第264話 イザベラ一家
「どうしたの急に?」
サブルは俺を恨むように睨みながら、ゆっくりと浴室を出ていった。俺は出ていったドアを見つめながらベルに聞いた。
『アノコモ、イキカタヲキメナイトネ。サ、ワタシタチモ、モドリマショウ。』
生き方を決める……?それがリーサと何が関係あるんだろう?と、その歩いていく背中を見ていると――
「わっぷ!」
体を大きく震わせると、シャワーのように水を浴びせかけられた。
『フフフ。』と俺を一度振り返ると、勝手に部屋に戻っていった。
寝室ではいつもは部屋の隅に行ってしまうベルがベッドの脇に来て横になった。俺はベッドから下りると、ベルの柔らかな毛に寄りかかった。
ベルの息遣いや心音を感じられる。そしてベルの温かな体に包まれていると、眠たくなってきて欠伸が出てきた。
「気持ち良いねぇ……。」
『ネェ、コーヅ。』
「何?」と夢見心地の中で答えた。
『エルフノムラ……イキタイ?』
エルフ……?エルフ!?
「行きたい!行けるの?場所分かるの?」
眠気が吹き飛んだ俺は急いで体を起こすとベルに向き合った。
『シラナイワ。デモ、サガステツダイナラ、デキルワ。』
その言葉に心臓が高鳴った。ベルが手伝ってくれるなら百人力だ。
「いつ行ける?」
『イマ、イケルワヨ。』
今……?このままこの屋敷を飛び出してエルフを探すということ?
『ドウスル?』と言ってゆっくりと立ち上がり、俺を見据える表情には含み笑いが含まれているように見えた。しかしそんなことはどうでも良い。
日本に帰れるかもしれない!家族の元に戻れる!!
「勿論だよ!」
その時、ふとリーサやホビーの顔が思い浮かんだ。いや、でも日本で待つ家族の元に帰る時に、この別れがあることは想定済みだ。
「俺は……。」
しかしそこへオルデンブルクやティア、シュリの顔が次々と浮かんできて、気持ちを揺さぶってくる。
俺はそんな彼らの幻影を振り切るために首を何度も振った。
「俺は……!」
「俺は……。」
「……今ここを離れると迷惑がかかるから。」
異世界へ放り込まれた俺を、これまで温かく包み込んでくれている人たちへの義理を欠くようなことはできなかった。リーサに至っては大事な婚約者というポジションまで譲ってくれたし。……もしかするとあれは奪うような形だったかもしれないけど。
『フフフ、ソウイウト、オモッタ。』
ベルが可笑しそうに笑いながら、また寝そべった。
「そこまで伝わってるの?」
『ソウネ。ワタシタチハ、アナタノコトヲ、シロウトシタカラ。』
「ごめんてば。」
そしてベルはそのまま眠りについた。そしてそこに寄り掛かった俺もいつの間にか眠りに落ちていた。
翌朝もベルは俺に体を擦りつけるようにしながら歩いていた。少し歩き辛いけど、きっとこれが従魔を知ることになるのだろうと一緒に食堂に入った。
「珍しいね。」
「うん、昨日は時間があったからベルと色々話をしたんだ。」
昨夜、分かったことがある。夢なのかとも思ったけど、ベルにも確認したが、それは本当のことだったようだ。断片的にだけどベルとして追体験しているようなものだった。
遅れてリーサやホビー、そしてサブルが入ってきたがベルは無視をしていた。サブルは寂しそうな表情でベルを見つめながらリーサの後ろに座った。そして俺の視線に気付くと恨めしそうに一瞥すると顔を背けた。
そんなサブルの悲しみが止めどなく流れ込んできた。そしてベルの親離れを促す親心も痛いほどに伝わってきた。そしてそんなサブルに寄り添うホビーの心も感じられた。
俺はこれまで彼らのことを、本当の意味では全く知ろうとしていなかったことがよく分かった。
そして、また起きてこれなかった……というかさっきまで治療を続けていて起きていたシュリを除いての朝食が始まった。すると俺の前には懐かしくも見慣れたベーコンエッグトーストが置かれた。
驚いてホビーを見ると、してやったとばかりの笑みを浮かべていた。
ホビーは本当に凄いと思う。むしろ朧げな記憶の俺よりも、その記憶を掘り起こせるホビーの方が役に立ちそうな気がしてきた。
朝食が終わるとホビーは今日も調理場へ行った。また何か作るんだろうが、驚かせたいからと俺には教えてくれなかった。かと言って、調理場に覗きに行くほどのことではない。
特にやることのない俺はイザベラやリーサと食べ歩きや買い物をすることになった。ティアはシュリに付き合って寝不足だから部屋でゆっくり過ごすそうだ。
「ねぇねぇ、ベルに乗って行けないかな?」
イザベラが期待に満ちた目で見てくる。確かにそれなら絡まれることも無いだろうけど、3人が乗る程には背中も広くないと思う。
『イイワヨ。』
玄関先でベルがしゃがむとイザベラが乗った。
「コーヅ殿を私たちで挟みましょうか?」と言うと、イザベラも「コーヅさんならいいよ。しっかり私に掴まるんだよ。」と前に詰めた。
「い、いや、それは……。」と俺が躊躇している間に笑いながらリーサがイザベラの後ろに乗り、サブルもちゃっかりとリーサの後ろに乗っていた。
