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第29話

 鼻腔を酷い匂いが襲った。それが泰志にこれが夢であることを告げる。嗅ぎ慣れている匂い。ここ数ヶ月の間に2,3日に一回ほどの頻度で見る夢。


 忘れたくても忘れられない過去、いや忘れてはいけない過去。それが多い頻度で夢として再現されるのは果たして喜ばしいことなのか。


 少なくとも夢の内容はとてもじゃないが歓迎されるものじゃない。


 鼻をつく匂い、それは端的に言えば死臭だ。肉が腐ったような酷い匂い。それを認識すると、今度は視界が開ける。光景の情報が呼び起こされる。


 荒れ果てた大地、その上に所狭しと体を重ねながら倒れている存在。その全てに生気は感じられない。全く動く素振りを見せない、完全に絶命している。


 死体の山、決して見ていて楽しいものではない。それがまるで絨毯のように地面に敷き詰められている先、そこにはまだ存命している存在が倒れている数の倍の数だけ立っており、何かを囲むように円を描き集まっている。


 その集団の中心、彼らの目線の先には1人の少年が立っている。その少年は紅かった。全身を真っ赤に染めた少年の姿はとても直視できるものではなかった。


 しかし少年は動く。全く迷いの無い動きを見せ、自身の正面に対峙している一匹のドラゴンに向かっていく。


 体格差が何倍どころか何十倍もあろうかというドラゴンに、少年はそんな体格差を無視するように手に持つ小太刀でいとも簡単に首を切り落としてしまう。


 ドラゴンが倒されたことで周囲の人々、否―魔族側に悲観というものはない。やられれば直ぐに次の誰かが躍り出る。その繰り返し。


 一種のパフォーマンスといってもいい状態だ。誰があいつを倒すか見物じゃないか、魔族の集団の中からそのような声が聞こえた。


 鮮血が少年をまた赤く染める。同時に泰志は鼻腔を刺激する嫌な匂いが増した気がした。あれは自分。見間違うはずが無い、魔界にいた頃の自分。


 それもまだ余力を残している時の自分、結界を突破しようと押し寄せた魔族を律儀に一体一体相手をしている自分を、これが夢だと認識している泰志は第三者視点で俯瞰している。


 視線の先、過去の泰志が紅く染まっているのは全て返り血によるものである。一度でも損傷してしまえば全てが崩れてしまう。魔族の中心にいる泰志は必死の攻防を繰り返しているのだ。


 途方も無い魔族との戦い。生命食いの効果範囲が術者を中心に2mというのは魔族側も十分承知であり、対戦相手以外は泰志から10m以上の距離を取っている。


 周囲から横槍を入れられるようなことはされない。矛先が自分に向けられるのを嫌ってか、はたまた正々堂々正面から叩き潰す自信の表れか。泰志には想像できない。


 この時の戦いは1週間に及んだ。


 死んだ数が全体の半分を超えた辺りから魔族側の空気が変わった。なりふり構わなくなったというべきか、一対一が一対二になり、一対三に増え、最終的に一対七にまで変わっていった。


 だがそれでも泰志の動きに衰えは無い。数が増え、逆に一定時間内に吸える生命力の量が増えたことで動きにキレが増したほどだった。


 そして数が全体の3分の1にまで減った時、魔族側に動揺が見えた。たった一人、それもまだほんの子供に1万を越す魔族の精鋭が負けている。その事実が、無情にも現実となって叩きつけられたのだ。


 後ずさる大勢の魔族。終わったかと胸を撫で下ろす泰志だったが、直ぐに緊張の糸は張り直される。


 魔族の集団が自然と左右に分かれる。作られた道の先、そこには1人の女性が立っていた。


 場にそぐわない漆黒のドレス、そして対照的な短いふわっとした銀髪。端正な、どちらかといえば勝気そうな凛々しい容姿の女性は、好奇心を前面に押し出した黄金色の瞳で泰志を見ていた。


 未だかつて無い魔力の余波が泰志を襲う。数多くいる魔族の中―それこそ先ほどのドラゴンのような巨大を持つものもいる―で、この今にもダンスでも踊りだしそうな女性が一番ヤバイことを本能的に理解した。


