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【短編】

静かに祈りを捧げていたら、悪逆聖女と呼ばれて投獄されました

作者: 朝月アサ




「エリシア――聖女でありながら浪費の限りを尽くして国庫を食いつくし、民を苦しめる悪逆聖女め。お前との婚約を破棄し、投獄する!」


 ――その日、エリシアはいつものように王宮の庭園にある祈祷所で、つつましく祈りを捧げていた。そこに訪れた婚約者でもあるオリヴァー王子からの冷たい言葉に、エリシアは動揺する。


「ど、どういうことでしょうか、殿下。私は聖女となってから、ずっとこの場所で祈りを捧げてきただけです。浪費だなんて――」


 食べるものも、着るものも、ただ与えられたものを受け入れてきただけだ。

 食事は使用人と同じもので、着るものもつぎはぎだらけの服ばかり。

 ドレスや宝石も、時折ある儀式の時に借りものを身に着けるだけだ。給金すらないので自由にものを買うこともできない。


「自分のしてきた贅沢にも自覚がないのか。救いようがない。近衛兵、この女を塔に連れていけ!」


 オリヴァー王子は吐き捨て、連れてきた近衛兵に命じるとエリシアに背を向けて立ち去っていく。

 エリシアは絶望した気持ちでその背中を眺め、近衛兵たちによって罪人を監禁するための塔へ連れていかれた。



◆◆◆



「ははっ、ようやくあのつまらない女を片付けられたよ」

「オリヴァー様ったら、ひどい御方」


 オリヴァー王子は部屋の豪華なソファの上で、恋人である男爵令嬢のジネットとくつろいでいた。

 二人の笑い声が部屋に満ちる。


「仕方ないだろう。君との結婚のためには聖女との婚約をどうにかしないといけなかったんだから」

「ふふっ、エリシアはあなたには退屈な女でしょうから、仕方ないですわね。あなたとあたしの方がずっとお似合いですわ」


 ジネットはくすくす笑いながらオリヴァー王子の胸に頬を寄せる。

 オリヴァー王子は満足そうに笑って、ジネットを抱きしめる。


「いくら貴重な聖女とはいえ、結婚を押し付けられるのはうんざりだった。だがあの女を罪人として塔に監禁すれば、聖なる力も国に留められる」

「さすがオリヴァー様ですわ」


 ジネットは彼の腕に甘えるように寄り添いながら、心から尊敬するような眼差しで王子を見上げた。



◆◆◆



 厚い石壁に囲まれた塔の部屋で、エリシアは途方に暮れていた。


「どうしてこんなことに……」


 しかし塔の中で数日暮らすうちに、投獄生活が意外と悪いものではないことに気づく。

 食事の質も以前と変わらなかったし、過酷な淑女教育からも解放され、何かと絡みにきて不機嫌にしていたオリヴァー王子が来なくなった。


 そして、ここでも祈りはできた。

 エリシアは部屋の小さな窓から外の空を見つめ、両手を胸の前で握り合わせ、静かに目を閉じた。


『――エリシア』

(こんにちは、ソル)


 頭の中で響く声に、心の中で応える。

 いつからか、祈りを捧げているときにどこからか声が聞こえてくるようになった。少年のような、青年のような声が。

 エリシアが心の中で声に応えると、相手は驚いたように反応してくれた。それ以降、エリシアは祈りのポーズを取りながら、声の主と会話し続けてきた。


 内容は取り留めないものばかりだった。今日の天気。今日食べた食事。花が咲いたこと。風が気持ちいいこと。星が綺麗なこと。


 お互いのことはほとんど話さなかったため、エリシアには相手が誰なのかはわからない。わかるのは名前だけだ。

 名前さえわかればいい。その名前を呼べるから。

 エリシアはソルの声と存在に安らぎを感じていた。


『……何かあったのか?』

(……どうしてわかるの?)

