第33話
放課後、無事(?)一日も終わり、泰志は晩御飯の献立を考えながら、カバンに教科書などを詰めていた。
冷蔵庫の中身を頭の中に展開し、そういえば豆腐が残っていたな、と冷奴案を思い浮かべたところで、なにやらニコニコしながらエスリナが近づいてくることに気が付いた。
なんだか嫌な予感がする。
「泰志!今日の晩御飯は私が―」
「じゃあな泰志、達者でな」
間髪いれずに逃亡を図る京一郎だが、泰志はそれを許さない。
「ちょっと待てぃ!」
目にも留まらぬ速さで京一郎を取り押さえる。がっしりとヘッドロックを決め、京一郎の逃げ道を断つ。
「なにしやがんだッ!!」
顔を近づけ、元凶に聞こえないように声を落とす。
「今日飯食ってけよ」
泰志は笑っている。引きつった笑みが顔に張り付いている。
「なぁ頼むよ、お願いだよ……」
未だかつてこれほど弱気な泰志がいただろうか。始めから下手に出るなど、いつもの泰志からは想像もできない。その理由が分かるだけに京一郎は同情を禁じえない。
だが、それとこれとは話が違うのが現実だ。
「悪いが俺はまだ死にたくないんだ、死ねないんだ。妹と弟が俺の帰りを待っている。あいつらのためにも俺は―」
「連れて来てもええんやで?」
「殺す気か!?」
「あの~どうしました?」
2人の会話が聞こえてなかったエスリナからほんわかした声が発せられる。
二人はしばしエスリナを見た後、「ちょっと待っててね」と言って再びひそひそと会話を始める。
「断りゃいい話だろ!?」
「頑張ろうとしている奴を絶望に叩き落すのって酷じゃないか?」
「このままだと自分が死ぬんだぞ!?」
泰志は…………黙る。
「真実をありのまま教えてやるのも優しさだぜ大将」
京一郎は慈愛の笑みを浮かべる。
因みに京一郎の言葉は一切の誇張表現が含まれていない。いや、確かに確実に死が待ち受けていると言う表現は適切でもないかもしれないが、しかしエスリナの作る料理が生死の判定を行うアイテムであることは、このクラスの誰もが知っていた。
身をもって知らされたと言う表現が正しいだろう。
調理実習とは本来あま~いはずのイベントである。女子がクッキーを作ろうものなら、それに群がる男子が列を成すだろう。
だがしかしこのクラスの調理実習を行った家庭科室は、まさかの死臭漂うキリングフィールドと化してしまった。
その原因はひとえに、エスリナの料理オンチから来るものだった。
一体何をどうすればそうなったのか、他人となんら変わらない材料を使ったにもかかわらず、エスリナのクッキーだけ何故か異臭が漂っていた。
焦げているわけでも、形が無骨だとかそういうのは全くないどころか、見た目に関しては泰志が唸るほどの出来だった。
ガラスケースに入れれば見本とし十分店先に出せるほどだ。
だが、だが匂いがきつい。すっぱいのか、辛いのか、よく分からない匂いが家庭科室を掌握していた。そうなると、やはり味も心配になってくるわけだ。
男子の中には授業が始まるより先に、エスリナにクッキーの予約を取り付けている者―知らなかったとはいえ彼らは勇者だ―がいた。
エスリナは律儀に完成品を彼らの元に持って行き、食べて欲しいとせがむ。すると意を決して食べた彼らは、突然気を失い口から泡を吹き始めてしまった。
何とか彼らは一命を取り留めたが、これによりエスリナは家庭科室にまさかの出禁をくらい、そして何故か泰志も加えての食の安全に対する補習講義を2時間受けさせられたのだ。
と、このような具合にこのクラスではエスリナの料理と言うのは一種の爆弾―生物破壊兵器と考えられており、今もエスリナが晩御飯を作ると発言した瞬間に、数名どころかクラスの大半が体をピクッと反応させたほどだ。
当然泰志も断れるなら断りたい。こんなところでわざわざ進んで死のリスクを負う馬鹿は普通いない。
だがエスリナの料理オンチを何とかしたいとも思っている。それに加えスイッチが入ったエスリナはもう何を言っても止まらないのは分かっている。
この状態になった瞬間、最早逃げ道は無いのだ。
「人数がいた方が、摂取量が減るだろ?」
「確かに致死量には行かないかもしれないが、犠牲者は増えるんだぞ?俺はまだ死にたくないんだ」
「お前この前メイドの作ったものだったらありとあらゆるものを受け入れるとか言ってなかったか?」
「…………イ、イッテナって痛い痛い痛いッ!!」
ミシッとなった気がしたが、構わず泰志はヘッドロックをきつくする。
「し、死んだ親父が手を振ってやがった」
「そいつはご苦労なことだな」
京一郎は満身創痍で机に突っ伏す。どうやら足止めには成功したようだ。
そこで泰志はちょうどトイレから帰ってきたのか、教室に入ろうとする先ほどまでの会話を一切聞いていない纏と今宵に目をつける。
ふと纏と目が合った。
二人の目線が交差する。
先に逸らしたのは、纏だった。
否―逃走したと言った方が正しい。野生的な危険を察知したのか、纏は急に踵を返し、再び教室を去ろうとする。
だが、それをイリスが許すはずがなかった。
「諦めてください」
すでに教室のドアはイリスによって封鎖されていた。そしてそのイリスの表情は、これまた今まで見たことも無い、悲壮感漂う表情だった。
誰しも自分だけが不幸になりたくないのだ。死なばもろとも、道連れが欲しいのである。
さすがに纏もイリス相手では分が悪いと察したのか、強引に突破は仕掛けなかった。
力ずくでは魔族であるイリスに軍配が上がるが、纏も只者ではないため、この2人が本気で争ったらどうなるか。泰志に緊張が走る。主に事後処理についてだが。
「くそっ!煮るなり焼くなり好きにしな!」
諦めた、と纏は両手を上げた後、オーバーアクションでがっくりと肩を落とした。
その後ろで未だに状況を理解していなかった今宵がオロオロしていたが、誰も気にしなかった。




