第三十二回 分岐点
目の前に青く光る球が現れた。大きさは野球ボールくらいで、白い羽が生えている。運営から重要なお知らせを告げるメッセンジャーだ。
「通常メンテナンスは予定通りに行われます。ログアウトをお忘れなきようにお願いします」
苦情を言うつもりはない。ニルヴァは仕組み上、人間の脳に作用する。運用は万全の体勢でお願いしたい。
メンテナンス日はぼんやり過ごした。特にどこかに行ったりはしない。メンテナンス日は休息日だ。
メンテナンスが終わったのでニルヴァにログインした。仕事の依頼がないかメールをチェックしていると部屋に来客があった。
ニルヴァ内で時任の住む部屋を知る者は五人もいない。そっと扉を開けると笑顔のモルルン王が立っていた。モルルン王はまるで友人にでも話すように声を掛けてくる。
「美味い話を持ってきた。部屋に入れてくれ」
怪しい人が勧誘する美味い話が本当だった試しはない。されど、モルルン王は前に勝手に時任の部屋の鍵を開けて入っている。追い返しても無駄だ。ならばさっさと話をきいたほうがいい。
嫌々だったがモルルン王を部屋に入れた。モルルン王は我が家の専用席だといわんばかりの態度で近くの椅子に座った。
「放浪神バガボンドの像を手に入れたって聞いたよ。時間は掛かったが、凄いじゃないか、回収させてくれ。価格は金塊八kgだ。もちろん、現実世界の金の保管口座に送る」
直球での交渉とはモルルン王らしくない。何か裏があるのか。
「ずいぶんと張り込むな。だが、その前に約束を守れよ。放浪神バガボンドの像を手にいれたら情報を教えるって約束したよな?」
モルルン王の出方をみる。像が半分になっている事実は伏せた。
「なんの件だっけ?」とモルルン王は素っ惚けた。
「モルルン霊廟の宝箱が空だった理由だ」
未だに謎だが解明しておかないと、最後で誰かに出し抜かれる。
「ザ・ゲイブの株と交換可能なアイテムを入手するには資格者じゃなきゃ無理なんだよ」
もう騙されない。事実を提示して嘘を暴きにかかった。
「シャオリーとリリサは俺の前で相打ちになった。俺が資格者じゃないと知っていたら俺が宝を持っていなくても納得する。だが、二人は俺が独占したと勘違いして襲ってきた」
時任に宝が入手不可能だとわかっていたら、誤解はいとも簡単に解けたはずだ。
「御愁傷さま」とモルルン王はしゃあしゃあとはぐらかそうとした。
「いい加減にしろ。俺が資格者かどうか、シャオリーとリリサが知らなかったわけがない」
のらりくらりとモルルン王は答えをぼかす
「僕は嘘を吐いていないよ。君が誤解しているだけだ。情報にはまだ続きがある」
「もったいつけずに教えろよ。信頼をなくすぞ」
モルルン王が信頼できないので当てつけだった。
柔和な顔でモルルンは穏やかに語る。
「僕は知っているよ。君が手に入れたのは像の半分だ。なら、教える情報も半分が公平だ」
モルルン王は像の状態を知っている。システム的に覗いたのか、大仁田から知ったのかは謎だ。だが、壊れた像を回収しに来たのだから時任のほうがまだ有利だ。
「なら交渉は終わりだ。像は俺が好きに使う」
その気はないが突き放した。モルルン王はきっと新たな提案を出してくる。
「意地悪な男だな。なら、像もいらない。金塊は渡さない。仕切り直しだ。ここからまた気持ちも新たに手を組もう」
像を他人に渡したくはないが、モルルン王が回収を急がない理由はなんだ。
「そうしましょう。これから一緒に手を携えてがんばろう、って言えると思うか? だとしたら、あまりにも俺を馬鹿にしている」
「先に手付けとして教えてなかった情報の半分をタダで開示する。これでどうだ」
モルルン王にしてみれば教えるだけなら懐は痛まない。時任の側は違う。宝箱が空になる秘密がわからないと、今後も重要な宝を取り零す。
「聞いてから判断していいなら、手を組むのを考えよう」
「時任が宝箱に手を掛けた時には宝は入っていたんだ。だが。宝箱が開ききった時に宝を盗んだ奴がいる。裏切り者がいるって警告しただろう」
