昔の手紙でうにゃうにゃ
「お兄ちゃん、それにおじいちゃんとおばあちゃん、元気ですか。今は首相の住む家でこの手紙を書いています。予定よりも手紙を出すのが遅れましたが、これは日々の行事が本当に忙しくて手紙を書く暇すらなかったわけで、これからはもっといっぱい書こうと思っています」
箱の一番底にある手紙の書き出しはこんなものだった。実際就任のあれやこれやでバタバタしていたので、行く時に言った「手紙書くからね」という言葉を守れなくても仕方ないとさえ思っていた。だから逆に東京からの手紙が来たことに驚いたぐらいだった。
あいつが何をしたかは新聞を見れば大体書いてあるが、俺が何をしているかはあいつには分からない。そう、こちらから言わない限りは。だから本当のところはこっちから出したい気持ちさえあるのだが、あまりあいつを急かすような形にはしたくないのでそこは自重している。
「僕の周りには本当にいっぱいの人たちがいて、その人たちが僕がどうすべきか考えてくれたりしています。その中で一番すごいのが杉山さんで、本当に何でも知っています。僕ももっと勉強して杉山さんのような政治家になって、この日本のためにがんばりたいと毎日誓っています」
この杉山さんというのが今の官房長官をしている。俺も色々調べたが、この人は本当に色々な経験をしている。例えばはじめはもちろん俺すら生まれる前の時代、80年代には逮捕寸前まで行ったらしい。「汚い政治家だ」と言うのは楽だが、逮捕寸前まで追い詰められながら逃げ切るのも案外政治家の技量なんじゃないか。まあはじめにはそんな事をしてほしくないが、ただはじめが清廉であるほどこういう清濁併せ呑む人間が必要になってくるというものだ。
杉山さんは90年代に一度首相になりたいと選挙に立候補した事があるがボロ負けしたという経験もある。それ以来裏で動く事を好むようになったとその手の本には書いてあった。フィクサーって奴だ。まあ杉山さんはいかにも古い政治家らしい強面で人気は低いし、それをはじめで補おうという事なんだろう。
「この間ニュースで矢野清一などと間違えられたのはちょっとショックでした。総理大臣として最初に必要なのは顔と名前を覚えられる事だとはっきり悟りました」
このくだりを見たときは正直笑ってしまった。変な言い方になるが「なるほど! その手があったか」などと思ってしまった。俺などは矢野浦とひとまとめで読むのはもはや常識となっている。もちろん矢野という名字も知っている。しかし世間一般では矢野浦なんて名字はレアなわけだ。だから平気で間違えられる。それと浦と清って字が似ていると言われて初めて気がついたのだ。
でも最近は普通に「やのうらそうり」ってみんな言ってくれる。もう何ヶ月だったかな、大分人口に膾炙したようでまったくもって喜ばしい限りだ。もし俺が地元を離れた時もいちいち説明する必要がなくて「ほら、総理大臣と同じ名字ですよ」で済むのだから。
「とにかく分からないことだらけです。だから日本のためにはもっともっとがんばらないといけません。でももう今はやるしかないのだから、覚悟を決めてやりぬきます。見ていてください」
そして締めがこれ。緊張が伝わってくるとても硬い文章で、じわりと汗をにじませながら手に力をこめて書いた様子が俺にも伝わってくるようだった。こっちにいた頃からあいつはよく「明るい」なんて言われていた。俺は暗い。でも本当のところはあいつも暗い部分を持っている。とても真面目だからな。
昔こんな事があった。それは俺が小学3年ではじめが1年生だった時だった。俺が家に帰ったとき、あいつは涙を流しながら学習机に向かい、怒りすら感じる表情の中で一心不乱に何かを書き込んでいた。「どうしたん?」と聞くとあいつははっと気付いたように何やら表情を変えようとして、多分柔らかい笑顔でも作ろうとしたのだろうがこわばったままでこう答えた。
「ぬの練習してるの」
つまり、国語の時間で平仮名を書く練習をするのだが、その中で「ぬ」の文字をうまく書けなかったらしい。それでお昼ご飯の時間にも書かされて酷く傷ついたようだ。で、今そのリベンジを果たさんと家で頑張ってるわけだ。お絵かきノートには大小さまざまな「ぬ」の文字が飛び跳ねていた。「ぬ」ばっかり見ているとこれがクルリと跳ねた魚にも見えて変な感じだった。
まあこの特訓の甲斐あって、次の日には口元をにししと開けて「はひふへほをうまく書けたよ」などと報告してきた。あれはあれで負けず嫌いなわけで、やると言ったらきっとやり遂げてくれると信じている。それにしても寒くなったな。9月なんかはまだまだ夏だよという日差しだった。10月は秋だった。そして11月はもう冬の門を半分潜り終えているようだ。
ここ数日で身につけるコートはグングン厚くなってきたし、道を歩けば指先などはビームでも発射できそうなほど冷たさがチャージされている。長ズボンだってたんすの奥から引っ張り出すに至った。本当は長ズボンは嫌いなんだが背に腹は代えられない。でも女の人とか真冬でもスカートだからな。あの根性は正直凄いと思っている。同級生は低学年の頃はスカートの子も多かったのに学年が上がるにつれてズボンの子が多くなってるし。まあパンツ見えるから仕方ないか。
でも個人的なことを言うとズボンの下にはパンツがあり、パンツの下にはアレがあるのは人間である限り当然だし、あえて見せるつもりはないが見えるなら見られても別に何でもなかろうってのは正直ある。あと、関係ないけど時々普通に服を着ていても下着とかが透けて見えたりするけど、ああいうのはちょっと困るかも。
なんだかとても関係ない話にそれていくけど言いたいのはこういう事だ。つまり、「寒くなってるけど元気でやれよ」と。風邪だってきっと頑張りすぎ、気にしすぎが毒になる部分だってあると思うから。まあ無責任に生きることが出来ない運命はとても辛いだろうし、代わってあげたくてもそれもできないし。だから結局俺は祈るしかできないものだ。まったく無責任にね。今日もまた何もなく過ぎ去る。それが本当は一番幸せなのさと、考えがまとまったっぽいところでそろそろ寝ようか。