自由、平等、兄弟愛
前回のあらすじ。遠くにいる弟が知恵熱を出したのでお見舞いに行きたいと俺が思っていたところにそういう使いが来たので二つ返事でYESと返す5秒前。
「それで、受けていただけますでしょうか」
「言うまでもない。俺の世界でただ一人しかいない弟なんだ。俺のできる事なら何でもやってみせるさ」
「ありがとうございますわたる様。では早速手配しておきますので、翌日には出発となります」
「わかりました。それにしても、様はちょっと慣れないなあ。単なる小学生だぜ俺って」
「何を申しますやら。わたる様は総理のお兄様でございます。総理が誰よりもお慕いしているお方になぜ無礼なふるまいができましょうか」
この堅苦しい物言いにもはじめは苦しんだんだろうなと容易に推測できる。「はじめ」「はじめ君」ってのが普通だったからな。俺も「わたる様」とか言われ続けたら3日ぐらいで熱を出してしまうだろうな。恥ずかしすぎて頭がオーバーヒート待ったなしだろう。だからやめさせてもらった。
そして翌日、俺は政府関係者の車に乗って広島空港まで向かった。広島市内から遠いと不評の空港だが、俺の家からは割かし近い。まあ使った記憶はほとんどなくて、もう5年ぐらい前だったと思うが家族旅行で沖縄に行った時ぐらいか。修学旅行まではもう少しあるが、まあ予行演習だと思えばいいか。
「空港に到着しましたよ、わたる君。さあ、こちらへ」
「うん、ありがとう」
そう言われて別の車に乗せられた。普通のターミナルビルを素通りして直接滑走路に向かった。のは政府専用機だった。警備員がずらりと並んでいて物々しい空気が漂っている。そんなVIPみたいな扱いをされても正直困るのだが。
タラップを登りつめると、内部には校長室にあるような大きくてふかふかした椅子があったり、広々とした会議室みたいなものがあったりと至れり尽くせりだった。とりあえず窓際の席に座った。さすがに金がかかっている。でもこんなのあってもボスがはじめじゃ使い物にならないだろ。まあどうでもいいけど。
そして間もなくテイクオフ。始めはゆっくりゆっくり、それがだんだんと加速をつけて、振動も大きくなっていき、ある瞬間にふっとその振動が消える。離陸の瞬間だ。シートベルトがなければ立ち上がってはしゃぎたいぐらいに興奮していた。まだ小学6年生だからね、そういうのはギリギリセーフだと思う。でも中学生になったらちゃんと卒業はしたい。
「森が、町が、海があんなに小さくなっていく! ははっ、雲海! ああ、俺今空の上なんだなあ! ははははは」
空の上、非日常体験にテンションはハイになっている。仕方ないよね、うん。まあはしゃぐ時間もあっという間に終わり。富士山も見られたし、もうこれだけで俺としては十分だ。それこそ昇天しそうな勢いで楽しめたが、本番はこれからだ。羽田では黒塗りのハイヤーに迎えられた。これに乗り込んだ時、俺は悪党になった気分になった。こんなのに乗るのは政治家かヤクザぐらいのもんだ。
「わたる様、よくぞおいでくださいました。私ははじめ様の秘書を務めております坂崎と申します」
「こちらこそ弟をいつも面倒を見ていただきありがとうございます」
中には車のイメージとはまったく異なる、穏やかそうなおじいさんが乗っていた。秘書というか執事みたいな雰囲気を持っている。広々とした庭を持つ洋館に住んでいて、それこそ実際の名前はセバスチャンでも不思議ではない感じの。で、その坂崎さんは俺にはじめの近況を聞かせてくれた。まあ風邪自体は余裕で治る、それは時間の問題だという。はじめの気力を回復させ、その時間を縮めるのが俺の役割だ。
「何とか元気付けてくださいませ。それが出来るのはやはり肉親であるわたる様のほうが効果が大きいでしょう」
