Track.11_希死壊生(1) ★★☆
ミコトのお家の真似をして、わたしはカラーボックスの本棚の上にキーボードを載せてもらった。
電源と、音を伸ばすためのサステインペダル、それにモニターヘッドホン。
お家で使うためだけの、シンプルなセッティング。
細かい設定方法はスマホで説明書のURLを教えてもらった。
YAWAHAの9WW、2007年のエントリーモデルシンセサイザーで61鍵盤。
ネットでレビューを見ると、値段の割にはピアノ系の音色が良いらしい。評判も星4以上。
ミコトの言っていた通りだ。
もう15歳くらいだし、日焼けした鍵盤はもうベージュ色。
でも、ちゃんと動いてくれる。いい子だね。
あまりシンセサイザーは弾いたことなかったから、この鍵盤の軽さに慣れないと。
鍵盤を右と左で違う音を鳴らせるようにしたり、1つの鍵盤から2つの楽器の音も鳴らせて同時に3つの楽器を使えるのが、当時ミコトが同じ値段のキーボードの中からこれを選んだ理由らしい。
でもわたしにはまだその機能は使いこなせなさそう。
おすすめのグランドピアノの設定が保存されたボタンを押して、わたしは用意する。
約束通り、ヘッドホンをつけてもう一度きらきら星を右手だけ弾く。
本当は、ミコトと一緒にまた弾きたかったな。
でも、車での帰り道、ミコトはこの3年くらいは全然弾いていないから無理だって言っていた。
あんなに音楽好きだったのに、ちょっと残念だ。
音楽を聴くのと歌うのはまだ好きらしい。
ドライブの時の音楽はとてもお洒落だし、古い曲も今どきの曲も聴いているみたい。
だからカラオケにも一緒に行く約束をしたらすごく喜んでくれた。
ヒーラームーンも決めポーズ付きで歌えるらしいけれど、想像できなくて怖いような楽しみなような気がする。
思い返せば、ピアノを頑張るようになったのも、お歌が好きになったのもミコトとアカネのおかげだ。
はじめて日本に来た時、ピアノを上手に弾けるミコトとアカネがすごいってなったのがわたしのオリジン。
ミコトもすごいけれど、保育士さんでお歌の上手なアカネは最初の憧れの人。
昨日も電話したけれど、すごくパワフルでわたしも頑張らなくっちゃってなる。
もしこのまま日本で数年住み続けることになるのなら、わたしはどんなお仕事をしているんだろう。
アキヤマ先生みたいな科学者?
ミコトみたいな営業マン?
アカネみたいな保育士さん?
それともどこも雇ってもらえなくてアルバイトぐらし?
できれば帰るときはたくさんお金を貯めておきたい。
きっと家族も周りのみんなも、たくさんお金が必要だろうと思うから。
────今は考えるのをやめよう。
ミコトからもらったこのシンセサイザーと、ランチ、モーニィちゃんの写真をInstagramにアップロードする。
見てくれていたら、いいな。
こうして寝る前の日課を早めに済ませたわたしはミコトからもらった楽譜の詰まった分厚いリングファイルを開く。
とても簡単な練習曲たちから、わたしも10歳の頃に弾いたことのあるエリーゼのために、ショパンのノクターン9-2や雨だれのようなちょっと本格的な曲まで入っている。
カタカナで読み方を書いてある曲もあれば、ピアノの先生からもらったような「合格」シールが貼ってある曲もある。小さい頃のミコトがどんな風に音楽をやってきたのかがわかってちょっと嬉しい。
どんどんページをめくっていくと、コピー用紙ではなく手書きの譜面がいくつか出てきた。
きっとミコトが作った曲だ。
ワクワクしてその曲を弾こうと思った。
でもわたしには弾けない。
それが一瞬でわかった。
全部コード譜だ。
Am7やEadd9などの和音を示す記号が、歌詞の上に載っている。
ネットで調べれば音の組み合わせはわかるけれど、もっと問題がある。
そして肝心の五線譜には音符が載っていなくて、かわりに謎の波形と矢印と楕円と点の組み合わせ。
点がアクセント、楕円がなんとなくの音の長さというのもわかる。
でも波形も矢印もフリーハンドで、多分同じサビのようなところも微妙に形が違う。
わざとなのかどうかもわかんない。
わかったのは、これはミコト専用の楽譜なんだということ。
正直、がっかり。
でも、歌詞は読める。
ミコトはどんな歌詞を書いているんだろう。
実は初恋のラブソングとか、すごくピュアな曲とか書いているのかな。
清音ちゃんはすごく喜びそうだけど。
最初の1曲目のタイトルは「True Word × L」ってある。
でも×Lってなんだろう。
