第226話 機密情報
声が上った方を見ると、ヴェイが片膝をついていた。そんなヴェイの姿は初めて見た。当のヴェイは悔しそうではあるが、充実した表情でオルデンブルクを見上げていた。
「この街に来て二番目に強かったぞ。よし、次じゃ。」
剣聖というものが伊達ではないと思った。あの戦闘狂のヴェイより圧倒的に強いとは……。
「おい、聞いたか?ヴェイより強い奴がこの街にいるってのか?」
「隊長のことだろ。」
オルデンブルクの余計な一言に衛兵たちがざわつき始めた。俺は聞いてないフリをしてそっぽを向いていた。
「なぁ、誰だよ?ヴェイより強い奴って。」と衛兵の一人が近くにいた警護者に聞いた。」
「コーヅ殿ですよ。御大からから武神の二つ名を与えられていました。」
「は!?コーヅが?」
一斉に俺に言いようのない驚きや疑いの視線が集まった。それらの目に何か悪いことをしたような、申し訳ないような気持ちになる。しかしこの武神という二つ名に相応しくなると心に誓ったばかりだ。
「身体強化使ってだけどね。へへ。」と頭をかいた。
「こいつAだもんなぁ。」と納得してくれた。
残念ながら俺のヘタレ癖は簡単には抜けるものではなかった。完全否定しないだけ少し頑張ったつもりだけど……。
「お願いします!」
そこへ聞き覚えのある透き通った声が聞こえてきた。これはショーンだ。
カン!カン!カン!という甲高い音が聞こえた。ショーンの剣は流れるように綺麗だ。ヴェイの粗暴な剣とは音から違う。
「素直すぎるな。」
オルデンブルクが反撃に転じる。相手のリズムを崩すような不規則なリズムの攻撃を繰り出した。ショーンは下がりながらそれを受け流す。隙を見計らって攻撃に転じようとはしているが、見つけられず防戦一方だ。
「くっ……。」
ショーンは徐々に追い込まれていき、逃げ場が無くなってきた。
「くっそ!」
ショーンらしからぬ言葉遣いに驚いたが、そこからオルデンブルクの木刀を弾き飛ばすように力強く打ち返した。そして足元への突き、そのまま斬り上げた。オルデンブルクは半身になりかわした。その背中に回り込みながら逆袈裟斬りを放つが、オルデンブルクは後ろ手に木刀を受け止めた。
ここから力比べが始まったが体制が良いショーンが優勢になりオルデンブルクが大きく飛び退いた。しかしショーンもそのまま逃がしたりはしない。すかさず間を詰めると連続で突きを放った。
「良い攻撃じゃ!」
オルデンブルクの表情にはまだ余裕がある。そしてそれらを避けきると、ショーンの手元を木刀で叩いた。
「ぐっ……」
木刀がショーンの手から落ちて足元に転がった。
「勝機を見て攻める姿勢は良い。じゃが、どんな時も反撃を受ける予測をすべきじゃ。よし、次!」
悔しそうに俯くショーンに背を向け、オルデンブルクは次の衛兵を求めた。しかし次の衛兵はオルデンブルクの激烈な剣技の前に持ちこたえることができず、あっという間に負けていた。
「強いね。」
オルデンブルクを囲うように作られた輪に戻ってきたショーンに声をかけた。
「いや、全然だよ。もう少しできると思ってたんだけどね。」と力無く笑った。
「そんな事無いよ。あれだけ剣を合わせられるんだもん。」
「はは。ありがとう。」と受け流された。
どれだけ慰めようとしたところで、自分自身が納得できていないんだから心に響く訳がない。
「ねぇ、一緒にクリソプレーズに行けそう?」
ショーンは表情の無い目を、遠くでサラやアリアと談笑するリーサに向けて「まだ顔を合わせられないよ。」と首を振った。俺はそんなショーンを引っ張って輪から外れると並んで縁石に座った。
「どうして?気持ちを繋げることは大切でしょ?」
「僕はその前に貴族から必要とされる必要があるんだ。コーヅみたいにね。」
「でもそのために近衛兵になって頑張るんでしょ?」
「近衛兵なんて王都に行けば沢山いるよ。それだけじゃ貴族になんてなれないよ。」
俺は言葉に詰まってしまった。確かに近衛兵だから貴族に取り込みたいかと言われると違うと思った。
「……。」
俺が答えに窮すると「それが答えだよ。僕は何一つ成し遂げたことなんてないんだよ。」と言って立ち上がった。
