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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

祖父の倉庫で見たもの

作者: ウツワ玉子

初めてのホラーです。お盆休みの間に書き上げました。実体験を元に書いたので、短時間で書き終わりました。


駄文乱文で申し訳ないのですが、楽しんでいただけたら幸いです。


 これは、私が小学生の頃の話です。


 小学校の夏休み。よく私は母と妹と一緒に、母方の実家に二週間ほど泊まりに行ってました。

 母方の実家は鹿児島県の海沿いにある町の中にありました。その町は、鉄道と国道が通っているものの、周囲を山と川と海に囲まれた典型的な日本の田舎、といった場所でした。

 そんな町の中にある母方の実家には、母の両親である祖父母、母の姉である伯母とその夫である義伯父、そして従姉弟(いとこ)が二人いました。

 私と妹、そして従姉弟の四人で、町の中にある公園や周辺の山で虫を捕まえたり、河口で魚釣りをしたり、実家の広い庭で花火やバーベキューをしたりと、それは楽しい時を過ごしたものでした。


 さて、そんな母方の実家には、母の父である祖父が健在でした。祖父は公立高校の校長先生を務め、地元でも名士として有名な方でした。

 しかし、そんな祖父はもう一つの顔を持っていました。祖父は神道系の大学の卒業生で、在学中に神主になるための勉強もしていました。というより、神主になる勉強をするついでに教員資格を取った、というべきでしょうか。そんな訳で、祖父は神主でもありました。といっても、どこかの神社に属することはなく、大学卒業後は教員としてのキャリアを積むことになりましたが。

 そんな経歴を持つ祖父には、近所の人や高校の生徒の親御さん、そして卒業した教え子から、神主の仕事を頼まれることがありました。具体的には地鎮祭や井戸封じのお祓いとかです。

 祖父は熱心な教育者でもあり、厳格な人でもありました。しかし、他人の頼み事を断れないという一面もありました。なので、祖父は無報酬でそういった頼み事を引き受けていました。

 無報酬、なのは公務員の副業禁止の規則を守るためです。しかし、頼み込んだ人達は、さすがに祖父をタダ働きさせるのは申し訳ない、と思ったのでしょう。後日、母方の実家にいる祖母や伯母に『お土産』と称して高級なお菓子やお酒、缶詰や煙草を持ってきていました。

 こういった『お土産』は、庭の端にある倉庫に入れられていました。





 私が母方の実家に行っていたある日。私と従姉弟たちが夏休みの宿題をしていると、伯母さんが声をかけてきました。


「倉庫に貰った水ようかんがあるから持ってきて。冷やして皆で食べましょう」


 鹿児島訛でそう言われた私達は、さっそく私や母や妹が寝泊まりしている部屋の大きな窓から出ると、サンダルをつっかけて庭の端―――部屋からは目と鼻の先にある倉庫へ行きました。

 従姉が鍵のかかっていない倉庫の扉を開くと、夏の日差しによって温められた倉庫内の空気が私の顔にやってきました。埃の臭いがするその温かい空気の気持ち悪さは、今でも思い出されます。

 倉庫の中に入ると、確かに多くのものが棚や地べたに置かれていました。日本酒や洋酒の瓶や木箱、段ボールの箱なんかが置かれている中に、私は気になるものを見つけました。

 それは人形でした。よく見たら、複数の人形が置かれていました。日本人形やフランス人形、妹も持っている着せ替え人形なんかも置かれていました。

 最初、それは従姉のものかと思っていました。しかし、本人曰くそれは「じいちゃんが持ってきたもの」らしいのです。


「ほら、最近心霊写真とかオカルトブーム?ってのが流行ってるでしょ?じいちゃんの高校でも流行ってて。で、生徒さん達が『校長先生!これ呪われてるから払って!』って言って押し付けてくるんだって」


 私の小学生の頃は、確かに心霊写真や呪いのお菊さん人形、そしてUFOとかネッシーとかのオカルトものが流行っていました。夏休みになれば、テレビや子供向け雑誌にも特集が組まれていたのを覚えています。