『いつもと調子が違う。悲しそうだ』


 その声はいつもより優しく、涙が出そうになった。


(あなたに隠し事はできないわね。私、投獄されてしまったの)

『なんだ、お前もか。何をしでかした』


 ――お前も、という部分が気になったが、エリシアはあえて触れないことにした。


(わからないわ。自分の罪に自覚がないことが、一番の罪なのかもしれない。でもね、生活は意外と快適なの。こうしてあなたとお話もできるし)

『…………』

(心配しないで。すぐに解放されるかもしれないし。……でも、ほんの少しだけ怖いの。もしかしたら一生ここから出られないかもしれない……)

『エリシア……』

(ねえ、ソル。あなたが飽きるまで、私の話し相手になってね。私、それだけで充分だから)



 ――しかしその日以降、ソルの声は聞こえなくなってしまった。



 ソルの声が聞こえなくなってから、十日が経った。

 無言の部屋で、エリシアは虚無感に満たされながら、小さな窓から外をずっと見ていた。


(ソルに何かあったのかしら。それとも、飽きてしまったのかしら)


 空は穏やかで、青空が広がり、白い雲がゆっくりと流れていた。

 あまりにも穏やかで、涙が出そうになる。

 しかしそんな静かな空に、突然、何かが動いているのをエリシアは目にした。


(竜――?)


