第13話
「お前らいつまでしゃべってんだ?」
指向性を持った声が泰志の耳に入ってきた。
そうかと思うと、教師が教卓に手を付きながら泰志と京一郎をその眠そうな目で見据えていた。
「別に授業中に参加しないで寝てようがそいつの勝手だし、俺は起こす気はまったく無い。それで理解が出来ないのはてめぇの責任だからだ。でも静かに寝てる分にはいいが、授業に参加しねえくせに話ばっかしてる奴はその例外だ。ちゃんと話を聞いてる奴に迷惑掛けてるってことだからな。そこでだ。黒羽、これ解いてみろ」
そう言って教師は板書してあった問題をコンコンと叩く。
「出来たら説教はチャラにしてやる」
ニヤリと教師が笑みを作る。すると、泰志の隣で京一郎が唸った。
「なんだよあの問題……」
問題は三角関数を用いた積分だった。
しかしまだ積分は一般的な関数を基にしたものしか学習しておらずこの問題は完全に既習の範囲を超えたものであり、それは当然教師側も分かっているはずだ。
それ故にたとえ成績が普通であったとしても、決して理解している部分では無い。
上位クラスならば話は別だが、中の中であるこのクラスでは誰もが考えることを放棄する問題―――のはずだった。
「わかんねぇよなこんな―っ!」
「えっと、コサインの部分をtで置換して、すると積分範囲がこうなるから……5/12ですか?」
京一郎が言葉を失ったのは泰志がルーズリーフの端を使い、更々と計算を始めたからだ。
そして出した答えを口にする。
「ほい正解」
数学教師は特に驚くこともなく、淡々と告げる。
普通なら泰志が解けることに唖然とするはずなのだが、その姿は泰志なら答えて当然と思っていた、と取れるほどあっさりとしたものだった。
教室から感嘆の声が広がる。既習の内容ならいざ知らず、解法も分からない問題を咄嗟に答えたことに誰もが驚いた。
授業に積極的な者は泰志が行った計算方法を見にわざわざ席を立っていた。
仕舞いには泰志は黒板の前に立ち、解説を行うことになった。
もはや授業中の無駄口を注意するどころの騒ぎでは無くなったのだが、教師はそんなことはなっから興味が無かったように、空いた泰志の椅子に座り眠そうに欠伸をしていた。
職務怠慢と言えばそれまでであるが、教師があれこれ指示しないで生徒が問題を考える空間が作られたのは紛れも無い事実だった。
黒板で解説を行っていた泰志は、教師が意図的にこの空間を作り出したのかと勘繰ったが、当の本人は腕を組み熟睡の体勢に入っていたため、確かめることが出来なかった。
授業終了のチャイムが鳴り、泰志によって起こされた教師は寝起きの顔のまま教壇に立ち、挨拶もそこそこに教室を去っていった。
「泰志すごかったです!」
まるで嵐が過ぎ去ったような安堵感を覚えた泰志のもとに、テンションを一段と高くしたエスリナが近寄る。
「よくあの問題が解けましたね!私は全然でしたよ!」
「まずお前は一般的な積分からして壊滅的だからな。出来ないのは分かり切ってる」
うぐっ、とエスリナの晴れやかな可愛らしい笑顔にヒビが入る。
苦言を呈した泰志だったが、数ヶ月前まで算数程度の知識しか有していなかったことを考えると、仕方が無いという思いも無いわけではなかった。
「何言ってんだ。エスリナちゃんは可愛いくて一見聡明に見えるけど、勉強が出来ないってキャラで売ってるんだろ?ギャップ萌えってやつ?」
「あの、もえって何ですか?」
「変な事を吹き込むな。お前も今のは聞き流せ」
京一郎の言葉に興味を持ってしまったエスリナを何とか瀬戸際で停止させる。
しかしエスリナは首をかしげ「もえ?モエ?燃え?萌え?」と呟いている。
「萌えに関しては後で詳しく話をお聞きしたいですが、よく解けたという点では私も同感ですね」
そのエスリナの後ろからイリスと授業前にエスリナに夢恋を貸した少女―夢島纏が現れる。
「本当、何で解けたのさ?」
「分野的には三年で習う数Ⅲのはずですが」
