第258話 地稽古
「コーヅ殿、俺と頼めるか?」
有無を言わさぬとばかりに木刀を構えたカールは訓練とは言い難い殺気を纏っていた。
この世界に来たばかりの頃なら、足が震えてしまっていると思う。いや、その前に逃げてるかな。
そんな事を思いながら、ヒールで満たした体を身体強化で強めていった。感覚が鋭くなり周囲の衛兵たちのほんの少しの動きも全て感じ取れる。そして目の前のカールに集中すると静かな息遣いまで感じられてくる。
「良いですよ。」
俺も木刀をカールに向けた。ピタリと切先をカールの喉仏に向けた瞬間、カールの纏っている気配に更なる緊張が加わった。息すら止めているような静止した状態で正対している。そして表情からも何を考えているか全く読めない。やはり強い。
静かに時間だけが流れる。いや、もしかするとほとんど時間は経っていないのかもしれない。
喉が乾いてくる。水が飲みたい。でも唾を飲み込むことすら相手に隙を見せてしまうようでできない。
いつまでこうしているんだろう。動かないと。でも動けない。
焦りばかりが高まってきて呼吸が乱れてしまった。
――その瞬間
カールが懐に飛び込んできた。俺はそれを嫌って木刀を一閃した。カールはそれを見極めたようにくぐって避けて俺の足元から斬り上げた。俺はそれをバックステップで大きく避けて、すぐに反撃に転じた。
ゴキッ!
木刀同士が重なる鈍い音がした。それから何度も木刀同士のぶつかり合う音が何度も静かな訓練場に鳴り響いた。
しかし剣技では圧倒的に分が悪い。次第に押されていき、避ける事しかできなくなってきた。そして隙を見て一度距離を取った。
「思ったよりもやるな、コーヅ殿。」
カールがニヤリと笑う。こういう真似をしなくて良いところまでオルデンブルクによく似ている。でもやれているとは全く思えない。こうなるとやはり自分に分のある魔力の馬力勝負に持ち込むしかない。
俺は敢えて正面から木刀を押さえるようにしてカールの懐に飛び込んだ。
ゴッ!という鈍い音と共に力比べが始まった。お互いに木刀を押し込み相手の体勢を崩そうとする。しかしカールはびくともしない。
……やっぱり強い。
俺は改めて魔力を込めた身体強化の馬力でそれを押し返した。
「ぬおぉぉぉぉ!」
しかしそれはカールも許してくれない。カールの肩の筋肉が異様な盛り上がり方をしている。俺はそれを逆手に、木刀に込めた力を抜いた。カールがその勢いのまま木刀を地面に叩きつけ、バランスを崩すように足が一歩前に出た。
チャンス!
俺は地面に付いた木刀を薙ぎ払った。
カン!と甲高い音を立てて木刀がクルクルと空を舞った。
勝った!
……と思った次の瞬間にはカールは飛び上がって木刀を掴んでいた。そしてその木刀を投げつけようと振りかぶってきた。
「止めい!!」
オルデンブルの声が響くと、カールは投げようとしていた腕をピタリと止めて、そのまま着地した。
「どうじゃ?」
「はっ、強くはありましたが。しかし……。」
「コーヅ殿は剣を持ってまだ数か月じゃ。儂が会ってからも目覚ましい成長を遂げておる。すぐに武神に相応しい力を手にするじゃろう。」
カールはあまり納得はしていない様子だったが頷いた。
俺の方も正直これ以上続くと負けることが見えていたので助かった。でももしかするとオルデンブルクにはそれが分かってて止めてくれたのかもしれない。
それからはオルデンブルク、シュリ、リーサ、イザベラそしてホビーも加わっての地稽古が始まった。
やはりオルデンブルクの迫力というものは、この場にあってもひと際目立つものだった。そして俺はホビーの近くで様子を見ていた。勿論相手も分かっているので、子供相手に合わせて手加減をしている。
「えい!やぁ!」
コン、カン
ホビーの剣は身体強化を使っていても力が弱く軽い。生物属性はD判定だったので、それは仕方がないことだと思う。大人になっても大きくは伸びないんだと思う。でも今より強くなっていくんだから努力する意味はある。
「ホビー、もう少し腰を落とすと力が入りやすいぞ。」
それは相手をしている衛兵もアドバイスをしながら木刀を受け止めている。
「頑張れ、ホビー。」
技術的アドバイスは絶対に衛兵の方が的確だ。俺は余計なことは言わずに地べたに胡坐をかいた。そしてサブルを胡坐の中に入れて撫でながらホビーを温かい目で応援することにした。
「もう少し言う事は無いの?」と隣で見ていたティアが言うが「これが精一杯かなぁ。」と答えると、ティアは苦笑してホビーが木刀を振る姿に目を向け直した。
その地稽古が終わると、すぐに「俺とやろう。」「いや、俺がやる。」と目の前に何人もの衛兵たちが集まってきた。
「はい、よろしくお願いします。」と立ち上がったが、今にも喧嘩が始まりそうな険悪な雰囲気だった。
「おい、俺が先だって言ってんだろ!?弱ぇくせに。」
「早いもん勝ちって言葉を知らねぇのか!」
「なんだと?先にやってやろうか?」
俺はそこへ割って入り「あっ、えっと、ここはじゃんけんで決めましょう。」と言いながらしきりに宥めていた。そして気付くと怪訝な顔を向けられていた。
あ、ここは早い人?それとも強い人が優先とかが良かった?
