第9話 殺人虎
皆人とレインが背を合わせ、それぞれヒュマンドコアとにらみ合っている。
両者、非常に険しい表情をしている。
「まさか2匹同時に遭遇するとは……しかも前後から挟まれている状態、これはまずいね」
レインが苦々しくつぶやく。
「どうしますか?逃げるのは厳しそうですが」
「うーん、フィアスピアースで速攻で2匹倒すしかないかな……」
レインはあまりこの方法はとりたくなかった。
フィアスピアースは速いので照準をしっかり合わせればほぼ確実に命中するのだが、炎の槍はとても細いので急所にあたらないと致命傷にはなりにくい。
自分が対峙している前のやつはしっかり急所を狙えるだろうが、そのあとで急いで後ろを振り返り、皆人が対峙しているやつの急所に照準をちゃんと定められるかは少し自信がなかった。
また、ヒュマンドコアは加速魔法を使用するので、レインが前方のやつを倒しているわずかの間に皆人が速攻でやられる恐れもある。
「ミナト君、しっかりけん制しておいてね。少しの時間でも耐えてくれれば……」
レインがそこまで言いかけた時だった。
突如としてヒュマンドコアの姿が消えた。
「消えた……?」
「先生、こっちもです!」
しかも2体ともである。
「……いや、魔力を感知できる。まだそこらへんにいるよ!」
レインが皆人に注意を促す。
(姿を消す魔法!?そんな魔法を使うヒュマンドコアなんて聞いたことない……変異種か?)
魔獣は落ちている魔鉱石を取り込むことがある。
魔鉱石というのは自然に存在する魔力が結晶化したもので、できる場所や結晶化の仕方によってさまざまな性質のものが生まれる。
そして魔獣は取り込んだ魔鉱石の性質に由来して、新たな魔法を獲得することがあるのだ。
こうして性質が変化した魔獣を変異種と呼ぶ。
変異種自体はそこまで珍しいものではないが、このヒュマンドコアが使った魔法にはレインも驚かざるを得なかった。
姿を消す魔法。
それは人類がいまだ開発できていない魔法だった。
先天的なスキルで姿を隠すことができる人はいるし、そのような魔法をもつ魔獣もいないことはない。
しかし、姿を消す魔法をもつ魔獣は力が弱く、天敵から逃げるためにこの魔法を獲得したと考えられている。
そしてこの魔法を獲得した変異種はこれまでに確認されていなかった。
ヒュマンドコアというただでさえ強力な魔獣が姿を消す手段を得たこと、そしてそのような変異種を生み出す、おそらく未知の魔鉱石が存在するということにレインは驚いたのだった。
(やはり世界三大秘境と言われているだけあるね。こんなやつに出会えるとは……でもこのヒュマンドコアは危険すぎる。繁殖して数が増えでもしたら……できる限り駆除していかないと)
レインはこのヒュマンドコア変異種を倒す決意を固める。
幸い、姿は見えなくても【魔力感知】で大体の位置は掴むことができた。
2匹ともゆっくりと近づいてきている。
(妙にゆっくりだな……足音を立てないためか、それとも速く動くと姿を隠しきれないのか……いずれにしてもチャンス)
レインがそう考えていると、皆人も
「ゆっくりと近づいてきている気がします。どうしましょう?」
と質問してきた。
「ミナト君、これはチャンスだ。私がまず一匹仕留める。その時に君は魔法でできるだけ速くそして高くジャンプしてくれるかい?」
「ジャンプ、ですか?」
「うん。ヒュマンドコアはジャンプ力はあんまりない。だからまず君をヒュマンドコアの脅威から離す。君が跳んだらすぐに私が魔法を撃ってまず私の正面のやつを倒し、そのあとすぐに高く跳んだ君に注意が逸れているであろうもう一匹も倒す。これでいこう」
レインが作戦を説明する。
皆人もすぐに頷いた。
「ではいきます。ナタン、アクセラレティオ」
皆人の足元に魔法陣が出現し、次の瞬間皆人は真っすぐ上に向かって猛スピードで上昇した。
皆人が使ったのは浮揚魔法と加速魔法。
浮揚魔法は加重魔法とは逆の効果を生み出す魔法である。
かなりの速さで浮揚した皆人に、皆人と相対していたヒュマンドコアは反応できず、ただ茫然としているように見える。
そして皆人の詠唱と同時に、レインは手も口もまったく動かすことなく、フィアスピアースを放った。
前触れなく放たれた超音速の炎の槍を認識できないまま、レインと相対していたヒュマンドコアは意識を闇に閉ざした。
(まず一匹)
とレインが心の中でつぶやき、後ろを振り返る。
もう一匹のヒュマンドコアは魔法が乱れて姿が露わになっていたが、レインの意識がこちらに向いたことを察知し、瞬時に加速魔法を発動して逃亡を開始した。
レインには勝てないと判断したようだ。
(逃がさない!)