纏は心底驚いている表情だが、イリスは口ぶりからすればイリス自身も解法を知っていたようにも取れる。
イリスは完璧主義に近い思想を持っているようで、器量の良さも相まってすでに一般の生徒と同等、もしくはそれ以上の学力の高さを持っている。
だからこそ、知っていても不思議ではない。
「ん……まぁちょっと前の学校でやってた範囲だからな」
泰志は歯切れの悪い言葉を返す。
「前の学校ってどこだっけ?外国?」
「あぁ。日本とは少しカリキュラムが違ったんだよ」
纏の問いにそれとない返事をする。
泰志たち3人は外国からの編入生でエスリナとイリスは容姿の関係から留学生として、泰志は帰国子女という扱いを受けている。
だからこそ、今のエスリナの学力は会話は出来るものの、単に日本語の読み書きが出来ないという逃げ道により事なきを得ているわけだ。
するとイリスが僅かに眉を潜めた。その様子を見て泰志も僅かに表情を曇らせる。
「あれ?3人て確か同じ学校じゃ―」
「それはそうとさっきの話なんだが」
不自然にならないようタイミングを計り、京一郎の言葉に泰志は自分の言葉を被せる。危うくぼろが出そうなところであった。
しっかりと頭に叩き込んだとはいえ、作った設定である以上些細な食い違いも許されない。
少々強引だったが、話の優先度を察してか京一郎は怪訝な表情をするわけでもなく、そうだそうだと頷いていた。
「さっきの話とは何ですか?」
謎のもえの解消が困難だと気付いたのか、エスリナが会話に加わる。
「察するに先ほど注意を受けた雑談の内容では?」
「まさしくその通り。何でも京一が働いてるファミレスで人が足らないんだと」
「なるほど、人手不足を嘆いて私たちに泣きついて来たというわけですか。厭らしい」
「間違っちゃいない。間違っちゃいないけど、何で俺すごい下に見られてんの?」
「申し訳ありません、露骨に態度に出しすぎました。今度からこの思いは胸に秘めておくことにします」
「すっごい笑顔でとんでもないこと言わないでくれ」
今まで見たことも無いイリスの満面の笑みは泰志でさえ背筋がぞくっとした。
「ともかくそういう話が来てるってことだ。どうだ、悪くない話だが?」
そう言って泰志はエスリナに目配せする。
エスリナが人界に来ている理由。
それは人間とその人間が作る社会構造を知ることだ。
今回のファミレスのバイトも、ある意味では人間社会の勉強ということになる。
経済活動が殆ど無い魔界では考えるひつようが無い、生きるために働きお金を稼ぐという概念を学ぶには絶好の機会だ。
という泰志の意図が伝わったかは分からない。
いやおそらく伝わってはいないのだろうが、エスリナは目を輝かせる。
「ぜひやってみたいです!」
胸の前で小さくガッツポーズを作り気合いの入った返事をする。
―が。
「ですがエスリナでも大丈夫なお仕事なのですか?」
イリスの苦言でまたもやエスリナの表情にヒビが入る。その言葉に泰志だけでなく纏も苦笑いを隠せない。
エスリナの奇行は泰志たちだけでなくこのクラスの者ならば誰もが知っている。
理科の実験をすれば確実に器具を破壊するし、ロッカーの鍵を失くしたと騒いだのはこの2ヶ月で軽く5回は越えている。
おっちょこちょいといえば可愛げがあるが、言ってしまえば落ち着きが無いということである。
もはや不思議ちゃんというキャラで親しまれている。
そのエスリナが接客のバイトに入ったらどうなるか、誰もが息を呑んだ。
「いや。そこは問題ない」
その空気を一蹴したのは誰でもない、先ほどイリスに滅多打ちにされた京一郎だった。はっきりとした口調で肯定した。
泰志としては嬉しい限りだが、そこは店側と客の関係上かなり繊細な問題のはずだ。
「本当に……良いのか?」
覚悟しろよ、と念を押す。
そんな泰志に京一郎は清清しく、ふっと笑みを零す。
「良いも悪いも寧ろ適任だ。何せ働くのが……メイド喫茶だからな!」




