第275話 残業
割れたレンガやモルタルを原状回復させると、劣化や汚れのくすみを再現できなくて周りとの違いが出てしまう。きっと全部やり直したくなるんだろうと思いながらも、今はこの街の流儀に合わせてやるしかない。
しかしモルタルとレンガは同時には直せないので、まずはレンガを1つずつ直していかないといけない。でも重なっている奥の方のレンガはどうしたもんか。
「やっていきますね。」
俺は足元で欠けたレンガに軽く手を触れて魔力を流すと、元々の赤いレンガが戻ってきた。
「おお、これは懐かしい色だな。いいじゃねぇか。これで頼む。」
「でも周りと色に差が出てしまいます。」
「だったら全部やればいいだろ!」
「それに奥のレンガには魔力が届きにくいんです。全部やるなら全面をレンガか、できたら水晶で作り替えさせて欲しいんですけど。」
「ごちゃごちゃ言うな。言われた通りに元通りに直してくれればいい。」と面倒くさそうに話を切られた。
「そう……ですか。」
残念ながら、俺の交渉にもなっていないような交渉力では相手からの妥協は1mmも引き出せなかった。でも、効率的にやらないと終わらないんだけど、なんでそれを分かってくれないんだろう?
「まぁまぁ、まずは壊れたところを直してもらいましょうよ。その後に時間の許す限りで他も綺麗にしてもらえば良いと思いますよ。」
不満そうな俺と色黒の職人の間に色白の職人が割って入ってきた。
「そうじゃな。優先順位を付けて今日中に直すところ、新年祭の後でも良いところと区別してやってくれ。お主に任せる。頼んだぞ。」
オルデンブルクは若い色白の職人の肩を叩いた。その男性は色白の上に眼鏡をかけており、筋肉もない他の職人とは少し……いやだいぶ毛色が違うタイプに見えた。
「じゃあ、俺たちは木材の交換をやってっから。」
「はい!」
色白の職人を残して、崩れかけた建物の方へ歩いていった。
「じゃあ始めようか。僕はトマソン。よろしくね。で、早速だけど割れたところを先に直して欲しいんだ……という前に少し話をしようか。」と言って眼鏡を少し持ち上げるとニヤリと笑った。
話……?と訝しげにトマソンを見た。
「レンガの色を変えることはできる?」
「レンガのままだとできないけど、他の石にすればできるよ。」
「そっか。やって欲しいことがあるんだよね。」
「何を?」
俺は更に面倒な事を言われるんじゃないかと警戒感をあらわにして、目線を海の方に逸らした。しかしトマソンは気にした様子もなく会話を続けた。
「ここって何のためにあるか分かる?」
突然の質問の意図を掴めなくて、思わずトマソンを見た後で周囲を見回した。しかし普通の港でしかないように見える。
「魚とか貿易の物を積み下ろし?」
「そう!昨日からさ、そのために求められる機能を考えてたんだ。」
それはここをそのまま直すと言っていたさっきまでの話とは全く違うことを話し始めた。
これはどういう意図なんだろうとトマソンを見た。
トマソンは荷物を担いだ人や台車が通りやすくするように、停泊場所ごとのエリアを区分けするような線を引きたいそうだ。
「君は土魔術の達人って聞いてるよ。それで、どんなやり方が得意なの?」
「さっきも言ったけど、水晶で作り替えるのが得意なんだ。アズライトでも外壁を作ってたから。」
「ふーん。で、水晶の特長は?」
「硬くて火に強い、かな?でも水に濡れると滑りやすいんだ。」
「それ、いいじゃない。それでいいからレンガ1つずつじゃなくていいから、早く作り直して欲しいんだ。」と軽いトーンで先ほどの指示と違うことを言ってきた。ありがたくはあるが、あまりの軽さに、むしろこっちが心配になってくる。
「でも、それだと指示内容と違わない?見た目も全然変わるよ?」
「進め方は任せたって言ってたでしょ?」
「それは優先順位の話じゃ……?」
「いいんだよ。僕が責任取って怒られればいいんだからさ。」
本当に水晶で良いならこの見える範囲なんてすぐに直せる。俺は試しに地面に手を置いて魔力を流して近くを水晶で白く染め上げた。
「うおっ!?眩しい!こりゃすげぇな。」と太陽が反射する水晶に目を細めると、そこにしゃがんで手を触れた。そしてしばらくの間、感触を確かめるように叩いたり指でなぞったりしていた。
