第8話
イリスは問いに対してほんの僅か目を大きくするが、その後諦めたように小さく息を吐く。
「なるほど、何の説明も受けなかったのですね。いえ、あなたも何も聞かなかったのですか。先ほどの姫様の行為。あれはヴァンパイアの一族に伝わる生殺与奪の儀式といわれ、死に行く者と命を共有する契約の1つです。それにより、あなたの命と姫様の命は完全同一のものと成り」
イリスは言葉を止め、眼鏡を上げる。
「どちらかが死ねばもう片方も死にます」
言葉の終わり、その瞬間に泰志は腕の中のエスリナの重さが増した感覚を覚える。しかし、エスリナが起きた様子も無ければ、突然質量が増加するわけもない。
そして同時に胸を締め付けられるような感覚に襲われる。何か、身体の奥底にずっしりとした重みを感じる。
泰志の感じた重み、それは命の重さに他ならなかった。
エスリナ、そして泰志の命の重みだ。
理解と同時に背筋に冷やりとしたものが駆け巡った。
「……良かったのかよ」
そして自然と呟きが漏れた。
「何か?」
イリスは怪訝な声音で問う。
「こいつは俺の命なんか救って良かったのかって聞いたんだ。片方が死ねばもう片方が死ぬ。俺は別に構いはしない。形はどうあれこいつに救われた命だ。こいつの死と同時に死んだって何の文句も無い。でもこいつは、こいつは違うだろ?なんで見ず知らずの俺なんかの命を救うために自分の命を差し出してんだよ。おかしいだろこんなこと!?」
叫び、思わずエスリナの体を抱き寄せる。とても小さな身体。
しかしその身体を動かす命はとても重い。そしてその命を握っている泰志の命は更に重い。
言葉を向けられたイリスは静かに口を開く。
「それがエスリニアーデ・シンクレアであり、姫様が自身の思想のために必要だと判断したことです。そしてその意思に従う。それが私の姫様に対する忠誠心です」
そしてはっきりとした口調で言い切った。
エスリナの思想、それに対する確固たる意思。それは泰志も身をもって体験している。
「人間と魔族が共存できるって本気で思っているのか?」
「私は負ける勝負に挑むほど物好きではありません」
念を押す泰志の言葉に、イリスは当然とも言うようにあっさりと返す。あまりにも簡単に返されてしまい、泰志は絶句する。
そこでイリスは更に言葉を続ける。
「それに、あなたも先ほど述べた賛同の理由。あれが全てでは無いですね?」
「何のことだか分からないな」
イリスの睨むような鋭い視線が泰志に突き刺さる。泰志はイリスから目線を逸らした。
「なるほど、あなたにも何か思うところがおありなんですね」
「何のことだか分からないな」
「ですがもし姫様に隠れて何かを企んでいるのだとするのならば、容赦はしません」
イリスは明らかな殺気を泰志に放つ。
「あぁ安心しろ。そんな気は全く無いから」
だが泰志はそれに全く臆することなくきっぱりと言葉を返す。
「……」
「どうした?」
「あなたという人が少し分かった気がします」
「いや、あんたも存外物好きだな」
皮肉に対し、今度はイリスが何のことだから分からないと言うかのように、眼鏡を軽く上げる。お互い一筋縄ではいかないタイプだ。
諦めたような気弱な笑みを零すと、泰志はエスリナを抱えたまま立ち上がる。今まで感覚が無かったため少し足元がよろけるが、何とか体勢を立て直す。
所謂お姫様抱っこの体勢の中、エスリナはのんきに小さな寝息を立てている。
「そんで?これからどうするんだ?あんたの話を信じるなら、もう計画ぐらい立ってるんだろ?」
「肯定です。これからの行動はすでに決まっています」
言ってイリスは背中に手を回すと、数枚の紙の束を取り出した。
「どこに収納してんだよそれ」
「あら、中々積極的なことを。脱ぎますか?」
「もう俺が悪かったです。だから止めてください」
服に手をかけたところで静止させる。そこでまたイリスは残念そうな表情を『作った』。
だが泰志の反応が微妙なことに気付き、直ぐに表情を戻す。そして取り出した紙を泰志に手渡す。
指先で紙を受け取った泰志は、書かれた文字を読んでいく。その途中で、僅かに口元を引きつらせる。
「おいちょっと待て。これ本当にやるのか?」
そして疑いの眼差しをイリスに投げかける。
「言ったはずです。私は負ける勝負はしません。勝ちに行く計画がそれです」
イリスは一切表情を崩さず、そして冷静に告げる。自信に満ち溢れている態度だ。
泰志は青ざめた顔色で苦笑いを浮かべながら、もう一度紙に書かれている内容に目を落とす。題名と、内容を簡潔にまとめるとこうなった。
<虎穴に入らずんば虎児を得ず作戦>
『人間と魔族の共存を目標に、まず人間を知るために人界に留学し、学校という社会集団で人間の生活の実態を把握、行く行くは人間と良い関係を築いていこう!』
頭が痛くなってきた。