レインも同様に加速魔法で追跡を始めた。
◇ ◇ ◇
一方皆人は地上30メートルほどで浮遊したまま、レインとヒュマンドコアのチェイスを見物していた。
浮揚魔法を展開したままなのでいまだ浮いていることができている。
(レイン先生も速いな。もう見えなくなりそうだ。……そろそろ降りても大丈夫かな)
そう思って皆人が着地地点を確認する。
するともう一匹、ヒュマンドコアがレインに倒された死体のもとにいた。
死体に顔を近づけ、なめたり、匂いを嗅いだりしている。
仲間だろうかと思って皆人が見ていると、突然死体の腹のあたりにかぶりついた。
そして勢いよく腹の肉を噛みちぎった。
(共食いか!?)
皆人が一瞬驚くが、ふと、自分がまだフィアスピアースの試し打ちをしていないことに気が付いた。
そして3体目のヒュマンドコアは食事に夢中でこちらに気づいていない。
(今なら……)
皆人は魔獣の頭にしっかり狙いをつける。
そして、
「フィアスピアース」
炎の槍が放たれた。
しかし、ヒュマンドコアはちょうどわずかに首を動かし、槍は耳に命中した。
(頭を貫通させられなかった!)
ヒュマンドコアが皆人に気づき、咆哮を上げる。
耳を傷つけられ、かなり怒っている様子だ。
皆人の真下まで来て、皆人をじっと睨みつけている。
(まずいな……レイン先生が戻ってくるまで待とうか……)
皆人がそう考えていると、皆人の真下に魔法陣が出現するのを目にした。
その魔方陣は……
(加重魔法!まずい!)
ヒュマンドコアが加重魔法を発動し、一気に皆人が20メートルほど落下する。
辛うじてそこで魔法陣の範囲から脱出することができた。
しかしヒュマンドコアは再び加重魔法を発動させようとする。
(地面に落とされると隙になってしまう。それなら地上で戦った方がいいかな?)
そう考えて皆人は降下を開始する。
地面に近づいたところに飛び掛かろうとしているのか、ヒュマンドコアは皆人を睨みつけたまま身構えている。
しかし、もちろん皆人にそうさせるつもりはない。
「モーベレ、アクセラレティオ」
ヒュマンドコアの5メートルほど上で移動魔法――設定した軌道に従って物体を移動させる魔法――と加速魔法を発動する。
皆人の体が水平方向にかなりのスピードで移動し、ヒュマンドコアから遠ざかった。
ヒュマンドコアが向いている方向とは逆に移動したため、ヒュマンドコアの動きが少し鈍った。
それでもすぐに向きを変えて自身に加速魔法をかけ、皆人に向かって走り出したが、
「サンドニードル」
皆人の2メートル手前で、浮かび上がった黄色の魔法陣から出現した数本の砂の針に体を串刺しにされた。
勢いのまま前に突き出された前足の爪が皆人にわずかに届き、頬に少し傷をつけたが、直後にだらんとして動かなくなった。
(ぶっつけ本番だったけどサンドニードルがちゃんと発動してくれてよかった。これでとりあえず一安心かな)
ヒュマンドコアの脅威が去ったことに皆人が安堵していると、
「おーい!大丈夫だった?」
レインがヒュマンドコアの首を掴み、死体を引きずりながら戻ってきた。
「はい何とか。先生もご無事なようでよかったです」
皆人がほっとした表情で答える。
「あ、そうだ、さっきちょっと引っかかれてたよね?どれくらいの傷になった?」
レインがそう言ったことで皆人は左肩に傷を負ったことを思い出した。
かなり危機的な状況のために痛みも感じないほどヒュマンドコアに集中していたらしい。
怪我したことを思い出した途端、再びずきずきと傷が痛みだしたように感じた。
