史上最年少の首相兄
新聞なんてテレビ欄とスポーツ欄だけあればいい。そんな風に考えていた時代が俺にもあった。しかしここ最近は最初に政治欄を見るようになった。とは言ってもそこで何が起こっているかなんてのは大して分かっていない。それより大事なのは首相動静の部分だ。本当に気になって仕方がないので、小学校にも新聞を持ち込んで何度も何度も確認している。俺の弟の動静を。
俺の名前は矢野浦渡、12歳。広島県出身で地元の小学生に通っている、まあ何の変哲もない普通の児童だ。ただひとつ、弟が日本国の内閣総理大臣であるという点を除けば。
事の始まりはこうである。つまり、日本の政治不信は無限大にまで加速していた。毎年のように首のすげ替えが起こるものの大して代わり映えのしない総理大臣の山。むしろ前のほうが良かったとさえ思えるようなボンクラ政治家ばかりが雁首そろえて事態を悪化させている。前の首相だって「こんな最悪な時代はない」と言われたのに、それが毎年更新されるのだからたまらない。
政治家に必要なのは実力や確固たる信念ではなく薄っぺらい人気取りとなって久しい情勢において、とんでもない決まりが出来た。それは大雑把に言うと「総理大臣選出の際、年齢が2桁に達している人間で出たい人は自由に立候補していいよ」というものであった。俺は小学生で政治については全然詳しくないが、それでも絶対おかしいだろって思った。今でもそう思っている。
で、ロック歌手とか怪しげな新興宗教の教祖とかどっかの市長とかの魑魅魍魎どもが色々と立候補したわけだが、その末席に加わったのが俺の弟である一だったって訳だ。ちょうど立候補の届出をする日に10歳の誕生日を迎えたはじめは「僕も立候補する」などと言って聞かなかった。俺もおじいちゃんもおばあちゃんも笑ったが、別に金がかかるわけでもなかったので記念にと立候補してみた。あくまで記念、そのつもりだった。つもりだったんだ。
選挙運動も特にしない予定だったが、「はじめが立候補する」と広まるにつれてまずは学校が、次に近所が、さらには町とか市とか県とかそういう話に、どんどんどんどん大きくなっていってしまった。そんなに人材がいないのか広島県。
そしてそんなはじめの名前が一躍全国に響き渡ったのはあの選挙演説からだった。俺にとっては緊張しやすいはじめがまたとちったとしか思えなかったが、その映像が流れると「笑顔がかわいい」だの「一生懸命な姿が愛しい」だの、何だかよく分からない大反響を呼んだ。
そして選挙結果は言うまでもなくはじめの圧勝に終わった。しかもそれまでの与党も野党も、選挙で次点となった市長の一派からも大量に離脱者が出てはじめを担ぎ上げる新党を結成してしまった。その後の衆議院選挙においてその新党は大躍進でぶっちぎりの第一党に。そんなに人材がいないのか日本国。
「おはようございまーす総理大臣のお兄様」
「おはよー、ってか本当にそれはやめろよりょーくん」
通学はグループで行うのがウチの決まりだ。特に低学年の子なんかは一人で行かせるのも危険だ。横断歩道を歩いたりするし、途中でちょっと細い路地をジグザグに進む部分もあるので、そういうところで迷わせるといけないからだ。班長が俺、副班長がこの武村良平、ともに6年生だ。いつもにこにこ陽気だがこういう時は正直うざい。
「おはようございますお兄さん」
「おはよー」
「お・は・よ・う・ご・ざ・い・ます!」
「おはよう」
「おはようございます」
ゆーちゃん、こーくん、そーし、たくみ、なほちゃん。よし、全員揃ったな。本当はこれにはじめもいたんだよなあ。まあ、そろそろはじめがここにいない日々にも慣れてきつつある。それはそれで嫌だけど。
「じゃあ、行こっか」
「はーい!」
俺が一番前、りょーくんが一番後ろでその間に低学年から順に並んで、俺たちは学校まで通学路の真ん中を歩いて行った。グラウンドからフェンス1枚を隔てるとそこはもう海というロケーションが俺は好きだし、はじめも好きだった。今ではホームグラウンドが国会議事堂だからな、信じられるかよ。
「おはよーわたるくん。ね、今日のニュース見た?」
「おはよーのんちゃん。もちろん見たよ」
「やっぱかわいいよねーわたるくんの弟って! ほら、廊下で記者に囲まれた時にさ」
「ってか見えなかったけど。マスコミの人も遠慮すればいいのにずけずけとさ。ボディガードしか映ってねえの」
「でさ、でさ、はじめくん『狭いよー』なんてさ。ああ、ああいう弟ほしかったわー」
教室に入っても落ち着く暇はない。早速同級生ののんちゃんに尋問を受けた。のんちゃん、本名は村田望美でのぞみだからのんちゃん。元々それなりに仲は良かったが、はじめが立候補したあたりからもっとよく話すようになった。まあ幼稚園からの長い付き合いだ。というかこの辺は過疎地域、児童も100人いない。1学年が、ではなく全校で。クラスはもちろん1つで、同級生の9割以上が幼稚園からの付き合いだったりする。
「それでね、それでね、はじめくんがねっ」
「うーん、まあ確かにねー。あ、チャイム」
「あー、席つかなきゃ。じゃね」
のんちゃんの尋問はチャイムの音と同時に終了した。担任の折原先生もすぐ教室に来たし、後は今日の日直であるりょーくんが「起立、気をつけ、礼、着席」の儀式を執り行うだけ。こうして俺は「総理大臣の兄」から「単なる小学生」に戻る。そうそう、今日から水泳の授業が始まるんだ。天気も幸い悪くないし、思いっきり楽しみたい。
あいつは、はじめはこんないい日にも政治家とか官僚とかボディーガードのおじさんに囲まれて息苦しい日々を送ってるんだろうな。暑かったら泳げばいいなんて生活とは違うんだ。でもさ、お盆の時期になったら戻ってきてくれるかな。忙しいんなら仕方ないけど、ちょっとは期待してる。