第4話
「もうダメです……やっぱり私には無理だったんです……台本だってちゃんと読んだのに……」
涙を交えながら、エスリニアーデは呟く。完全に心がへし折れている。
てか台本なんてあったことに驚く。
「せっかく練習したのに……ひっく……やっぱり私はダメな子です……」
「はぁ……おい」
チョコンと座ってぼそぼそと地面にのという字を書いているエスリニアーデに声をかける。
「……はい?」
エスリニアーデは傘を外し、流し目で泰志を見やる。
捨てられた子犬を見ている気分に襲われる。
「俺の名前だ。く・ろ・は・た・い・し。今度はしっかり覚えろよ」
一言一言区切って、はっきりとした口調で告げる。
すると、先ほどまで騒いでいた外野から「おぉぉッ!」という歓声が上がる。楽しそうだなお前ら。
エスリニアーデはしばらく呆然としていたが、状況を理解したのか、一気に表情を明るくする。
そしてまるで花が咲いたかのような笑顔で目を輝かせ、
「すみません!もう一回言ってください!」
泰志のみならず、外野すらずっこけさせる発言をした。
「姫様!泰志です!やつの名は黒羽泰志です!」
「やっぱマジで姫様侮れねえ」
「流石の俺でも覚えられたってのに、さすが姫様だぜ」
慌てた部下と思しき魔族が口々に呟く。
完全にエスリニアーデはアホの子扱いを受けているようだ。
まぁそれもこの状況を見れば仕方が無いことか。
「た……い……し?」
そんなこととは露知らず、エスリナはやっと覚えたのか、一つ一つ吟味するように言葉を発した。
「そう、泰志だ。今度こそ覚えてくれよ」
頼むから、と念を押す。
「泰志! 泰志! 覚えました!」
嬉しかったのかエスリニアーデはその場で、ぴょんぴょん、と飛び跳ねる。
確認するのはいいことだが、名前を連呼されるのは妙にこそばゆいので止めて欲しかった。
外野もそんなエスリニアーデの姿を見て安堵のため息を漏らす。
今の外野の心情がいやというほど理解できる。
「あ、私の名前は大丈夫ですか?」
一通り喜んだ後、エスリニアーデが聞いてくる。
「エスリニアーデだろ?」
「おぉすごいです!私の名前言いにくいって評判なんですよ。皆さんエスリナと呼ぶので、そう呼んでください、はい」
「ん?あ、あぁ分かった」
「はい」
「はっ?」
「だから、はい」
と言って手を泰志に向け、エスリナは何か期待に胸を膨らませた表情をする。呼べと?
「えっと……エスリナ」
何で親睦を深めているんだと思いながらも、もう空気に任せることにする。
どうせ体が動かないのだ。
なるようになるしかないし、対話を無視する理由も泰志には無かった。
泰志に名前を呼ばれよほど嬉しかったのか、エスリナは再び表情を明るくする。
喜怒哀楽が激しいタイプのようだ。
容姿とは違い、部下の言う通りおつむもあまりよろしくないように思える。
「それはそうと、エスリナ。あんた俺のこと殺さないのか?」
これ以上会話の主導権を握らせるとまたアホな発言が飛んでくる予感がしたため、先手を打った。
すると外野から、
「おい、人間の方から話しかけてきたぞ」
「まさか姫様これを狙って?」
「姫様そんな策士だったなんて」
絶対違うから黙ってろ外野。
「あ、えっとそれはですね」
泰志の言葉にエスリナは一度コホンッと咳払いをする。
すると、先ほどまでの幼さを感じさせる表情はどこにいったのかと思うほど、真剣な表情に変わった。
「私にあなたを殺す気は全くありません。その逆で、あなたの命を救いに来ました」
「俺を、救いに?」
「はい。あなたは先日の我々の最後の大遠征を防ぎきりはしたものの、瀕死の重傷を負いました。因みにこれは間違いありませんね?」
「これが瀕死じゃないって言うなら俺は瀕死って言葉の意味を間違って覚えていたことになるな」
泰志は自分の体を見ながら言う。全身に大量の切り傷が見られ、見るに堪えない姿だ。
だが、それでも生物学上まだ生きている。
「その割には私のことを苛めたではありませんか」
根に持っているのかエスリナは口を尖らせて拗ねる。
「満足に動かせるのは目と口と頭だけだ。手足なんか動くどころか、もう首から下の感覚があるかどうかさえ怪しい」
「それでよく生きてますね?」
「生き物って定義ではな。でも人間として生きてるかと言われたら、どうだろうな。まぁこのままだったら死ぬんだろうけど」
動ければ肩をすくめているところだ。だが確かによく生きていると言える。
