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第266話 すっかり大聖女

 随分と寝覚めの悪い朝を迎えた。全身からじっとりとした嫌な汗が滲み出ている。

 ベルの恐怖や悲しみ、怒りや孤独という感情を正面から受けてしまい、動悸が止まなくなってしまった。そして追憶の中のベルの心に流されて、そのまま押しつぶされそうだった。俺は助けを求めるようにベルの体を撫でた。ふんわりと柔らかな感触が心地良く、今の安らかに眠っているベルの存在に心が落ち着いてきた。

『どうしたの?』

「ベルの大変さが分かったよ。」

『魔獣だって大変なのよ。』と言って笑った。

「助けられて良かったよ。」

『そうね。森に比べると、ここは平和過ぎね。お陰でいくらでも寝られるわ。』と欠伸をすると、また目を閉じて眠りに戻った。

 これまでの出来事を全てを受け入れ、そしてそれらを乗り越えたベルの様子に安心すると、喉を渇いていたことを思い出した。近くに置いてある携帯水道に手を伸ばして喉を鳴らして潤した。

 まだ朝というには早い時間で、カーテンの隙間からは月明りが薄っすらと差し込んでいる。そして感じ取れる人々の魔力も眠りについているような穏やかなものだった。

 しかしすっかり目が冴えてしまった俺は、ベルに寄りかかったままエアコン作りを始めた。これは何台あったって困るものではないし、作り過ぎたと言っても、ここにはセバスのように貴族らしさがどうとか言う人もいない。


 そして明け方が近くなってくると屋敷の中は使用人たちで慌ただしくなってくる。

 俺はそれまでに作り終えた10台くらいのエアコンを廊下に並べると、ベルと一緒に庭を散歩して朝の冷たく澄んだ空気を味わってから朝食に向かった。

 今朝もベーコンエッグトーストという俺には見慣れた食事がでてきた。ホビーのおかげで日本で食べていたものが食べられるようになってきて、とても嬉しい。そしてそれと同時に妻のことを思い出す。これは妻が毎朝作ってくれていたものだからだ。そして俺はその間に珈琲を淹れていた。あの幸せな時間を必ず取り戻したい。しかしそれは今ではない。今日はこの後治療で、午後からは間接照明作りという予定だ。


「コーヅ殿。」

 食堂から出る時に料理長のクラウスに呼び止められた。

「どうしました?」

「さんまいおろし、ってのは何でしょう?」

「三枚おろし?……あ、カルパッチョ!」

 そう言えば教えるなんて言ってたのに、教えていなかったことを思い出した。でもあれは材料さえあればすぐなので、ジョーには玄関で待ってるように伝えて調理場へ急いだ。

 既にシュリはいつものように調理場の片隅で治療を始めていた。まだ4人の指が欠損しているので、その治療はやり切ると張り切っている。

 そしてその指が戻ったら、また海に戻りたがっている料理人もいるそうだ。そうなればきっと他にもいる怪我をした人の為に、ここの調理場で働く枠を作ることにもなるので、それも良いのかもしれない。


「アジってあります?」

「へい、こちらに。」

 ケンが手を上げて呼んでくれた。そして包丁を受け取ると、アジに向き直った。アジは肉厚で目はまだ生きているかのように黒々としていて新鮮さが伝わってくる。とても良さそうなアジだ。

 俺は料理人たちに見せるように丁寧に鱗をそぎ落としていった。

 

「これがカルパッチョです。三枚おろしさえできれば、他の魚でやっても良いですし、味付けも簡単だと思います。」

 皿に盛り付けたアジのカルパッチョは一瞬で料理人たちの胃袋に消えていった。クラウスが食べ損ねて、明らかに目が怒っていたが、俺が先を急いでいるのを知っているので堪えていた。

「しかし包丁さばきは見事なものです。我々も練習しないとすぐにはできませんね。」とクラウスが唸った。

 ホビーはすぐに近くの包丁を手にすると見様見真似で三枚おろしの練習を始めていた。しかしおぼつかない手つきが危なっかしくて、一緒についていたかったが、治療の時間に遅れてしまうので、クラウスに任せて調理場を出た。


「イザベラも行くんだ?」

 玄関にはイザベラの他にリーサやティアもいた。

「当たり前でしょ。イザベラ倶楽部の活動なんだから。」と腰に手を当てて怒ったような顔をしているが「そうだよねー。」と棒読みしながら自分の腕に巻かれたブレスレットに視線を送った。チームイザベラとか行ってなかったっけ?イザベラ一家だっけ?まぁ何でも良いけど。そして同じように足に巻かれたベルやサブルと一緒に屋敷を出た。


