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第265話 ベルの追憶

 土産物屋からそのまま屋敷には戻らず、今度は海岸に向かって下りていった。建物の隙間からたまに碧く輝く海が姿を覗かせる。隣を歩くベルの姿は遠くからでも目立つので、何が目的かは分からないが、人が集まってくる。

 そしてその中に混じっていた酔っぱらいの1人が千鳥足で近付いてきたと思うと「俺はなぁ、海でもっとでけぇ魔獣と戦ってきたんだ。」とベルにちょっかいを出してきた。

 ガルルル!

 歯茎を剥き出し、そして魔力で圧をかけてその体と心を押し潰すように追い詰めていった。

「うわわぁぁ……。」

 酔いが覚めたのか一目散に坂を駆け上がり逃げていった。

 一体、何がしたかったんだろう?

 その後ろ姿が見えなくなるまで見送っていた。

 ……あっ、転んだ。


 その後は変な人も現れず、取り巻きの街の人達と共に砂浜を散歩した後、ベルが昼食には肉が食べたいというので、肉の屋台を何店も閉店に追い込む勢いで食べ歩きをしてから屋敷に戻った。


「おかえり。」

 廊下を歩いていたティアが振り返った。

「あ、ティアにもお土産だよ。みんなおそろいなの。」

「イザベラ一家の証らしいよ。」

「違うってば。チームイザベラよ。」

 また名前が変わってそうだけど……?まぁ、何でもいいけどさ。

「だそうだけど。」

「あー、ありがたく受け取っておくわ。」とブレスレットを受け取ると、そのまま行こうとした。

「つけてあげるよ。」

「え?あー、あとででいいよ。」

「ティアは変なところで遠慮深いんだね。」

 イザベラはティアの腕を掴むとブレスレットを巻いた。ティアはそれを苦笑混じりに眺めていが、ふと顔を上げると「そう言えば、ケンが探してたわよ。」と言った。

「ケン?」

 何だろう?俺はベルとサブルを連れて調理場に向かった。部屋に入る前から夕食と思われる肉の焼ける香ばしい匂いが届いてきた。

 ドアを開けて入ろうとすると「だめー!」というホビーの声にその場で立ち止まった。その声の方を見る前にケンが「聞きたいことがあるっす。」と俺を調理場から追い出しながら自分も一緒に出てきた。

「どうしたの?」

 俺はケンを避けて調理場のドアを開けた。

「あー駄目っす!」

「だめー!ケンしっかりして!」

 ちょっとホビーをからかってみただけなので、俺はそのままドアを閉めた。

「えと、どうもしないっすけど、干し椎茸ってのも聞いたんすけど。」

「あれ?ごめん、話してなかったっけ。」と言いながらも話した記憶どころか、ここで干し椎茸を見た記憶もない。イマムゲートでフィーロの父アロイスに渡したっきりで空間収納袋に入ったままのはずだ。