「そうですね。俺も久しぶりに会いたいと思っていたところですし」
「はい、はじめ様も会いたがっておられました」
辛かったろうな、俺以上に。間もなく国会議事堂が見えてきた。これまた素敵な非日常、しかしはじめにとっては日常の景色に組み込まれているんだ。その近くで車は停まった。そこが首相の住む家のようなものらしい。
「この中にはじめが?」
「はい。行ってらっしゃいませ」
チラチラと周りを見るとスーツ姿の大人がいっぱいいる。この人たちがこの日本を牛耳る集団、官僚って奴なのか。俺だけ黒いTシャツに赤いハーフパンツで場違いな雰囲気がものすごく出ているが気にしない。俺は出来るだけ堂々と歩いて首相公邸を進んだ。割と広かったが案内も付いていたので迷わずにはじめのいる部屋まで進めた。
それにしてもこの案内の人はちょっとおかしい。服がスーツとかではなく、何と言うのか、女の子が持っている人型の人形みたいなフワフワした服を着ている(著者注 ゴスロリメイドコスチューム)。どう見ても変だ。誰の趣味だ。まあそんなことはどうでもいい。
「おーいはじめ!」
「ううん、この声はお兄ちゃん、お兄ちゃんなの?」
「他に誰がいるんだよ。久しぶりだな、元気にして、なかったから呼ばれたんだけどさ」
扉を開くと5人ぐらい入れそうなほど大きな、無駄に大きなベッドの中で一人横たわっていたはじめがいた。久々に見る弟は、まあ当然ではあるが元気なさそうに見えた。ただ風邪によるものだけでなく、あいつの責任感から来る「首相ともあろう者がこんな事になってしまって申し訳ない」という部分も多分に含まれているようだった。
「ごめんね、心配かけて」
「馬鹿。俺の事なんて気にしなくて良いのに。お前は元気にしていればいいんだよ。そしてそれをみんなも望んでいるんだから。もちろん俺もさ。何も気に病むことなんてないじゃないか」
「僕はね、こんな所で眠っていてはいけないんだ本当は。やれる事もやれないなんて、それが一番悔しいんだ」
「言いたい事は分かるさ。でもな、何でも全部お前一人でできるほど優秀にはできてないはずだぜ。だからさ、まずはお前のできることをやるんだよ。そしてそれは元気になるって事だ」
「うん」
「カープだってサンフレッチェだって今の所いい感じだろ。お前がしっかりしないとどっちも負けちまうぜ。頑張れはじめ! 責任重大だぞ!」
「そうだね。今年はAクラス行けるといいね」
まあ広島に生まれたというのが唯一にして最大の理由ではあるが、俺たちは兄弟そろってカープとサンフレッチェを応援している。しかし優勝はおろか、カープに関してはAクラスすら見たことがない。生まれる前からBクラスという哀れなお友達を量産してるって分かってんだろうなコラ。今年は頑張ったけど惜しかったね、じゃあ満足できねえんだよ。
「そうだ。治ったら海行こうな。いつものさ、学校の裏の」
「うん、できればそうしたいね」
「きっとだぞ。約束だ。時々は戻って来いよ、こっちにもさ」
身を乗り出し、瞳を輝かせて話を聞くはじめは俺の弟に戻ったみたいだった。総理大臣の職は大変だとは思うが職務に殺されたら何にもならないし、人間として生きるためにも時には着飾った服を脱ぎ捨てることも必要だ。
それからも近況とかゲームの話とか最近買った本とかテストでいい点を取ったとか、そういう普通の話をした。気付いたら予定の1時間が終わったので手を振り、別れた。やっぱりはじめはしょんぼりした顔より笑顔のほうが似合う。あいつが喜ぶと俺も嬉しいから、俺はあいつを笑顔にさせたい。恥ずかしいから人に言うことじゃないが大好きだから命をかける事だってできる。割とマジで。
