8.銀竜草
水芝百魚。たってのお願い、というものをされて、講師勤務である。
「千誉、」
「……おはよ。」
昼は3時間ほど前に過ぎた。
「おはよう。」
都司としてはあまり好ましい教師ではない。
第一、あれは授業としてどうなのか。
スライドやビデオを見せられ、課題としてレポートの提出を翌時間にする。これが彼の授業の内容の全貌である。内容もコアなものが多い。偏りが無い、とすれば聞こえは良いけれども散布しすぎだ。「生物学」から「お茶の国を旅する。」までの広がりを見せられては、そうとしか言いようが無い。
尚且つ確りとその時々の映像を見ておかねば、とてもではないが一行として書けたものではない。
取り合えずしているとは思えない、チェックの厳しさも加味している。テストが無い代わりなのかもしれないが、実際定かではない。
生徒が食い入るように流れる映像を見ている時間を、水芝は確率において99%、私的な実験に費やしていた。
利点は先に述べた定期考査が無いことと、休暇中の課題が無いこと。そして生物が苦手とする生徒であっても、内容が内容だけに点を落としにくいという点だ。
「俺だったらへこむ。」
珍しくも友人の北園にまで同情を買ったのは、最近のことだ。
水芝百魚。
千誉の古い馴染みである。
「千誉、」
「なに。」
「何で不機嫌なの。」
少し前まで都司には笑んでいた。部員の記憶は間違いではない。
都司の内が少しだすいた。狭量だと誹られようが、こればかりはどうしようもないと思う。
「……百魚さあ、」
「なに、」
水芝百魚は千誉よりも5年ほど長く生きており、素振りからして猫可愛がりの様だ。都司から見て十分ツマラナイ分類になる。
「一体、何を埋めたの。」
千誉が表情無く問い質した地面は、彼の在籍する2年7組から一番近い日陰である。
「銀竜草、生えてるんだけど。」
周囲の部員で反応したのは、三年の先輩のみだ。部長に至っては聞いていないのかもしれないが。
「って、何?」
後輩の問いはもっともだ。
「……次の授業の題材、決まったな。」
水芝は左手の人差し指で顎を叩いた。覚えるときの癖なのだと、千誉に教わったばかりである。あれをされたら、個人的なことであれば怯えたほうが良いらしい。
で?
「何を、埋めたの。」
「まあ、あそこね。」
蛙とか。
「最低。」
「合理的じゃないか。」
「わざわざ湿度高くして?種、持ってきて?」
どこが!?
千誉は心底嫌そうだ。
「ねえ、君。あそこのミミズは肥えている。釣にどう。」
「いえ。ルアーが有りますから。」
「矢木君。良い花が咲くと思うよ。」
「花は貰うほうですから。」
「環さん。銀竜草、いらないか?」
「いただきます。」
ここでようやく水芝は頷いた。納得のいく答えであったようだ。
「都司君。」
「百魚。」
千誉の声が怒っている。
「柊一郎さんはいいの。」
「贔屓か。」
「違う。特別扱い。」
つまらないな、と、あまり性質の良くない顔で水芝は言った。
--まずい、
「千誉さん、」
これ以上はまずい、と都司は声を掛けた。
「一緒に帰りましょう。」
結果、拍車を掛けた。
騒つきも無く、響くのは無闇な鳥だの草だの。人為的なものは遠くの陸上部であるとか、弓道部であるとか。
「うん。」
少なくとも都司の周囲は、きん、と静まっている。
--まずい、
とてつもない。とてつもなく、
--恥ずかしい。
「失敗か、」
水芝のちっさい呟きは氷よりも年季の入った凍て付き方であった。
+++ギンリョウソウ(銀竜草、学名:Monotropastrum humile )+++
シャクジョウソウ科の多年草(新エングラー体系ではイチヤクソウ科に、APG分類体系ではツツジ科に含める)。腐生植物としてはもっとも有名なものの一つ。別名ユウレイタケ。