23.白い砂利道
「なりたいものになれるよ。」
その言葉は魔法だった。
白い砂利道は、一足ごとにじゃらじゃら鳴った。体重は身長に比例して相応に増えたけれども、無機質同士のぶつかり合う音自体はそれほど大差ない。ずうっと以前に宗二はこの道を同じように歩いた。目的地に行き着くための歩数は大分減少したが、うだる様なこの季節も宵の初めの時刻も、記憶の通りだった。
小さな神社の境内で行われる縁日は、業者の屋台の少ない地元だけのものだ。かわりに無料で振舞われる氷や機械再生ではない笛と太鼓の音。珍しいことに神楽まで行われる。濃紺の地に桔梗模様の浴衣に、彼は大きな目を瞬かせた。
兄の大切な人。
彼女を見るたびに、必ず一度は強く思う。必要以上に楽しい気分になることを抑える手段に、この呪いは有効だった。赤い帯や項から目をそらすために俯くと、赤い鼻緒が目に入った。皮膚が宵闇と赤に挟まれて主張している。
「いこっか。」
団扇を持たない手を伸べられて、宗二は逆らうことなどできなかった。
--兄さんが来るまで、
一時間程度の短いときが宗二に与えられていた。
ゆっくりゆっくり見て行く。くじや金魚すくいだってちゃんとある。それに興じることはないが、高い声を上げて楽しむ子供の後ろからぽそぽそと会話をしつつ冷やかして回る。
縁日の折り返しは境内の奥の方にある。そこよりも更に奥まった場所で千誉は腰を下ろした。
「楽しいね。」
きゅうっと笑んで彼女は言った。
「飲み物、買ってきます。」
何が良いですか。
ちょっと驚いたように瞬くと、千誉は嬉しそうに、
「お茶が良いです。」
言った。宗二は動揺した。守られるばかりではない女の人だと知っている。しかし、彼女に何かを、と思ってしまう。いかにも大事そうに丁寧に、出来れば目に見える形で。
--思わないようにしているのに。
その一言をよぎらせることは、多大に何かを犠牲にすることだ。
「いってきます。」
「気をつけて。」
踵を返して雑踏へ向かう。白い砂利道。じゃらじゃら音がする。不意に、何の気なく、糸で引かれたみたいに振り返った。
「--っ、」
笑んでいた。千誉が宗二を見て、笑んでいた。騒々と胸が蠢いて、慌てて彼は駆けた。逃げるように。
ここからは白い砂利道。慎重に登った石段の上。玉石の立てる音も最小に、宗二は進んだ。濡れ縁で千誉が待っている。微笑んで待っている。
その空想と両手で持った紙コップ、今の宗二にはそれが全てだった。
闇に暮れて浮き上がるのは砂利と横顔だ。見上げた千誉は心底幸せそうである。口唇が動く。
「柊一郎さん。」
宗二の兄の骨っぽい指が千誉の耳元に伸ばされて、留まった。髪を引かないようききっと苦心惨憺しているのだ。あの、兄が、一体どんな顔で選んだのか。
耳の上に止められた、白い四角い花の髪留め。
--ずるい、
思ってびくりとする。禁じていた言葉だ。肯定したも同じことだから。
「宗二君。」
ありがとう。
くりっと、こちらを向いた彼女から。胸の痛くなる手放しの感謝。
「大丈夫です。」
大変だったでしょう、と労われるのは正直心地良い。氷も解け始めてなみなみとした水面に、千誉は笑みを深くした。
「器用だね。」
ちっとも零れてないんでしょう。
「きっと、」
なりたいものになれるよ。
魔法だと思った。叶える為に必要な努力や、幸運や、もしかしたら奇跡的な出来事が全て起こってしまうのではないかという気になる。
--無いのに、
そんな事は成し得ないのに。
「ありがとうございます。」
だって他に何も言えない。
「何も言えなかった。」
じゃらじゃら歩いていく。宗二は苦笑した。兄弟でよく似ているといわれる面差しで、柔らかく。
白い砂利道。甲高い笛の音。この先には濡れ縁。
なみなみとした水面の思い出。
過去にいて、今はここにいない人が微笑んでいる。
佐藤弓生さんの
ここからは白い砂利道 もういないひとが微笑む縁側までの
という歌が大好きです。