「その干し椎茸ってものの作り方を教えて欲しいっす。」

「使い方は大丈夫?」

「アルマンドさんからの説明書きがあるので、それは大丈夫っす。」

 きっと昆布ダシが良かったってことだよな。やっぱり出汁文化は正義だな。

「椎茸はあるの?」

「裏に置いてあるっす。」

 俺はベルとサブルと一緒に屋敷の外にある保管庫に連れて行かれた。そしてケンだけがそこへ入って行くと、椎茸を抱えるようにして戻ってきた。

「じゃあ教えてください。」

「そしたら、日当たりの良い場所に並べて。」

「はい。」と返事をすると、その場に椎茸を置いてゴザを取りに行った。その椎茸にサブルが匂いを嗅ぎにいった。

「どう?」

『コレ、ヤマニアルネ。』とベルに話しかけた。ベルは優しく頷いていた。ベルも一度は突き放したものの、完全に子離れできている訳ではない。

「で、次はどうします?」

「このまま1週間くらい置いておこうか。」

「またっすか!?」

「うん。だってそれだけでできるんだもん。」

 ケンは深い溜息をついた。そして「じゃあ、戻りましょう……。あっ、いや、この椎茸を……あの……えっと……。」と何か言い淀んでいた。言いたそうなことは分かる。

「ホビーが何か作るから調理場に入れるな、でしょ?」

「ははは。バレてましたか。すまねぇっす。」と頭を掻いた。

『モウ、イイデショ。モドリマショウ。』

 俺はベルと部屋に戻るために歩き始めた。しかしサブルがついてくることは許さなかった。

『ナンデ……。』

『アナタハ、モウオトナヨ。ヒトリデイキナサイ。』

 元気なく耳と尻尾を垂らして後ろを向いた。そんなサブルに声をかけたくなるが、ここはベルの気持ちを汲んで黙っていた。

 その場を動かないサブルを置いて部屋に戻った。

「心苦しいな。」

『エルフヲサガスナラ、ワタシトガ、ハヤイカラ。ソレニ……。』

 ベルは何か言おうとして口をつぐんだ。

 でも、このベルの言動は俺のためでもあった。リーサには負担をかけているけど……。でもリーサもきっと口には出さないだけで全て分かっているんじゃないかとも思う。

 それであれば、俺は俺で日本に帰るためにやるべきことがある。とにかく剣技の向上だ。ベルがついてきてくれるにせよ、自分の身は自分で守らないといけない。

「トレーニングしてくるよ。」

 俺は屋敷の庭に出ると無心で木刀を振った。

「精が出るのう。」

 遠くからその姿を見たオルデンブルクが声をかけてきた。オルデンブルクはマルケスと砦で執務を終えた帰りのようだ。でもオルデンブルクは汗が光っているので、稽古多めだったかもしれないけど。

「オルデンブルク様がいる間に色々教わりたくて。」

「良い心がけじゃ。夕食後に見てやろう。」と言ってマルケスと共に屋敷に入っていった。

 顔を上げると海に沈んでいく美しい夕焼けが目に飛び込んできた。俺は剣を振るのを止めて太陽が水平線に沈み切るまで見つめていた。

 妻と一緒に見た……あれはどこの海だっただろう?下田だったっけ?同じように陽が沈むまでずっと見続けていたことを思い出した。もう俺のいない生活にも慣れてきただろうな。でもその負担に慣れることは無いと思う。とても申し訳ない気持ちにはなるが、俺を助けてくれている、この世界の人たちへの義理を欠くようなこともできない。

 結局どっちつかずの優柔不断な自分にため息をついてから屋敷に戻った。


『ドウシタノ?』

「ん?何でもないよ。」と答えたもののあまり隠す意味がないことを思い出して「……いや、日本に残してきた家族のことを思い出してたんだ。」と訂正した。

『エルフヲ、サガスナラ、イツデモイッテネ。』と言うとベルはのっそりと立ち上がって部屋を出ていった。俺も急いでシャツを着替えると、ベルの後を追って食堂に向かった。

 サブルはベルが入ってくると落ち着かない様子で辺りを見回したり、ベルを凝視したり、気付かれると丸まって顔を伏せていた。

 勿論人と同じ成長速度ではないにせよ、こんな子供に親離れは辛いことだと思う。でも俺がエルフを探す旅に出るときにはサブルは連れて行かないんだから、リーサに託したいと思う。でもこんな考えもホビーやサブルからリーサには筒抜けなのかもしれない。

 

