第227話 眠れる虎
屋敷を出ると、どんよりとした厚い雲に覆われている。それは建物の古ぼけた色と重なり、より薄暗く感じさせる。そして昨日までとは違い、風には容赦のない冷たさがある。まだ身体強化が十分でないホビーは服の上に小さな体に見合わない真っ赤なマフラーを何重にも巻いて、そこに顔を埋めている。
そんな寒空の下でも街の中は今夜の祭りへの期待で熱気に包まれていた。
「今日の仕事は早く終わらせないと。」
「つーか仕事してる場合じゃないよな。」
そんな会話があちこちで飛び交っている。
「儂らもしっかりと稽古してから祭りを楽しもうかの。」
あくまでオルデンブルクの軸は稽古にあって、それは全くぶれない。
今朝の大聖堂前も人出が多い。そして咳をしている人が急に増えた気がする。でも風邪くらいなら治療者であればすぐ治せるので、特に心配するようなことではないけど。
「おはようございます。」
いつものように裏口でラーラに迎えられた。今朝も大聖堂全体がエアコンで温められていてホッとする。
「今日は咳をしている人が多いので皆さんにも治療を手伝っていただきたいのです。」
「いいわよ。私はそっちに行くわ。」
「私はコーヅ式ヒール健康法をマスターしたいから、コーヅくんと一緒にいる。」
「何なの、その胡散臭い名前は……。」
「あ、イザベラちゃんが名付けてくれたんだよ。気に入った?」
イザベラめぇ!
「イザベラに命名権は譲ってません。」
早々に自分でセンスの良い名前をつけたいと思う。
そしてティアだけが治療のために大広間へさっさと歩いていった。その場に残った俺たちは、ラーラの案内で治療部屋に向かった。しかし今日も命に関わるほどの重症化している患者はいなくてホッとした。
これだけの寒さの中で、他の街から来れるような重症者は多くないから、春まではほとんどいないだろうとのこと。そりゃそうか。
とは言え、今の祭司たちでは治療できない程には症状は重く、ヒールで維持している状態ではある。だからこそ祭司たちには(命名)神津式治療法を習得して欲しいと思う。
「はい!はい!私がやります。」
シュリは元気良く手を上げると、患者の前に進んでその前に跪いた。そして深呼吸してから肩に手を置くと、目を閉じてぶつぶつ呟きながらヒールを送り込み始めた。
祭司が治療できなくても、シュリが治療できているということはランクではなく、技術ということだ。おかげで、出力勝負なイメージがあった魔術にも技術は大事なことが理解できた。
シュリは唸りながら真剣に患者に向き合っている。しかしシュリに負けじと祭司やオルデンブルク、警護者たちも同じように魔力を薄く流して患部を探したり、患部を削るという技術の習得を続けていた。
「どうですか?」
「いえ、まだ……。」
祭司たちの言葉は表情以上に歯切れが悪い。今日も上手くいっていない様子だ。
何でなんだろう?俺も頭を捻ってしまう。でも魔力の流し方の技術と思うので、この伝わりきらない『引っかかる』とか『削る』や『撫でる』とかいう表現の感覚を自力で掴んでもらうしかない。
しかしその重ね重ねの努力も虚しく、この日も祭司たち、そしてオルデンブルクや警護の人たちの誰一人として患部を削り取るという技術を習得できた人はいなかった。
「コーヅ殿……、儂らがこれだけやって駄目なものは普通の感覚じゃないと思うぞ。」
珍しくオルデンブルクが疲れ切った表情で首を振った。
「そうですね。シュリさんが特別なのだと思います。」
オルデンブルクに同意するように祭司は頷いた。
しかし昨日とは違い、シュリに進歩が見られることでみんなから技術を習得しようという意気込みは感じられた。そのシュリは少しずつ治療ペースが上がってきている。やはりり0を1にするということは、1を10にすることより難しいんだと思う。
そこへ昼を知らせる鐘が鳴り響いた。
「ごめん、コーヅくん。あとはお願いしていい?」
治療中の患者の状態を確認すると3割くらい治療が進んでる気がする。俺は残りの違和を削り取るようにヒールを流していった。
「儂らには難しいのう……。しかし魔力ランクが重要ではないことは大発見じゃ。お主らも引き続き励むのじゃぞ。」
「はい!」
祭司たちは頭を下げて俺たちを送り出した。これもシュリが治療技術を習得してくれたお陰だ。もしシュリも習得してくれなかったらきっとランク違いという結論になっていたと思う。本当に感謝しかない。
その感謝の証として「シュリには神津式治療法の継承者として削り取りヒール伝道師の称号をあげよう。」と笑顔を向けた。
「えっとぉ……コーヅくんからの贈り物は嬉しいよ。でもね、その名前は残念だけど受け取れないよ。」と首を振った。
「イザベラの何とか健康法とかは良いのに?」
「あれはコーヅくん宛だから。私は無理。」
「ひどっ!」
「コーヅ殿はセンスがないのう。シュリ殿はこの世界の誰もが成し得なかったことを成し遂げたのじゃ。聖女くらいの名前を贈らんか。」
「せ、せ、せ、聖女ーーっ!?キャーーー!」
シュリは飛び上がって喜んでオルデンブルクに抱きついた。