「待ってよ。諦めないよね?」
「当たり前だろ?元々僕は貴族になることがどれだけ大変なのかは分かってるんだから。」
そりゃそうだ。ショーンは以前からそう言っていた。でもそれがどれだけ難しいか、あの時の俺は分かっていなかった。今は貴族がどれだけ村社会なのか身に染みている。相当な功績がない限りは難しいと思う。
それ以上俺は何も言えずに衛兵たちの輪に戻るショーンの背中を見送った。俺はその背中に「頑張れ。」と呟くことしかできなかった。
それにしても冒険者よりも衛兵の方が強いんだな。冒険者たちはあっという間に全員が打ちのめされていたが、衛兵たちとはまだまだ稽古が終わる気配を見せない。一度負けてもまたすぐに再挑戦を願い出ている。オルデンブルクもさぞかし喜んでいるだろう。お陰で俺も楽をさせてもらっている。
俺は衛兵たちが作る輪の中には加わらず、縁石に座ったまま衛兵たちの戦いをぼんやりと眺めていた。
勝負がつくと歓声とともにすぐに次の対戦を求める声が上がる。オルデンブルクは衛兵たちに勝ち続けている。衛兵の強さを身を持って知っている者とすると、それは本当に凄いことと思う。でもあれだけ強いオルデンブルクがこんなに頑張っているんだから、俺もここに座って休んでる場合じゃ無いな。俺が日本に帰るための役に立つだろうと『武神』という二つ名を与えてくれたんだ。まだ自分に見合わな過ぎて、くすぐったいし恥ずかしいけど……。
訓練場の端にある打ち込み台ではホビーがシュリに教わりながら木刀を振る練習している。俺もその隣で一緒に打ち込みを始めた。
―――
陽が傾き始めて、空が朱く染まり始めるとオルデンブルクから「コーヅ殿!」と呼ばれた。
指名が入ると、俺は打ち込みを止めた。汗が顎から止めどなく滴り落ちていく。俺は水を飲みながらヒールで体を満たしていった。これから仕上げの地稽古が始まるんだと思う。俺に有利なことは魔力差しかない。
「お主の番じゃ。」
俺が頷いてオルデンブルクの元に歩み寄ると、衛兵たちの壁が開いていった。
「よう武神様。」と脇腹を突かれた。
「おぅ。」と反射的に腰をひねらせた。
「武神様の格好いいところを見せてくれよ」と首に腕を巻かれてグイグイと締め付けられた。
「イタタタ!止めてよ。」
「よっ後衛班の期待の星!」と肩や背中を叩かれた。
どうしてこうもいじられるんだろう?折角の集中が台無しだ。
オルデンブルクはいつの間にか上半身裸になっていて湯気がオーラのように立ち上っている。その姿は大きな体を更に大きく見せる存在感があり、その正面から威圧を受けると逃げ出したくなる程の恐怖感に支配される。俺はもう一度ヒールと身体強化に全身全霊の力を注いだ。技術と経験差が大きいので魔力の出力勝負の短期決戦で挑むしかない。
「いきます。」
「来い!」
一気に踏み込み間合いを詰めると低い位置から木刀を横一閃に振った。砂埃が立ち上る。そしてそこからの連続で突きでオルデンブルクを追うが、見切られているように避けられ、いなされる。
「攻撃が単調じゃ。」
次に俺は背中を取るようにステップを踏んで回り込んだ。しかし背中で木刀を受けるとそのまま回転するようにいなされた。しかしまだこちらが攻めている。俺は手を緩めずに攻撃を続ける。
右左、そして上下と狙いを散らしながら木刀を振る。しかしスピードや力を上げても、狙いがずれるとすぐに反撃される。俺はそれを強く弾きバランスを崩そうとする。しかしそれも微妙に芯を外されて力が伝わらない。
何とか力比べに持っていきたい。相手の余裕を奪うようにあの手この手とフェイントを混じえて打ち込むが、全て上手く受け流されてしまう。これまでは稀に力比べの形を作れたが、今日はまだ一度もない。俺は大きく後ろへ飛び退き距離を取った。
ステップを踏みオルデンブルクの後ろに回り込むように動いた。そして足元へ突きを放った。しかし足を軽く動かしただけで避けられた。ステップを踏み左右に動きながら突きを繰り出す。しかし俺の付け焼き刃的な剣技は全く通用せず、全て受け止められた。
また距離を取った。オルデンブルクは冷静な表情で俺を見据えている。
どうする……?