 張り切っているイザベラが先頭になって大聖堂に向かった。しかし最初の曲がり角で「イザベラさん、そちらではありませんよ。」とジョーに呼び止められた。勿論そのくらいでめげるなんて事は無いので、大聖堂まで何度も道を間違えて、その度にジョーに呼び止められていた。

 大聖堂前の大通りに出ると「大聖女様だ。」「すげぇ魔獣だ。さすが大聖女様だな。」「じゃああれは聖獣様か。」とすぐにイザベラに気付いて、ざわつき始めた。

 しかし聞こえてくる会話には色々と間違っているところがある。むしろ間違いしかない気もしてくる。そんな虚構に包まれた俺たちというのは、皆からはどう見えてるんだろうか?いや……もしかすると皆にはイザベラしか見えていないのかもしれないけど。

 ただそんな状況でもベルのお陰もあってイザベラには一定以上近付いてくる人がいないので助かっている。次第に増えてくる群衆に囲まれながら大聖堂に着いたが、野次馬にも分別はあるようで大聖堂の敷地までは入ってこなかった。

 大聖堂の階段を上り終えても大聖堂の敷地の外から大勢の人たちがイザベラに向かって手を振りながら声を上げていた。それに対してイザベラは後ろを振り返ると、精一杯の作り笑顔で上品そうに手を振り返した。

「これ……何なんだろう?」

「うーん……。」

 ティアに聞いても首を傾げるばかりで、言葉が出てこなかった。

 そして「お待ちしておりました。」と出迎えてくれた祭司に治療室へと案内された。

「もしかして大聖女様じゃないか?」

「あれが……。」

 イザベラはそんなざわつきを文字通り二聖女の笑みで受け流していた。

 この勘違いはいつまで続くんだろうかとも思うが、それを訂正できるような空気でもない。事情を知っているはずの祭司たちも苦笑を浮かべながら黙っていた。


 俺が案内された治療席には重傷者や重病者だけが集められていた。そして皆の中では、大聖女イザベラの弟子が治療をしているということになっているので、俺には礼をしたりしなかったりだが、イザベラの前では深々と丁寧に礼をして帰っていった。

 午前中で重症患者の治療は終えられたので、大祭司のイヴァンに挨拶をしてから大聖堂を出た。


「大聖女様!私の妻が高熱で今にも死にそうなのです!お慈悲を!」

 突然どこからか大声でイザベラを……とは認めたくはないがイザベラを呼ぶ声が聞こえてきた。イザベラはその声を探して辺りを見回していたが、街の人たちやベルは1人の男性を見ていた。それに気づいたイザベラはその男性を見据えて歩き出した。そして「コーヅさん、ついてきなさい。」と後ろを振り返りながら笑みを湛えて頷いてみせた。

 この茶番的なイザベラ劇場の登場人物となってしまった。一斉に注がれる視線が痛い。

「畏まりました。」

 しかし何故か群衆の期待に応えないとという気持ちになってしまい、ついつい会話を合わせてしまった。後で後悔しそうだったけど、この群衆を敵に回すような応対もできないとも思った。

 イザベラが進むと、一歩ごとに人々が波のように割れていく。そこをイザベラの後ろからついていく。

 そしてその先に見えた高熱という女性はあちこち穴が空いた薄い服を何枚も重ね着をして、男性に抱かれて温められていたが、そんなことでは十分には温められてはおらず、真っ赤な顔をして震えていた。

「大聖女様!お願いします。もし治せるのならお慈悲を!」

「もし……と言うのですか?」と静かな声で治療を求める夫を諌めた。

「ごめんなさい!お願いします。信仰の薄い私をお許しください!」

「私を信じて下さいませね。」と微笑みなおすと「コーヅさん。」と治療するように指示が来た。

 ……教祖の素質があるんじゃないか?

 女性の体には肺に強い違和感があったが、治療自体は難しいものではなかった。

「大聖女様、ありがとうございました!」と頭を下げて、その場を去ろうとした。

「お待ちなさい。」

 イザベラが夫婦を呼び止めた。

「パンを買って帰りなさい。」と言って俺を見た。

 誰の金だと思って……!