「いいじゃん。まさか、こんなに簡単に直せるとは思わなかった。もし……もし、できたらなんだけど、ここをほんの少しでも広くできないかな?」と遠慮がちに言って埠頭を指差した。
そんなのは高さも距離もアズライトの外壁に比べたら大したことは無い。すぐそこに端が見えるんだもん。
「水晶ならできるよ。倍くらいならいけると思うよ。」
「本当に!?幅も長さも倍にできたら、でかい船も泊まれるし、すげーことになるよ。」と何度もガッツポーズを見せながら吠えていた。
「え……?いや、幅のことだと……。」
しかし喜び続けているトマソンと、その様子に気付いて笑いながら見ている職人たちの姿を見ていると、やってあげようという気になってくる。
俺はもう一度地面に手を置くと強めに魔力を流していった。すると辺り一面が真っ白く輝き始めた。
「うわっ!?」
「何だこれ?」
周囲で作業している職人たちが足元を見て驚いていた。そして何事かと集まってくる様子に、端の方で目立たないように待機していたベルが俺との間にスッと入ってきた。その姿に、職人たちは腰を抜かす勢いでその場に硬直した。そんな職人たちの元へトマソンが恐る恐る近付いて説明をしていた。
俺は彼らを避けるように傷みが激しい埠頭の方へ向かって魔力を流していった。今は船が停泊していないし、人の姿もないので何の遠慮も要らない。力一杯の魔力で真っ白く染め上げていった。
そして割れて大きく崩れてしまっているところは丁寧に修復していった。こういう作業は散々やってきたので、魔力の力加減さえ誤らなければ難しいことはない。
「いい感じだね。正直、こんなに早く進むなんて思わなかったよ。言うだけあるねぇ。」
職人たちの相手を終えたトマソンが話しかけてきた。
「期待に沿えるように頑張ってるよ。」
俺は埠頭全体を真っ白い水晶で作り替えた。
そこへ野次馬たちが集まってきて埠頭を歩き回っているが、俺の作業はこれで終わりではない。
俺は埠頭の長さを倍にするために埠頭の先端に立つと、濃厚な磯の香りを胸に一杯に吸い込んだ。足元で冬の荒い波が埠頭に当たっては砕けている。
その先端から海底の固い地盤までまでしっかりと繋げながら、港から離れていくように伸ばしていった。
作業を続けているとトマソンが声をかけてきた。
「食事、どうする?適当に持ってきていい?」
「え?あー、うん。お願い。あ、でもベルには沢山食べさせてあげて。」
俺は作業の方へ意識を向けたまま答えた。
「分かった。」と言うとトマソンは港の方へ戻っていった。そしてそのベルは俺の後ろで寝そべっている。
俺はそのままひたすら蒼く荒い海の方へ真っ直ぐと伸ばしていった。
「あー、そろそろいいかな。ここまで来ちゃうと波が高くなっちまう。」と言いながら食事を渡してきた。焼き貝と魚介のスープ、そしてパンだ。ベルには他の職人の手を借りて鍋ごと持ってきていた。
俺は作業の手を止めて、食事を受け取りながら振り向いた。埠頭はまだ倍の長さにはなっていないと思う。でも長くするのはここまでで、食後は幅を広くしていけば良いということだ。
「あっと言う間にやっちゃうんだね。」
「俺のやりやすい形でやらせてもらってるからね。」
「これなら幅もあっという間なんだろうな。まだやって欲しいことは他にもあるからよろしく頼むよ。」
そういえば人の動線をコントロールしたいって言ってたな。でも建物の方も修復しないといけない。どちらかと言うとそっちが優先なんじゃないかと思った。
「分かったよ。」
俺はパンを1つだけ手にすると、受け取った食事を床に置いて埠頭の幅を広げるために魔力を流し始めた。
陽が傾き始めた頃に白く大きな埠頭が夕陽に染められながら完成した。
「本当に本当にありがとう。でもまだ港の方がほとんど手付かずだから、今度はそっちをお願いできるかな。」
トマソンは喜びを噛みしめるような笑みを浮かべながら背中を何度も叩いてきた。そんな中でもしっかりと次の仕事を指示してくるあたりは、しっかりしていると思う。これで残業は確定だ。残された時間もあまりないので、やるしかない状況ではあるけど。
そんな状態なので水平線へ落ちていく夕陽を眺めるなんて余裕はなくて、急いで港の方の地面も赤いレンガを真っ白な水晶で作り直していった。