 とても遠い場所――肉眼では見えないようなところに、竜がいた。

 その姿は曖昧でぼやけているが、エリシアにははっきりとわかった。

 竜は迫り来るように、王国に向かって飛んでいた。


 エリシアは急いで分厚い扉へ駆け寄り、激しく扉を叩いた。


「竜が王国に向かってきているわ! 早く誰かに知らせて!」



◆◆◆



 兵士が王宮の廊下を急いで駆け抜け、息を切らしてオリヴァー王子の元へとたどり着いた。


「聖女からの報告です! 竜が王国に迫っています!」


 オリヴァー王子は眉をひそめ、舌打ちする。


「そんなことがあるわけない。エリシアの妄言か、悪事を企んでいるだけだろう。絶対に外に出すなよ」

「しかし――」

「黙れ! 僕に逆らう気か!?」


 その時、王宮の上に大きな影が落ち、窓ガラスが軋む音が響いた。そして、竜の咆哮が空を震わせる。

 オリヴァー王子は慌てて窓の外を見る。まさか、本当に竜が現れるなどとは思ってもみなかった。


 しかし竜は王国を襲うことはなく、王宮の周辺をゆっくりと旋回する。


『エリシアを……出せ……』


 空から重く声が響く。

 竜の声にオリヴァー王子は顔色を変え、思考を巡らせる。


「狙いはエリシアか……? ――そうだ! 竜がエリシアを求めているとしたら、囮にして竜を退治すればいい。そうすれば、僕は英雄だ!!」



◆◆◆



 ――突然、エリシアを閉じ込める部屋の扉が開く。

 現れたのはオリヴァー王子だった。

 エリシアは驚きで声が出ない。そんなエリシアをオリヴァー王子は無理やり腕をつかんで部屋の外に引きずり出した。

 そして、塔の上に向かう階段を上っていく。


「お前は竜を退治するための生贄にする。光栄に思え」

「殿下……?」

「何もかも、お前が役立たずだから悪いんだ! 少しは僕の役に立ってみせろ!」


 怒りにまみれた冷酷な声で、王子は告げる。

 エリシアは絶望的な気持ちのまま塔の頂上まで連れていかれて、置き去りにされた。

 強い風が吹きつけ、髪や衣服が大きく乱れる。


 震えながら身をかがめると、遠くに黒い竜の姿が見えた。

 大きく、雄大で、勇ましい姿に、目を奪われる。


 竜は一瞬でエリシアの元まで飛んでくると、ふっと姿を変化させ、塔の縁にふわりと降り立った。

 そこにいたのは、黒髪の青年だった。金色の瞳と目許はどこか幼く、まるで少年のようでもあった。


「エリシア」

「その声……やっぱりあなたは……ソルなの?」

「そうだ、お前に会いにきた」


 風が吹きつける中、エリシアとソルは互いに見つめ合う。


「――俺はずっと、山の中に封印されていた。それだけならよかったんだが、意識は保ったままというのが最悪だった」


 エリシアは彼の正体が気になったが、それよりもソルの語った境遇の方が胸を痛めた。

 意識を保ったまま封印されるなんて、どれだけ恐ろしいことだろう。

 エリシアは胸が締め付けられるような思いに襲われた。


「だが、ある時からお前の声が聞こえた」


 ソルの表情が少し明るくなる。


「それからは、孤独を感じることはなくなった。お前との語らいに癒され、次第に力を取り戻し、封印を破ることができた」


 ――封印された竜を目覚めさせるなんて、とんでもないことをしてしまったのでは。

 エリシアは慄いたが、ソルを助けられてよかったとも思った。

 ソルがエリシアに手を差し出す。金色の瞳には決意と優しさが宿っていた。


「今度は、俺がお前を助けたい」

「ソル……逃げて!!」


 下方から強い魔力を感じ、エリシアは叫んだ。


 ――王子はエリシアを竜退治の生贄にすると言った。


 王子の命令で集められた宮廷魔術師たちの絶大な力が、塔の頂上に向かって放たれる。

 空気が弾け、光が炸裂する。

 何もかも無に帰すような強大な攻撃を受けながら、エリシアはひたすらソルの無事を祈った。


 そして、静けさが訪れる。

 エリシアの身体は宙に浮いていて、足元には何もなかった。


(――ああ、私は死んだのね)


 死んで魂だけになってしまったのだろう――そう思いながら瞼を開くと、ソルの顔がすぐ近くにあった。

 心臓が、激しく鼓動を打ち始める。


 エリシアは慌てて周囲を見渡す。

 ソルが空に浮かびながらエリシアの腰に腕を回して抱きとめていた。

 周囲には結界が張られていて、塔の上部は消滅していて、少し離れた場所では宮廷魔術師の一団とそれを率いるオリヴァー王子の姿があった。


「稚拙な魔法だ。ほんのわずかな間で、ここまで魔法は劣化したのか」


 ソルの力が高まる気配を感じる。このままではきっと、王子ごと宮廷魔術師たちも消し飛ばしてしまうだろう。エリシアは思わずソルの腕に抱きついた。


「あの人たちは何も悪くないから!」

「だが、あの馬鹿そうなやつがお前を苦しめているんだろう?」

「それは――……いいの。忘れるから」


 エリシアはソルの瞳をまっすぐに見つめた。

 純粋な子どものような、強大な竜の瞳を。


「忘れてしまうから、私を遠くへ連れていって」



◆◆◆



 王宮の大広間で、外遊から戻ってきた王は厳しい表情でオリヴァー王子を睨みつけていた。大広間は重厚な雰囲気に包まれ、部屋全体が王の激怒を感じさせていた。


「オリヴァー、お前の行いは許されないものだ。聖女を冷遇し、竜の怒りを買うなど……おかげで聖女まで失ってしまうとは……」

「申し訳ありません、父上……」

「聖女をお前に任せたわしが愚かだった。お前の王位継承権を剥奪し、平民に落として国外追放とする」

「そ、そんな――お考え直しください!」


 オリヴァーは必死になって懇願するが、王の決意は揺るがなかった。

 すぐさま何もかもを取り上げられて、王都の城壁の外に放り出されることになった。

 恋人である男爵令嬢のジネットに助けを求めようとしたが、彼女は顔を見せさえしなかった。


 ――王子でなくなった自分には見せる顔もないということかとオリヴァーは思ったが、ジネットは王族をたぶらかした罪で既に処刑されていた。

 オリヴァーは失意のままに、ふらふらとどこかへ歩き出した。




 ――一方、己を犠牲にして竜を鎮めたと讃えられることになる聖女エリシアと、黒竜ソルは新しい世界を旅していた。


 どこまでも続く空を悠然と飛びながら、途方もなく広大な大地を一瞬で飛んでいく。

 エリシアはソルに守られてその景色を楽しみながらも、これからの人生にほんの少しだけ不安を抱いた。

 だがそんな不安は、ソルの姿を見れば消えてしまう。


「ねえソル、私たち、どこまで行けるのかしら」

「エリシアが望むのなら、どこまでも」






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[良い点] 短い話に良く纏めたなぁと思いました。楽しく読めて面白かったです。 最後の二行は最高の〆の言葉でした。不遇をかこった二人の前途に幸あれと願います。 齟齬や誤字等無く、スラスラと読みました。丁…
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