はじまりの新学期
艶やかで、肩甲骨まで長さのある亜麻色の髪の毛。ぱっちりとした二重に、赤い瞳。どんな髪型にしようか悩んだが、シンプルに毛先のみアイロンで内側に巻いた。姿見で自分の体を確認して、玄関を出てかれこれ15分。これで5回目の髪形チェックだとカウントしたところで、リゼルはくるりと回れ右をし、先ほど数分前にも触れたドアノブを力強く握ると、バンっと勢いよく開け放った。
「今日から新学期なんですけど!何分待たせれば気が済むのよ、チョコラ!ホロ!」
視界に広がるのは、リビングへと延びるフローリングと二階へとつながる階段、綺麗にそろえられた二人分の革靴。リビング手前の、洗面台へとつながる扉の向こうからは何も音が聞こえてこない。それはすなわち、名を呼んだ二人の少年は、二階の自室で今もなお過ごしているのだということを意味していた。さらに、リゼルの呼びかけに応じないあたり、まだ家を出る支度は整っていそうにないことも容易に想像できた。呼びかけに応答もなく、慌てる物音もしないことが分かり、リゼルは大きくため息をついた。
「初日だから皆で行こうって言い出したのはどこの誰よ……。もういいっ、先に行くからね!」
扉から手を放し、踵を返す。ずんずん歩いて門外に出れば、壁に寄りかかり何食わぬ顔で参考書に目を落とすレンがふと顔を上げた。菖蒲色のショートヘアスタイルの彼はやれやれといった表情で参考書にしおりを挟んだ。
「レン、お待たせ。行こうっ」
「リゼルにしては諦めが早かったな」
リゼルが学園の方向へ向かって歩き出したのを合図に、レンも彼女に歩幅に合わせてその隣を並んで歩く。手にしていた参考書は歩きながらリュックの中へと仕舞った。
「だって、新学期から遅刻だなんて恥ずかしいじゃない。寝坊したわけでもないのに。それに、これ以上レンを待たせるのも申し訳ないしね」
「お気遣いどうも。春とはいえ、まだ冷えるな」
「だよねー。男子の制服ズボンがうらやましい」
彼が履く濃い灰色のズボンに目を落とし、リゼルはため息をついた。
「女子の制服ズボンも許可されてるだろ」
女子生徒の制服ズボンは、本人が着用したいと思えば可能である。レンをうらやむリゼルだが、彼女が身にまとうスカートは、校則の丈よりも彼の目算だと5㎝は短い。
「わかってないな~、レンは。これはこれ、それはそれなの」
「支離滅裂すぎる……」
「細かいことは気にしないのっ! あ、見てみて。もうあんなに花が咲いてるよ」
話が逸らされ、リゼルが指さす先には、桜の木々が公園を囲むように植えられていた。数日前まではつぼみを付けていた花たちも一輪、また一輪と花を咲かせ、見頃を迎えていた。
「あと三日もせずして満開だな」
悠々と風になびかれる桜の木々を見て、二人の表情からは自然と笑みがこぼれた。
「去年は感謝祭の準備でゆっくりお花見できなかったけど、今年はシェアハウスの皆でできるといいね」
彼らの通学路は、四季折々の植物を見ながら登校することができる。それは、彼らが通う『天界私立華道学園』の『華道』に由来しているとかいないとか。
この世界で一番大きいと言われる華道学園は、遠方からの入学希望者も多く、学園から半径5キロ圏内には、学生のための寮が建ち並んでいる。寮と言っても、5LDKの一戸建てでデザインされているため、シェアハウスと呼ばれ親しまれている。シェアハウスは同じ学年の男女5人で構成され、その中の一人がハウス長として、学園から連絡事項などがあれば、ルームメイトへの伝達を担う。リゼルとレンは同じ屋根の下で暮らすルームメイトで、ハウス長はレンが任されている。責任感が強く、頭脳明晰、何事も涼しい顔で対処し、さらには機転が利いて誰からも厚い信頼を寄せられている彼にはうってつけの役職であった。そんな彼は、放課後も部活やアルバイトをこなして日々忙しそうだが、定期考査では常に上位をキープしている。
「感謝祭は盛大にやるからな。きっと今年も忙しいぞ」
「だよね~。でもお花見も譲れないしな~」
感謝祭は、年に一度、魔法が使える暮らしへの感謝と、魔法技術発展の祈りを込めて、世界全体で行われるイベントだ。リゼルが通う学園では、新入生の入学を歓迎する季節と感謝祭の時期が重なっていることから、「ウェルカムフェスタ」と名付けた行事を取り入れている。新学期が始まり本格的に学園生活がスタートすると、各学級が催しや企画の準備で、生徒も教師も忙しなく朝早くから夕方遅くまで時間を費やすのが恒例だ。