 夕食には照り焼きの肉と魚が出てきた。驚いてホビーを見るとドヤ顔を向けてきた。

 マジか……こんなものまで作れるのか。

「これは何という料理なんじゃ?」

「これは、てりやきだよ。」

「儂は肉の方が好きじゃが、美味いもんじゃの。これも新年祭に出せそうじゃな。」

 その新年祭は6日後だ。だから材料の仕入れやらの準備が始まっている。料理はこの屋敷や砦、海辺など色々なところで作られて、振舞われるらしい。

「ねぇ、かんせつしょうめいはやらないの?」

「あ、そうでしたわね。コーヅ殿、間接照明でこのお屋敷をライトアップしていただけませんか?」

「あれか!あれは美しいものじゃった。砦や港にもやらんか?」

「アズライトにあるもので良ければ羽毛布団は?」

「そうじゃな。この辺りは海鳥が沢山おるしな。やってみるか。」

「スリッパは?」

「儂はいらん。」

 マルケスが口を出す前に、オルデンブルクの瞬間的な判断で要る、要らないが決まっていった。

 そして慰安旅行で来たはずの地でもやっぱり働くことになった。祭りの準備は会社のある町内会には参加してたけど、やってみると案外楽しいものだから嫌ではない。それに少しでもこの国に貢献をして、自分として後ろめたさを残さないようにして、旅立ちたいと思うし。


 そして食後は約束通りオルデンブルクに稽古をつけて貰った。今更ながらに基礎的なトレーニングだ。よくホビーがやっているのを横目で見ていたものだ。

「ホビーもやってましたね。」

 そう言いながら木刀を振っているとオルデンブルクは何か考えている様子で視線が宙に浮いていた。そして「あやつは聡い。もしかすると本当にゴブリンロードの素質があるやもしれん。」と神妙な口ぶりで言った。

「でも定義的には……。」と俺は素振りの手を止めて否定しようとした。

「それは分かっておる。お主ともリーサとも良い関係じゃし、個体としての強さは無いからの。問題はなかろうという判断じゃ。」

 それを聞いて安心して、また素振りを始めた。


 それは執事が迎えに出てくるまで続いた。そして最後に地稽古で終わりとなった。しかしこれも型を意識するような丁寧なもので、今までのように魔力の出力で戦うというものではなかった。

「ありがとうございました。」と背中からオーラのような湯気を纏っているオルデンブルクに頭を下げた。


 その後はベルと風呂に入り、ベルを感じるように一緒に床で寝た。床自体が柔らかな絨毯だし、ベルに身体を預けるようにしていたので全く体に負担はなかった。

 最近分かってきたことが山や森にも魔獣のテリトリーがあって、ベルやパートナーは食べたいものを選んで移動していた。そしてそれはかなりの広範囲に及ぶが、ベルたちでも危ないという相手には近づかないように細心の注意を払っていた。


 突然暗いイメージとして何かが伝わってきた。そのイメージら断片的ではあるが、これがドラゴンなんだろうか?それとも大トカゲ?とにかくベルの何倍も大きな魔獣の姿だった。

 突然、木々を縫うように飛び道具のような舌が伸びてきた。その舌にパートナーのサーベルタイガーは横腹を貫かれた。一瞬のことでお互いに何が起きたのか理解ができなかった。

 しかしその舌がくるりとパートナーの体を包むと森の奥へ引きずっていった。ベルはその舌を食いちぎろうと襲いかかったが、鋼のように硬くて傷すらつけられなかった。

『に……げろ……。』

 息も絶え絶えにパートナーが言った。

『できる訳ないでしょ!?』

 ベルは硬い舌を食いちぎろうと力を込めたが、むしろ歯の方が負けそうになったので、ベルはその舌を咥えたまま、引っ張ることにした。しかしそれもあまり効果無く、踏ん張った脚ごと少しずつ持っていかれる。

『おなかの……子を……た……の……。』

 力を無くしたパートナーの体は大トカゲの強い力で引っぱられ、その勢いでベルを跳ね飛ばすと、一瞬にして大トカゲの口に吸い込まれていった。

『うわわぁぁ!!』

 ベルは理由もわからず、その魔獣から一目散に逃げていった。


 元々、ベルには親兄弟そしてパートナーがいたのだが、全て他の魔獣によって殺されてしまったようだ。だからベルもあの時、覚悟していたようだ。サブルの存在がなかったら、あのまま死んでも良いと思っていたことが伝わってきた。

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