3.AIM
(目的・我々が希望をそそぐ仕事。)
都司柊一郎という人物と、彼女がクラスメイトという間柄になって二年目になる。同じ年だというのに大柄で、表情も厳しく、声も低い。全てに対して頑なであるかに見受けられる。概ねの周囲が彼に抱くイメージは、それらに準じたものだった。
彼女がそれでも都司を怖すぎない人、あくまで過ぎないの範囲であるが、だと思うのは、無闇に他者を莫迦にしないという美徳からである。
環四条というのが、彼女の名である。姉など香川と名付けられている。一体、何のつもりなのかと、両親に詰め寄ったことは一度ばかりではない。せめて逆だったら、もう少し名乗り易かったろう。そこそこコンプレックスを刺激する己の姓名を、クラス中で都司だけが平然と受け入れた。くすりともせず。多少、
--……いや、ちょっと?かなり、じゃないけど、
まあ、それなりに怖いけれども、決して思いやりに欠ける人物ではないのだ。
ともあれ。二年目となれば些か、
--嘘です、やっぱり少し、
強面の彼の、エプロンと三角巾姿にもの免疫は出来る。
『シフォンケーキを作ろう。』
黒板に盛大に書かれた文字に、生徒は色めき立っている。誰に渡すか、をメインに騒々としているのは無論女子である。始め、の声かけが喜ばしいなんて、調理実習の時くらいのものだろうと、四条は溜息をついた。目前の型が憎い。彼女は壊滅的に料理が出来ない。
裁縫も出来ない。掃除や洗濯も苦手である。そういう人種なのだから、作品の出来ではなく努力の跡で評価して欲しいと、常々思っている。
目の前の都司はといえば、やっぱり難しい顔でレシピの書かれた藁半紙を眺めていた。
「都司君はいいよね。」
「……何が。」
「いっつもちゃんと出来てるじゃない。」
彼はもくもくと仕事をこなす。
「別に。書いてある通りだろ。」
正確無比にこなす。
「それ、それがすごい。」
「……。」
まるで苦行の様にこなすのだ。そうして出来上がった作品は、こぎれいで全くお手本通りなのだから。
「どうして、出来ないのかなー……。」
じゃかじゃかじゃか。
口と時を同じくして動かす四条の手は、
「……お前、」
都司が行っている行程よりも進んでいた。
「一個一個が端折り過ぎだ。」
「……そう?」
都司の作業は懇切丁寧だ。さっくり混ぜるところは本当にさっくりであるし、マヨネーズ状と書かれたところはマヨネーズだ。
「いいよ、もう……、」
持って帰るだけだし。
--って、うわ。
一心不乱。彼はそれを体現していた。じんわり赤い耳はご愛嬌。だけれども、それが大変に珍しくて、四条はまじまじと見つめた。
「いいですか、皆さん。」
教卓の家庭科教師は仁王立ちである。ジーンズと白衣の組み合わせがとても凛々しい。四条は彼が好きだった。
「手を止めずに聞いてください。」
「はーい。」
とっても聞き分けの良い返事には、勿論彼女のオクターブ高い声も含まれている。云われた通り手も止めず、型に材料を流し込みながら。
「何より大事な材料は、」
愛情っ、
「です!」
「あいじょー!」
割合良いクラスだろうと、四条は思っている理由の一つはこの辺りに有る。
「確り流し込みましょう。」
「はーい。」
先生への愛情だけなら絶対に負けないのに、とぽわんとした心持ちは、ふつと湧いた閃きに取って代わられた。
「あ、」
そーかー……。
呟いて隣を見やる。
「ねえ、都司君、」
顔、真っ赤。
「……五月蝿い、」
「……もしかしてさー、」
もしかしないだろうと、本当のところは分かっているのだけれど。こんな事は滅多に無いので。
「それ、あげるんでしょ。」
彼女は嬉々として、言わせて頂いた。
「……黙って作ってろ、」
余分な空気を抜き終えた彼が、丸い型をオーブンにそぉっと仕舞った。大切なものを扱う仕草に、四条は両眼を細めた。
「ま、有名だもんねー。」
温度を見ているのだろうか、はたまた振り向けないだけなのか。若干怯えた感のある、その背中に。
「真砂千誉さん。」
ごつ。
「…いたそー……、」
大丈夫?
「だ、誰の所為だ、」
「真砂千誉さん?」
ごつ。
「……大丈夫?ほんとに、」
弁慶の泣き所。多分ポイントまで同じだろう。傍から観ていたって分かる。テニス部を見知っている生徒ならば、知らない者は無いだろう。彼女がどれくらい、都司柊一郎に一生懸命なのか。
年上のくせに、
--大人のくせに、
懸命に懸命に、彼が好きなのだ。形振り構っているのは、全部、
--都司君のため。
それこそが、正しい形振り構わぬ様子である。
「愛されちゃってるねー。」
ごつ。
「……都司君てさ、」
「……黙れ、」
きっと手放しで喜んで、都司を益々好いてしまうのだろう。
「罪な人。」
ごつ。
「四回目。」
果たしてそれは、どちらなのか。
「あたしも、頑張っちゃおうかな。」
『あなたがすきなの。』
を、身体全体の出来うる限りで。
「おお!」
オーブンを開けて四条は叫んだ。都司はまあ当然として、彼女のものだって、
「奇跡だわ。」
「全くな。」
そりゃあ、きれいに膨らんでいた。
『あなたがすきなの。』
流し込んだだけでこれなのだから、きっと。