第二十二回 怪しいような怪しくないような
『魔物解説』キマイラ:四人パーティーで倒せると初心者は卒業とされる。一人で倒せるようになるとPVPで成績が残せるようになる目安の魔物。
翌日、待ち合わせ場所で待っていると大仁田がやってきた。大仁田は前に見た格好と同じだった。装備は革でできた魔術師の冒険衣装セット。
武器は六尺棒。ただ、前回の偽物の顔がどんよりしていたが今回はニコニコしていた。
大仁田は楽しそうに語る。
「前回は悪かったね。儂も楽しみにしていたが行けなくて残念だった。ニルヴァはいずれはやってみたいと思っていたがやっと時間が取れたよ。経営者も楽じゃない」
この手のおじさんの忙しい自慢は挨拶も同然なので、嫌味には感じない。また、こういう手合いのほうが褒めた時に素直に気分良くなってくれる。接待する時任としてはやりやすいお客だった。
「社長は遣り手なんですね。忙しいとは羨ましい限りです。こっちは貧乏暇なしですよ」
ハハハと時任は笑うとガハハと大仁田も笑う。社長と呼ばれて喜んでいるので、時任は経営者の大仁田を社長と呼ぼうと決めた。
分かり易いノリなので普段ならホッとした。だが、あまりにもオーソドックスな反応なので、逆に疑いたくもなる。
「この人は本当にニルヴァを楽しみにきた社長なのか?」と疑念は尽きないが変に疑って気を悪くされたら困る。何かの意図を隠して誰かが化けているのなら、露骨に疑うのも賢いとはいえない。
「どこか行きたいところはありますか?」
メールにはどこに行きたいと指定はなかった。こういう時はお客に行き先を決めてもらう。あまりにも危険な場所なら説明して止めてもらうが、基本はお客に任せた。
「モルルン霊廟に行きたいって言いだしたら注意だな」と時任は顔で笑って、心で警戒していた。
「キマイラが出る。『荒野の魔窟』なんてどうだろう。知り合いが行ったんだが中々に楽しめたと自慢していた」
『荒野の魔窟』は名前こそオドロオドロしいが、難しいダンジョンではない。敵は強そうに見えるが、見えるだけ。魔物の攻撃は単調で、魔法を使ってくるものはほぼいない。
トラップには大掛かりに見える物がある。されど、本当に『見える』ので、よほど粗忽な者や、深読みするようなひねくれ者でもないと引っかからない。
斥候、盗賊、忍者などの職はいなくてもどうにかなる。
「前衛を務める固い防御力を持つ近接系の職がほしい」が時任の本音ではある。巨大昆虫系や動物系の魔物の頭は良くない。しかし、昆虫系は変に硬く、動物系は攻撃力が高く、素早い。
戦士系がいれば昆虫系の防御力を上回るダメージが出せる。動物系の攻撃でも戦士系なら一撃や二撃は問題ない。戦士系の職に知り合いはいる。呼べば来てくれるが、接待の素人なので簡単には呼べない。
「キマイラは倒せました。でも、お客様は気分を悪くしました」では時任にとっては実質失敗になる。
この辺の機微がわかるプレーヤーはあまりいない。
時任は頭の中でさっと計画を立てた。
「俺が魔法剣で前衛をやればいいか。そうなると、問題はキマイラか」
『荒野の魔窟』の最大の難所はボスのキマイラである。キマイラだけが頭一つ飛び抜けて強い。とはいっても、殺人マシーンのシャオリーや歴戦練磨のリリサと比べれば子猫のようなものではある。
「『荒野の魔窟』は適度に骨があるので楽しめると思います。ただ、キマイラだけは強いので気を付けてください」
社長は上機嫌で答えた。
「それはやり甲斐がある。是非ともキマイラを倒そう」
社長が気前よく申し出た。
「タクシー券は私が使おう。時間短縮だ。パッと現場まで行こう」
ここでタクシー券を使うのはもったいない。自分なら使わないが、こういう時に遠慮してはダメである。有難く受け取るのが接待をする側の心得だ。
「お心遣い感謝いたします」と時任は頭を軽く下げた。
『荒野の魔窟』は荒れ地にある山の中にある。
ゲーム上の設定では、大魔術師ベントーレが廃棄した実験施設となっている。元実験施設なので内部の大半に灯があるので、初心者にも優しい。
