第19話
「大丈夫……ですか?」
恐る恐るエスリナが尋ねる。
「何のこれしき……蚊に刺された程度だ」
「蚊に刺されるとそんなに苦しいんですか!?」
「いや待て、驚くポイントが違うだろ」
「……虻だったら死んでいたところだ」
「お前も流れに任せて話に乗っかろうとするな」
「つまり蚊の進化したものが虻。そういうことですね」
「もう勝手にしてくれよ」
細かく分ければ違いはあるのだろうが、具体的な違いを泰志も詳しくは知らない。
蚊と虻の危険性について頭を悩ませていたエスリナだが、その時控え室のドアが開かれ、纏が顔を出す。
「エスリナいる? ……ってまた今度はどうしたのあんた?」
纏は腹部を押さえて苦しい表情をしている京一郎を怪訝な顔で見る。
先ほどの状況とよく似ている。
「どうやら蚊に刺されてしまったらしくて」
「蚊に刺されてそんな死にそうな顔してる輩を私は初めて見たよ」
「奇遇だな。俺もだ」
「と、そんなことよりエスリナ」
「はい?」
「指名入ったから休憩終わりにして入って」
「あ、分かりました!」
仕事の話をされ、エスリナは我に返ったように頷く。
特別メニューを選んだ場合、数人いるメイドの中から指名する制度になっている。
つまり指名されるということは、それなりにしっかりと仕事が出来ているということなので、泰志は少なからず安堵のため息をつく。
「それでは泰志!行ってきます」
はきはきと一生懸命さが伝わる表情のエスリナに、手を振って答える。
するとエスリナは退室しようとしたところで何を思ったのか、慌てて振り返り一度体の前で手を揃え、丁寧にお辞儀をした。
メイドとしての作法といったところだ。
「頑張ってこい」
「はい!」
満面の笑みを浮かべ、エスリナは控え室を出て行った。
「真面目って言うか馬鹿正直って言うか。見てて清清しいね」
エスリナが出て行ったドアを見ながら纏は感慨深そうに呟く。
「実際仕事のほうはどうなんだ?」
「保護者として気になっちゃう感じ?」
「あながち間違いじゃないな」
泰志の返答に纏はクスクスと笑う。
「なんだよ?」
「いや、あんたも変な所で正直だなって思ってさ」
「変なところで見栄張ってるよりは好感が持てるだろ?」
「残念ながら私は非攻略キャラなので他を当たってください」
「何だそのバグゲー、あとで制作スタッフに文句言ってくる。んで実際はどうなんだ?」
「だから私ルートは無いよ?」
「そっちじゃねえよ!始めの話に戻れ!」
白々しく肩をすくめる纏に少なからず苛立ちを覚える。
「百聞は一見にしかず。自分の目で見るのが一番いいよ。今だったら待ちがあんまりいないから直ぐに入れるよ」
「俺にメイド喫茶に入れと?」
「別にカウンターの陰に隠れてコソコソ見てもいいんだよ?」
コソコソをやけに強調する。
京一郎ではないが、そう言われてしまうと泰志は堂々とせざるを得ない。
陰で見るのは今の纏の言葉によって罪悪感と背徳感を生む行為に変貌してしまった。
乗せられた感が半端無いが、しかし泰志に他の選択肢が無いのも事実だった。
「いいだろう、正面から正々堂々行こうじゃないか」
「ふっ、あんたならそう言うと思ったよ」
纏はやけに上機嫌に、そして何か泰志を見下すように笑う。
まるで勇者の到着を待つ魔王の如く、かかってきやがれという重圧が泰志に襲い掛かる。
「あたしは先にフロアに戻ってる。4人のうち誰かが担当することになるけど、特殊メニューは指名制だ。好きな奴のを選ぶといい」
「一番人気は誰だ?」
「エスリナだろうね。あたしを含めたあとの3人はそれぞれ同じくらいかな。まぁもっとも、それぞれ趣向が違うけどね」
趣向という意味深な言葉に泰志は一抹の不安を感じる。
もてなす側の趣向か、それとももてなされる側の趣向か。
妙な緊張感が走る。
「内容は?」
「おいおいそれじゃあ面白く無いだろ?何が出るか分からないから楽しいのさ」
「なるほどすまない。今のは忘れてくれ。というかお前すごいノリノリだな」
「ノリだけで生きてるようなもんさ。まぁ他の客の様子見れば大体どんなものか分かるだろうから、それを参考にすることだね」
常に物事を楽しむ側の人間である纏にとって、今の泰志も飯がうまい状況に他ならない。
釈然としないが、しかし泰志も負けるわけにもいかない。
何に負けるかは知らないが、そんな気持ちになっている。
「いいだろう。存分にもてなされてやる」
「かかってきなよご主人様」
何故か両者の間で火花が散った。