見え透いた嘘だ。されど、モルルン王はオオカミ少年かもしれないが、馬鹿ではない。
「あの場に俺しかいなかった。誰かが隠れていたとしても、箱が開き始めてから、箱が開き切るまでに盗める奴はいない」
モルルン王は即座に指摘した。
「いるよ。時任だ」
「馬鹿にしているのか?」
モルルン王の顔は真剣だった。
「違う、君は時任であり時任ではない。記憶と人格は時任だが、体は四回目の死を迎えた別のプレーヤーのものだ」
ニルヴァでは四度目の死を持って、人格や記憶は変わる。本当の話だったら、説明が付く。されど、時任の記憶では三度しか死んでいない。
「信じないならいいよ。君の体に備わっていた眠れる意識が全てを取り戻そうとしている。そうなれば、今度はせっかく戻った時任の記憶と人格が消える」
怪しい噂の出所が疑わしい人物なら、はいそうですか、とは信じられない。
「いかにもゲームらしいが、それは新しく実装されたシナリオか?」
「どうとるかは、時任が決めたらいい。現実でもゲームでも決められる楽しさは必要だ」
すぐに答えを出す話でもない。
「こちらで調べてお前の話に信憑性があったならまた話そう。手を組むかどうかの判断はそれまで保留だ」
「結果待ちでいいよ。待つのは慣れている。そう僕はこれまでも随分と待った」
モルルン王は答えると帰った。
ニルヴァでは四度目の死亡により人格や記憶の書き換えがあると約款に記載されている。だが、表立って俺は別人になったと公言する人間はいない。理由は書き換えがとても巧妙だったとしたらどうか。
本人は気付いてすらいないのなら有り得る。
家族に画像を送っての確認は無駄だ。イデア王国は島国なので外へと続く情報ケーブルの管理は簡単である。情報を中継するルーターに仕掛けがあれば、送った情報の真正性も確保されていない。
「劉には世話になりっぱなしだな」
時任は劉の店に赴くと、劉は会ってくれた。劉の表情は曇っていた。
「弁明の日時が決まった。弁明の日までリリサもシャオリーもお前を襲わない。だが、納得のいく答えがない場合は別だ。それで、説得する材料は手に入ったのか?」
話し合いの場ができたのは有難い。怒れる二人を宥めた劉の有能さに感謝したいところだ。
「宝箱の中身が消えた理由はわかった。問題は証人もいなければ物証もないところだ」
しかめっ面で劉は非難した。
「信じてください、では収まらない話だぞ。今回の俺の立場は中立だ」
「借りは後できちんと返すから一つ教えてくれ。ニルヴァにおいて記憶や人格の操作に詳しい人間は誰だ」
劉の表情が苦り切った。
「お前はだんだんと危険な方向に進んでるぞ。だが、知りたいなら教える。預言者と呼ばれる奴がいる。そいつが一番詳しい」
その道のプロがいるとは嬉しい。問題は会えるのかだ。
「どこに行けば会える。イデア王国内にいるのか?」
「住所は不明だが、二ルヴァ内にほぼインしている。会おうと思えば、まあどうにかなる」
劉の言葉は歯切れが悪い。教えたくない理由が滲んでいる。
「どんな問題があるんだ。会うのがえらく難しい? 多額の授業料を要求される? それとも、性格破綻者か?」
「いや、探せば会える。料金はその時の気分しだい。どちらかと言えばまともな人間だ。ただ、預言者に会った人間は三十五日以内に行方不明になると噂されている。ゲーム内でもゲーム外でもな」
劉の情報なので実例が多数あると見た。おそらく、劉の顧客も消えている。ここから先は本当の危険領域になるのか。
「進むべきか、止めるべきか」
迷いはあった。危険には理由がある。預言者はニルヴァの秘密を知るものだ。大多数が知らないゲームの裏がここにある。
「預言者に会いたい。段取りをつけてほしい」
「弁明を切り抜けるために必要なのか。いいだろう、どうにかしよう。数日待て」
方針は決まった。時任はニルヴァの核心に近付く決意を持った。




