第二話 剣術訓練1
ノックス辺境領は、決して豊かな土地ではなかった。
広大な領地の九割は五百年前に魔力汚染された土地で、実際に人が暮らせるのは残りの一割だけ。農作物は少ししか育たない。麦は貧弱で、野菜も小ぶり。肉は貴重品で、月に一度食卓に並ぶかどうか。主食は硬いパンと野菜のスープ、そして時々獲れる川魚。
王国からの援助を受けてなんとか生活できていた。
貧しくても、助け合って生きている。誰かが困れば手を差し伸べ、誰かが喜べば一緒に喜ぶ。それがノックス領の人々だった。
魔物は領地の周辺に生息していたが、村が貧しいためかそれほど襲われることはなかった。魔物だって、わざわざ貧しい村を襲うメリットはないのだろう。
問題は汚染地域だ。
そこには変異した魔物が存在する。通常の魔物よりも凶暴で、力も強い。過去に王国から派遣された調査団の報告によれば、変異魔物は汚染された魔力を餌としているため、わざわざ汚染地域の外に出てくることはないという。
ただし、汚染地域の中に入れば、襲われる可能性は格段に高くなる。
そして、汚染地域に長く居続けると、人も汚染され体調を崩しやがて死に至る。
だから、村人は決して汚染地域には近づかない。
* * *
ノックス辺境領の村は小さい。
家々は古く、壁には亀裂が入っているものも多い。道は舗装されておらず、雨が降れば泥だらけになる。
でも、ここで暮らす人々の表情は、意外なほど明るかった。
「おはよう、ユミナちゃん!」
畑仕事をしていたトーマスおじさんが鍬を置き、手を振ってくれる。
「おはようございます!」
弾むような声で挨拶を返し、おじさんに近づいていく。
「今日もいい天気だな。おかげで少しは作物が育ちそうだ」
「そうですね。おじさんが毎日一生懸命耕してくださっているから、天気も味方してくれているんですよ」
トーマスおじさんの畑は、村の中でも比較的ましな方だ。それでも、収穫量は他の領地の半分以下だろう。
それでも、希望を捨てることなく額に汗して土を耕し続けていた。
「ユミナちゃん、こっちこっち!」
井戸の近くから、レベッカおばさんが手招きしているのが見えた。駆け寄ると私の服、淡いブルーのワンピースを見て、満足げに頷いた。
「そのワンピース、とっても似合ってるわね。やっぱり直してよかったわ」
このワンピースは、レベッカおばさんの娘さんが昔着ていたものを、私のサイズに仕立て直してくれたものだ。
「ありがとうございます。とても気に入ってます」
「そう言ってもらえると嬉しいわ。あなたにはもっと素敵な服を着せてあげたいんだけど、この領地じゃあね……」
レベッカおばさんは痩せた大地を見つめ、どこか寂しげに微笑んだ。
「いえ、これで十分です。素敵な服をありがとうございます」
真っ直ぐに見つめて答えると、おばさんは私を見て嬉しそうに頷いた。
「ユミナー!」
後ろから元気な声が聞こえた。振り返ると、村の子供たちが駆けてくる。
先頭にいるのは、私より二つ年上のロベルト。茶色い髪をぼさぼさにした、活発な男の子だ。
「遊ぼうぜ!今日は鬼ごっこしようって話になってるんだ」
その隣には、同じく年上のリザ。金色の髪を三つ編みにした、しっかり者の女の子。
「ユミナも来てくれるわよね?」
そして、一番後ろには年下のマルク。まだ五歳で人懐っこい男の子。
「ユミナねえちゃん、いっしょにあそぼ!」
可愛らしい笑顔で手を引っ張ってくる。
年の近い私たち四人は、よく一緒に農業や村の手伝いをしたり、遊んだりしていた。
普段なら喜んで遊ぶのだけれど……
「ごめんね、みんな。今日は少しやる事があって……」
「えーっ! なんだよ」
私がそう言うと、不満そうな顔をするロベルト。他の二人も残念そうな顔をした。
「用が終わったらすぐ行くから」
「やくそくだよ!」
マルクが小指を突き出してくる。
「うん、約束」
指切りをして、私は子供たちと別れた。
村の外れに、小さな訓練場がある。
といっても、ただの広場に木製の人形と、古い剣や槍が置いてあるだけの簡素なものだ。
そこに、一人の男性がいた。
ガストン・ベルガルド。
村の警備隊長を務める、四十歳の男性だ。
筋骨隆々とした体格で、鋭い目つきをしている。頭髪は短く刈り込まれ、顔には薄く傷跡が残っている。近寄りがたい雰囲気を纏っている。
そして、彼の周りには、魔力が見えなかった。
いや、正確には見えている。でもそれは、他の人たちのように色を持った靄ではなく、透明な霧のようなもの。すぐに霧散してしまう、儚い魔力。
無属性。
この世界では魔力がないと言われている属性だ。
彼は今、木製の人形に向かって剣を振るっていた。
一振り、また一振り。
シュッ……シュッ!