 従姉の話では、祖父の高校でもそういったものが流行っていたそうです。特に、この頃に使い捨てカメラが発売されたこともあって、多くの生徒たちが遠足や修学旅行で写真を撮っていたそうです。そして、現像して変な写真が見つかれば、私の祖父にお祓いを頼んできたそうです。

 あんな厳しい祖父によくそんな事ができるな、と思うのですが、どうも祖父は生徒さんたちには人気のある先生らしく、祖父もまた他人に断れない性分でホイホイと引き受けていたそうです。


「心霊写真だけじゃなくて、最近は『呪いの人形だ』って言って人形も押し付けてくるんだって。だから、そういったものも倉庫にしまってるの」


 従姉はそう言いながら、倉庫の棚にあったお菓子の箱を一つ取り出しました。そして蓋を開けて中の物を取り出し、そのものを見せてくれました。それは、お菓子ではなく写真の束でした。

 私がそれを見ると、確かに写真にはボヤッと光る玉のようなものや、変なところから生えている手などが写っていました。


「・・・これどうするの?」


 少々ビビりながら私が尋ねると、従姉は肩をすくめながら答えました。


「じいちゃんは『迷信じゃ』と言って塩を適当に振ってた。今度の燃えるゴミの日に捨てるって」


「ええ・・・」


「ああ、でも人形はさすがに捨てないよ?ばあちゃんが『人形には人の想いが宿るから、粗末にしたら祟られる!』って言ってね。じいちゃんが車で鹿児島市内にある知り合いの神社に持っていくんだって」


 従姉が心霊写真を箱に戻しながらそう言っていました。その後、私と従姉弟は水ようかんの入った箱を探したのですが、どうも見つかりません。

 そして探しているうちに、私は白い紙の箱を見つけました。なんとなくそれが水ようかんの箱だな、と思った私は、その箱を手に取って蓋を開けました。しかし、中に入っていたのは水ようかんではありませんでした。


 それは、一体の仏像でした。大きさは三十センチから四十センチくらいで、木彫りの仏像でした。鎌倉で見た大仏のように座ってはいなくて、立った姿でした。仏像によくある後ろの輪っかとかはなく、本当に粗末な仏像でした。

 しかし、私はその仏像を見た瞬間、なんとも言えない気持ち悪さを感じました。何故ならば、その仏像の顔は黒く焦げており、全く顔がなかったのです。


「ああ、それもじいちゃんが持ってきたやつだよ」


 隣にいた従弟(従姉の弟で、私と同い歳)がそう言ってきました。彼の話によれば、祖父の高校の生徒の親御さんが持ってきたそうです。


「なんか、『これはやばい!呪われている!なんとかして下さい!先生!』って泣きながら言われたんで渋々引き受けたんだって。『これは神主じゃなくて坊主の仕事だろう』ってぼやいてた」


「うん、それを見たばあちゃんやお母さんが『気持ち悪!何でそんなもんを持って帰ってきたのよ!?』って言って怒ってた」


 従弟に続いて従姉がそう話していました。


 結局、水ようかんは見つからず、そのことを居間にいた大人たちに話しました。途端に、普段温厚な祖母が激怒しました。


「あんな気持ち悪かもんをお菓子の箱に入れたとね!?」


 祖母の隣でくつろいでいた祖父が、祖母の怒声でいきなり正座になったのを今でも覚えています。

 祖父の話では、さすがにあの仏像をそのまま倉庫に置くのは拙いと思ったそうで、ちょうど良い大きさの箱―――水ようかんの入っていた箱に入れたそうです。そして、中身の水ようかんは高校に持っていき、先生たちにあげたそうです。


 その後、その仏像は水ようかんの箱から高級洋酒の入っていた木箱に移し替えられました。洋酒の木箱ならば、子供達も開けないだろう、という考えだったらしいです。そして、木箱は釘で打ち付けられ、開けられないようにしました。そして後日、お寺に持っていくことになりました。





 それから数日後。母方の実家では宴会が開かれました。なんの宴会だったかは覚えていませんが、親戚や近所の人を招いての宴会でした。

 その宴会では、それまで倉庫で埃を被っていた缶詰やお菓子、お酒や煙草が放出され、多くの人に食べられ、呑まれていきました。今思えば、倉庫内の処分を兼ねていたのかもしれません。