「クラスの出し物次第だな。去年は喫茶店だったから買い出しや下準備で忙しかったし」
シェアハウスのメンバーは、全員同じ学級になるように編成されている。去年、担任の提案で喫茶店を開くことになったわけだが、中等部一年の彼らにとって、料理を提供するための下準備はかなりハードルが高く、お花見どころの話ではなかった。
「今年はなんだろうね…でもその前に、クラス発表が気になる~」
「俺たちはみんな一緒だろ? 担任は異動されたから変わるだろうけど」
「…そうだけど、他のクラスメイトが誰なのかも私にとっては重要なの!」
そうこう話していると、彼らの身長よりもはるかに高い、華道学園の正門が二人を出迎えた。彼らと同じように正門をくぐった生徒が向かう先は、正面の花時計の奥の壁に立てかけられている立て看板だ。側には、「生徒会」の腕章をつけた上級生が微笑んだ様子で在校生の姿を見守っている。
「もうすぐ始業式です。クラスを確認した学生は講堂へと向かってください」
「もう、あの二人を待ってたからギリギリじゃん!レン、私見てくるね」
駆け足で立て看板に向かうリゼルの後ろを、レンは急ぐことなくゆっくり歩いていく。登校時間のピークを過ぎていたこともあって、生徒の姿はすでにまばらだった。自分の配属クラスはリゼルに任せ、レンは新中等部3年を眺めることにした。もちろん、知っている人物は、部活動の先輩くらいなのだが。そんなレンに、生徒会の腕章をつけた男子生徒が近づいてきた。
「レン、おはよ」
「副会長、おはようございます」
かしこまってあいさつするレンを、先輩でいいって、と言いながら副会長は笑った。
「君の見る看板、あっちだろ」
「彼女が代わりに見てくれてますから。生徒会は今日も忙しそうですね。部活、来られそうですか」
リゼルの方を覗き見たが、まだ名前を見つけられずにいるのか、看板の名前を追うのに夢中な様子だった。
「まぁな。新学期初日だし。放課後は感謝祭の予算案でちょっと見直す項目が出てきて……それが落ち着いたら部活に行くよ。それから、今度の生徒会役員交代式で会計にレン君を推薦するつもりだから、本気で考えておいてね」
「先輩、本気ですか」
レンはその紫色の瞳で、露骨に嫌そうな顔をして見せた。
「もちろん。君みたいに聡明な生徒、生徒会が放っておくわけないだろ? 勉強もできてスポーツもできて、その上女子生徒や教師からの人気も圧倒的だ。学園って、人脈が生きる世界だからね」
レンは自分では全く意識できていないが、他人から見たらかなり整った顔立ちをしている。色白で華奢ながらも適度に程よくついた筋肉と身のこなしのおかげで、入学してから定期的に女子生徒から好意を寄せられたり伝えられたりしている。が、全て丁重にお断りし、それがまた誰も傷つけない優しさだとか何とかでひそかにファンを増やしているというのは学園の噂話で真相は誰も分かっていない。
「……良い返事ができるかはわかりませんが、考えておきます」
つれないなぁと言いながら先輩は腕時計をチェックする。
「じゃ、そろそろ先に講堂に行かせてもらうよ。会長に怒られる」
「会長じゃなくて彼女、ですよね」
「そこは言い換えなくていいの。……じゃあな、遅刻するなよ」
足早に、他の生徒会と合流しながら彼は講堂の方へと向かっていった。その彼と入れ替わるようにリゼルがレンのもとに駆け寄ってきた。
「レーン、お話終わった? さっきの、副会長だよね?」
「あぁ。科学部で一緒なんだ。……で、確認は済んだのか?」
「うん! Aクラスだったよ」
とても嬉しそうな表情でリゼルはレンに伝える。少しだけ、頬が紅潮している様子で、レンは、あぁ、そういうことかと納得した。
「一緒のクラスでよかったな」
と意地悪そうに笑ってみれば、慌てた様子で
「え、も、もう!シェアハウスの皆が一緒のクラスになるのはわかってることじゃん!レン、ボケちゃったの?! ほら、レン、遅行しちゃうから講堂に行かないと!」
とおどけて見せる。強引に背中を押してくるリゼルがおかしくて、はいはいと相槌を打ちながらそのまま講堂へと向かった。