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17.キリエ

 だれかな、だれかな、

 絶え間ない金属的な問いかけに、思わず自分と隣の人間の名前を答えてしまう。迷いなく都司を思ったことが面映い。

 今日、プラネタリウムへ連れ立って行った。半円のドームが薄暗くなるのと同時に、シートがゆっくりと緩い角度で倒れた。一人で訪れるとき、握りこぶしを作るのも足先に力が篭もるのも、決まってこの時だ。照明が完全落ち恒星が燈る一瞬前は、瞑った目の中の闇より暗い。


--怖くなかった。


 恐ろしくなかった。

 一人で何度も時間を廻ってきた。莫大な流れで証明される事は、全てが有限だという改めて思うまでもない事実だ。

 人は蘇えらない。どん詰まりが必ずある。起こったことが全てだ。


--遺体に捧げられる花。


 骨にまとわりつく花粉のイメージは、出来事としてとても近い。

 生きていく為に新皮質は生み出された。五感のためだと言い換えても良い。

 背の高い都司の肩は、腰掛けていても差が現れた。角度をつければ丁度耳が肩口に納まる。あつらえたみたいに、と、表現する人の気持ちが少し理解できる。特別のようで嬉しいのだ。都司の体温で、耳が温かい。


「千誉さん、」


 電車自体が立てる大きな音と、周囲の騒音を抜けて彼の声は届いた。


「寝てるんですか、」


 触れている耳介で篭もった音がする。千誉の流れる血液の音が、鼓膜に近い音量で響いている。力強い色だ。都司がいるという確かな音と、自分が生きている音。


「後、二駅ですよ。」


「うん、」


「起きてるんですか。」


「少し。」


 都司が動く度に、彼女を支える筋肉に力が篭もる。清潔な匂いがした。石鹸と洗剤とシャンプーと都司の匂いだ。全てが時間差で順繰りに彼女に届く。酷く落ち着く。

 閉じていた目蓋を開くと、彼と目が合った。


「重かった?ごめんね。」


「いえ、」


 きつい目尻が近い。あまりないことだ。


「……今日、」


 ふい、と、向かいの窓を見てしまう。都司は自ずから進んで目線を合わせようとはしない。


「流れてた音楽って、」


 上演中、抑えた音量でずっと流れていた。都司が本当に興味があるのか、何かの誤魔化しなのか。


--何を?


 この数分間で彼が誤魔化さねばならないような出来事が思いつかない。


「キリエ。」


「キリエ?」


「うん。聖歌。」


 もう一度、彼は「キリエ、」と呟く。

 聞こえた途端に、この上も無く優しい心持ちになってしまった。

 たった一人の少年の存在が、千誉の何をこんなに救うのだろう。感情の在り所を探るように丹念に沈んで行けば、いつか解ることなのか。

 都司の形の良い卵形の骨の中身。千誉自身、見たことの無い頭蓋の中身。居並ぶ神経管は海より生まれ、平原で育まれた。


--その頃にはもう、


 人は死を悼んでいた。彼女と同じように。今までに伝わるずっと以前からの情報を持ち寄って心を紡ぐのなら、数えられない程の歌も絵も、言葉も全て。


--憐れむためのものだ。


「ついちゃった。」


 彼女は未練を感じさせない勢いで立ち上がった。


「じゃあ、またね。」


「……はい、」


 はにかむ様にして頷く彼は、確かに千誉にとって特別な救いだ。彼女を憐れむ者だった。




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