第3話
―その時だ。
今まで何の動きも見せていなかった魔族の集団に変化があった。
道を開けるように魔族が左右2つに割れると、泰志に向けて一本の道が作られた。
そしてその道の奥から何者かが泰志に向かって歩み寄っていた。
それは少女に見えた。
肩をくすぐるほどの長さの淡い青みがかった髪。
肌は病的にまで白く、肩と胸元が露出した濃い紫色を基調とするドレスのような衣服を身にまとい、黒い日傘を携えていた。
日傘が影を作っており、顔は確認することが出来ない。
しかし特徴的なその黄金色の瞳は日傘の陰になっているにもかかわらず鋭く輝いている。
暗闇に潜む獣のように鋭い眼光だった。
泰志はこの瞳を知っている。
魔族を統率している3種族のうちの1つ、ヴァンパイア特有の瞳。
ヴァンパイアは滅多に戦場に出てこないため、泰志でさえ見たことは数回ほどだ。
少女は泰志から5mほどまで近づき、立ち止まった。
そして日傘を上に傾け、その素顔を泰志に晒す。
思わず、息を呑んだ。
自分が今にも死にそうなことを忘れかけるほど、泰志の思考は停止した。
恐怖を感じたとかではない。
いや、言葉を変えればある意味これは暴力と言っていいかもしれない。
それほどまで少女の美しさは泰志の目線を、意識を、感情を、有無を言わさずあまりにも一瞬であっけないほど簡単に奪い去っていった。
黒羽泰志の全てが停止した。
しかしそれと同時に、なぜか見たことがあるような既視感、引っ掛かりが渦巻いた。
これほどまでの容姿なら忘れるようなことは無いと思うのだが。
傾国の美女と形容できるほどの容姿の少女はどこか寂しそうに物憂げな表情で泰志を見つめていた。
数秒遅れて泰志は我に帰り、状況を確認する。
しかしこれから何が起こるのか、泰志には想像ができなかった。
魔族にとって泰志は宿敵であり、その宿敵が目の前で瀕死の状態になっている。
歓喜こそすれ、少女が辛そうな表情をする理由は泰志には想像できない。
そして泰志に止めを刺すのかと思いきや、少女にはそういった好戦的な雰囲気は微塵も感じられなかった。
そればかりか、魔族特有の魔力、それがこの少女からはまったくといって良いほど感じられない。
「あなたは、もう直ぐ死んでしまうんですか?」
心地のいい調べの声音が、泰志の耳に響いた。
会話を申し込まれたことに泰志は驚きを隠せない。
そういえば久しく誰かと言葉を交わしていなかったことを思い出す。
人生の最後が美少女との会話で終われるなら幸せか、と柄にも無いことが頭を駆け巡った。
細く、しかししっかりと響き渡る声に、泰志はほんの一瞬陶酔しそうになりながら返事をする。
「このままだったら……そうだろうな」
気力が無い分、変に着飾らない言葉を出せた。
「あなたのような方でも死んでしまうんですね」
少女は一旦咳払いをした後、次の言葉が発した。
「あなた、お名前は?」
「名前?えっと黒羽泰志だけど」
問われ、泰志は一瞬草薙神蓉と黒羽泰志のどちらにしようか迷った。
しかし、結界の守護者という役職を放棄した身となっては前者を名乗る気が起きなかった。
「そうですか、私はエスリニアーデ・シンクレアと申します。ぜひ覚えておいてください」
「は……はぁ」
矢継ぎ早に言葉を発する少女―エスリニアーデに思わず空返事をしてしまう。
何で名前を?それに覚えてくださいってどういうことだ?
と疑問に思ったが、
『ハハハ!今から貴様を殺す者の名だ!』
的な解釈で流すことにした。
それ以外で今から殺す人間に名前を覚えてもらう理由が見当たらなかった。
それに最後を黒羽泰志で迎えられるなら本望だ。
と、そこで泰志はあることに気付く。
なにやらエスリニアーデの表情が先ほどから変化している。
見間違いかもしれないが、まるで「やっちまたー!」というかのように目が泳ぎ冷や汗をかきながら、呆然と口を開けている。
一言で言えば、思考が停止している、焦っている表情だ。
「どうかしたのか?」
思わず心配になり声をかける。すると、
「いえいえ!何でもありません!そんな、自分の名前言うので一杯一杯で聞いたばかりの名前を忘れるなんてあるわけな――ッ!!」
言い終わった後、しばらく苦笑いを浮かべていたが、次第に顔を真っ赤に染めたかと思うとすばやい動きで背を向けてしゃがみこみ、エスリニアーデは持っていた日傘で慌てて体を隠す。
盛大に自爆してきやがった。
今の一瞬でエスリニアーデ・シンクレアの本性が見えた。
こいつは天性のドジッ子だ。
間違いない。
瀕死の身体そっちのけで泰志は目の前の事態に冷静に突っ込みを入れる。
「大丈夫……大丈夫……私なら出来る……何回も練習したんだから……うん」
と自分を鼓舞する呟きがあろうことか泰志の耳に聞こえてしまっている。
「何回も練習したんならミスるなよ。……おっと」
反射的に思わず突っ込んでしまい、口を慌てて閉じる。
するとエスリニアーデはバッと立ち上がり、泰志の方に顔を向ける。
そこには先ほどと同じ絶世の美少女とも言える容姿があるはずなのだが、恥ずかしそうに真っ赤に染まり両目に涙を溜める姿はとても幼く見えた。
「き、きき、聞こえてたんですか!?」
明らかに挙動不審な態度で聞いてくる。
「大丈夫だろ?何回も練習したんだろ?お前なら出来るって!」
「いやああああぁぁぁぁぁぁッ!!!」
途端、エスリニアーデはパニックに陥り、日傘を持ってヒステリックに悶絶し始める。
すると、
「ひ、姫様ぁぁ!!」
「大変だ!姫様がご乱心なされたぞ!!」
「誰か!イリス様を呼んで来い!!」
「早くしろぉッ!!」
っと、切羽詰った声が魔族の集団から次々と飛び交った。
見ると先ほどまで高度な訓練を受けた屈強な戦士のような堅い雰囲気の魔族達が皆、頭を抱えて慌てているではないか。
「何だ、こりゃ……」
目の前で繰り広げられるコントまがいの事態に流石に苦笑いが漏れる。
しかし、泰志は違和感を隠せない。
今まで殺すか殺されるかの死闘を演じてきた魔族。
言葉なら何回か聞いたことはあるものの、「死ね!」だの「ぶっ殺す!」だの物騒な言葉だったり、「ぐわぁぁッ!」という断末魔ぐらいだ。
言葉と同時に攻撃が飛び交う関係だった。
それが今はどうだ。
泰志の前で恥ずかしさで死にそうに悶えているのも、そんなエスリニアーデを見て慌てふためいているのも、同じ魔族だ。
魔族のはずだ。
今までこの手で散々葬ってきた忌み嫌うべき存在のはずだ。
―なのに何故、俺はこうも穏やかな心のままで居られるんだ。