 女性はフリルのついた動き難そうなドレスにもかかわらず、軽快な動きで泰志の前に踊り出る。


『へえ、今回の守護者は若いんだね』


 まるで値踏みするように女性は泰志を見て、面白そうに口の端を吊り上げる。


 それに対して泰志は無言で戦闘体勢を整える。式を構えた左腕を前に出し、女性に対し半身になる。


『おーおー威勢の良いことだね。問答無用で叩き潰す。そういうの私は嫌いじゃないよ』


 屈託なく笑う女性に泰志は頬を嫌な汗が伝ったのを感じた。女性は気さくな雰囲気を纏っている。しかし底の見えない何かが潜んでいるような気がしてならない。


『こんな形で出会わなければ良い関係が築けたかもしれないね。と旦那も娘もいる私が言うのもなんだけど』


 女性は両手の平を上に向けるようにして肩をすくめる。


 この時もう泰志には女性の声はほとんど聞こえていなかった。緊張による恐怖。これまで感じたことの無い巨大な力、重圧。


 極限状態だった。



 それに押しつぶされそうになるのを何とか耐えている泰志には冷静な判断が下せる余裕はなかった。


 そう、ヴァンパイアとこの時初めて対峙した泰志には。


 女性が僅かに歩を進めた。


 その瞬間。


 泰志は己の中で何かが弾けるのを感じた。


 実際の泰志には一瞬だったが、俯瞰していた泰志はこの2人の攻防がとてつもなく長いことを改めて感じた。


 女性は嬉々とした表情で泰志の攻撃をいなす。その動きに泰志を制圧しようという意思は見受けられない。その最中、何か言葉を発しているが、それはどちらの泰志にも聞こえることは無い。


 やがて一心不乱に攻勢を続けていた泰志の動きが、女性を捉え始める。もとより戦闘には不向きなドレス。フリルのついたスカートが翻る度に、そこを基点にして女性を追い詰めていく。


 そしてとうとう式の刃が女性のスカートを切り裂く。女性の右太股が露出する。


 そこで女性は初めて泰志から距離を取り、破れたスカートをしばし見つめ、不釣合いになった左側のスカートを自身の手で破り裂いた。


 ミニスカートのようになった衣服から女性のしなやかな脚線美が姿を現す。同時に女性は深く息を吐く。


 決してそれに見とれていたわけではない。確かに今の女性は扇情的だ、戦う女性特有の美しさと強かさを兼ね備えている。しかし逆に、泰志はより一層警戒を強めたはずだった。


 だがそれであっても泰志は次の女性の動きにまるでついていくことができなかった。


 気付けば天を見上げていた。いつの間にかに地面に倒された、ということを数秒遅れて認識した。


 何故自分は倒れている。


 何故女性が自分を見下ろしている。


 何故自分の体は動かないのか。


 泰志の体は何かに拘束されるように動くことできなかった。何かしらの魔術を施されたと考えるのが妥当だ。気を抜いた、自分の状態に意識が飛んでいた最中に掛けられたのだろう。


 女性は泰志を見ている。その表情は何故か悲しげだ。哀れむように泰志を見ている。


『なんで君はそんな悲しい顔をして戦っているんだ?』


 この言葉を発したのは泰志ではない。女性の方だ。憂いている、そんな風情だ。


 泰志はしかし、問いに答えることができなかった。女性の言葉は耳に入っていた。だが、それよりも今この現状、自分が負けたという現実が泰志から冷静さを根こそぎ奪った。


 自分に負けは許されない。そう教えられ、そう育てられた。勝ち続けなければ価値は無い。それがあっさりと負けた。負けた自分に価値は無い。存在を許されない。


 ―やめろ。


 俯瞰していた泰志は強く拒絶を示す。しかし事態は変わらない。なぜならこれは過去に実際起こった事実なのだから。


 倒れている泰志の瞳は心の動揺を表現するように揺れながら女性を捉えている。


 ―止せ。結局俺は負けるんだ。ここで頑張っても無意味なんだ。


 答えを得られないと分かってか、女性は一度ため息をつき踵を返す。


 それが一瞬の隙となった。


 倒れていた泰志の体が動く。わずかな束縛の緩みから魔術を跳ね除けたのだ。跳ね起きた泰志は目を見開いている女性の首筋に式を突きつける。


 ―やめろぉぉ!!!!


 これまで同様、式は女性の首を刎ねる。


 その瞬間、泰志はその目にしっかりとその光景を焼き付けた。


 泰志に向かい笑みを零した女性の顔が、見るも無残に切断されていく光景を。

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