その答えは見つからなかった。
謎の譜面とコードは残っているけれど、ほとんどの歌詞が消しゴムで消されていたから。
一番まともに残っていたのは1つ目のサビくらい。
『僕は変われない ■■■■に変われないのは 事実だね』
『でも ちょっとだけ目を閉じてみるよ』
『何が聞こえた? 誰も言わないよ それは僕のTrue Word だから』
『「あの■■行ってみよう」 君を■■■■していたい』
本当になにこれってしか、感想が出てこない。
上手な歌詞なのかどうかもよくわかんない。
消す前はどんな歌詞だったんだろうと気になるけど、次のページをめくってみる。
タイトルは『雨上がりの世界』で、これはさっきの曲と違って歌詞が全部残っていた。
さっきの曲とも歌詞の雰囲気が全然違う。
とても綺麗。
それがわたしの最初の感想。
『雨の音に溶かされていく 君の言葉』
『泣きぬれた服 冷たく重く 貼り付いて足が止まる』
失恋したのはミコトなのか、それとも知らない空想の人なのかわからない。
とても短いセンテンスだけど悲しさが伝わるAメロ。
『天気予報にも裏切られ 誰も信じないと言ったのに』
『八時前の星占いに 縋りついて今日も流されていく』
そして辛い気持ちを引きずったようなBメロからサビに移る。
『雲間から覗いたお日様が 私にはまぶしくて』
『空を見上げてただ立ちすくむ 世界はこんなに広い』
辛くて、何もできない。
失恋じゃないけれど、これは日本に来た直後のわたしみたいだ。
そして2番目のAメロが始まる。
『灰色に染まる町の風が なぜか愛しくなって』
『傘を持たずに出かけてみよう 午後は晴れと言っていたから』
少し元気になったような感じから、また雨の話が出てくる。
でも最初の雨とは違う優しい雨。
『誰の代わりに泣いてくれたの 土砂降りの空に微笑んだ』
『肌を指す水のぬくもりが 心の形を確かにする』
どんな気持ちなのか、この文章だけだと今のわたしの日本語力じゃわかんない。
でも、穏やかな気持ちになっているような気もする。
『傘色の花 鳥の歌声が 街の色どりを変えていく』
『空を見上げて歩き始めた 世界はこんなに広い』
最後のフレーズはさっきと一緒。
でも全然違う。もう広さに絶望していないことくらいはわかる。
みんなが支えてくれた今のわたしみたいに。
『ぬかるむ道も泥んこ道も 私は歩いて行ける』
『同じ空の下 歩き始めよう 世界はこんなに広い』
最後のサビでも「世界はこんなに広い」という言葉の意味が全然違う。
同じ空の下っていうのは、失恋した相手とのことなのかな。
ここでこの歌は終わっていた。
失恋した人が、だんだんと立ち直っていく物語の希望の歌。
サビの最後に3回とも出てくる「世界はこんなに広い」というフレーズがすごい。
同じ言葉なのに、目に浮かんでくる風景が全然違う。
綺麗な日本語をミコトは書けるんだね。
それが分かったことがすごく嬉しい。
こんな風にわたしも綺麗な言葉を書けるようになれたらいいな。
わたしも頑張れそうだって。そう思える曲だ。
次の曲はどんな曲だろう。
タイトルは『僕とモーニィ』ってある。
このときわたしは、モーニィちゃんラブなお歌なんだな。
そう笑っちゃった。
でも、この歌は全然笑えなかった。
笑っちゃったわたしは酷い人間だ。
始まりの一行から、今のミコトとモーニィちゃんからは信じられないことが書いてあった。
『朝顔のツタに絡まってた 長い毛の子猫を見捨てて』
『会社にイソイソと向かう 僕は偉いですか』
『バスに乗ってまた戻って 間抜けな子猫を助けて』
『会社をヒソヒソサボった 僕は卑怯ですか』
これはきっと本当にあったミコトとモーニィちゃんの話だ。
小さきものにしたことは、私にしたことであると神様も仰るのに、真逆のことをなんでミコトは考えるの?
『薄汚れた君の手を 薄汚れた僕の手で』
『綺麗になるように 綺麗であるために』
すごく必死さが伝わるBメロだ。
でもミコトは自分の手が汚れているって思っていること?
綺麗であるためにって、それはモーニィちゃんじゃなくてミコト自身のこと?
『惨めなままでいいよ』
『朝顔なんて似合わないでいてくれ』
『可哀想だねいいよ 君の名はモーニィ』
『始まりはバッドモーニング』
こんな酷いことをミコトは最初に思っていたの?
そんな酷い理由でモーニィちゃんの名前を付けたの?
でも、今のミコトはモーニィちゃんをとても可愛がっているのに。
どっちがミコトの本当の気持ちなの?