無駄のない動き。研ぎ澄まされた太刀筋。
――すごい……
かつて王国の警備隊に所属していたという話も頷ける。
私が近づいても、ガストンは剣を振り続けている。
でも、気づいているはずだ。
しばらく待っていると、ガストンが剣を止めて、こちらを見た。
「……何か用か」
その目は冷たく、あまり話したくなさそうな表情をしている。
でも、私には目的がある。
「あの、剣を、教えていただけませんか」
「断る」
即答だった。
「どうしてですか?」
「お前のような貴族の娘に、剣など必要ない」
ガストンは冷淡に突き放すような声を出し、目を背け再び剣を振り始める。
しかし、私の大きな瞳はまっすぐにガストンを見ていた。
「お願いしますっ」
私は頭を下げもう一度お願いする。
ガストンは私の真剣な表情を見て、少し考えた後、剣を下ろした。
「……お前の気持ちは分かった」
――え!?やった!
思わず顔がぱっと明るくなる。
「村を守りたいという気持ちは立派だ」
――えっ、あれ?ち、違う! いや、違わないけど……
笑顔が固まる。
「だが、お前が剣を握る必要はない。魔物が来たら、俺が倒す。それでいい」
「いえ、あの、そうじゃなくて……」
私は両手をぶんぶん横に振った。
「前線は俺たち警備隊に任せておけ。お前は後ろで魔術の支援をしていればいい。エミリアは優秀なシスターだったと聞いている。魔術なら教えてもらえるだろう」
「ですから……」
「心配するな。お前のような子供を危険な目に遭わせたりしない」
「で、でも……」
言いかけて、言葉に詰まる。
魔力の練習はもちろん続ける。でも、もし魔力が使えない状況になったら?
例えば、魔力を封じる魔導具があるとしたら。
例えば、魔力を吸収する魔物に襲われたら。
想像してしまう。
魔力を封じられて、魔物に襲われる私。何もできずに、触手に絡め取られて
――だめだめだめ!そんな展開は絶対に避けたい!
顔を振って、妄想を振り払う。
前世で読んだ『聖女クラリスの軌跡』の聖女も、何度も魔力を封じられて大変なことになっていた。もし私がこの世界の聖女の転生だったりしたら……いや、そんなことはないだろうけど、用心に越したことはない。
だから、何か戦う手段が欲しい。
魔力に頼らない、純粋な戦闘技術。
「帰れ」
これ以上わがままを言っても聞き入れてもらえないと思った私は、訓練場を後にした。
ガストンはユミナの後ろ姿が見えなくなるまで、剣を振り続けていた。
小さな背中が村の方へと消えていくのを、視界の端で捉えながら。
剣を止め、深く息を吐いた。
「……こういう時、何て言葉をかければいいか分からないな」
ぽつりと呟く。
誰に聞かせるわけでもない、独り言。
「お前の娘は立派に育っているな、マグナ」
ガストンはマグナと出会った時のことを思い出し、もう一度剣を構え、木製の人形に向かって振り下ろした。
村の広場に差し掛かったところで、私は足を止めた。
――やっぱり、急にお願いしても「いいよ」なんて言ってもらえないわよね。お父様かお母様から説得してもらおうかな。でも、何て言えば……
「お、ユミナ!もう用はいいのか?」
ぷっくりしたほほに人差し指を添えて首をかしげている私に、ロベルトたちが駆け寄ってきた。
「あっ、えぇ……」
ロベルトたちの顔を見て、ふとこの前みんなで話していた事を思い出した。
――そうだわ。あの話をお父様とお母様に話せば……、きっと説得できるかもしれない。
少しだけ、希望が見えた気がした。
「ねえ、ユミナ。本当に大丈夫?なんか元気ないよ?」
リザが心配そうに覗き込んでくる。
「大丈夫よ。ちょっと考え事してただけだから」
ユミナは笑顔を作った。
「やったー!じゃあ鬼ごっこしよう!」
マルクがぴょんぴょんと飛び跳ねる。
「うん、遊ぼう」
「じゃあ、最初はユミナが鬼な!」
ロベルトが少し意地悪な顔をしながら指をさして指名してくる。
「えっ!?ちょ、ちょっと待って……」
「よし、逃げろー!」
わっと散っていく子供たち。
――考えるのは家に帰ってからでいいかな。
「すぐに捕まえてあげるんだからっ」
子供たちの背中を追いかけて、私はドレスの裾を少しだけ摘み上げた。