山はオーストラリアのエアーズロックのように赤く大きい。地下もあるので広さもある。入口は三か所あるが一般的な正面入口より入った。しばらく歩くがプレーヤーとは出会わなかった。
「静かだね。もっと人がいるのかと思った」と社長が辺りを警戒しながら話しかけてきた。
時任も今日は静かだなと感じていた。ダンジョンの活性化の気配はしない。何か異常があるとはすぐには判断ができなかった。
「緊急メンテナンス明けが影響しているのかもしれません。大人数向けのダンジョンは緊急メンテ後にはボスが再出現していることが多いのでそっちに行っているんでしょう」
嘘は言っていない。ボスモンスターの種類によっては倒されるとしばらく再出現しないモンスターがいる。メンテ明け後にボスの再出現時間がリセットされるので狙い目ではある。
「どこの世界にも競争はあるか、ゲームの中も同じなんだな」
「適度な競争があるから面白いとも言えますね」
「違いない」と社長が同意したところで、前の方からカサカサと音がした。
音の主は赤蟻である。ただ、大きさは成人男性ほどあった。『荒野の魔窟』の蟻型のモンスターだ。赤蟻は仲間を呼ぶので少々厄介ではあるが、仲間を呼ぶ以外は怖くはない。
チラリと社長を確認する。社長は『魔力球』の魔法を唱え出していた。
時任は安堵した。
「付与魔術師だからといって、自分の六尺棒を強化して殴りに行かなくてよかった」
現実世界で武術の心得がある人間は厄介である。魔術職でも武器で殴りに行くことがある。これはあまり良い判断ではない。
現実世界の武術は主に対人間用に作られている。相手が人間でないと思わぬ反撃を喰らいピンチになる。
時任は『腐毒の沼』を唱えた。社長より後から詠唱をした時任の魔法が先に完成した。
通路に毒の沼が現れる。沼に足を踏み入れた赤蟻は即座に壁に登ってダメージエリアを回避した。蟻の足は筒状の通路との壁を歩くことができるが、時任には計算の内。
社長の『魔力球』が完成する。社長からバレーボール大の光る球が飛ぶ。赤蟻の頭に魔力球が当たると赤蟻は壁から落下した。下には時任が設置した『腐毒の沼』のダメージエリアである。
「ナイスです社長」と褒めておくが、本心は違う。
「仲間を呼ばれてからが本番なんですけどね」が本当だ。時任はあえて赤蟻が仲間を呼ぶのを止めなかった。楽しんでもらうピンチの演出である。
「大したことはないよ」と誉め言葉に素直に社長は照れていた。
『腐毒の沼』に落ちた赤蟻がキーキーと鳴いた。赤蟻は仲間を呼び出した。カサカサと奥から音がする。赤蟻の増援だ。増援数は三体。
逃げてもいいし、戦ってもいい。どちらでも対処できるので、社長の行動を待った。社長は迷うことなく『炎の息』の詠唱を開始した。
戦うと決まったので時任も合わせる。時任は『風の壁』の魔法を詠唱する。またも後から唱えた時任の魔法が先に完成した。通路に見えない風の壁ができる。
社長の『炎の息』が完成した。炎が前方に吹き出る。風は敵の方角に吹いている。社長が出した炎は壁に当たると煽られる。範囲と距離を伸ばして炎が赤蟻に向かった。
後からきた赤蟻も『腐毒の沼』を避けようとして壁に登る。炎を浴びて落ちた後に突進しようとするが、『風の壁』に遮られて前に進めない。
そのうちに『腐毒の沼』のダメージで息絶えた。また、奥からカサカサと音がしてきた。
このまま蟻が尽きるまで時任は戦えるが、社長に指示はしない。何事も自分で決定したがる年配の人間はいる。そういう時は配慮が必要だった。
時任は受動に振る舞う。時任に命令の意思がなくても不快にさせる。
「時任くん、撤退だ」
時任に判断を尋ねずに社長は即断した。社長は自分で決めたいお客さんだ。主体性があっていい。こういう時は従えばいいので反応が楽だ。最初から撤退も視野に入れていたので問題ない。
時任は甘い精油を取り出して投げた。瓶が割れ通路に撒かれる。
「蟻は甘い香りに気を取られ足止めされます。今の内に逃げましょう」
社長が走り出すので、時任は並走して場を後にした。