『昼顔の裏で絡みあってた ラブラブなアイツに 見捨てられ』
『顔ごと猫に埋まる 僕は無様ですか』
全然曲のイメージが変わった。
見捨てられたって、前のお嫁さんの話──だよね。
とても嫌な予感がする。
でも見なきゃいけない気がして、わたしは次の行を見る。
『首輪作ってまたやめる ブラブラな僕を 見上げて』
『足にすがりつかれる 僕は爪とぎですか』
よくわからない。
でも何か良くないことの表現ということぐらいはなんとなくわかる。
これ、清音ちゃんに見せた方が────ううん、多分だめだ。
まず最後まで読もう。
『綺麗になった君の手が 綺麗じゃない僕の手を』
『冷えないように 消えないように』
最初と真逆のBメロ、モーニィちゃんがミコトを助けている。
その風景だけは伝わる。
『惨めなままは嫌だ』
『モーニンググロッキー なんて訪れないでいてくれ』
『変わりそうかな いいの? 君の声でモーニィ』
『始まりはグッドモーニング』
ミコトの本音とそれを救ってくれたモーニィちゃんの声。
良かった。
わたしは、そう安心してしまいたかった。
でも嫌な予感が確信に変わった。
ミコトが隠していたことが、ミコトの弱さが次のCメロに全部あった。
『遺書書いてみました 恨み言連ねました』
『財産なんて 大層なものはないけど』
死ぬつもりだった。
それだけ離婚が辛かったんだ。
『恨みよりもただ 失意よりもただ』
『明日君がお腹をすかせることが』
『気になって仕方がないんだ』
『だから明日も起こしてくれよ その間抜けな声で』
でも死ななかった理由もここにあった。
『惨めなままでいいや』
『モーニングローリング 何転大回転でもしてくれ』
『変われなくてもいいよ 君の声と共に』
『終わりまでずっとモーニィ』
ミコトが助けたモーニィちゃんが。
今度はミコトを生かしてくれていたんだ。
『この歌は墓場まで 持っていっておくれよ』
この言葉で歌は終わっていた。
絶対わたしが見ちゃいけなかった曲だ。
でも見ちゃった。
わたしはどうしたらいいんだろう。
モーニィちゃんのおかげで生きているけれど、その気持ちは今も続いているの?
それにあと5年か10年後くらい、モーニィちゃんが死んだあと、ミコトは本当に大丈夫なの?
そんなことを考えていた自分のおぞましさに気づく。
いつ死んでもおかしくない遠い場所の家族や友達よりも、身近な人の方を心配するなんて。
ミコトもすごく大事な人だけど、お父さんやお祖父ちゃんは大事じゃないなんて。
そんなわけないのに。
わたしはお祈りを繰り返す。
「おえっ……神様、申し訳ございません」
「忘れませんと誓ったばかりなのに、申し訳、ございま、せん……うっ、おぇぇ」
タッパーに持って帰ったごちそうたち。
それはわたしの懺悔と一緒に流れていった。
歌詞 全開示①②
①【雨上がりの世界】
雨の音に溶かされていく
君の言葉
泣きぬれた服 冷たく重く
貼り付いて足が止まる
天気予報にも裏切られ
誰も信じないと言ったのに
八時前の星占いに
縋りついて今日も流されていく
雲間から覗いたお日様が
私にはまぶしくて
空を見上げてただ立ちすくむ
世界はこんなに広い
灰色に染まる町の風が
なぜか愛しくなって
傘を持たずに出かけてみよう
午後は晴れと言っていたから
誰の代わりに泣いてくれたの
土砂降りの空に微笑んだ
肌を指す水のぬくもりが
心の形を確かにする
傘色の花 鳥の歌声が
街の色どりを変えていく
空を見上げて歩き始めた
世界はこんなに広い
ぬかるむ道も泥んこ道も
私は歩いて行ける
同じ空の下 歩き始めよう
世界はこんなに広い
②【僕とモーニィ】
朝顔のツタに絡まってた
長い毛の子猫を 見捨てて
会社へイソイソと向かう 僕は偉いですか
バスに乗ってまた戻って
間抜けな子猫を 助けて
会社をヒソヒソサボった 僕は卑怯ですか
薄汚れた君の手を 薄汚れた僕の手で
綺麗になるように 綺麗であるために
惨めなままでいいよ
朝顔
なんて似合わないでいてくれ
可哀想だねいいよ 君の名はモーニィ
始まりはバッドモーニング
昼顔の裏で絡みあってた
ラブラブなアイツに 見捨てられ
猫に顔ごと埋まる 僕は無様ですか
首輪作ってまたやめる
ブラブラな僕を 見上げて
足にすがりつかれる 僕は爪とぎですか
綺麗になった君の手が 綺麗じゃない僕の手を
冷えないように 消えないように
惨めなままは嫌だ
モーニング グロッキー
なんて訪れないでいてくれ
変わりそうかな いいの? 君の声でモーニィ
始まりはグッドモーニング
遺書書いてみました 恨み言連ねました
財産なんて大層なものはないけど
恨みよりもただ 失意よりもただ
明日君がお腹をすかせることが
気になって仕方がないんだ
だから明日も起こしてくれよ
その間抜けな声で
惨めなままでいいや
モーニング ローリング
何転大回転でもしてくれ
変われなくてもいいよ 君の声と共に
終わりまでずっとモーニィ
この歌は墓場まで 持っていっておくれよ




