はじまりの新学期2
講堂では、学園長の挨拶、着任した教師や担任の紹介、生徒会長による挨拶が滞りなく行われ、小一時間ほどで始業式は終了した。生徒に言い渡されたのは、新学級にてホームルームを済ませること。そして、週明けには新入生も合流し、感謝祭に向けての取組が本格的に始まることも併せて説明された。講堂内では、各シェアハウスのメンバーごとに座席が割り当てられていたが、リゼルたちの席の周りには、空席が二つ。レンと顔を見合わせてため息をついたのであった。
「リゼルさんたちと一緒に登校されると思っていました。お二人はどうかしたのですか?」
始業式後、物腰の柔らかい口調で話しかけてきたのは、同じシェアハウスで暮らすナチラだ。放送図書委員会に所属する彼女は、講堂の放送機器の設置や準備の関係で彼らより先に学園に登校していた。腰まである長い桔梗色の髪は、後ろで緩めに結っている。瞳と同じ色をした鮮やかな緑色のヘアクリップは少し長めの前髪を片方でまとめていた。講堂で合流した時には、リゼルとレンの姿しかなかったので、少々驚いた様子だった。
「知らない。これでも私たち結構ギリギリまで待ってたんだよ? でも、呼びかけても返事してくれないし、ほったらかしてきたの」
「どうせ二人してゲームでもしてたんだろ。かすかだが、そんな音が聞こえてきた」
講堂を出て教室へ向かう途中、彼らの話題は自然と未だに合流できない二人の話題になった。
「うっそ? そんな音、私聞こえなかったよ?レン耳良すぎじゃない?」
リゼルが玄関の扉を開けて、室内の二人に声をかけていた時、確かレンは、玄関の外で参考書を読んでいたはず。
「昔から五感が他の人より優れてるんだ。ついでに第六感もな」
魔法の力で自身の身体能力を高めている人も存在するが、レンはその類でなく体質的なもののようだ。
「すごすぎでしょ……」
「あまり良いものでもないぞ。聞こえすぎたり、感じすぎたりするのは疲れるからな」
「それもお辛いですよね」
講堂から教室へ向かうためには、正門そばの花時計の横を通過する必要があった。リゼルたちが学園へ来た時と同じように、クラス発表の立て看板は未だ備え付けられた状態である。放課後、生徒会が撤去するまではそのままなのだろう。そんなことを考えながら横目に各学級の生徒一覧を、レンは流し読みながら通過した。
「……あれ、あそこにいるのって」
「チョコラさんとホロさん……ですよね」
リゼルはまっすぐと前を指さした。新学級へとつながる玄関の手前には、女性教師と、その教師の目下で頭を下げるオレンジ頭と水色頭。まぎれもなくシェアハウスメンバーのチョコラとホロだった。あの様子だと、どうやら遅刻したらしい。教師も、怒りと困惑した表情をあらわにしている。
「始業式に遅刻だなんて許される行為ではありません!」
教師の声も少し離れたリゼルたちのところにも響いてきた。そばを通りかかる生徒も横目に見ながら通過していく。
「なにやってんだよ……ったく」
レンは完全に呆れていた。ふぅとため息をつきながら説教を受けている二人に近づいて行く。
「あ、ちょっと、レン!」
リゼルの声を無視し、レンはある程度チョコラたちに近づいたところで、スイっと素早く指先を動かした。すると突然、
「いつまでも黙ってないで遅刻した理由を、っ――――」
説教を続けていた女性教師がバランスを崩し、後ろによろめいた。このまま尻餅をついてしまうかに思われたが、そんな彼女を近くまで歩み寄っていたレンが優しく抱き留める。その突然のハプニングに、たまたま居合わせた学生たちは足を止め、女生徒たちからは黄色い声が飛び交った。目の前で指導を受けていた二人は口をあんぐりとさせている。
「大丈夫ですか、先生。危なかったですね」
「……レン・シュグナルくん」
「靴の部品がとれたのでしょう。それでバランスを崩したんですよ」
ほら、と言って側に転がっていたのは、女性教師が履いている靴のヒール部分だった。
「あらやだ。この間新調したばかりなのに変ね……。どうもありがとう」
レンの肩を借りながら、教師はバランスを取り戻した。滅多に見ることができない光景に、だんだんと野次馬が増えていく。レンの狙い通りである。
