第37話
今、エスリナの思想に共感し支持をしてくれた5万人に及ぶ数の魔族が、東京ドームに押し寄せていた。日本に住んでいる魔族の約98%だ。
その数にも驚きだが、何よりも目を見張るのは急遽東京ドームを貸し切るガウェインの影響力である。もっとも、東京ドームを管理している側にも魔族がいたことも大きな要因の1つであったが、そう考えても人界に完璧に馴染んでいる魔族が予想以上に多かった。流石に総理大臣が実は人間じゃありませんでした、などとてもじゃないが報道できるものではないが。
だがそんな日本の権力者、実質的な退魔師のお得意様である政府の長ですら、退魔師と魔族の冷え切った関係を修復することが出来なかった。
それを今のエスリナたちが成し遂げる事が出来るのか、不安は拭えない。
グラウンド側に立っているのはエスリナたち所要人物で、魔族たちは観客席からエスリナたちを見下ろしている。
「私達は退魔師と争うつもりは毛頭ありません!」
マイクを前に、エスリナは声を張る。
「いがみ合う関係に終止符を打つ、そのために私は魔界からここ人界へとたどり着きました。まだ生活を始めて2ヶ月、先輩であるあなた方に意見を述べるには短すぎる期間です。しかし、私はその生活の中で人間と共存する可能性を見つける事が出来たと思っています。結界により魔界に戻る事ができなくなってしまった方々の苦労は私には恐れ多くて言葉にすることも出来ません。静かにひっそりと暮らし続けたいと思う方もおられるでしょう。私にはその生き方を批判する権利も何もありません。しかし、私はその生き方が正しいものであるとは到底思えません。人間とは異なる存在、魔族であることをひた隠しにし、生活することは何より自分に対して差別をしている、自分を欺いていることに他なりません」
エスリナの演説を大勢の魔族は固唾を呑んで見守っている。そこには野次も賞賛の声も何も無い。ただ黙ってエスリナの声に耳を傾けている。
「しかし人々に私達の存在が認識されていない今、私達の存在が明るめに出れば混乱を招くのは必然であり、それは私も望むものではありません。だからこそ、少しずつ着実に前に進んでいく必要があるのです」
エスリナの演説に迷いは無い。エスリナの言葉には確固たる意思が含まれている。誰が考えたでもない、エスリナが立った今ここでつむぎ出したエスリナの心は確実に魔族に響いていた。
「私達は争いを望みません。私達の望むべき道は共存であり共栄です。そしてその未来に際し私達と退魔師の方々との関わりは到底無視できるものではありません。今現在も、私の友人である魔族が退魔師により捉えられています。私達は今、その友人を助けに向かう準備を整えています」
この言葉に魔族の中で動揺が走る。同時に不穏な空気が自然と発せられる。
だが、
「しかしこれは決して争いに行くわけではありません。力を振りかざしたのでは溝は深まる一方です。私達はあくまで対話で、魔族ということを堂々と宣言し対話を申し込むつもりです」
ざわつきが生まれる。エスリナの言葉は一見聖者のようなものだが、裏を返せばただの詭弁にしかならない。それもエスリナは自覚している。
「これには当然命の危険があります。問答無用で殺されてしまう可能性もあるでしょう。ですが魔族が退魔師と対話を行おうとしたという前例、それを作る事が何より大事な一歩なのではないかと私は思っています。報われないかもしれない行動ではあります、馬鹿な娘の埒外な行動だと笑われてしまうかもしれません。だからこそ、これは強制しません。私達と共に道を歩んでくれるか。それは自身の意思で決定してください。ここでお帰りになられても、私達はあなた方に何も追及したりしません。ですが、もし私達を笑うのであれば事が終わり、私達の行いが全て無駄と分かってからにしていただきたいです。ご清聴ありがとうございました」
エスリナは静かに一礼する。
素直なエスリナの意見、嘘偽りの無いエスリナの気持ちだ。
エスリナにそういった意図は無い、無いのが当然なのだが、このエスリナの言葉は泰志が父親である政志に言った言葉と通じているものがあった。
争いを止めるためには、まず自らが刃を収めるべし。
全体から見たらほんの小さな存在、しかし今この場の空気はエスリナによって掌握されていたかのように、錯覚させられる。
エスリナは聴衆である魔族を首を回して見上げる。
誰一人として、その場を去るものはいなかった。
そのエスリナの隣には泰志の姿はなかった。