「ありがとうございます!私、聖女の名前に見合うようにもっともっと、もーーっと努力します!」
何か聖女とか言うともっと凄いイメージがあるんだけど。それにしてもオルデンブルクって二つ名を安売りするんだな。
「やったぁ!聖女!聖女!嬉しい!」
シュリは何度も飛び上がり小躍りしながら全身で喜びを表現している。
「コーヅはせんすないな。どんまい。」
ホビーにポンポンと足を叩かれた。ホビーにまで慰められると、なんだか惨めな気持ちになる。
別部屋で治療していたティアが戻ってくると「ティアちゃん!私、聖女なんだよ!」と抱きついた。
「ちょ、ちょっと、どういうことなのよ?」
ティアは興奮しているシュリではなく俺に説明を求めるような視線を送ってきた。
「俺の治療法をシュリだけが習得できたからかな。」
「そうじゃ。儂らBランクでも治せない病気を治せてるんじゃ。それはコーヅ殿に続いてこの国で2番目の治癒者ということじゃ。」
「でも皆さんももう少し練習したら……。痛ってぇ!」
ティアに脛を蹴り上げられた。
「これがシュリにとってどれだけ大きなことか分かってるの?」
これは余計なことを言うなということだ。確かにオルデンブルクからの二つ名であれば、とても大きな効力があると思う。それだけに期待も大きくてプレッシャーもあるかもしれないけど。
「経験の浅いコーヅ殿には分からんのかもしれんが、儂らだって人生でどれだけヒールを使ってきたと思っておる。」
その言葉に部屋の中にいる人たち全員が頷いている。ホビーまで分かったような顔で頷いている。
なんだか意図しない方向で悪者になった気がする。「えっと……」と反論しようと口を開いた。
「良いんですよ、コーヅくん。誰もが過ちを犯すものです。」とシュリが聖女の微笑みを向けてきた。 その様子に部屋が笑いに包まれた。
「では儂らはここまでじゃ。お主らも聖女殿に負けんように技術を習得するんじゃ。」
「はい。剣聖様もお達者で。」
この感じだと明日はもうここには来なさそうだ。大丈夫か心配になるけど、これからもっと練習を積み上げてもらって、是非とも治療できるようになってほしい。
大聖堂の外には相変わらずどんよりとした重たい雲が広がっていた。折角の祭りに雨が降らなければ良いんだけど。
そしてオルデンブルクにとって最後の雪山フレンチトーストを食べるためにフィーロのパン食堂に向かった。
「なんとも名残惜しいのう。」
店に入る前から背中に哀愁を漂わせている。オルデンブルクに贈るスイーツレシピってないかな?あまりに不憫で何か考えたくなってくる。
「いらっしゃいませ。お待ちしておりました。どうぞこちらへ。」
店に着くと今日はフィーロがいつもの席へと案内してくれた。
「そういえばフィーロさんは今夜のお祭りには行くの?」
毎度同じオルデンブルクの正面の椅子に座りながら聞いてみた。
「もちろんよ。だって……。」と何かを言い淀んだ後「えっと、あれ、なんだっけ。なんか新しい施設がお披露目らしいじゃない?」と乾いた声で笑って誤魔化していた。
フィーロのこの反応はフレンチトーストかラスクを出すんだろう。でも販売する量のことを考えるとラスクだろうな、と予想した。それにしてもこんなところまで箝口令を敷いているとは……。
そして、そそくさと厨房に戻ったフィーロが持ってきた雪山フレンチトーストも、残すところ最後の一口となった。オルデンブルクは美味しく食べられた喜びと、残りがひと口になった哀しみを湛えた表情で名残惜しそうに飲み下した。
「これを何とか毎日食べれんもんかのう……。」
「お爺さま、是非またアズライトにいらしてください。」
「それしかないのか……。」
目の前に出されたパンをなども全て無くなっても、オルデンブルクは席を立たず、いや立てずにしばらく座ったままだった。
ギィ……と鈍い音がして新たな客が顔を覗かせた。
「いらっしゃいませ!何名様ですか?」
若い店員が元気よく、入ってきた客を迎えた。
「そろそろ行くか……。」
せっかく美味しいものを食べたのに、オルデンブルクは元気なく立ち上がった。そしてカウンターに並んでいた手土産用のラスクを、ささやかに全て買い取っていた。
「しばらくはこれで我慢するしかないのか……。」と沈んだ面持ちで店を出た。しかし一度店を出てしまうと切り替えが早い。
「さて、今日も衛兵相手に稽古をするかの。」
そう言うと砦に向かって歩きはじめた。俺たちもそれに従うように、その後ろを歩いた。
砦に着き訓練場に入ると、待っていたかのように衛兵たちは訓練を止めてオルデンブルクの周りに集まった。
「よしよし、今日もしっかりと稽古せんとな。」
「訓練に熱中して祭りを忘れんでくださいよ。」
珍しく訓練に混じっていたタイガーが声をかけた。
「おう、タイガー。お主とも剣を交えたいと思っておったんじゃ。」
「光栄です。」
恭しく頭を下げたが、起こした顔には今までに見たことがないほどの好戦的な色が浮かび上がっていた。被っていた猫から本来の虎に戻ったかのような、今にも誰かを食い殺しそうな危険な雰囲気を纏っていた。