 子供達にはお菓子やジュースが振る舞われ、私も妹も従姉弟たちも存分に楽しみました。そんな中、大人たちの集まっている場所で何やら揉め事が起きていました。

 私が見てみると、一人の中年女性が、祖父と言い合いをしていました。鹿児島訛で言い合っていたので、私にはよく分かりませんでした。ただ、傍にいた伯母と母がこんな会話をしていたのを覚えています。


「ほら、前に電話で話したアレ。あの人のことよ」


「ああ、あの人が・・・。ねえ、姉さん。いっそ警察に言ったら?」


「証拠がないのよ。それに、あの人の家、ここら辺の地主なのよ。いくらお父さんが対抗できるとはいえ、揉めると面倒なのよ。近所の人達を巻き込めないし」


「まあ、田舎だとそうなるよねぇ・・・」


 伯母と母の会話を聞きながら、私は祖父とその中年女性が揉めているのを見ていました。そのうち、一人の中年男性が中年女性に話しかけ、祖父に頭を下げると、中年女性は祖父から離れていきました。

 それからしばらくして、宴会はお開きとなり、皆は帰っていきました。





 それから更に数日後の夜。鹿児島に台風がやってきました。実家のある町には直撃しなかったものの、それでも強風圏内ということもあり、午後には雨戸を閉めて外に出ることはできなくなりました。


 そして寝る時間となりました。こういうときに限ってテレビで心霊特集を見てしまったのですから、怖くて寝ることができませんでした。外は雨風が金属製の雨戸を激しく叩き、時折ガタガタと家を揺らすのです。今思えば、家が倒壊するんじゃないか、という怖さもあったと思います。

 とりあえず寝ようとしましたが、目を瞑るとテレビでの心霊特集にあった怖い絵や写真、ショートドラマに出てきた幽霊の姿が思い出されます。確か『掛け軸に描かれた生首の目が開く』というやつはその時に見たテレビで知った、という記憶があります。それほどその時にやっていた心霊特集は怖いものでした。

 そんなテレビの内容を思い出す中、私はふと、あの顔が焼けた仏像を思い出しました。途端に私はそれまで以上の恐怖を感じました。

 私は布団で寝ながら顔を倉庫のある方向に向けました。そして、倉庫のある方向を見つめました。視線の先にあの仏像がある。そう思うと怖さは更に倍増していきました。


 ―――台風で倉庫が壊れて、中から出てこないだろうな?いやいや、釘で蓋を打ち付けたんだ。それに、あの倉庫は『百人乗っても大丈夫』な倉庫だって言っていた。大丈夫、大丈夫―――


 そう思う一方で、嫌なことも思い浮かぶわけで。


 ―――あの倉庫が壊され、木箱を破壊してあの仏像がこちらにやってくるのではないだろうか。あの仏像が『よくも閉じ込めたなぁ』と言って襲ってこないだろうか?―――


 そんなことを思っているうちに、雨風が少し止んだような気がしました。雨風の音は聞こえましたが、家が揺れるといったことは無くなりました。

 そんな中、外から大きな音がしました。それは、雨風で雨戸が叩かれたとか、瓦が飛んできて何かにぶつかった、というような音ではありませんでした。

 それは、金属同士がこすれるような音でした。そしてそれは、最近耳にした音でもありました。


 ―――倉庫の扉が開いている?―――


 確かにその音は、前に水ようかんを探した際に従姉が倉庫の扉を横に引いて開いた時と同じ音でした。

 私は思わずタオルケットを頭から被り、身体を丸めて目を瞑りました。


 ―――ヤバイヤバイヤバイ!あの仏像が出てきた!―――


 そう思った私はただひたすら目を瞑ってやり過ごそうとしました。夏なのに全身に鳥肌が立ち、寒さを感じたのでガタガタ震えていた、というところまでは覚えているのですが、それ以降の記憶がありません。