上着を脱いで見てみると、傷はそれほど深くないものの、赤黒い血が垂れてきていて少しグロテスクに見えた。
「あー結構血が出てるね。手当しないと……」
そう言ってレインが塗り薬などを取り出そうとすると、皆人は、
「いや、これくらいなら……サナシオ」
傷口に右手をかざして呪文を唱えた。
すると淡い金色の光の粒子が傷口に流れ込み、10秒ほどでほぼ完全に塞がった。
皆人が使ったのは回復魔法。
神聖属性の初級魔法である。
これも覚えたてではあったが、ちゃんと効果を及ぼした。
「ミナト君、神聖魔法使えるのかい!?」
レインが驚愕の表情で皆人に尋ねる。
「はい、あの本にも普通に載ってましたし。どうやら僕は神聖魔法の適性もあるようです」
皆人はさらっと言ったが、レインにとっては驚くべきことだった。
「まさか4属性に加えて神聖属性の適性もあるなんて……ミナト君、あっさりと言ったけど君はかなりレアな存在だよ。少なくとも私は今まで5属性全ての魔法に適性がある人は、聞いたことはあっても会ったことは一回もない。もちろん私も神聖魔法は使えない……」
「先生神聖魔法使えなかったんですか?」
皆人はレインでも神聖魔法は使えないということに驚く。
「うん、神聖魔法を使うには【信仰】っていうスキルが必要でね、それは毎日神に祈りを捧げたりだとか、習得にかなりの信仰心が必要なスキルなんだ」
「僕はそんな信仰心あふれる人間ではないのですが……」
むしろこの世界に来るまでは神の存在すら信じていなかったのにと皆人は思う。
「これも多分女神様のおかげじゃないかな?【信仰】スキルをボーナスでくれたのかも。女神様なら神聖力を分け与えるくらい簡単にできるだろうし」
「それなら最初からグリモワの使い方も教えてほしいものですが……」
皆人が微妙な表情でそう呟いた。
ここで、レインがようやく串刺しになったヒュマンドコアの死体に気が付いた。
「あれ?なんかヒュマンドコア増えてない?」
「ああ、先生が追いかけて行ったあともう一匹来ましてね……何とか倒せたからよかったですが、結構ヒヤッとしましたね」
レインが再び驚きで目を丸くした。
「これはサンドニードル?こんな魔法も使えるようになっていたなんて……そういえばさっき浮揚魔法も使ってたよね?」
「はい、どれも使うのは初めてでしたがちゃんと発動して一安心です」
皆人は隙間時間に着々と魔法を習得している。
適性があるからなのか、どれもかなりスムーズに覚えられた。
「やっぱり君は才能がある。これなら樹海の外でもたくさん人の役に立てるだろうね」
レインは弟子の急成長を素直に喜んでいるようだが、
「他人のため、ですか……」
皆人はどこか乗り気ではないようだった。
「ミナト君?」
「いえ、なんでもありません。それで、これからどうしますか?」
「おそらく私たちは次のステージに到達したみたい。つまりヒュマンドコアみたいな強力なやつがもっと出てくるようになる。でも君も成長している。おまけに神聖魔法も使えることが分かった。これならいけるよ、最深部に!」
レインは皆人と2人ならこの樹海を踏破できると強く確信したようだ。
「では行きましょうか、最深部に向かって」
こうして2人は再び樹海の奥へと歩き始めた。
コラム(9):ヒュマンドコア
灰色の虎の魔獣です。通常は加速魔法しか使わないのですが、今回レインと皆人は姿を消す魔法と加重魔法も使う変異種に遭遇してしまいました。アープル樹海は奥に行くほど地面に転がっている魔鉱石の種類も多くなるので変異種も様々な種類のものがたくさん存在します。ただ、遭遇した人は大抵殺されてしまうのでこのことは知られていません。