ベルがゆっくりと立ち上がると、俺やジョーの歩調に合わせて街へ向かった。
ベルはとても目立つ。会話や仕事の手を止めて優雅に歩くベルの姿に釘付けになっている。そして俺はそんなベルの体に触れて感じ取るようにしていた。
ベルは何気なく歩いているようで周囲の魔力や敵意などを敏感に感じ取るようにアンテナを張っている。街に入ってすっかり怠けていたが、俺も魔力探知の練習をしないといけなかったと反省した。でもしばらくはベルと通じ合う方を優先するけど。
「コーヅさん、あの貝が美味しそうなんだけど。」
……買ってこいということだよな。
俺はリーサから財布を預かると列を離れて焼貝の屋台に向かった。
「全部もらえますか?」
「はいよ、1皿大銅貨2枚だよ。」
「あ、いや、並んでいるものを全部です。」
「全部!?」と驚く店主に後ろを振り返って見せた。
「あ……全部……ですね。小銀貨3枚で。」
そして急いで焼貝を殻から取り外して皿に盛り付けてくれた。そして裏から貝を取り出すと急いで焼き始めた。みんな1人前ずつで、残りは大皿に盛り付けてベル行きとなった。
この時ばかりはサブルもベルの隣で嬉しそうに食べていた。その喜びは痛いほどに伝わってきた。ベルもどうすべきか悩んだ末に一緒に食べることを拒否しなかった。
焼貝は魚醤で味付けされたもので、魚の旨味と貝の旨味の掛け合わせが最高に美味しかった。ベルはまだ食べたかったようなので、貝が焼き上がるのを待っている間に、隣の屋台の魚の串焼きを数本買ってベルの大皿とサブルの皿に載せた。
『フフフ。マナンデルジャナイ。』とベルが笑った。
ベルはあちこちの屋台を閉店に追い込む程に食べに食べた。さっきの朝食をとったばかりなのにこの食欲は凄い。
やがてお腹が満たされると、どこへ行くあてもなく散歩を続けた。
「待ちやがれクソガキ!」という声の方を見ると子供を追いかけている漁師の姿があった。
子供は狭い隙間を選んでそこを縫うように走って逃げていった。
「今度見かけたらただじゃおかねぇぞ。」
追いかけることを諦めた漁師は捨て台詞を吐いて戻っていった。
「あれは……?」と俺はジョーに聞いた。
「ただの盗人でしょう。」
このジョーの口ぶりからはさほど珍しいものではなさそうだ、オルデンブルクやマルケスは善良な領主一族だと思うが、それでも全ての人の生活を守ることはできないんだろう。
『ツカマエタイ?』
「いや、いいよ。事情が分からないし。」
好きで盗みをする人なんていないと思う。理由は分からないけど、盗まないといけなかったんだろう。
「コーヅ殿は優しいね。」
心配したってあの男の子のお腹が膨れる訳ではない。俺はリーサに向かって首を振った。
そして雑貨屋の前で「ここ見てみたい。」とイザベラがベルから飛び降りると店に入っていった。
するとベルは店の前を陣取るように寝そべった。こうなると客は怖がって店に入ってくることができなくなる。店の中から遠巻きに店を覗き見ている通行人たちの姿が見えた。
だから営業妨害分の買い物はしないといけない。自分自身は特に欲しい物は無かったけど、サブルが革のブレスレットを欲しがったので、買って付けてやった。
『フヘヘヘ。ニアウ?』と右足を前に出した。そのきつね色の足には、編み込んだ黒っぽい皮に、ひし形の金具が3つ打ち込まれたブレスレットが巻かれていた。
「良く似合ってて、格好いいよ。」
『ホビーニモ、カッテイイ?』
「勿論良いよ。」
食べ物以外を初めてねだられたので快諾した。会計を済ませるとイザベラが近寄ってきて、手に巻いていた同じデザインのブレスレットを見せてきた。そして「イザベラ一味へようこそ。」と笑顔作ると、しゃがみ込んでサブルの前脚を掴んで手を振り回すように握手をしていた。
するとサブルは眉間にシワを寄せて新たに3つ咥えてきた。
『これも……。』
サブルは俺たちを巻き込むためにベル、リーサ、俺の分もお揃いで買いたいという魂胆だ。
「あらコーヅさんたちも?ようこそチームイザベラへ。」
「……名前変わってない?」
「そう?」
本当にいい加減だが、本人は全く気にした様子もない。
俺もイザベラもサブルと同じように右手にブレスレットを巻くと、それを見たサブルは嫌そうな素振りを見せてても、本心では嬉しいようで、尻尾をはち切れんばかりに振っていた。でも並べてある小物に当たって落ちそうになっていたので、慌てて店の外に連れ出した。どうやらサーベルタイガーと言うのは、こういう犬っぽい習性もあるようだ。
すると店の前ではベルが尻尾で店の前を掃除する勢いで尻尾を振っていた。そして街の人たちは驚いてその場から逃げ去っていった。
「ベルには長いのを買ったんだ。」
『シカタナイワネ。』と左脚を出してきた。しかしサブルが右脚に巻いていることに気付くとすぐに左脚は引っ込めて右脚を出してきて、そっぽを向いた。
本人は嬉しさを隠しているつもりらしいが、尻尾が砂煙を立ち上らせていて、何も隠せていない。
「いや〜、これでベルもイザベラ団の一員だね。よろしく。」
『イザベラダン?』
「ははは。何でもないよ。」