 どうやら私はそのまま寝てしまったようでした。気がついた時には朝となっていました。母と妹は普通に起きており、私だけボーっとした頭のまま、布団の上で座っていました。


「朝ご飯ですよー」


 私達の部屋の襖が開き、従姉が顔をのぞかせてそう言ったのを聞き、私は眠いという気持ちのまま、母と妹と共に居間へと向かいました。


 朝ご飯を食べ終わり、大人たちは外で台風一過の片付けをしていました。すると、にわかに騒がしくなりました。


「子供達は二階の部屋に行き。良いって言うまで降りたらいかんとね」


 伯母からそう言われた私と妹と従姉弟たちは、二階の従姉の部屋に閉じ込められました。そこで漫画を読んだりトランプやオセロで遊んでいると、外からサイレンの音が聞こえました。窓から覗くと、家の前の道に何台もパトカーが並んでいました。私と妹、従姉弟たちは何があったのか、と不安になって話したのを覚えています。


 色々あったその日の夜。母から事の徹末を聞かされました。どうやら、昨日の夜にあの倉庫に泥棒が入ったそうです。どうも台風の音に紛れて侵入したらしく、誰も気が付かなかったそうです。そして、元から鍵がかかっていない倉庫なので(そういえば、従姉もすんなりと開けてました)、そのまま扉を開けた後、中から物を盗んだらしい、と母は言っていました。

 私はその話を聞いて、内心ではホッとしました。あれは、あの仏像が開けたのではなく、泥棒が、つまり人間が開けた音だったんだと分かったからです。

 とはいえ、泥棒が私達が寝ている部屋の目と鼻の先にある倉庫に侵入したのですから、別の意味での怖さはありました。


「昨日、庭から変な音を聞いてない?」


 母がそう言いました。妹は「寝てたから分からない」と言いました。従姉弟たちも「二階で寝てたからよく分からなかった。むしろ雨樋の水の音がうるさかった」としか言いませんでした。

 私は最初、正直に言おうかと思いました。しかし、「怖くなってタオルケットを被っていた」なんて言えば、従姉弟からなんと言われるか。鹿児島という尚武が尊ばれる地域で、男の子が臆病な振る舞いをすればなんと言われるか。バカにされることは確実でした。


「僕も寝ていたから分からない」


 そう答えると、母は「分かった」としか言いませんでした。その後、従姉が母に聞きました。


「叔母ちゃん。何が盗まれたと?」


「じいちゃんのお酒。木箱に入ったやつが二つ」


 私と従姉弟たちは思わず互いの顔を見ました。従姉が母に尋ねます。


「あの仏像が入っていたやつ?」


 従姉の質問に、母は黙って頷いたのでした。





 それから更に数日経ち、鹿児島から帰る日の朝。私と妹と母は最後の荷造りをしていました。そんな中、朝も早いのに、来客がありました。それは、一人の中年男性でした。


「うちの家内が昨日からいなくなりまして・・・。こちらに来ていませんか?」


 玄関先で祖父に、私にも分かる標準語でそう言っていたのを覚えています。その中年男性は、祖父と揉めていた中年女性の旦那さんで、あの時は中年女性と祖父の間に入り、祖父に頭を下げていた人でした。


 話を聞いていた祖父は、「分かった。探してみっと」と言って、その中年男性と共に玄関から出ていきました。

 その後、私と母と妹は、昼頃に出発する飛行機に乗るため、伯母の運転する車に乗り、母方の実家を後にしました。祖父がいない、祖母と従姉弟たちの見送りを受けた私達は、そのまま空港へと向かいました。そして、その時に車窓から見た空と町は、来た時と違って夏の青空を感じないくすんだ感じでした。


 自分の家に戻り、夏休みが終わった後、学校で友達たちと夏休みの思い出話を話し合いました。私も話したのですが、あの仏像の話だけはしませんでした。なんだか話してはいけないような気がしたからです。





 次の年の夏休み。再び鹿児島の母方の実家へ遊びに行きました。今度は私と妹だけです。当時(今でもあるのか?)、子供だけで飛行機に乗ると、色々なサービスを受けることができました。それがとても楽しかった記憶があります。そもそも、子供だけで飛行機に乗るというのが、まさに夏の大冒険でした。


