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25.古い湿度

「都司、おかしくないか?」


 最も初めに口にしたのは環香川だった。


「やっぱり?」


 気が付いていたのは他のメンバーも一緒であったが、断言できるだけの素材が無い。


「どうせ、千誉さん絡みじゃないんですか。」


 にやり、と笑って北園は言った。あまり上品じゃないなあ、と香川が苦笑する。それだけで御咎めが無かったのは、北園の台詞には口にしているほど悪意が含まれていなかったからだろう。多分に含むほど都司の変化は急なものではなく、むしろ些細であったし、その変化は生真面目な彼らしいものだった。


「……いつも以上にテニスの事しか考えてないな、」


 常以上。

 彼らにしか分からない例えだ。

 ゆったりとやわい場所に無理に固形を詰めているような、おかしな不具合は端からすれば不自然極まりない。


「都司らしいというか……、」


 正しくその言葉の通りである。





 千誉と会わずに10日たった。己よりも7年も年嵩の女だ。本来ならば全くの範疇外である。これは己のみではないだろう。むしろ、一般的であると云える。好ましいほうが稀だろう。

 しかし。


「--くそ、」


 頭蓋の中身には、とても鮮明な画像。


『柊一郎さん。』


 彼女の周囲の誰よりも幼い自分をそう呼ぶ。

 ぱちんと開けば、存外に目が大きい。かわいい女だと思う。彼女もまた、都司くらいの年齢は子供だと考えているし、また範囲から外れているだろう。確認するまでも無いことだ。

 少し、気落ちする。


--それでも、


 言ってくれた。


『ねえ、良いでしょう。』


 彼女にどれくらいの数の友人がいるか、都司の知るところではない。彼が直にあったことのある数人に、千誉は自慢げに己を見せた。彼らにとって些細ではない出来事だ。


「--くそっ、」


 練習中、二度目の舌打ち。シューズの紐が解けた。結び目だった箇所のまちまちな汚れが、何故だか癇に障る。斑を隠すように、殊更きつく紐を引く。圧迫された右足の甲、錘を乗せたような感触とほとんど同時に影が差した。


「ただいま。」


 千誉だった。


「柊一郎さん?」


 手には紙袋と小さなバック。少し疲れた様子で、見慣れないワンピースを着ている。年相応に見えて、咄嗟に言葉が出なかった。

 音信の無い間、一体どこに居たのか。

 何をして過ごしていたのか。


--誰と居たのか、


 先程までくるくると無闇に回転していた大脳は、今はぴったりとそれを止め、代わりにもっと脳幹に近い場所で起こる感情が急に表れる。目の前まで一色で染まりそうだ。

 疲労している彼女を労わりたい。

 否。もっと直線的だ。


--優しくしたい。


「疲れてるんですね。」


 こんなに丁寧に都司が接するのは、千誉だけなのに。


「うん。ごめんね。」


 知っているのだろうか。

 レトロなデザインで広がる裾が、すいとなびく。冷たい指先が、相当量の運動で温もった彼の手に縋った。


「疲れたあ、」


疲れましたよ。あたしは。


「命日だったから。行って帰ってこようって思ってさ。なのに、」


忘れてたの。


「十年祭だった……。」


 長い拘束だったと、愚痴る口元も目に見えて疲れていた。


「御土産、というか。差し入れ。おせんべ。」


 興味無げに渡された大きい紙の袋は、それなりに重量がある。


「こっち。柊一郎さんに。」


--車で来たのか。


家にも寄らず?


 だとしたらば相当に嬉しい、とバックの中で軽く音を立てた鍵を見る。


「はい。」


 斑の鉱物。大きくは無い。小指程度の、形の良い。


「花崗岩。掘ったの。」


 取り立てて珍しいものじゃないんだけど、ほら、と、言われて気が付く。


「ちょっと、朱鷺色でしょ?あの辺のってそうなんだ。」


 はっきりとしない、やわらかあい笑みがじんわりと切ない。


「特別なとこで掘ったの。」


 大切そうにリネンの布に包まれていたから。


「千誉さん、」


「ん?」


「ありがとうございます。」


 荷を降ろしたように、彼女は深呼吸した。


「うん。」


 都司の手の中の小さな欠片から、湿度の高い日の石の匂いがする。

 海のものでも山のものでもない、ずっと昔の香りだった。



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