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19.巡り来た、これが今年の六月。

「父の日にも父を泣かそう、か・・・。」


 花水木が等間隔に植えられた通りに面して、壁より硝子面が広いその洋菓子屋はいかにも手描きのポスターをべったりと貼り付けている。


「5月はさ、母の日には母を泣かそう、だったよね。」


「あれも手描きでした。」


「そうそう。」


面白かったね。


 5月も二人でここを通った。朱鷺色と白色の程良い斑の中を、おんなじようにゆっくり。


「葉っぱ、きれいだね。」


 上向きで言う足元の案外危うい彼女の手を、さり気にとって進む。一月前に、この木の名を花水木と云うのだと教わった。大きな魚の鱗の様な花弁であった。山法師に似ているのだと、説明されたところで都司には曖昧な返事しか出来なかった。

 千誉と歩くようになってから街路樹の知識が少しばかり増えたが、俄か仕込みな上に誰かに説明する気も無い。彼女からの知識の移動は自分で止まって良いと、都司は初めの頃に真剣に決断した。

 ともあれ、あの花が「百魚」ではなくて良かったと思う。いかに花であろうが、あの音のものを誉めそやす千誉は見ていて気持ちの良いものでは到底無かった。

 意図的なのか、どうなのか。

 判断に迷う点であるが、わざとであったなら顕著な反応を返すのは癪な気がするが。


--違ってよかった。


 七分丈の袖口ではなくて手首を引いている今なら、余程の事でもない限り都司は寛大だろう。千誉曰く「愛しい安易」だ。


「今回は何をあげるの?」


 母の日にはこの並びにある花屋で花を買った。花屋、と銘打つのではなく園芸とあったのに彼女が看板を見上げたためだ。千誉と同じ位の歳の気の良さそうな男が、外見のまま気前良く花束を作り上げていった。向日葵の付いた可愛らしいエプロンが、店員とミスマッチ、では無かったことが印象に残っている。


「弟が頼んだらしいんで、」


 実際どんなものを選んだのか、都司には見当も付かない。


「ここ、らしいです。」


「へえ、」


 最後の花水木の前、通りの端っこでこじんまりとした佇まいの店だった。宗二の書く、兄に輪をかけて子供っぽい筆跡と照らし合わせてみる。


「あってます。」


「入ってみたかったんだよね、ここ。」


 庇にかかった看板は焼物だ。確認するまでもなく、陶器を扱う店舗だ。


「葦簾、」


 開け放たれた引き戸の替わりに、年季の入った葦簾がかかっている。千誉は首を心持ち上げて都司を見た。


「はいろ。」


 グレイの布地に赤い紐がどうでもよさげに縫い付けてある帽子を、繋いだ手と反対の手で押さえていた。目の前に肘の内側が来て、急いで瞬きする。彼女の皮膚は、時折閃光のように都司の目を刺激した。


「はい、」


 表と相反して、店内は決して明るくない。性能の良い都司の瞳孔は瞬く間に反応し、仕切りにぱしぱしと目蓋を動かす彼女の頬と鼻の輪郭を捉えた。左記ほどまで、帽子の影でよく見えなかった。二の腕と同じくらい白くて、ほっとする。日に焼けて赤くなってしまうのは、見た目よりずっと痛い。


--出来れば、


 彼女の痛覚が、成る丈刺激されない方が良いに決まっている。


「すみません、」


 店の奥で置物のように鎮座している店主に声をかける。


「お願いしていた、都司ですが。」


 店主は表情を大きく変えず、ただ眉のみを跳ね上げて頷いた。立ち上がって奥へと消える後姿は思いのほか大柄で、細々とした陶器のひしめく店内で明らかに浮いていた。動いた店主に、千誉もいささか驚いたようだ。


「大きい人だね、」


 と、小さくささやいて笑む。

 鼓膜がこそばゆくて、合わせるように都司も笑んだ。


「これかな、」


 やはり手の平も面積が広い。少し羨ましいその平の上に水色の硝子工芸が一つ。


「江戸切子、ですよね。」


「そうだよ。」


 よく知っている、と店主は笑んだ。


「きれいな水色……、初めて見ました。赤とか青とか、濃い色のイメージしかなかったな。」


 確かに透明な川のような水色だ。


「宗二君、趣味良いね。」


 瞬きも最小限に見入っている。


「一点ものだよ。」


 千誉に大層自慢げに言った。


「私が作ったんだから。」


「……お幾ら、ですか。」


 己が疎外されているような気がする。都司は不機嫌さをじんわりと滲ませた。故意だ。誰だってそうなるだろうと、内側で言い訳をする。彼女の、きゅん、と窄まった瞳孔は瞳の中で一番真っ黒い。その一点が視界の全てだ。

 気分が良い、


--訳が無い。


 都司が世界中で一番、その中に入り込みたいと願っている。

 聡い笑みを浮かべた店主に、歯噛みする。如何にも訳知りだと言わんばかりだ。実際その通りであるし、何より最初にそう仕掛けたのは都司である。


「三千五百円、だよ。」


「……カードって使えますか、」


「すまないね。」


 心持ち、自分は青くなっているのではないだろうか。

 恥ずかしながら、財布の中身が乏しい。金銭を持ち歩くということが、都司はあまりない。千誉と歩く場所は常に公園のような場所だし、テニス用品は総じて高い。まとめて買うのだから尚更だ。故に、大金を持ち歩くよりも両親の了解を得てからカードを、ということが殆んどである。

 今回の目的、趣旨からは遠く離れるがいたし方あるまい。という、発言は物の見事に崩されたわけである。


「幾ら足りないんだい?」


 羞恥心というものは、ある意味恐怖だ。彼女の前であると、十割は増す。


「……四百円です、」


「あたし、出したい。」


「千誉さん、」


「ひっそり父の日、ってことで。」


 そのうちちゃんと、という意味だと、都司は自惚れても良いのだろうか。


「ね?」


「……ありがとうございます、」


「秘密ね。」


--どうしたら、


どうしたら、もっと早く大人になれるのだろうか。


 ふらり、とまた店内を行く薄い肩を目で追う。


--対等になりたい。


「大丈夫。」


 無骨な指で器用に包装をしつつ、店主はぽそっと発言した。肉厚な硝子の重量を彼に渡して、


「お似合いだよ。」


 賢しげに笑った。



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