「先生、二人の遅刻を見逃してやってくれませんか。彼らのシェアハウス長は僕です。僕が二人に用事を頼んだせいで遅刻したみたいで……二人は悪くないんです。ですから、お咎めがあれば僕に言ってください」
この学園で、レンは容姿端麗、頭脳明晰でもっぱらの評判だった。肩を貸しながらの至近距離。周りで様子を見守る女生徒の歓声もひときわ大きくなっていく。
「そ、そういうことでしたら…今回の遅刻は多めに見ます。ですが! 今後は気を付けるように……いいですか二人とも!!」
「は、はいっ!!」
「本当にすみませんでした!!」
ずっと棒立ちだったチョコラとホロが慌てて返事をし、深々と頭を下げる。女性教師は歩きにくそうに、その場を足早に去っていった。去り際にあなたたちも早く教室に上がりなさい!とやじ馬たちを解散させていく。
「さて、と」
教師の後ろ姿が見えなくなったところで、レンはチョコラとホロの二人の肩を正面からがしりと掴む。
「どうして遅刻したか、きちんと説明してもらおうか」
ドスの利いた低い声でレンは二人に囁き、二人は震え上がった。
「レン、それから二人とも、大丈夫?」
「レンさん、お見事でした。お疲れ様です」
距離をとって見守っていたリゼルとナチラは彼らと合流した。
「リゼル、ナチラ、おはよう……」
気まずそうに、オレンジ髪の少年チョコラはそう言った。ミディアムヘアにアップバングを取り入れたヘアスタイルが、気まずさからなのか、元気がない。
「おはようってレベルじゃないし。たまたま私たちが通りかからなかったらお説教続いていたんだからね。……で、レンはあの先生に一体何したの?」
遠目に見ていたリゼルはいまいち状況を掴めていなかった。レンのかわりにナチラが説明する。
「魔法で先生の靴に細工をし、意識をレンさんの方に向けるようにしたんです。先生のあのお怒り具合から、その程度の魔法ならバレずに通用すると思ったのでしょう。レンさんの思惑は的中し、あとはギャラリーが集まったところで先生に言葉を投げかければ……」
「先生は退散するしかないってことね」
そういうことだ、とレンはまとめた。
「助けるのも今回限りだからな。しょうもないことで面倒ごとを増やさないでくれ」
未だに肩掴んだままの両手に力がこもる。それを、チョコラとホロは身をもって体感した。
「たいへんもうしわけございません……」
水色頭のホロが申し訳なさそうに謝罪した。彼の肩近くまで伸ばし、複数の色がメッシュで入った自慢のニュアンスパーマも、レンの前ではなぜかしおらしく見えてしまうから不思議だ。
「ホロも、レンと一緒で先生ウケが良かったら苦労しないのに。女子からの人気はあるのに損だよね~。それ、なーに? どうせファンからなんでしょ?」
レンは生徒と教師ともに絶大な人気を誇るが、ホロも、女子生徒からは絶大な人気があった。誕生日でなくても、日常的に彼の元へは様々な贈り物が届けられる。今日も、彼の左手には茶色の紙袋が提げられていた。
「これ? Bクラの女子にさっきもらったんだよ。クッキーだってさ。いる?」
「いらない。逆恨みとか怖いし。誰でもいいからさっさと彼女作っちゃいなよ、罪づくりな男ってホント嫌だな~」
「あれ、俺軽くディスられてる?」
チョコラに尋ねると深く首肯した。
「立ち話はそのくらいにして教室に行くぞ。ホームルームが始まる」
先に行くリゼルの後をついていく形で、ナチラとレンは校舎に向けて歩き出す。レンから解放された二人は同じ動作で掴まれていた肩をほぐした。
「……それから。チョコラ、ホロ」
途中、レンは二人の名を呼び振り返る。
「『ゲームのムービーストーリーが思いのほか長すぎて家を出るに出られなかった』なんて呆けたら、今度こそ、社会的に抹殺するからな」
顔は笑っているが、紅桔梗色の目は笑っていない。いや、それ以前に。
「俺たち…自白したっけ……?」
チョコラとホロは顔を見合わせる。レンが言ったことは的中してる。二人とも、この世界で絶大な人気を誇る壮大なRPG“イクシクサリア”シリーズのファンであり、春休み前に新作が出てからずっとのめりこんでいた。徹夜でそのゲームをクリアし、シークレットムービーに行きついた結果、今回遅刻するまでに至ったのだ。
「俺、第六感が優れているんだ」
さらに輝くその笑顔に、身震いする二人であった。