そして数週間後、すでに世間一般では夏休みと呼ばれる時期に突入していた。灼熱の太陽は大地を陽炎色に染め上げ、人々を水に向かわせていた。
「おはようございます校長先生。久しぶりですね」
「おおはじめ君。まさか本当に来てくれるとは」
「僕は約束を破る男じゃありませんよ、ねえお兄ちゃん」
「ははっ、いやあ。まあ最初に約束って言ったのは俺だけどまさか認められるとは思ってなかったから」
「全会一致で可決だったよ。アメリカ大統領みたいにバカンスも必要だってさ」
「そうか。そいつは良かった。まあ今日は大変な事も忘れてさ、はしゃごうぜ」
「おう!」
「おっとその前に、一言お願いしますよ総理」
「はい、分かっています」
夏休み、海に魂を惹かれた人々の中に現役総理大臣も含まれていたというわけで今から泳ごうという人を校庭に集めて集会が行われた。そんな大層な海岸でもないのに、毎年海開きが報道される湘南みたいな扱いだ。
「ええ、皆さんおはようございます。先日は不要な心配をかけてしまって申し訳ありませんでした。僕はもう元気です」
挨拶のために上った壇上で、はじめは両手を広げて元気感をアピールした。水着と巻きタオルの一番上のボタンだけをはめてマントっぽく着こなしているだけの開放感あふれる服装でそうされるとまさに元気爆発という感じだ。
「さて、夏休みですし海に入って暑さをさますようにパーッと遊びましょう! でもその前にちゃんと準備体操をしましょうね。怪我しないように、これが一番大事ですので。以上!」
さすがは我が弟。暑い中「いい加減にしてくれ」と思われない内に手早く終わらせるとは良く分かっている。壇上から降りると屈伸、左右のアームプル、アキレス腱伸ばし、腰を前後に曲げる運動、それに首手首足首を良く回してから海に特攻した。そして俺もすぐさま追いかけた。
昔は当然だったこんな1日すら今ではそうできる事じゃない。はじめの立場は大きく変わってしまった。しかし、中身は大して変わっちゃいない。今だってかつてのクラスメートとはもう友情を取り戻して砂浜ではしゃいだり、飛び降り台からわざと腹打ちしてあざを作ったり。そんなはじめを俺はずっと見守っていたいと思っている。これからもきっと、健やかに成長していくように。それが父さんと母さんの願いでもあるんだから。
翌日、はじめは日焼けの痛みで半泣きになりながらも東京に戻っていった。俺たちは常日頃から肌を太陽に曝しているから問題はなかったが、はじめは屋内での仕事が多く、また風邪を引いていた影響もあってほとんど耐性がついていなかった。
「もう帰るのか。しんどいだろうに」
「そりゃあね。でもそういう仕事だから。今日の午後からはアジアの外交に関する会議があるからそれに出席するし、明日は千葉に行ってスピーチするし、明後日は……」
「はいはいストップストップ。やっぱ大変なんだな。まあ、それじゃ、頑張れよ」
ここではじめの肩をポンと叩くと「ギャアッ!」と涙を流さんばかりに叫びあがった。服を着るにもビクビクだったのに叩かれたらそりゃあきついわな。正直すまんかった。でもやっぱり少しは焼けてないとな。政治家だって肌を太陽に晒すべきじゃないか。いや、知らんけど。
「まあ、体には気をつけろよ、うん。それと、辛かったらいつだって俺を呼んでくれよ。総理大臣である前に俺はお前のたった1人の兄なんだから」
「うん。分かってるよお兄ちゃん。それじゃあ、行ってきます」
「いってらっしゃい」
手を振り、扉から離れていった。遠く離れても兄弟の絆は永遠に結ばれたままだ。お互いが想い続けている限りは。まあ、あいつはしっかりしてるし大丈夫だろうとは思うが、心配性な俺は今日もまた新聞の政治欄を穴が開くほど何度も見返しまくっている。