港と街や建物の境界は丁寧にやらないといけないので、時間がかかる。そう言う意味でも力任せにできた埠頭は楽だった。
やがて辺りが暗くなってくると、トマソンや何人かの職人が光魔石を使って手元を明るく照らしてくれた。
「凄いね。眩しいくらいだよ。」
「工事用なんだよ。このくらいじゃないと、手元がよく見えないだろ?」
「うん、ありがとう。」
すっかり暗くなって夕食の炊き出しも始まっている頃に港を直し終えた。次は市場や事務所になっている建物が待っている。職人たちも柱や梁を補強する工事を進めているが、まだ見た目には朝とはあまり変わっておらず、赤レンガの建物は崩れたままといった表現が合う状態だ。
「屋根はこっちでやるから、それ以外を任せていいか?」
「俺、レンガのように綺麗に四角いものは上手く作れないんで、全体を水晶で作り変えさせてもらった方がやりやすいんですが。」
「分かった。それでいいから急いで頼めるか?」
建物の方になってくるとトマソンではなく、初老の落ち着いた男性が仕切っているようだった。その男性にも疲労や焦りが表情に浮かんでいた。その指示に俺は頷くと、まずは崩れて床に横たわる大きな天井の塊を消した。
「それは俺たちでもできるから、壁から頼むよ……。」
そう声をかけてきた職人も疲れからだろう、小さな壁の欠片を肩に担いで建物を出て行った。
壁や2階の床が無残に崩れてしまっているが、元々の赤レンガの建物はとても美しかった。しかし、それも真っ白な水晶で作り変えていく。まずは崩れたところを埋めるように作っていったが、集中力の乱れがそのまま魔力に出てしまい、見てわかる程に歪んでしまっていた。
しかし、こういう時こそ魔力コントロールができるようになっていかないといけない。それは剣の方でも役に立つからだ。
……が、現実は甘くなく、やはり上手くできなかった。
「ごめんなさい、歪んでしまいます。」
「削ることなら俺たちが後からでもやれることだから、薄くならないようにだけしてくれればいいよ。それよりも早く壁を仕上げてしまって、抜けている2階の床があるからそこを頼むよ。」
「分かりました。」
俺は疲れから回らなくなっている頭でぼんやりと答えた。
2階では職人たちが床を支える木材の修復や補強をしていた。石で覆ってしまって良いところだけやってしまうと、少し休みたいと伝えて休憩を取った。
壁に寄りかかって携帯水道から水を飲みながら、職人たちが折れた木を外し、そこへ新しい柱を床梁として設置していくという作業を、何時に帰れるんだろうか……、そんなことを思いながら眺めていた。
やがて彼らが床の補強をしたところに水晶で覆うようにして床の修復を終えられた。
しかしここは屋根も無くなっていてこれから、夜通しで作業が続くそうで、今の時点では何も手伝えることは無いそうだ。
でも何も無いなら1度屋敷に帰って眠りたい。そして隣で寝そべるベルからも似たようなストレスが伝わってきた。
「いたいた。暇してるの?」
目の前に笑みを浮かべたトマソンが立っていた。
「はは。そうだね……。」と力無く笑って答えた。
「この後、どうするの?」
「やれる事が無かったら帰りたいと思ってるところ。」
「だったら丁度良かった。埠頭に線を引いて欲しいんだ。それに係留柱も必要だし。沖に泊まってるヤツらを上陸させてやりたいしね。」
俺としては全然丁度良くは無いが、埠頭に誘導線を引きたいという希望のことを、すっかり忘れてた。
のっそりと立ち上がってトマソンについて階段を下りると、そこにリーサが立っていた。
「どうしたの?」
「コーヅ殿を迎えに……ではなく、ベルと交代しようと思いまして。」
その言葉にベルが反応して尻尾を大きく振りながら、期待一杯の表情をリーサに向けた。
『今、何て言った?良いことを言われた気がしたわ。』
「警護役を代わってくれるって。」
その言葉にベルはリーサに飛びついて顔を大きな舌で舐め回した。よっぽど帰りたかったんだな。
そして『帰るわね!』と言うと音もなく建物の外へ駆け出ると、そのまま跳ねるように屋敷に帰っていった。
「よっぽど退屈だったのね。」とリーサが笑った。
そしてトマソンに埠頭に連れられていった。そこには光魔石のランタンが並べられていて作業しやすい環境が整っていた。