もし通用するとすればそれは一番練習してる上から下へ真っ直ぐ振り下ろす真っ向斬りだ。
「どうした?来んのならこちらからいくぞ?」
俺はオルデンブルクに正対し真っ直ぐ構えると、持ち合わせている力を足に込めオルデンブルクの懐に全速力で飛び込むと、最大の力を込めて真っ直ぐ振り下ろした。
バァァァン!
大きな音を立てて木刀が破裂した。またこのパターンだ。
「おおお!!」というどよめきが起きた。
俺は膝に手をついて大きく息をついた。
負けなくて良かった……。
「コーヅもなかなかやるようになったじゃないか。」
いつの間にか輪の中から見物していたタイガーに声をかけられた。
「おお、タイガーではないか。儂とやらんか?」
一方のオルデンブルクはケロリとしている。まだまだその背中は遠い。
「ありがとうございます。ですが明日お願いします。もう訓練終了の時間です。1日中コイツらに稽古をつけてくださりありがとうございました。」とタイガーは深々と頭を下げた。
「ありがとうございました!」
衛兵たちもそれに合わせて頭を下げた。
「今日はアズライトに来て一番有意義じゃった。明日もここに来よう。」
「今夜もありますよ。」
「この後、肝臓の稽古をつけてください。」
「はっはっは!明日の祭りがそういう場と聞いておる。明日も楽しみじゃのう。」
衛兵たちのお陰でオルデンブルクがとても上機嫌のまま屋敷に戻った。
食後はすっかり慣れた1人部屋で木刀を振った。まだまだ武神なんて二つ名は荷が重い。でも逃げる訳にはいかない。俺のものにするには努力しかない。
俺は目の前のオルデンブルクの残像に向けて何度も何度も打ち込んだ。避けられるイメージしか湧いてこないが、繰り返し繰り返し夜更けまで振るい続けた。
―――
昨夜は汗臭いまま寝たので朝から風呂に入らせてもらった。
食堂ではクリストフとシャルロッテは今夜の祭りの段取りについて会話していた。秘密にしておかないといけないからか「あれはあれの次よね?」「そうだ。その次はあっちに移る。」という会話をこれを真剣な表情でしてるものだから笑えてくる。
「そんな会話で伝わってますの?」とリーサは笑いながら聞いた。
「勿論だとも。なぁ、シャルロッテ?」
シャルロッテは頷くと「今回は領主様命令で皆さんにも……皆さんには口外するなと言われてましてね。」と冗談ぽく笑った。
「それ程までに秘密にしたいなんて、どんなお祭りになるのかしら?」
「まつりってなんだかたのしそう!」
「他所の領地ではどんな祭りなのか楽しみじゃのう。」
みんな朝からテンションが高い気がする。やはり祭りというものはどんな世界でも人の気持ちを高揚させるものなんだな。それにしても祭りを機密情報扱いしなくてもと思うんだけど、そういうところが領主っぽいなと小さく苦笑した。
そして明日にはこの街を出発することになる。しかしクリストフもシャルロッテも今夜の祭りをいかに成功させるかに気が向いていて、娘としばらく別れるということが話題に出てくる気配はない。
俺にとっては今夜のことよりも明日からのことの方がはるかに大事だ。エルフの痕跡に触れられるし、野営だって楽しみだ。今の俺はプルスレ村に行った時とは心構えも準備も違う。少しでも多くの街の外を旅する知識と経験と技術を得たいと思っている。
でも唯一の事前準備であるショートソードは届いておらず、腰ベルトにはナイフが装備されたままだ。魔石入れのポケットにはパンパンに魔石を詰めてあるし、別の袋にも沢山入れてある。
俺は一人で明日のことへ思いを馳せていたので、あまり会話には加わらず食事を終えた。
今朝もまずは大聖堂の治療からスタートだ。そしてフィーロのパン食堂、砦で稽古の流れだと思う。
「さぁ行こうか。今日も張り切っていこう!」
やたらとやる気を出していて、意気揚々と応接室を出ていくシュリの後ろ姿を見送った。
「急にどうしたの?」
「治療の素質があるかもしれないのが嬉しいんですって。練習しててあんまり寝てないみたい。」
お茶を急ぐ様子もなく飲み終えてから立ち上がったティアが教えてくれた。




