第246話 禁忌
色々なことがありながらも雪道を予定より1日遅れて抜けた。そしてそれは高くそびえ立つ山を越えて、だいぶ下ってきたことを意味した。ここから順調に進めば明日の夕方くらいにはクリソプレーズに着くようだ。
後ろを振り返ればあの分厚い雪雲は山に引っかかっていて真っ白く薄暗い世界が残っている。しかし前を向けば透けるような青空が広がっている。そして木々の隙間からは緑だったり茶色だったりする山が覗き見える。
俺は肩や頭にこびりついた雪を払い落とした。
「雪が無くなったー!」
「はぁぁぁ、長かったぁ。」と大きく息をついたシュリからは白い息が立ち上った。
馬車の中からホビーやサブルが小さな窓から顔を出してきた。
「やったー!」
そんな会話の間も馬車は緩やかな山道をゆっくりと下っていく。この後もう一山を越えると海が見えてくるらしい。そしてその先には目指すクリソプレーズがある。ここまで長かったけど、やっと辿り着ける。道中がこんなに大変と知っていたら招待を断っていたかもしれない。しかしそれももうすぐ終わりだ。
目の前の緩やかな下り道を一気に駆け下りてしまいたい程に気持ちが昂ってくるが、そんなことをしたら馬車がひっくり返ってしまうと思う。
心を落ち着かせて……と思っていると、ホビーとサブルが馬車の窓から飛び降りて坂道を駆け出した。
「こらっ!危ないぞ。」と言よりも早くホビーは躓いて坂道を転がっていった。
「ホビーは面白い転がり方をするのね。新ネタかしら?」とイザベラが走りながら首を傾げている。
「違いますよっ!」とリーサはすぐにホビーの元に駆け寄って抱え上げた。そして服に付いた砂埃を叩いて落とした。
「気をつけないとダメでしょ!?」
「ごめんなさい……。」
ホビーはしゅんとしている。そこへベルに促されてサブルが近寄ると『ボクモ、ゴメンナサイ』と謝っていたので、俺がそれを通訳した。
「サブルも気をつけてね。」とリーサはその頭を撫でた。
「リーサさんはすっかりテイマーだねぇ。」
シュリがその傍で感心している一方でイザベラは「本職としては悔しい?ねぇねぇ悔しい?」と俺を覗き込むようにしてからかってくる。
「んー……。」
リーサとホビーやベル、サブルが俺よりも仲良くしている姿は見ていて寂しくもあるけど、嬉しい方が強いかな。リーサが面倒をみてくれるなら俺も安心して日本に帰れるし。
「やっぱり嬉しいよ。」と熟考した上で答えた。
「まぁ、そういうことにしておくよ。」と分かったような顔をして肩を叩くと、馬車を追って走り出した。
でもシュリは「やっぱりまだ帰りたいんだね。」と寂し気に笑った。それで心変わりするという訳では無いが、やはり心に刺さるものがある。俺はシュリを見ないように小さく頷いてから走り始めた。
馬車はガラガラと音を立ててゆっくりと坂道を下り続けている。
俺は魔獣探知をする気になれなくて、馬車の隣をただ何となく走っていた。
坂道を下りきりそうな辺りに広場が見えてきた。そこで昼食休憩をとることになるんだろう。
「ここまで来ればもう何もないじゃろう。のう、コーヅ殿?」
広場で馬車を止めて、馬を労わるように撫でているオルデンブルクに話しかけられた。
「はぁ……そうですね?」
俺に聞かれても答えようがない。この先に何があるのかも知らないのに。
「あーっ!オルデンブルク様がフラグを立てた。」とイザベラが騒ぎ立てているが「フラグ?」と聞いたことない言葉を聞き返すと、シュリが丁寧に言葉の意味を解説してくれた。
「あー、なるほど……って俺を巻き込まないでよ。」
「いや、どう考えてもコーヅさんでしょ。」
「うん、私もコーヅくんだと思うよ。」
それに同調するようにみんなが笑ってる。
あ、キャシーまで。何だよ。色々起きたのはみんなだって同じだろう。失礼な奴らめ。
そして昼食はいつものように肉パンとスープだ。油が固まる程ではないが冷えたスープの皿を手で包み込んで火魔術を使って温めてから飲むとじんわりと体の中から温まる。そしてスープに浸した硬いパンをかじった。
さすがに代わり映えしない食事は飽きてきた。でもカツサンドはクリソプレーズの料理人たちに食べさせるからと言って食べさせてもらえない。カツの作り方は何となく教えられるけど、ソースは無理なので仕方ないかなとも思う。
そしてベルやサブルは味わっているのか疑問になる程にあっという間に食べ終えると、この量では足りないとばかりに森の中に消えていった。
しばらくすると2頭が満足気な表情で口の周りを赤くして帰って来た。その頃には食事も終えて出発の準備もほとんど終わっていた。そしてベルやサブルの口の周りを綺麗に洗い流すと出発となった。
当然ここまで何もおかしなことは起きなかった。そりゃそうだ。
下り坂は緩やかに曲がりくねりながら続いていき、それを下りきると今度は上り坂が始まる。ホビーも大人しくサブルと走っている。それにしてもホビーは気持ちのムラがあるけど、旅の始まりに比べたらかなり走れるようになっている。
そして山の中腹辺りに野営地となる広場があった。野営はここで最後になる。明日の夜はきっと温かく柔らかいベッドで寝られるはずだ。
ここは街から近いからか他の野営地に比べてかなり広いが、宿泊は俺たちだけのようだった。