 そして、鹿児島にある母方の実家に無事につくと、変わらない祖父母や伯母さん、義伯父さん、従姉弟たちとの再会を喜んだのでした。


 それから何日か経って、従弟から話を聞きました。


「去年さ。うちに泥棒が入っただろ?あれ、犯人は近所の奥さんだった」


「そうなの?近所にそんな人がいたんだ」


「君も見たことあるよ。去年じいちゃんと揉めてた人」


「・・・ああ、あのおばさんか。なんかじいちゃんと言い合ってたな」


「あのおばさん、じいちゃんの洋酒が欲しかったんだって。なんか、とても高いお酒なんだって。譲ってもらおうとしつこく言ってきたみたいだけど、じいちゃんが断ったんだ。だから揉めてたんだ」


「へー」


「で、そこの旦那さんが宥めて一旦退かせたんだけど、どうしても諦めきれなかったらしく、そのお酒狙いで台風の夜に忍び込んだらしいよ」


「そうだったんだ」


「あのおばさん。人のものを盗むことで近所では有名だった。おいの母ちゃんも『あの人はやばか。あまり家に入れたかなか』って言ってた。

 あの後、警察が家を調べたらしいけど、結構な盗品が見つかったって。うちから盗まれたお酒もあったらしいよ」


 大人になった今の私には分かります。あの中年女性は、ネット掲示板で言うところの『泥ママ』というやつだったのでしょう。もっとも、ママだったかどうかまでは知らないのですが。


「で?そのおばさんは警察に捕まったの?」


 私がそう尋ねると、従弟は首を横に振りました。


「ううん。去年、君が帰った日にあそこの旦那さんがうちに来ただろう?『うちの家内がいなくなった』って。あれ以来、あそこのおばさん、行方不明だったんだ」


 そう言うと、従弟は声を潜めて話を続けました。若干、顔を青ざめながら。


「でも、それから一ヶ月後かな?漁港で浮かんでいたのが見つかったんだ」


「えっ?それって・・・。死んだの?」


 私がそう尋ねると、従弟はますます顔を青ざめて頷きました。


「うん。なんでも溺死?らしいよ。でも・・・」


 そう言うと、従弟は口を一旦閉ざしました。そして、しばらくしてから話し出しました。


「・・・顔が焼け焦げていて、最初誰か分からなかったんだって」


 従弟の言葉に、私はゾクッとしました。それと同時に、記憶の片隅に追いやられていたはずの、あの仏像のことを思い出したのです。

 私は思わず従弟に尋ねました。


「・・・そういえば、あの仏像どうなったの?見つかったの?」


 私の質問に対し、従弟は首を横に振って答えました。


「んにゃ。見つかってない。じいちゃんの話だと、あの家からうちのお酒と木箱が二つ見つかったって。二つとも木箱は開けられていたけど、仏像はなかったって。警察も見てないらしいよ」


 その話を聞いた時、急にのどが渇いたことと、変な汗で背中が湿ったのを今でも覚えています。





 さて、私はこの『小説家になろう』では歴史小説を書いています。ですが、今回はホラーとして実体験を書いてみました。

 なんで?と思われた方もいるかも知れません。実はこれには理由があります。


 最近、SNS上である仏像の写真が投稿されました。投稿した人のコメントを見ると、『海岸で拾った』そうです。

 私がその写真を見た時、私は心臓が飛び出そうなほどに驚きました。それは、私があの時祖父の倉庫で見つけた、顔の焼かれた仏像そのものだったからです。

 その後、その人のアカウントは削除されており、写真そのものはネット上で見ることはできません。


 今思えば、不思議なことばかりです。


 あの仏像はどうして顔を焼かれたのか?何故そんな仏像が存在するのか?

 祖父に押し付けた人はどうして持っていたのか?

 そして倉庫に放っておかれたのに、何で祖父母や伯母とその家族、そして私達に何も無いのか?

 更に言えば、あの中年女性は何故死んだのか?何故溺死体で見つかったのか?そして、何故顔を焼かれていたのか?

 SNS上に出てきたあの仏像はどこにあったのか?拾って写真をアップした人はどうなったのか?


 本当に、不思議でしかありません。


 そして、最後まで読んでくれた皆さん。ごめんなさい。私は怖くて関わる気はありません。これからも調べようとも思いません。ただ、あれには関わらないほうが良いと思います。皆さんも、調べない方が良いと思います。見つけたとしても、関わらないほうが身のためです。


 どうか、お気をつけて。


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