「ジャン……って何だ?」
「あれ?じゃんけんを知らないの?」
「聞いたこともねぇな。」
衛兵たちで顔を見合わせて首を振っていた。じゃんけんを教えていると、ホビーも加わってきて一緒になってじゃんけんをやっていた。1回の地稽古の間、ずっとじゃんけんをして勝った負けたと言っていた。そしていつの間にかあの殺気だった空気も和んでいた。
「よし、順番を決めるぞ。……じゃんけん、おるぁ!」
「あいこで、どりゃ!」
とても威勢の良い掛け声で順番を決めていた。人数が多かったのでなかなか決まらなかったが、結局先に最初に挙げた人が勝っていた。
それから何度も相手を変えながら地稽古を行った。その1人1人の技量が高く、負けなかったものの、身体強化の馬力だけで打ち負かせるような人はいなかった。そして自分の技量不足を改めて思い知った。
やがて昼を知らせる鐘が鳴ると一斉に木刀の打ち合う音が鳴り止み稽古が終わった。
「儂らはここまでとする。皆も励めよ。」
「はっ!」
オルデンブルクを敬礼で見送る衛兵たちの間を、ホビーが先頭に立って誇らしそうに敬礼をしながら通り抜けて行った。そしてこれから食事のためにまた屋敷に戻るのだ。
「ねぇねぇ、ぼく、つよかった?」
「ああ、強くなったな。身体強化も上手かったよ。魔力も増えたんじゃない ?」と緑色の頭を撫でまわした。
褒められたホビーは大きな目を細めて嬉しそうに俺を見ていた。
そしてホビーは褒められたことがよほど嬉しかったのか、俺の周りをまとわりつくように歩いた。
「ホビーは魔力増幅トレーニングを頑張ってるのよ。まだ風魔術を使うと倒れちゃうけどね。」とリーサが笑うと「いわないで!」とリーサの事を遠くへ押しやろうと押していた。こんな子供っぽい仕草が可愛い。
屋敷に戻るとそのまま食堂へ向かった。それに合わせたようにマルケスやベルも食堂に集まってきた。そして皆が座るとすぐに昼食が運ばれてきた。オークカツサンドにサラダとスープという軽食だった。そしてベルとサブルの親子にはそれに加えて、大きな魚をぶつ切りにした煮物が添えられていた。
「今日のホビーはしっかりした形ができておったな。」
「うん。オルおじさんとがんばってるから。」
「そうじゃな。儂と一緒にやれるうちにしっかり形を身につけるんじゃぞ。」
……それは俺もなんだよなぁ。時間を見つけてもっと剣を振らないといけないよな。
「親父、新年祭なんだけどさ。俺からも話はするけど、親父もしてくれよ。」
「分かった。」
「それからコーヅ殿。時間はあまり無いんですけど、何かニホンのものを出せませんか?」
「それならエアコンとか、羽毛布団とかいかがです?」
「それはアズライトにもあるものですよね。」
「この街だからできるものなどあると、街に活気がでると思うのですが。」
これは新しく何か作れってことだよな。
「コーヅ。かるぱっちょは?」
「あっ、そうか。それなら作れるね。」
「カル……?それは何ですか?」
「魚を使ったツマミじゃな。」
「それは良いですね。どんな些細なものでも教えていただけると幸いです。」
「ねぇねぇ、ここはお茶の産地でもあるからお茶を使ったお菓子とかは?」
「リーサさんまで……。」
抹茶と頭をよぎったが、製法なんて何も知らない。茶葉を粉末にしただけとは思えない。俺は首を振った。
「お主が専門では無いことは知っておる。しかしいくつも生み出してきた。ヒントだけでも置いていけば、この街の職人たちが商品として生み出すじゃろう。」
「はい。」
それなら茶葉を粉にして飲んだり、お菓子に混ぜるとか教えても良いのかもしれない、と食後のお茶に目を落とした。これは紅茶だ。でもその茶葉を粉にするなんて聞いたこと無いけど……。
そんな会話を交わしながら、食後のお茶も終わり、ひと息ついた頃に料理長のクラウスが入ってきた。
「コーヅ殿。早速で申し訳無いんですが、食事が終わったら調理場に来てもらえますか?」と声を掛けられて、俺は頷いた。
きっと昆布ダシの取り方についてだろう。簡単だから逆に不安なのかもしれない。
「また、おいしいもの?」
「うーん、多分夕食の準備じゃないかな。」
「じゃあ、たべられるね。ぼくもいく。」
『ボクモ。チョットタリナイナ。』
『ソレナラ、ワタシモイコウカシラ。』
こんな大人数で行って良いのか分からないけど、駄目なら駄目でその時かな。
「すまんが、儂は公務に戻らねばならぬ。」
そう言うとマルケスと一緒に食堂から出ていき屋敷の階段を大きな音を立てて上っていった。
「コーヅくんも調理場だね。一緒に行こう。」
シュリは漁やその他の理由で指を落とした料理人たちを治療し続けていた。指一本でもかなり時間はかかるが、治せることが大切だ。その人のこれからの人生が大きく変わる。
そして俺とシュリ、そして従魔たちが行くのならとリーサもイザベラもついて行くと言い、結局全員で押しかけるように行くことになった。
そして調理場に着いた途端「すまないが、聖女様はアイツをお願いします。」とクラウスが指差した先には、治療を心待ちにして落ち着かない様子の若い男性が椅子に座っていた。
「はーい。」とシュリは慣れたようにその正面におかれた椅子に腰かけた。
「よろしくね。」と微笑むと、親指の先が欠損している右手を手に取ると、早速治療を始めた。
「でな、コーヅさん。あの昆布ってのは本当にあれでいいのか?」
ボウルに水を満たしてあり、その中に昆布がユラユラと浮いていた。
「はい。こうやって何時間か浸けとくと旨味が出てくるので、スープや料理に使ってください。」
「本当かよ……。」と呟くとクラウスはスプーンを持ってきて、少し躊躇しつつも水を掬って啜った。