でもいつものように広場の一番奥で野営の準備を始めた。するとベルはサブルと一緒に静かに森に入っていった。残念ながら大飯食らいの2頭を満足させられる量の食事は持ってきていないからだ。
俺はホビーと焚火の薪を集めるために森に足を踏み入れた。街道とは違うひんやりとした空気が美味しく感じる。そしてホビーも走ってどこかへ行くことはない。ちょっとしたことでも子供の成長を感じると幸せな気持ちになれる。
「森の中は気持ちいいね。」
「うん。ぼくはやっぱり、もりがすきだな。」
木の枝を拾いながら他愛もない会話を交わした。ホビーはリーサから借りたナイフで危なっかしい手つきながら枝を落としていた。ヒールで治療できると思うと、少々の怪我は気にしなくて良いので、何も言わずにやらせている。
「イテッ」
ホビーの指からジワッと赤い血が流れてきている。俺はすぐにヒールで切り傷を治した。このやり方は怪我をしないように見守るよりも楽だし、子供の成長につながりやすいと思う。ヒールのない日本では息子にこんなやり方はできないけど。
その時、頭上からキーという声が聞こえて見上げた。
「なにあれ?」
木の上に猿……?がいる。そして歯茎を見せて明らかに敵意を向けている。でもその猿から魔力は感じ無いので普通に動物の猿なんだと思う。
「ホビー、面倒だから相手にしないで……」
俺の声を聞く前に木に駆け上がる勢いで登っていった。
「止めろ!」
叫んだ時にはホビーが猿に飛びかかっていた。そして揉み合いながら木から落ちてきた。
「こいつ!」「ギャギャー!!」
「やめろって。」
取っ組み合っている2匹を剥がそうと手を伸ばすと、それよりも速くダイが凄い勢いで駆け寄ってきてホビーと猿を掴んだ。
「絶対駄目!」
森の中に駆け込んできたティアが叫んだ。
しかしダイが止めるより一瞬早くホビーは持っていたナイフを猿の首に突き立てた。すると猿の「グギャャャ!」という断末魔が森に響き渡った。
「あーあ、やっちゃった。逃げるよー。」
いつの間にか近くにいたイザベラが森の中から走って逃げていった。それは大袈裟だろう。俺はホビーを抱き上げた。
「危ないからむやみに戦わないで。でも良くやったな。狩りをしたのは初めてじゃないか?」
俺は興奮していて呼吸の荒いホビーの頭を優しく撫でた。
「何やってんだ!?逃げるぞ!」
ダイに腕を強く引っ張られた。そして俺は訳もわからず、猿をそこに残してホビーを抱えたまま森から出た。するとみんなが出発の準備を急いでいた。
「え?どうして?」
大袈裟な対応に驚いて思わず声が漏れたが、すぐに理由が分かった。
「キーキー!」「ギャーギャー!」
猿の叫び声が木霊しているように森のあちこちから聞こえてくる。この声には明らかな敵意を感じる。そしてその異常な声に鳥たちが一斉に飛び立った。
「理由は後から説明するから、とにかく逃げるわよ。」
ホビーやサブルを馬車の中に放り込むと慌ただしく走り出した。そしてその馬車をみんなで囲うようにした。
「ギャー!」
猿が木の上から飛び降りてきた。すかさずオルデンブルクが風魔術で吹き飛ばした。そしてそれとほぼ同時に正面から3匹の大きな猿が怒りに燃えた目で飛びかかってきた。それらはジョーたちが難なく斬り捨てた。
すると前後左右からも一斉に猿たちが飛びかかってきた。『海の鳥』のメンバーや俺たちも剣や魔術でそれに応戦した。しかし魔力の検知はできないので全て目視になる。
ドサッ
頭の上に乗ってきた猿が爪を立てきた。そして「ギャー!」と叫ぶと噛みつきにきたが、次の瞬間にはリーサの手刀で飛ばされていた。
「ありがとう!」
「次!」
休む間も無く、飛びついてきた猿に石弾をぶつけて飛ばした。その次は足元を走ってくる猿に石弾を放つが素早く避けられてしまった。連続で放つが全て避けられた。
「ギャー!」
俺に向かって飛びかかってきた猿の前に、素早くイザベラが割り込むとその首根っこを捕まえた。
「何を……?」
驚いて声が漏れた。
「悪い子はこうしてやる!」と言って猿の尻を2回、3回と引っ叩くと、思いっきり森の奥に向かって投げた。
「……。」
イザベラのやる事への理解は追いつかないけど強さは実感する。
身体強化しているつもりだけど、猿の動きに惑わされてその能力を上手く発揮できていない。本来ならこのくらいの相手ならゆっくり見えて、怖いことなんて何も無いはずなのに!
自分自身への苛立ちを覚えながらも、全方位から飛びかかってくる猿に石をぶつけて跳ね返していった。
これまでとはまた勝手が違う戦い方だ。本当なら身体強化で動体視力も向上していれば、単純に突っ込んでくるだけの猿なんて大して怖くは無いはずなんだけど。数が多い上にすばしっこくて、身体強化をきちんと維持できていない状態だ。
そしてすぐ近くにいるベルですら数の威力の前にやり辛そうで、体の上に乗られて毛を毟られている。それを回転したり飛び跳ねてりして振り解こうとしているが、落としきれずに苦慮していた。
「女子にとって髪の毛は命の次に大切なんだからね!」
イザベラがその猿を鷲掴みにして剥がすと「女子に優しくできない男子にはお仕置きだよ。」と尻を叩いてから飛びかかってきた猿に向けて投げつけた。「ギャ!」という悲鳴をあげて転がっていった。
ドサッドサッ
この隙をついて猿たちが馬車の上に飛び降りた。