 イザベラから言われるとイラっとするが、この夫婦を支援することには賛成だ。良い年を越して欲しいと心から思う。

 腰ベルトからコインを取り出して渡した。

「だ、大銀貨!?むしろ私たちは治療費をお支払いしないといけないのに……。」

「おお!大聖女様の深い御慈悲だ!」

「大聖女様!」

 この場は収拾がつかない程にイザベラを讃える声と異様な空気に包まれた。

「皆様、私を讃えるのはおやめください。私は創造神様の端女です。」

 しかしイザベラを讃える声は増々大きくなっていき、それに合わせてイザベラを囲む輪が小さくなってきた。後ろから押されている感じだ。

「やばくない!?」

「早めに退散したいわね。」

「ベル、ここから連れ出してくれる?」

『いいわよ。乗って。』

 ベルがその場に伏せた。

「乗って。ジョーと追いかけるから。」と急いでリーサ、ティア、イザベラを乗せると、ベルは軽々と飛び上がって建物の屋根に移った。俺はサブルを抱き上げると、それについていくように建物に飛び移った。

 ベルは建物の上を身軽にどこへにか駆けていった。迷うことなく走っていく後ろをジョーと一緒についていった。

 やがてベルが下り立った場所は屋台市場だった。ここで昼食を済ませたいということだろう。よほどお気に入りなんだな。

 イザベラの大聖女という嘘から出た実……ではなく嘘は街に広まっていて、人通りが多いような場所では必ずイザベラを大聖女と呼ぶ声が聞こえてきた。

 人が集まって危ないのでベルとイザベラはテーブル席で待機してもらっていた。そして他のメンバーで手分けして食事を買い集めた。

 テーブル席に戻った頃には、明らかに飽きた様子のイザベラが、顔を作り笑顔に固めて、声のする方にたまに顔を向けていた。

 そして食べている間もずっと見られているし、会話も聞かれていて落ち着かなかった。自然と口数は減って、食事の速度が上がっていった。好物の焼サザエすらまともに味わえなかった。

 そして食事を終えると、またイザベラたちをベルに乗せて屋敷に連れ帰ってもらった。


「コーヅ殿、海鳥の羽を届けさせました。」

 マルケスは裏の倉庫に入れてあると教えてくれた。まずは羽を洗わないといけないな。桶を準備するにしても、その量が分からないので、まずは見に行った。

「あ……。」

 箱に詰められた羽は羽根ペンにでもできそうな固いものだった。

「これじゃ駄目だ。」と呟いた。

「あー、アヒルみたいな小さくてフワフワした羽だもんね。」とリーサも箱を覗き込んできた。そして「クラウスに言ってくる。」と言って羽を1本持って屋敷に戻っていった。

『コレ、イラナイノ?』

「うん、これは使えないかなぁ。」

『アソンデイイ?』

 俺が頷くと、サブルは箱の中へ飛び込んだ。そして羽を掻き分けて潜っていった。羽が舞うがそれにサブルは飛びついたり、狭い箱の中を走回って暴れながら遊んでいた。

 しばらくすると、突然大人しくなったので覗いて見ると羽に包まれて眠っていた。

「どうしよう?」

「ここにいれば?間接照明の筒とか魔石を作るんでしょ?」

「……それもそうだね。」

 俺はその木箱を背もたれにして座ると、石筒を作り始めた。

「私が聖なる光魔石を作ってあげるよ。」

「うん、ありがとう。」

「心がこもってないよね。聖なる力が弱ってしまいそう。」

「そういうのは屋敷の外だけにしてよ。」

「ちぇっ。ノリが悪いよね。」


 ベルは飽きて途中で部屋に帰っていき、3人で黙々と石筒と光魔石作りを行っていると、リーサが戻ってきた。

「アヒルはあまり仕入れてないんだって。」

「そっか。仕方ないね。」

「あれ?ベルとサブルは?」

「ベルは帰ったよ。サブルは箱の中。」

 リーサが覗き込むと羽に塗れたサブルは小さな寝息を立てて眠っていた。

「ねぇねぇ、コーヅさん。その石筒だと一度埋め込むと外しにくいからさ、先っぽを尖がらせて地面にさせるようにしておいてよ。」

「あ、確かにそうだね。」

 珍しく役に立つイザベラのアドバイスに素直に感心して、そしてそのアドバイス通りに作った。

「いいじゃない。」

 イザベラが満足げに出来上がった石筒を取り上げると、それを地面にさした。


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