかけて止めるとかやめてほしい。


「化剄ってのがあってな。内家拳はせん粘、聴剄、化剄だったか。ちょっと俺を殴ってみろ」


 直ぐさま殴る。だが手が伸びきる前に男の手が絡みあらぬ方へ流される。咄嗟に戻そうとする男の手が張り付いたかのように離れず抑えられ、近づいた男の拳が軽く脇腹に触れる。


「今みたいに力を消化する方法とかのことだ」

「はー……」

「太極拳の特徴だよ。つか躊躇わず殴ってくるなよ」


 技術的なものらしい。正直何をされたのか少女にはよく理解できない。

 だが便利なものだとはわかる。本気の拳でなかったと言え完璧に力を流された。前に勝負をしたとき何度もされた動作だ。


「これはまだ無理だ。ロクに出来無い内に色々知らなくていい。技を一つ一つやれ」


 男が言うには套路という物があるらしい。技をつなげた物で連続的な攻撃法や防御法、歩法などを行う練習法。近いもので拳形(形)がある。技を繋げたものでその門派の特徴を表した基本技術。

 素人には難しいのでそれを構成する技を一つ一つ行い出来たら次は繋ぎを練習しそして繋げていく。

 拳形は師や先輩の動きを真似ることから始まる。繰り返して己のものにするという。


「というわけだから俺の動きを猿真似しろ。敬ってな」

「チッ」

「まず正拳!」


 男の拳が少女に突き刺さった。少女はすかさず殴り返してやった。



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