生命力を吸収する能力のおかげか、図太い命のようだ。
長時間の戦闘で神経がイカレてしまったのかもしれないが、驚くくらい心は落ち着いている。
だが生きる活力が見出せるかと聞かれたら、首を縦に振りはしないだろう。
するとエスリナは一旦物思いにふけたあと、小さく頷いた。
「では私と取引しませんか?」
「あ~、言っておくが俺別に死にたくないとか思って無いから生き返らせなくてもいいぞ」
話の流れから何となく先読みする。
「えっ!?ちょ、ちょっと困ります!」
エスリナは眉をへの字に曲げ、困った表情で訴えてくる。どうやら当たりだったようだ。
「そんな回答は台本に用意されていませんでした!!」
「台本が無いとお前は会話も出来ないのか? というか今までの会話は全部台本にあったのかよ?」
「イリスの作った想定問答集にぬかりはありませんよ!」
「今早速ぬかってるやつがよく言えたもんだな」
「うっ……それは……そうですけど」
先ほどまでの勢いはどこへやら、シュンと肩を落としてしまう。
その姿に妙な罪悪感を覚える。多少フォローでもしておくか。
「別に相手の回答を予測して望むのは悪いことじゃない。でも相手ってのは予測通りに動くとは限らない。だからそれを踏まえて臨機応変に対応するんだ」
「は……はい」
エスリナは顔を上げ、姿勢を正して泰志に向き直る。
飼い犬をしつけているような感覚を覚えながらも、泰志は言葉を続ける。
「それに、あらかじめ用意された言葉を言うだけなら何も知らない子供でも出来る。そんなものは対話じゃない。もしあんたに俺を説得させる気があるんなら、それをあんたの口で、エスリニアーデ・シンクレアの口で語ってくれ」
「私の口で……ですか?」
「そうだ。考える頭と伝える口があるならそれを使うべきだと、俺は思う」
これは泰志の持論であり、常に心の奥底で燻っていた思いだった。
言葉が通じるのならば、まず対話をし、お互いを知っていかなければならない。
そうしてお互いの立場を明確にし、理解を深める。
他者とのかかわりとはかいつまんで言えばそういうものだ。
そう思ったところで、泰志はあることに気付いた。
「あぁそうだ。そうなると俺の方こそ謝らなきゃならないな」
「どういうことですか?」
エスリナは首をかしげる。
「俺はさっきあんたの取引の内容を聞かずに話を終わらせた。まぁ俺を生き返らせる代わりに何かしろってことなんだろうが、それでも詳しい内容は聞いていない。対話を主張するなら、あんたの提案を聞くべきだった。悪いな」
「い、いえ!それは構いません。私の方こそ、取り乱してしまい申し訳ありませんでした」
慌ててエスリナは深く頭を下げた。
おどおどしていながらも、一つ一つの仕草に上品な可憐さが目立つ。
お嬢様育ちなのが見て取れる。
本番に弱いアガリ症、だが一生懸命さは泰志にもいやというほど伝わっていた。
「それではお話の方は?」
「あぁ、こんな成りだが一応聞こう。だが何をさせる気かは知らないが、今の俺に生き返る気は無いっていうことは明言しておくぞ」
「つまり、あなたをこれからも生きようという気持ちにさせればよろしいんですね?」
目の付け所は悪くない。
むしろ鋭い指摘だった。そこに気付いたことに泰志は感服する。
「俺が飛びつきたくなるような手札を持っていればの話だ。だが今の俺にもその手札がどんなものかは見当がつかない。そもそも無いって可能性もある。それでもって言うんなら話してくれよ」
この時泰志は自分の心の中に、不思議な感覚が生まれかけていることに気付いていた。
今の自分を救う手札とは、今の自分に再び生きる気力を与えるものとは何か。
そしてエスリナがそれをものの見事に提示してくるかどうか。
まるで割に合わない賭けに大金をかけるような緊張感、そしてそんな賭けに何故か勝利を確信しているかのような妙な期待感。
今のこの状況に、激しく心が躍っていた。
断ると明言しておきながら、エスリナが自分を説得すると、切に願っていたのだ。
「それでも私は話します」
エスリナは真剣な表情で泰志を見つめた。
周囲の魔族も、変化した空気を感じ取ってか、静かに2人の行く末を見つめている。
泰志は静かに首肯する。
エスリナは一度心を落ち着かせるように深呼吸をし、口を開く。
「あなたには、我々と人間との間をつなぎゅきゃけ橋になってほしいのです」
聞いて、泰志は直ぐに眉をひそめ、言った。
「そのセリフはかんじゃだめだろ」




